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第八章 動転する物語とハッピーエンド
化け猫遊女とカレイの刺身(その4) ※全5部
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◇◇◇◇
「着きましたぞ。これが化け猫遊女殿の語られた楪という遊女の行く末が記されている石碑です」
ここは東京目黒区の目黒不動尊境内の一角、そこにある大きな石碑を示して鳥居さんは言います。
「ええと……」
「どうしました珠子さん」
朝のうっすらとした明るさの中、石碑を眺めた珠子さんが言葉を濁します。
「よ、よめません。これって漢文石碑じゃないですか。しっかもレ点とかないやつ。こんなのパパッと読めませんよ。かろうじて読めるのはタイトルだけです。『昆陽青木先生碑銘』、江戸時代の甘藷の栽培に活躍した青木昆陽について記された碑文のようですね」
青木昆陽については私も知っています。
確か徳川吉宗の時代に幕府の命令で甘藷、サツマイモの栽培を広めた人物ですね。
「左様。儂は蘭学者は嫌いであるが、この青木はその中でもましな人物。各地の農作物についての書物を集めたり、長崎の出島にて洋書を学んだ人物であります。中でも甘藷の栽培は民草の救荒作物として非常に有用でありました」
「甘藷は吉原でも人気だったニャ。それで、この青木昆陽さんと楪とどんな関係があるのニャ」
そう問われた鳥居さんは漢字がびっしりと書かれた石碑の一部を指します。
「ここにはこう書かれておる。『青木昆陽先生の父は本名を末友という男で、半右衛門と名乗り、日本橋で佃屋という魚屋を営み、医者の村上宗伯の娘を娶った。元禄11年、先生が生まれた』と」
「村上宗伯の娘!? それって楪のことニャ!」
「よかったな。楪ちゃんはちゃんと生き延びて、こんな有名人の母親になったってわけか。こりゃめでたしめでたし」
緑乱兄さんはそう言いますが、私の中では疑念が渦巻きます。
この碑文はおかしい。
「いや、これはおかしいですね。かなり眉唾です」クイッ
「おいおい、いきなり水を差すなよ。どこがおかしいんだい?」
「この結婚のいきさつですよ。鳥居さんの話では村上宗伯は中津藩の藩医という話でしょう。だとしたら魚屋と結婚するなんて異常です。身分が違い過ぎます」
「左様。蒼明殿の言う通りであります。当時の中津藩は中津小笠原藩とも呼ばれ、譜代藩でありました。そこの藩医ともなれば上級武士。その娘を娶るなら旗本か上位の御家人でないと家の格が釣り合いませぬ」
「言われてみればそうニャ……」
鳥居さんと化け猫遊女さんも私の疑念に同意を示します。
「で、でも、このふたりに大恋愛のロマンスがあって、周囲の反対を押し切って結ばれたとかなかったですか?」
「珠子殿、それはありえませぬ。書物の中ではそういうのもありますが、江戸時代の身分の差は珠子殿の想像を超えるもの。藩医の娘が魚屋風情と結婚するなどありえませぬ」
「ほ、ほら、この半右衛門さんがものすごい魚屋さんで、お金持ちで支度金とかを潤沢に出したとか!?」
「あ、り、え、ま、せ、ぬ。これは金子の問題ではなく、武士としての誇りの問題。仮に儂が同じ立場で娘がどうしても魚屋風情と結婚したいと言って聞かなかったなら、娘を斬り、切腹致します」
強い意志と決意をもって鳥居さんは言い切ります。
「でもよ、この青木昆陽ってのは将軍様のおぼえめでたき男だったんだろ。それだったら可能性はあったんじゃねぇのか?」
「昆陽が時の南町奉行、大岡越前守に目を掛けられ、吉宗様もそれを知ることとなったのは事実。この昆陽も魚屋のせがれながら御家人として取り立てられました。ですが、この昆陽自身が村上宗伯の娘と結婚したならともかく、その父と村上宗伯の娘の結婚はありえませぬ。緑乱殿、それは順序が逆でございますぞ」
鳥居さんの言うことは筋が通っています。
この楪さんかもしれない”村上宗伯の娘”は魚屋の半右衛門と結婚して青木昆陽を生んだと記られているのですから、時系列として逆。
ですが、私の中ではそれでも違和感が消えません。
それにこの石碑は少し新しい気がします、江戸時代にしては。
その疑念を確かめるべく、私はこの石碑の建碑年を確かめます。
…
……
