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第七章 回帰する物語とハッピーエンド

甘酒婆とあんこ玉(前編)

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 ゴホッ、ゴホッ

 天国のおばあさま、お元気ですか。
 珠子は……ちょっと元気がありません。

 ピピッ

 体温計があたしの脇の下から音を出す。
 38.1℃かぁ、やっぱ風邪よね。
 季節の変わり目で無理しちゃったからかしら。
 そんなことを思いながらあたしは目を閉じ、自分の身体の感覚を確かめる。

 喉の痛み、咳、鼻水に関節の痛み、倦怠感けんたいかん、体温は高いのに寒気。
 うん、風邪。
 頭痛がないのが幸いよね。
 季節的にはまだ早い毛布と掛布団をあごまで引き寄せ、あたしは呼吸を整える。
 
 コン、ココン

 「どうぞー」

 ノックに応えたあたしの返事に、ガチャっとドアが開き、お盆を手にした蒼明そうめいさんが入ってくる。

 「話は藍蘭らんらん兄さんから聞きました。体調不良のようですね。日頃の不摂生ふせっせいのせいでしょう」クイッ
 「あはは、お恥ずかしながら……」
 「まあいいです。さ、これでも食べてとっとと寝てなさい」

 差し出されたお盆の上には、小さ目の土鍋のお粥と梅干しとミカン、そしてスポーツドリンク。

 「あっ、ありがとうございます。うわー、おいしいそう。あっ、このミカンほんのりあったかーい」

 蒼明そうめいさんが持ってきてくれたってことは、きっとこれは電子レンジで作ったのでしょう。
 このミニ土鍋は電子レンジでも使えるタイプですし。

 「電子レンジで炊飯は出来ます。ならばお粥も炊けるのは道理というもの。それにミカンはビタミンCがあり風邪の初期症状に効くと聞きます。これもレンチンすることで甘味が増すのですよ」クイッ
 「うわー、うれしいなー、おいしー」

 お粥は味付け無しの白がゆ。
 梅干しをつまみながらながらその酸味をおかずにあたしは食べる。
 電子レンジで温められたミカンは、ほんのりと甘く、その汁気が喉を潤してくれる。

 「いやー、本当においしいですね。今、蒼明そうめいさんと料理対決したら負けちゃうかも」
 
 ふぅ

 「まったく情けない。熱で頭がおかしくなってしまったようですね。いつもの機知はどこに行ったのやら」

 溜息をつきながら、蒼明そうめいさんはかぶりを振る。

 「あれ~? 蒼明そうめいさんってあたしを料理で負かしたかったんじゃなかったのですか?」

 ぺしっ

 「あたっ」
 「バカなことを言わないで下さい。いや、バカだから言ってしまうのでしょうかね。いいですか、私は貴方を正々堂々と打ち負かしたいのです。『風邪さえなければ勝てた』なんて周囲や貴方に思わせるような勝利に価値があるとは思っていません」

 おおー! あたしは心の中で拍手を送る。
 あれ? 鬼畜鬼畜かと思っていたけど、蒼明そうめいさんって、実は真っ当主人公系かも?

 「言い方を変えましょう……」

 そう言って蒼明そうめいさんは一呼吸おく。

 「私は、貴方あなたの心を折って屈服させたいのです」

 うん……鬼畜系でした。

◇◇◇◇

 コンコンコン

 蒼明そうめいさんがお盆を下げて数分後、再びあたしの部屋をノックする音が聞こえる。

 「はーい、どうぞー」

 カチャリと音を立てるドアから現れたのは紫君しーくん

 「おねーちゃん、かぜだって」
 「ええ、でも大したことないわ」

 あたしはベッドから半身を起こして言う。

 「そう、よかった。あのね、ボクねこれを持ってきたんだ。これのんで、早くよくなってね」

 コトリとテーブルに置かれたのは湯呑から湯気を立てる白い液体。
 鼻が利かなくてよくわからないけど、きっと甘酒。

 「ありがと。おいしそー」

 あたしはベッドに腰掛ける体制になって湯呑に口を付ける。
 それはほんのりと甘い。
 うん、やっぱり思った通りこれは甘酒。
 風邪のせいでよくはわからないけど、きっと米麹を使ったタイプ。

 ダダダッ

 廊下を誰かが駆ける音が聞こえる。

 「珠子姉さん大丈夫!?」

 バーンと扉を開けて入って来たのは橙依とーい君。
 
 「へーきよ、ただの風邪だから」

 甘酒をさらに一口飲み、あたしは彼に向かって手を振る。

 「……遅かった。いや、今からでも間に合う! 珠子姉さん、その甘酒を飲まないで!」

 甘酒?
 あたしは手の中の甘酒と橙依とーい君を交互に見る。

 「……それは甘酒婆あまざけばばあが売りに来た甘酒なんだ。それを飲むと病気になる」
 「そーなの?」

 あたしは甘酒を持ってきた紫君しーくんに尋ねる。

 「うーんと、あまざけおばあちゃんが売りにきたのはホント。でもね、びょうきにならないよ」
 「ですって」

 あたしはさらに甘酒をコクッと飲む。

 「あ゛ー! 僕が駄目だって言っているのに!」
 「大丈夫だって。紫君しーくんが持ってきてくれたものだもの。紫君しーくん、この甘酒に悪いモノとか病気の虫とかいていないわよね」
 「いないよー」

