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第七章 回帰する物語とハッピーエンド

火の車と焼酎鶏(後編)

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◇◇◇◇
 
 「お待たせしましたー! 準備ができましたよー!」

 あたしは店舗からカセットコンロと鍋、そして人数分の食器と焼酎の瓶を持ってくる。
 さすがに重い。
 やっぱり橙依とーい君に手伝ってもらったらよかったかしら。
 
 「思ったよりも早かったですな。火の車殿、続きの説明は後ほど」
 「はい、鳥居さん」

 鳥居様の手のタブレットPCがテーブルの片隅に置かれる。
 化粧箱も一緒な所を見ると、あれが橙依とーい君に買ってきてもらったものかしら。
 トントンとあたしはカセットコンロと鍋をテーブルに置き、食器を並べる。

 「さあ、それでは先に火の車さんに召し上がって頂きましょう! 台湾名物! 焼酎鶏ショウチュウチー!!」

 土鍋の蓋を開けると、そこには黒い塊。
 手羽とモモ肉、そして胴体。
 色さえ普通なら、鶏鍋に見えるだろう。
 
 「これは……黒いにわとりですか?」
 「烏骨鶏うこっけいじゃな。全身がからすのように真っ黒なにわとりである。中国では長寿の霊鳥として扱われておる高級食材であるな」
 「さすがは鳥居様、博識ですね」
 「こういうのは大御所様、家斉いえなり様がお好きであった。滋養というか精力の付くものというか。お盛んなのは結構であるが、限度というものもあろうに」
 
 昔を思い出したのだろうか、鳥居様が溜息を吐く。
 鳥居様がおっしゃった家斉様とは徳川11代将軍のこと。
 オットセイ将軍の異名を持ち、50人以上の子を成したと伝えられている。
 当時では珍しく肉や牛乳、乳製品も好きだったとか。
 
 「この烏骨鶏は下茹でしてアクを抜いていますので、これから二度茹ですれば完成です。では、パラパラっと」

 あたしは黒い烏骨鶏の上にスライス生姜と枸杞くこの実を置く。

 「そしてこれが仕上げのスパイス当帰芍薬散とうきしゃくやくさん!」

 鳥居様からもらった包みを広げ、あたしはその粉末をサラサラサラとふりかける。

 「あとは煮込めば完成です!」
 「煮込むとおっしゃいましたが、これには水が入っていませけど? 水もお持ちで無さそうですし」
 「よくぞ気付きました。これは水で煮込むのではありません! これで煮込みます!」

 ドンとテーブルの上に置かれたのは焼酎の一升瓶。
 
 「今日用いますのは、この鹿児島の焼き芋焼酎”炎魔天えんまてん”! 灼熱の炎でじっくり焼かれた焼き芋で作られた焼酎ですっ! はいっ、どぼどぼー」

 本当は米焼酎の方がクセがなくていいんですけど、今日は焼き芋がお好きな火の車さんのために焼き芋焼酎にした。
 鍋の中に炎魔天をなみなみと注ぎ、あたしはカチッとカセットコンロの火を付ける。

 「いい名前の焼酎ですね。これなら火の車さんの火も燃え上がりそうです」
 「ええ。そうですね」

 ノリノリのアズラさんとは違い、火の車さんはまだ元気がない。
 でも、これを食べてもらえれば少しは元気は出るはず。
 秋の日のつるべはすっかり落ち、あたりには夜のとばりに月と星の光、そして鍋からのアルコールの香りが広がり始める。

 「では火の車さん、お先にどうぞ。あなたの好きな炎をご用意しました」
 「えっ!? 炎?」

 彼女の首が傾き、カセットコンロの炎に見入る。
 だけど、あたしが食べて欲しいのはそれじゃない。

 「そっちじゃないです。あたしがご用意した炎はこれ! 焼酎鶏ショウチュウチーの名物! 炎の二重奏ですっ」

 鍋の上でライターをカチリとすると、鍋から立ち昇るアルコールに火が付き、炎の山となる。
 青白さとオレンジに揺れる炎だ。
 
 「この焼酎鶏は下からの火と気化したアルコールの炎の二重の熱で煮込むんですよ」
 「うわぁ、きれいでおいしそう。お先に頂いていいんですか?」
 「ええ、もちろん! というかあたしたちは食べれませんから」
 「では、お言葉に甘えまして」