ああ、そういうことですか。
「なるほど、だいたいわかりました」キラーン
私は橙依君の読む推理漫画のような真似をして眼鏡を朝日でキラリ。
「何かわかったのニャ!?」
「ええ、わかりましたよ。鳥居さんも人が悪い」クイッ
「ほほう、何がわかったと?」
「鳥居さんが言うには、この石碑にある青木昆陽の母が村上宗伯の娘というのは嘘八百ということですよね」クイッ
「左様」
「ならばなぜ、私たちをここに連れてきたのですか?」クイッ
私の問いかけにこのかつて悪奉行と名を馳せた男は言葉を詰まらせ、そして……
「プッ、フハハッ、ハハハハ」
バツの悪そうに笑い始めました。
「どういうことニャ!?」
「おいおい、俺っちにもわかるように説明してくれよ」
まだ理解していないふたりが私に尋ねてきます。
仕方ありませんね説明するとしましょうか。
「簡単なことです。この石碑が嘘八百であると確信しているなら鳥居さんは私たちをここに連れて来たりはしません。この意地悪奉行は持っているのですよ。この村上宗伯の娘が楪さんで、青木昆陽の母であると考えられる仮説が」クイッ
そう言い放つ私の前で、この元悪奉行は私が言うことが正しいことを証明するかのようにニヤリと笑ったのです。
◇◇◇◇
「いや、すまぬすまぬ。少しもったいつけてみたかっただけだったのだ」
「お奉行様も人が悪いニャ。でも、わっちにはまだわからないニャ。本当にこの碑文の村上宗伯の娘は楪にゃのか?」
「そうですね。娘はひとりとも限りませんし……鳥居様、あたしも実はよくわかっていないので、その仮説を説明をして頂けませんか」
「それは儂よりそこの眼鏡賢者に問うた方がよかろう。どうやらわかっているようじゃからな」
まったく困ったものです。
私は大体しかわかっていません。
この村上宗伯の娘と楪さんを結びつけるピースはふたつ、ひとつは化け猫遊女さんが話した『かたわれ魚のかたわれ』。
これはやがて板前長さんが持ってきてくれるでしょう。
ですから、ここで明らかにするべきはもうひとつのピース。
「鳥居さん、ひとつ聞きますが。この村上宗伯という人物の没年を教えて頂けませんか。ついでにこの青木昆陽が生まれた元禄11年って西暦何年ですかね」クイッ
「ハハハ、やはりそこを問うか。そこまでわかっているのであれば隠し立ては無用でありますな。質問に答えましょう。中津藩の藩医、村上宗伯の没年は寛文10年、西暦1670年であります。そして元禄11年は1698年でありますぞ」
やはりそうでしたか。
私の予想通りですね。
「へ? それって結構無理がありません? その村上宗伯さんって若くして夭折されたのですか?」
珠子さんが疑問に思うのも当然です。
1698年に子を産んだとすると、その母の年齢は高く見積もっても30歳前後。
それを考えると、村上宗伯の娘が生まれたのは1670年より前後、つまり宗伯の死の少し前か直後に生まれていなければならないのですから。
「珠子さん、おそらくそれは違います。私の予想だと村上宗伯は普通に長生きしているはずですよ」
「流石ですな。代々中津藩の藩医を勤めた村上家の初代、村上宗伯は60歳、還暦近くに没したと聞いております」
やっぱり。
「とすると……その宗伯って男は50代になってもハッスルしちゃったってことですか?」
「そうです。そして村上家はその後も代々医者の家系として続く名家という話です。だとしたら、宗伯は若い時にちゃんと子を成して跡継ぎを決めていたに違いありません。だとすると、この”村上宗伯の娘”は宗伯の女遊びの結果、生まれた子なのでしょう。鳥居さんらしく言えば、どこぞの遊女に生ませた女でしょうね」クイッ
「それが楪にゃのか?」
「はい、それが鳥居さんの立てた仮説で、私もそこに至りました。おそらく、楪さんが生まれた時、宗伯は既に死んでいたのかもしれません。だから実の父の庇護も受けられずに遊女の子として育てられたのでしょう。『あなたは本当は村上宗伯という立派な医者の子なのよ』とだけ母から聞かされて」クイッ
「左様。晩年の庶子、しかも女。男ならば跡継ぎの予備として村上家に迎えられたかもしれませんが、女ならば家にとっては不要の存在。その娘が村上家に無視されたのは想像に難くありませぬ」