 明るく無邪気な笑顔で紫君しーくんが返事をする。
 あたしは”あやかし”の気配くらいはわかっても、病気の虫のような微弱なモノの気配はわからない。
 そういうモノは紫君しーくんの得意分野。

 「ほら、いないって」

 あたしは残っていた甘酒をグビビッと飲むと、湯呑をコトンとテーブルの上に置いた。
 その甘酒の味はほんのりと優しい甘さで、その温度は体の中を温めてくれる。

 「……本当に大丈夫? 甘酒婆は甘酒を売りに来て、その家の人を病気にするっていう話だけど」
 「へーきだって。もう、橙依とーい君てば心配性ね。こんなの温かくして寝ていればすぐに治るわ。でも、ありがと」

 あたしは毛布と布団をかぶり、再び横になる。

 「それじゃ、おねーちゃん、おやすみー」
 「……何か異変が起きたら心で叫んで、僕が駆けつける」
 「はーい、おやすみなさい」

 あたしがそう言うとふたりは部屋を出て行った。
 
 …
 ……
 ………

 うーん、甘酒婆の甘酒かぁ。
 ああは言ってみたけど、ちょっと気になる。
 あたしは床の中でスマホをポチポチ。

 へぇ、甘酒婆さんって東北の”あやかし”で『甘酒はないか?』って訪ねに来て、ある、ない、どっちを答えても病気になるっと……あれ?
 もうちょっとピコピコっと。
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 甘酒婆の伝説は江戸時代に大都市で流行り、その時に民衆は、死後にまつられて仏となった甘酒造りの名人の老婆の像、甘酒婆地蔵あまざけばばあじぞうを拝んで病魔退散を願った……。
 
 ふーん、甘酒婆といっても、何パターンかあるみたいね。
 甘酒を売りに来たってことは、ここに来たのは”アマザケバンバァ”かしら。
 でも変な話よね。
 甘酒婆さんって、甘酒を売りに来たり、甘酒はないか?って訪ね歩いたり、またある所では地蔵様としてまつられているなんて。
 きっと、今でも甘酒婆地蔵の場所では縁日の屋台に甘酒婆地蔵印の甘酒が売られているに違いないわ。
 むにゃむにゃ。

◇◇◇◇

 「珠子! ふっかーつー!」

 身体を温かくして一晩寝たら、あたしの熱は下がり、身体の異常も消えた。
 ま、こんなもんよね。
 
 「……本当に大丈夫?」
 「だいじょうぶだよ。あまざけのんだもんね」

 橙依とーい君はあたしを心配そうに見るけど、あたしは大丈夫。
 紫君しーくんが買っておいてくれた甘酒を飲んだから。
 甘酒は”飲む点滴”と言われるくらい栄養豊富。
 風邪の初期症状にも効くのです。

 「紫君しーくんのおかげよ。ね、ところで、あの甘酒ってまだある?」
 「うん、あるよー」

 キッチンの冷蔵庫から紫君しーくんが白色の液体が入った瓶を持ってくる。
 あたしはそれをコップに少々入れてゴクリ。

 「うん、おいしい! 冷やしてもいけるわ」

 甘酒といえばホットだけど、冷やし甘酒も十分美味しいの。
 昨晩は風邪のせいで十分に味わえなかったけど、この甘酒はあたしが飲んだどんなものより美味しかった。

 「でも、もうちょっとしかのこってないんだ」

 少し残念そうに紫君しーくんが言うけど、大丈夫。

 「そんなに落ち込まないで、この甘酒はまだ生きているから増やせるわよ」
 「ふやせるの、珠子おねえちゃん!?」
 「ええ、甘酒の中の麹菌こうじきんが生きているから。じゃ、早速増やしましょうか」
 「わーい」
 「……僕も見る」

 あたしと紫君しーくんに続けて、橙依とーい君もキッチンに入る。

 新生『酒処 七王子』の居住館のキッチンは本館の厨房に比べると簡素。
 コンロも2口しかないし、あとは電子レンジや炊飯器があるくらい。
 だけど、この甘酒の中で生きている麹菌を増やすにはこれで十分。