 火の車さんはその手を伸ばし炎を掴むと、火柱にポッカリと空洞が空く。
 そして、その手の中に握られた炎を嬉しそうに口に運ぶと、パクパクと食べ始めた。
 まるで、綿菓子でも手づかみで食べるように。

 「うーん、これって焼き芋の甘味の中に鶏のコクがあってとっても美味しいっ!」

 右手、左手、右手、左手、火の車さんの手が空を切る、いや炎を切るたびに火柱は穴の空いたチーズのような空洞を作り、次の炎がそれを埋めていく。

 「あっ、食べ慣れてくると、ちょっと甘さの中にスパイスの味も感じられますわ。生姜が強めですけど、軽い苦みも感じます。これって先ほどの漢方の味ですか?」
 「え、ええ、そうだと思います」

 当帰の味は確かに苦みがあるから、きっとそうだと思う。
 さすがに炎を食べたことはないのでわからないけど。
 食べ続けること5分、なみなみと鍋に満たされていた焼酎がその分量を半分ほどに減らした所で炎は止まった。
 
 「あら、もう終わってしまいましたの? もっと食べたかったのですけど」
 「また次の機会に炎はご馳走しますよ。今度は料理の方を味わって下さい。今、切り分けますから」

 あたしは鍋の中から鶏の胴体を取り出す。
 手羽やモモ肉は鍋の中、この胴体を先に取り出したのには理由があるの。

 「さて、取り出しましたる烏骨鶏の胴! これから御開帳といきましょう!」

 この胴体は一度裂かれ、そこをタコ糸で再び縫い合わせてある。
 詰め物がしてあるの。
 ハサミでチョキチョキチョキと糸を断ち、それをズッズッと引き抜くと、その胴体に詰めてある中身が露わになる。

 「これは真っ黒! 真っ黒ですね!」

 火の車さんの言う通り、その身は真っ黒、そして中身も真っ黒。
 あたしも、判別するのに苦労するくらい黒一色。

 「形やわずかな色合いからすると、内臓でしょうか?」
 「はい! これはレバーにハツ、砂肝に背肝です。火の車さんはこれから悪人を地獄に連れていくのでしょう。だったら、その前哨戦として腹黒い烏骨鶏を食べ尽くしてからいっちゃいましょー!」

 内臓を取り皿に取り分け、ダンダンッと食べやすい大きさに切った胴体に鍋からのスープを注いで、あたしは火の車さんに差し出す。

 「腹黒を喰ってお仕事に向かえだなんて、んふふ、ちょっとユニークですね。んふふ」

 やった! やっと笑ってくれた。
 火の車さんってばずっと元気の無さそうな顔をしていたから気になっていたの。
 さっきの夢中で炎を食べる姿も良かったけど、やっぱ食事時には笑顔よね。

 「さあさ、みなさんもどうぞ」

 あたしはみんなの取り皿にも内臓と肉を盛り、スープを加えて渡す。
 もちろんあたしの分も。

 「それでは頂きますか。久しぶりの珠子さんの料理ですから楽しみですわ」
 「儂の当帰芍薬散がどのような味になったか興味をそそられますな」
 「……僕も楽しみ」
 
 パクッパクッ、ズッ
 
 肉やスープがみんなの口に消えていくたびにその顔に不思議な表情が浮かぶ。
 
 「これは不思議な味ですね……」
 「甘さと苦さとコクのある味ですか?」
 「苦すぎず、甘味のある漢方薬を旨い鶏料理で頂くような感じですかな」
 「……コーラ煮?」

 みなさんの言い通り、これは不思議な味。
 橙依とーい君の感想が一番近いかしら。
 コーラが戦後の日本に入って来た時、最初は『こんな薬くさい飲み物をどうしてメリケン人は好きなんだ?』という感想が圧倒的だったの。
 この味もそれに似ていて少し薬くさい。
 だけど、この味はあたしが出したかった本場の味に近い。
 当帰とセンキュウの苦みに生姜の刺激、芍薬しゃくやく枸杞くこの甘味に最強の旨みを持つ烏骨鶏の出汁。
 それらが混然一体となった味なの。
 確かに薬臭いと思われても仕方がないわ。
 だけど、かつて”薬くさい”と評されたコーラの魔力に日本人が囚われたように……