「村上家にとって認知されない自称”村上宗伯の娘”。それがここに記されている青木昆陽の母で、化け猫遊女さんの言う楪さんだった。それが私の仮説です。これで数々の辻褄が合います」クイッ
「その辻褄について詳しく説明してくれませんか? ちょっと頭が追いつかないです」
ムムムと頭に指を当てながら珠子さんが言います。
やれやれですね。
「わかりました説明しましょう。楪さんは村上宗伯の娘でしたが、宗伯が晩年に遊女に生ませた子だったので認知されず、遊女の娘として遊女となりました。彼女が『私は村上宗伯の娘だ』と言っても村上家はそれを認めないし、信用もされず戯言だと思われていました。もしくは一部の相手にしか話さなかった。ここまではいいですね」
私の言葉に珠子さんと緑乱兄さんと化け猫遊女さんがウンウンと頷きます。
「遊女なので魚屋の半右衛門と結婚の身分差も問題ありません。なにせ”自称”ですから。ただ、この半右衛門はかなり大きな魚屋だと想像されます」
「左様。半右衛門の商う”佃屋”は江戸城への搬入を許された幕府御用達の魚問屋でありました」
やはり。
「すると今度は逆の身分差が生じます。豪魚問屋とも言うべき佃屋の主人、半右衛門の妻として遊女上がりはやや不足。妾ならともかく、本妻となるのは難しい。だから楪さんは『自分は譜代中津藩の藩医の村上宗伯の落とし種だ』と己の出生の秘密を打ち明けた。上級武士の隠し子なら本妻として迎えられたでしょう。ですが、それは一部の相手しか知らない事です。やがては歴史の中に埋もれるはずでした」
そして私は一呼吸おく。
「ですが、楪さんが生んだ息子、青木昆陽は歴史に名を残す偉人となりました。一部の相手しか知らないはずだった”村上宗伯の娘”という話は、後の世で昆陽の偉業を称える石碑に刻まれることになったのです」
そう言って私は石碑の左上の一点を指さす。
そこに記されている文字は『明治四十四年』。
「これって明治になって建てられた石碑だったのニャ!?」
「そうです。この時代にもなれば青木昆陽の名は広く知られており、村上家からの圧力も無かったのでしょう。石碑に『村上宗伯の娘』と刻んでも問題がなかったものと推測されます」クイッ
「左様。江戸時代であったなら、こんな石碑を建てれば中津藩の藩屋敷から”認知もしていない女の名を刻むな”と非難を浴びて修正を余儀なくされるのは必定。逆に明治四十四年だからこそ信憑性が増すというものです。さらに……」
まだ何かあるような口ぶりで鳥居さんが言葉を続けます。
「この青木昆陽なる男は魚屋の小せがれでありながら、時の将軍、吉宗様のおぼえめでたき男であったと聞きます。おそらく、大岡越前守を通じてその素性が吉宗様の耳に入ったのでありましょう。その楪という遊女の子という素性が」
「ああ! 聞いたことがあります! 八代将軍吉宗の母は身分の低い湯女だったって話を!」
手をポンと叩いて珠子さんが歴史トリビアを口にします。
「なるほど! 現代風に言えばソープ嬢ってことだな! 湯女だけに!」
そして緑乱兄さんが「デリカシー!!」という言葉と共にゴンと殴られます。
「ハハハハ、左様。吉宗様の母、浄円院様は紀州藩の大奥の湯殿で下働きをする下女でありました。緑乱殿の言う通り風呂場の遊女ですな。そこで吉宗様の父、徳川光貞公にお手をつけられて吉宗様を生んだのです」
「なるほど、魚屋の息子という青木昆陽が異例の大抜擢を受け、御家人まで出世したのは、吉宗が同じ遊女を母に持つものとして親近感を持ったからかもしれないってことですね」
「左様。もちろん昆陽自身の才覚もあったことに相違ありませんが、その可能性はあります」
私たちの前で石碑は朝日の光を浴びて橙に色づき、空は蒼さを増していきます。
「よかったニャ。楪はちゃんと生きていたにゃ」
楪さんの行く末が死ではなく、魚屋と結婚して生き延びていたことを知り、少し潤んだ目で化け猫遊女さんは石碑を見つめます。
「よかったですね。でも、まだ終わっていませんよ。むしろこれからが本番です。ですよね」クイッ
そう言って私は珠子さんを見ます。
なぜなら、この時点では”楪さんは生きていた”という事実に過ぎません。
ここから彼女がハッピーエンドに至るピースは、”かたわれ魚のかたわれ”は、彼女が握っているのですから。
「はい。ちょうど板前長さんが来た所です。さっ、これからはあたしたちの出番ですよー!」