 「まずは残りご飯を水で煮て、柔らかくしまーす」

 あたしは炊飯器の中のご飯を鍋に入れ、軽く煮る。

 「煮立ったら、蓋をしてゆっくり冷まし、60℃くらいまで冷めたら麹菌を投入。今日は代わりにこの甘酒を投入しまーす」

 トポポと甘酒が鍋に注がれ、あたしはそれを軽くかき混ぜると、洗っておいた炊飯器の内釜うちがまに投入。
 そして、素早く内釜を炊飯器に戻し、蓋を閉じてピッピッと保温モードへ。
 この炊飯器には高め低めの二種類だけだど保温温度設定機能が付いている。
 その低い方は約60℃で、これは麹菌の繁殖に最適。
 だれが設計したのか知りませんけど、炊飯器を炊飯以外の用途に使えるって凄いなー。
 ちなみに60℃はグラタンのちょうどいいくらいの温度。
 
 「はい、おわり」
 「もうおわったの?」
 「ええ、夜には出来てるわ。んじゃ、あたしはもう一度寝るからおやすみなさい」

 風邪は治りかけが肝心。
 さっき『ふっかーつー!』なんて言ったけど、ここで無理すると経験上ぶり返す。

 「またねちゃうの?」
 「ええ、軽く食べて身体を拭いたらね。でも、夜にはおいしい甘酒が出来ているから楽しみにしててね」
 「わかったー」
 「……わかった、おやすみなさい」

 そんなふたりの言葉を受けて、あたしは再び自室のベッドへ戻った。

◇◇◇◇

 「ダメだわ……」
 「えー、おいしいよ」
 「……うん、おいしい」

 夜になって炊飯器を開けると、そこには薄いお粥状になった甘酒が出来上がっていた。
 あとは、それを水で好みの濃さに調整して、甘味を引き立てる塩をパラリと混ぜれば完成。
 だけど、元の味にはかなわない。
 
 「うーん、おいしいのはおいしいのだけど、やっぱ米と水が違うのかなー?」

 甘酒の味は麹菌と米と水で決まる。
 甘酒婆さんが持ってきた甘酒と同じ麹を培養しても、あたしの甘酒の味はそれに及ばない。

 「……珠子姉さんは甘酒職人じゃない。気にしなくていい」
 「珠子おねえちゃんは、おりょうりでがんばればいいよ」
 「そりゃまそうだけど、ちょっと悔しいのよね」

 あたしはレモン汁を加えて爽やかさを上げた甘酒をチューとストローで飲む。
 
 「じゃ、こんどきた時に作り方のひみつを教えてもらえばいいと思うよ。3日後にまた来るって言ってたから」
 「へー、じゃあ、風邪が治ったお礼におもてなししなきゃね」

 あたしは頭の中で甘酒婆さんが喜びそうなメニューを組み立てる。
 あれ? でも、どうして甘酒婆さんって『3日後にまた来る』なんて言ったのかしら。
 甘酒をさらに売り込むため?
 それとも別の目的があって?

 「……別の甘酒婆が来たら僕が追い返す」
 「それって『甘酒はござらんか』って聞きにくる方?」
 「……そう、病気を運ぶ疫病神やくびょうがみ

 疫病神かぁ、確かに甘酒婆の正体は疫病神の一種、疱瘡神ほうそうがみって説もあるけど。
 
 「……珠子姉さん、もう休んだ方がいい。今日まで藍蘭らんらん兄さんがお店をやっておくみたいだかから」

 スマホの画面を見ながら橙依とーい君が言う。
 そういえば、あたしのスマホは部屋でしたっけ。

 「わかったわ。今日まではゆっくり休ませてもらうね」
 
 そう言い残してあたしは部屋に戻る。
 そのまま再び布団の中に入るけど、眠れない。
 ま、昨日からずっと眠っていたから当然なのですけど。
 仕方ないので、身体を横たえて、目をつぶる。
 甘酒婆さんが来た時のおもてなしメニューでも考えよっと。
 
 …
 ……
 ………

 甘酒婆さんは甘酒を売りに来たり、また別の甘酒婆さんは甘酒を求めたり、その正体は疱瘡神かもしれなかったり、甘酒婆地蔵様と呼ばれている方もいたり……
 なぜか、人間があたししか居ないここに甘酒を売りに来たり、いったい目的は何かしら?
 それとも”あやかし”だから目的なんてないのかしら……
 でも、目的があったとしたら……
 
 ガバッ

 あたしは布団から跳ね起きる。
 ガチャ、ダダダダッと廊下を走るあたしの目的は彼の部屋。

 バン!

 「橙依とーい君! お願い! 受け入れて!」
 「はぁぁぁぁあああああ!?」

 突然の闖入者ちんにゅうしゃである寝間着姿のあたしの姿を見て、彼の顔は赤くなり、次に暗くなり、そして再び赤く染まった。
 
 「バカーッ!」

 あたしは部屋から叩き出された。
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