 「不思議な味ですが妙に後を引きますわね」
 「今度はモモ肉がいいですわ」

 突き出された器はお代わりの証。

 「はい、まだまだありますから、たっぷり食べて下さいね」

 あたしが火の車さんとアズラさんに次をよそうと、続いて鳥居様と橙依とーい君からもお代わりを要求する器が伸びる。
 
 「不思議じゃ。声を上げるほどの旨さでもないというのに、手が止まらん」
 「……うん、これは病みつき系」

 モグモグ、ズッズッと聞こえるのはスープまで全部飲み干されていく音。

 「それに、何だか身体がポカポカしますわ」
 「ええ、それに力が湧いてくるような」

 火の車さんが手をギュギュっと握るたびに、背後の火が、いや炎が勢いを増す。

 「ポカポカするのは当帰芍薬散の効能ですね。あれは血行を良くし身体を温めるって話ですから。それに烏骨鶏は普通の鶏よりもずっと栄養が高く、そのスープはかつて中国の名医華佗かださんが老婦人の治療に使ったという伝説もあります。この焼酎鶏の原型となったスープですね」
 「なるほど、これは三国志時代の伝説の医師”華佗かだ”が作ったとされる九戸鶏湯ジュウフーチータンを源流とするものであったか。九戸しかない小さい村の中で、やっと見つけた鶏のスープといういわれの。その鶏が烏骨鶏であったという伝説が残っておりますな。滋味と旨味のやみつきスープとは、流石は珠子殿、恐れ入った」
 
 鳥居様があたしを褒めてくれるけど、あたしにとっては鳥居様の方が恐ろしいです。
 どうしてそうポンポンと華佗かださんのエピソードが出てきますかね!?
 あたしは九戸鶏湯ジュウフーチータンの名は知ってても、それが九戸しかない小さい村の鶏って話は知りませんでしたよ。
 その会話の間もお代わりを求める手は止まらず、やがて肉が無くなりスープだけになっても続いた。

 ンッグンッグングッ、ぷはぁー

 そして最後のスープがみなさんの口に消えていく。

 「素晴らしい料理でしたわ! 焼き芋の甘味の香る炎といい、この滋味あふれながらも濃厚な旨みの烏骨鶏の肉と内臓、そしてスープ!」
 「どれもが幽世かくりよでも味わえない極楽の味です! 来てよかったですね火の車さん」
 「ええ、アズラさんには感謝ですわ」

 よかったおふたりに満足してもらえたみたいです。
 あたしも身体がポカポカして秋の夜風が気持ちいい。
 このままおふたりと月見でもしながらおしゃべりしたい所ですが、火の車さんは仕事が詰まっているそうですので、ここらへんでお開きにしますか。

 「時に火の車殿、そろそろ時間ではござらんか?」

 あたしと同じ事を考えたのか鳥居様が声を掛ける。

 「ああ、そうでした! なごり惜しいですけど仕事に行かなくては。珠子さん、また食事に参りますわ」
 「はい、是非いらして下さい。事前に予約して下されば、今度は間に合わせの材料ではなく、ちゃんとした物を準備しますから」

 今日はたまたま烏骨鶏があって助かった。
 これはいつも仕入れている材料じゃないもの。

 「間に合わせだなんて、これは最高でしたわ。次も同じものが食べたいくらい。私の火も元気になりました!」

 火の車さんの背中で火がメラメラと燃え盛る。
 うんうん、よかったよかった。

 「それは上々ですな。では、最後にさっきの続きを……、このタブレットPCの使い方ですが……」

 鳥居様は再びタブレットを火の車さんに見せ、その使い方をレクチャーしている。
 Wi-Fiへのつなげ方とか、変換の仕方とか検索の仕方とか。
 というか、もう鳥居様は現代のITガジェットを仕えるようになったのですか!?
 さすがは林家の出身、その賢さには舌を巻きます。
 
 「へぇ……猫を殺した男は、ただ殺すだけじゃなく、いたぶった姿を動画で撮影したり、死体を恥ずかしめるように晒したり、挙句にそれをで衆目に見せつけたり……」

 小声で火の車さんが何か呟いているけど、何を見ているのかな?

 「……見ない方がいいよ。あれはグロ画像だから」

 うえー、そうなの。
 それは見たくないわね。

 ゴォォォォ!