「着きましたぞ。これが化け猫遊女殿の語られた楪という遊女の行く末が記されている石碑です」
ここは東京目黒区の目黒不動尊境内の一角、そこにある大きな石碑を示して鳥居さんは言います。
「ええと……」
「どうしました珠子さん」
朝のうっすらとした明るさの中、石碑を眺めた珠子さんが言葉を濁します。
「よ、よめません。これって漢文石碑じゃないですか。しっかもレ点とかないやつ。こんなのパパッと読めませんよ。かろうじて読めるのはタイトルだけです。『昆陽青木先生碑銘』、江戸時代の甘藷の栽培に活躍した青木昆陽について記された碑文のようですね」
青木昆陽については私も知っています。
確か徳川吉宗の時代に幕府の命令で甘藷、サツマイモの栽培を広めた人物ですね。
「左様。儂は蘭学者は嫌いであるが、この青木はその中でもましな人物。各地の農作物についての書物を集めたり、長崎の出島にて洋書を学んだ人物であります。中でも甘藷の栽培は民草の救荒作物として非常に有用でありました」
「甘藷は吉原でも人気だったニャ。それで、この青木昆陽さんと楪とどんな関係があるのニャ」
そう問われた鳥居さんは漢字がびっしりと書かれた石碑の一部を指します。
「ここにはこう書かれておる。『青木昆陽先生の父は本名を末友という男で、半右衛門と名乗り、日本橋で佃屋という魚屋を営み、医者の村上宗伯の娘を娶った。元禄11年、先生が生まれた』と」
「村上宗伯の娘!? それって楪のことニャ!」
「よかったな。楪ちゃんはちゃんと生き延びて、こんな有名人の母親になったってわけか。こりゃめでたしめでたし」
緑乱兄さんはそう言いますが、私の中では疑念が渦巻きます。
この碑文はおかしい。
「いや、これはおかしいですね。かなり眉唾です」クイッ
「おいおい、いきなり水を差すなよ。どこがおかしいんだい?」
「この結婚のいきさつですよ。鳥居さんの話では村上宗伯は中津藩の藩医という話でしょう。だとしたら魚屋と結婚するなんて異常です。身分が違い過ぎます」
「左様。蒼明殿の言う通りであります。当時の中津藩は中津小笠原藩とも呼ばれ、譜代藩でありました。そこの藩医ともなれば上級武士。その娘を娶るなら旗本か上位の御家人でないと家の格が釣り合いませぬ」
「言われてみればそうニャ……」
鳥居さんと化け猫遊女さんも私の疑念に同意を示します。
「で、でも、このふたりに大恋愛のロマンスがあって、周囲の反対を押し切って結ばれたとかなかったですか?」
「珠子殿、それはありえませぬ。書物の中ではそういうのもありますが、江戸時代の身分の差は珠子殿の想像を超えるもの。藩医の娘が魚屋風情と結婚するなどありえませぬ」
「ほ、ほら、この半右衛門さんがものすごい魚屋さんで、お金持ちで支度金とかを潤沢に出したとか!?」
「あ、り、え、ま、せ、ぬ。これは金子の問題ではなく、武士としての誇りの問題。仮に儂が同じ立場で娘がどうしても魚屋風情と結婚したいと言って聞かなかったなら、娘を斬り、切腹致します」
強い意志と決意をもって鳥居さんは言い切ります。
「でもよ、この青木昆陽ってのは将軍様のおぼえめでたき男だったんだろ。それだったら可能性はあったんじゃねぇのか?」
「昆陽が時の南町奉行、大岡越前守に目を掛けられ、吉宗様もそれを知ることとなったのは事実。この昆陽も魚屋のせがれながら御家人として取り立てられました。ですが、この昆陽自身が村上宗伯の娘と結婚したならともかく、その父と村上宗伯の娘の結婚はありえませぬ。緑乱殿、それは順序が逆でございますぞ」
鳥居さんの言うことは筋が通っています。
この楪さんかもしれない”村上宗伯の娘”は魚屋の半右衛門と結婚して青木昆陽を生んだと記られているのですから、時系列として逆。
ですが、私の中ではそれでも違和感が消えません。
それにこの石碑は少し新しい気がします、江戸時代にしては。
その疑念を確かめるべく、私はこの石碑の建碑年を確かめます。
…
……
ああ、そういうことですか。
「なるほど、だいたいわかりました」キラーン
私は橙依君の読む推理漫画のような真似をして眼鏡を朝日でキラリ。
「何かわかったのニャ!?」
「ええ、わかりましたよ。鳥居さんも人が悪い」クイッ
「ほほう、何がわかったと?」
「鳥居さんが言うには、この石碑にある青木昆陽の母が村上宗伯の娘というのは嘘八百ということですよね」クイッ
「左様」
「ならばなぜ、私たちをここに連れてきたのですか?」クイッ
私の問いかけにこのかつて悪奉行と名を馳せた男は言葉を詰まらせ、そして……
「プッ、フハハッ、ハハハハ」
バツの悪そうに笑い始めました。
「どういうことニャ!?」
「おいおい、俺っちにもわかるように説明してくれよ」
まだ理解していないふたりが私に尋ねてきます。
仕方ありませんね説明するとしましょうか。
「簡単なことです。この石碑が嘘八百であると確信しているなら鳥居さんは私たちをここに連れて来たりはしません。この意地悪奉行は持っているのですよ。この村上宗伯の娘が楪さんで、青木昆陽の母であると考えられる仮説が」クイッ
そう言い放つ私の前で、この元悪奉行は私が言うことが正しいことを証明するかのようにニヤリと笑ったのです。
◇◇◇◇
「いや、すまぬすまぬ。少しもったいつけてみたかっただけだったのだ」
「お奉行様も人が悪いニャ。でも、わっちにはまだわからないニャ。本当にこの碑文の村上宗伯の娘は楪にゃのか?」
「そうですね。娘はひとりとも限りませんし……鳥居様、あたしも実はよくわかっていないので、その仮説を説明をして頂けませんか」
「それは儂よりそこの眼鏡賢者に問うた方がよかろう。どうやらわかっているようじゃからな」
まったく困ったものです。
私は大体しかわかっていません。
この村上宗伯の娘と楪さんを結びつけるピースはふたつ、ひとつは化け猫遊女さんが話した『かたわれ魚のかたわれ』。
これはやがて板前長さんが持ってきてくれるでしょう。
ですから、ここで明らかにするべきはもうひとつのピース。
「鳥居さん、ひとつ聞きますが。この村上宗伯という人物の没年を教えて頂けませんか。ついでにこの青木昆陽が生まれた元禄11年って西暦何年ですかね」クイッ
「ハハハ、やはりそこを問うか。そこまでわかっているのであれば隠し立ては無用でありますな。質問に答えましょう。中津藩の藩医、村上宗伯の没年は寛文10年、西暦1670年であります。そして元禄11年は1698年でありますぞ」
やはりそうでしたか。
私の予想通りですね。
「へ? それって結構無理がありません? その村上宗伯さんって若くして夭折されたのですか?」
珠子さんが疑問に思うのも当然です。
1698年に子を産んだとすると、その母の年齢は高く見積もっても30歳前後。
それを考えると、村上宗伯の娘が生まれたのは1670年より前後、つまり宗伯の死の少し前か直後に生まれていなければならないのですから。
「珠子さん、おそらくそれは違います。私の予想だと村上宗伯は普通に長生きしているはずですよ」
「流石ですな。代々中津藩の藩医を勤めた村上家の初代、村上宗伯は60歳、還暦近くに没したと聞いております」
やっぱり。
「とすると……その宗伯って男は50代になってもハッスルしちゃったってことですか?」
「そうです。そして村上家はその後も代々医者の家系として続く名家という話です。だとしたら、宗伯は若い時にちゃんと子を成して跡継ぎを決めていたに違いありません。だとすると、この”村上宗伯の娘”は宗伯の女遊びの結果、生まれた子なのでしょう。鳥居さんらしく言えば、どこぞの遊女に生ませた女でしょうね」クイッ
「それが楪にゃのか?」
「はい、それが鳥居さんの立てた仮説で、私もそこに至りました。おそらく、楪さんが生まれた時、宗伯は既に死んでいたのかもしれません。だから実の父の庇護も受けられずに遊女の子として育てられたのでしょう。『あなたは本当は村上宗伯という立派な医者の子なのよ』とだけ母から聞かされて」クイッ
「左様。晩年の庶子、しかも女。男ならば跡継ぎの予備として村上家に迎えられたかもしれませんが、女ならば家にとっては不要の存在。その娘が村上家に無視されたのは想像に難くありませぬ」
「村上家にとって認知されない自称”村上宗伯の娘”。それがここに記されている青木昆陽の母で、化け猫遊女さんの言う楪さんだった。それが私の仮説です。これで数々の辻褄が合います」クイッ
「その辻褄について詳しく説明してくれませんか? ちょっと頭が追いつかないです」
ムムムと頭に指を当てながら珠子さんが言います。
やれやれですね。