 タブレットを見ていた火の車さんの背中の火が燃え盛る。
 炎や火柱なんてもんじゃない、伝説の火焔山かえんざんのよう。
 あっ、収まった。

 「ありがとうございます。珠子さん、鳥居さん。おふたりのおかげで仕事へのやる気が出ました。それでは! 私はこれから任務がありますので!」

 何かスッキリとした表情を浮かべ、スチャっと手を構えると、火の車さんは最初に逢った時のリアカー形態に変化へんげする。

 「では、珠子さんごきげんよう。またお食事に参りますね」

 アズラさんも火の車さんに乗り、手を振って別れを告げる。
 火の車さんの炎が唸りを上げると、ふたりは秋の夜空に消えて行った。

◇◇◇◇

 「ちわー、珠子さん、またいつものお願い」

 あれから火の車さんは月に何度か『酒処 七王子』を訪れる。
 最初に逢った時の意気消沈した様子はなりを潜め、もうすっかり意気軒昂いきけんこう

 「はい、焼酎鶏ですね。少々お待ち下さい」

 予約もしてくれるので準備もバッチリ。

 「いやぁ、やっぱ仕事前の景気づけにはここの料理が一番ね。Wi-Fiも通ってるし」

 そして、カウンターに座るとタブレットPCでWebを閲覧するのも定番。
 『酒処 七王子』にはフリーWi-Fiを用意しているけど、利用するお客さんは少ない。
 慈道さんのような人間や、橙依とーい君のお友達くらいかしら。

 「はい、おまちどうさま。ところで、何をご覧になっているんですか?」
 「あー、ダメダメ。これは職務上の秘密だから。でも助かってるわ。鳥居さんに色々教えてもらって」
 「左様であるか。それは良かった」

 噂をすれば影とばかりに鳥居様が現れる。

 「鳥居様、いったい何を教えたのですか? タブレットの使い方ですか?」
 「教えたのはタブレットの使い方だけではござらぬ。裁きの心構えじゃな」

 江戸時代の裁判といえば、大岡越前の大岡裁きが有名だけど、当然ながら南町奉行であった鳥居様も裁判を行っている。
 その経験に基づく教訓でも教えたのかしら。

 「閻魔帳の分冊には罪の概要しか載っておらぬという話であったからな、詳細を知ることが重要だと説いたのじゃよ。儂もかつては『窃盗の罪』とだけ記された捕物帳に難儀したものじゃ。それを基に罪人や証人の言い分を聞き、情状酌量などを加味して裁きを下したものじゃ。要は詳細情報が重要で、それを収集する道具としてタブレットを紹介したのじゃよ。現世でも逮捕された罪人の行動詳細をまとめたサイトが数多くあるからの」
 
 おお! すごく立派なことを言ってる!
 鳥居様って悪代官のイメージが強いけど、少なくとも南町奉行まで出世するくらい有能なのよね。

 「ええ、鳥居さんの言う通りですわ。ただ、罪状だけを見て罪人に望むのではなく、その詳細を知ることで仕事への意欲も増すというものです」
 「ま、ネットには嘘の情報もありますから真偽は直接問いただすのが良いと思いますな。閻魔様の使者であれば嘘を見抜くのも容易たやすいと思うが、問いただす材料ネタを知らねばそれも出来ぬと思いますゆえ」
 「はい、それはもう。へぇ、今日の継子ままこ殺しは虐待を数年続けた挙句、子に人の尊厳を失わせるような行為を強要した上で殺したのかぁ」
 
 焼酎鶏の鍋から上がる炎をつまみながら、食事の時も忙しいエリートビジネスマンのように火の車さんはタブレットを操作する。
 今日の罪人の悪行を見ているのだろうか、時折背中の火が輝きと勢いを増す。
 背後に燃え盛る火と鍋から燃え上がる炎。
 そのふたつに映し出される彼女の顔は、仕事への情熱も相まってオフの時とは違う恐ろしい顔。

 「ふふふ、正直に言えばひと思いに地獄に、嘘をいたなら焼けただれる自分の体の感覚を味合わせながら地獄に連れてきましょうか……」

 うん、その厳しい視線があたしに向かったら、漏らしながら命乞いする自信があるわ。 
 て、天国のおばあさま。
 栄養と炎がバッチリの焼酎鶏のおかげで火の車さんが立派な天職ハッピーエンドに打ち込めるようになってよかったです。
 でも、火の車さんが迎えに来るような悪人の方にとってはバッドエンドが超バッドエンドになったかもしれません。
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