「わかりました説明しましょう。楪さんは村上宗伯の娘でしたが、宗伯が晩年に遊女に生ませた子だったので認知されず、遊女の娘として遊女となりました。彼女が『私は村上宗伯の娘だ』と言っても村上家はそれを認めないし、信用もされず戯言だと思われていました。もしくは一部の相手にしか話さなかった。ここまではいいですね」
私の言葉に珠子さんと緑乱兄さんと化け猫遊女さんがウンウンと頷きます。
「遊女なので魚屋の半右衛門と結婚の身分差も問題ありません。なにせ”自称”ですから。ただ、この半右衛門はかなり大きな魚屋だと想像されます」
「左様。半右衛門の商う”佃屋”は江戸城への搬入を許された幕府御用達の魚問屋でありました」
やはり。
「すると今度は逆の身分差が生じます。豪魚問屋とも言うべき佃屋の主人、半右衛門の妻として遊女上がりはやや不足。妾ならともかく、本妻となるのは難しい。だから楪さんは『自分は譜代中津藩の藩医の村上宗伯の落とし種だ』と己の出生の秘密を打ち明けた。上級武士の隠し子なら本妻として迎えられたでしょう。ですが、それは一部の相手しか知らない事です。やがては歴史の中に埋もれるはずでした」
そして私は一呼吸おく。
「ですが、楪さんが生んだ息子、青木昆陽は歴史に名を残す偉人となりました。一部の相手しか知らないはずだった”村上宗伯の娘”という話は、後の世で昆陽の偉業を称える石碑に刻まれることになったのです」
そう言って私は石碑の左上の一点を指さす。
そこに記されている文字は『明治四十四年』。
「これって明治になって建てられた石碑だったのニャ!?」
「そうです。この時代にもなれば青木昆陽の名は広く知られており、村上家からの圧力も無かったのでしょう。石碑に『村上宗伯の娘』と刻んでも問題がなかったものと推測されます」クイッ
「左様。江戸時代であったなら、こんな石碑を建てれば中津藩の藩屋敷から”認知もしていない女の名を刻むな”と非難を浴びて修正を余儀なくされるのは必定。逆に明治四十四年だからこそ信憑性が増すというものです。さらに……」
まだ何かあるような口ぶりで鳥居さんが言葉を続けます。
「この青木昆陽なる男は魚屋の小せがれでありながら、時の将軍、吉宗様のおぼえめでたき男であったと聞きます。おそらく、大岡越前守を通じてその素性が吉宗様の耳に入ったのでありましょう。その楪という遊女の子という素性が」
「ああ! 聞いたことがあります! 八代将軍吉宗の母は身分の低い湯女だったって話を!」
手をポンと叩いて珠子さんが歴史トリビアを口にします。
「なるほど! 現代風に言えばソープ嬢ってことだな! 湯女だけに!」
そして緑乱兄さんが「デリカシー!!」という言葉と共にゴンと殴られます。
「ハハハハ、左様。吉宗様の母、浄円院様は紀州藩の大奥の湯殿で下働きをする下女でありました。緑乱殿の言う通り風呂場の遊女ですな。そこで吉宗様の父、徳川光貞公にお手をつけられて吉宗様を生んだのです」
「なるほど、魚屋の息子という青木昆陽が異例の大抜擢を受け、御家人まで出世したのは、吉宗が同じ遊女を母に持つものとして親近感を持ったからかもしれないってことですね」
「左様。もちろん昆陽自身の才覚もあったことに相違ありませんが、その可能性はあります」
私たちの前で石碑は朝日の光を浴びて橙に色づき、空は蒼さを増していきます。
「よかったニャ。楪はちゃんと生きていたにゃ」
楪さんの行く末が死ではなく、魚屋と結婚して生き延びていたことを知り、少し潤んだ目で化け猫遊女さんは石碑を見つめます。
「よかったですね。でも、まだ終わっていませんよ。むしろこれからが本番です。ですよね」クイッ
そう言って私は珠子さんを見ます。
なぜなら、この時点では”楪さんは生きていた”という事実に過ぎません。
ここから彼女がハッピーエンドに至るピースは、”かたわれ魚のかたわれ”は、彼女が握っているのですから。
「はい。ちょうど板前長さんが来た所です。さっ、これからはあたしたちの出番ですよー!」
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長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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