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第七章 回帰する物語とハッピーエンド
雲外鏡とハンバーガーチェーン看板メニュー(後編)
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◇◇◇◇
あたしはひとり鍋の前に立つ。
ポトンと卵とバターで煉られた小麦粉のタネを油に入れると、それはジューという音を立てながら軽く膨らむ。
要するにこれは揚げドーナッツの一種。
「珠子様、こんな感じでよろしいでしょうか? どこか変じゃありません?」
あたしが粉砂糖とシナモンパウダーを振っていた時、後ろから串刺し入道さんの声が掛かる。
「とってもお似合いですよ。では、こちらの配膳をお願いします」
「はい、かしこまりましたわ。うふっ」
大皿を受け取り、串刺し入道さんがみなさんの所へ向かっていく。
「どぁははっっ! なんじゃその姿は!?」
「あら? どこかおかしいかしら?」
「おかしいって、ははっ、なんだよその顔と姿はお化けかよ、いや”あやかし”だけど」
聞こえてくるのは笑い声。
でも無理もありませんね、串刺し入道さんはデデーンとマスカラと頬紅、そして厚く塗られた口紅で化粧されているのですもの。
あたしは春に仕込んだ花酒を取り出しながら、みんなの表情を、その笑い顔を想像する。
「あっ、珠子ちゃん。見てみなよ。こいつの顔を」
「うふふ、あたしキレイ?」
そう言って、串刺し入道さんはクルンと一回転。
尼頭巾が遠心力でふわりと揺れる。
「あら、素敵な衣装ですね」
「そうでちゅね、あまさんのおべべでしょうか。そして、これは”あまさんのへ”でちゅかね」くいっ
流石は蒼明さん、察しがいい。
お坊さんが垣根を跳び越える、仏跳醤
高僧すら気絶する、パトゥルジャン・イマム・パユルドゥ
ならば、と次に続くこの料理がそれ関係だと予想した。
見た目は普通の揚げドーナッツなんですけどね。
「ええ、串刺し入道さんが持ってきた料理は、愉快なお名前料理シリーズ第四弾! Pet・de・nonne! ”尼さんの屁”という意味のフランスのお菓子ですね」
「へぇ、だけどこいつは屁みたいな感じはしないぜ」
「そうね、食べると気泡の中から甘い香りが出てくるわ」
イソポとシュマリのコロボックルさんが食べているのは、このぺ・ド・ノンヌの中でも一番小さいサイズ。
だけど、その大きさはふたりの顔くらいの大きさがある。
うん、蒼明さんの顔がものすごく優しいというか、緩んだ顔になっているのは見なかったことにしましょう。
サクッ、カリッ
他の”あやかし”さんのみなさんもぺ・ド・ノンヌを軽快な音と共に食べるけど、そこから生まれるのは屁とは真逆の甘い香り。
「ぺ・ド・ノンヌの名前の由来は、フランスの修道女がこれを作っている時にお偉いさんの大司教が通りがかり、緊張のあまり放屁したからと伝えられています。その様子はフランスらしく詩的に伝えられているんですよ」
そして、あたしはオペラ歌手のように片手を胸に、もう片手を高らかに掲げ歌うように言葉を発する。
「突然! 響き渡る! 奇妙でリズミカルな、ながーい、ながーい、震えるオルガンのような音! その音は! 回廊を舞うそよ風のため息のようなうめき声は! 修道女たちに呆れと! 怒りをもたらした! ゆえに、この菓子の名は”尼さんの屁”!」
そう言ってあたしは串刺し入道さんの手を取り、ふたりでクルクルと踊るように部屋を回る。
行きつく先は鏡が掛かっている壁の隣の窓辺。
「それは! まるで! このような!」
ブボッ、プピィ~~~~~ププププププ
屁の音が部屋に響き渡る。
どっちが出したかは内緒。
「ぷ……」
「ははあはっ、はははっ!」
「はははっ、おい窓あけろ! 換気だ換気!」
真面目な顔をポーズを決めるあたしたちから距離を取り、みなさんが他の窓に殺到する。
夜風が部屋の中を通り抜け、ほんの少し冷たい空気が部屋の空気を爽やかなものに変えていく。
「まったく、げひんでちゅね。ひんせいをうたがいまちゅ」くいっ
「あはは~、失礼しました」
「ごめんなさいね~」
あたしたちは笑いながら席に戻る。
「それじゃ、お詫びとして良い香りの花酒を振舞いますね」
ドンと果実酒用の保存瓶がテーブルに置かれ、その衝撃で中の花が揺れる。
それは細長い白い花弁。
「これはハクモクレンでちゅかね……、いやちがいまちゅね、このちょっとちいさいのはコブシでちゅか?」くいっ
「お見事! 正解ですっ! これは”コブシ”、モクレン科モクレン属のコブシの花です。春に咲いたのを仕込んでおきました」
すごいなー、白木蓮と辛夷を見分けるのはかなり難しいのに。
ちなみに、花弁が全開に開いて、花のサイズが小さい方がコブシなの。
保存瓶の蓋を開けると、柔らかいレモンのような香りが流れ出す。
「おお、柑橘にも似た良い香り」
周囲の”あやかし”さんからもそんな声が漏れる。
あたしは柄の長いステンレスのミニ柄杓でコポッっとショットグラスにコブシの花酒を注ぐ。
「さあさあ、みなさんどんどんどうぞ。こぶしの利いた歌声のあとは、コブシの香りの効いたお酒を楽しんで下さいね」
この花酒を作るのはとっても簡単。
汚れを取ったコブシの花やつぼみをホワイトリカーに漬けるだけ。
3か月くらいで飲めるようになるの。
「はいどうぞ、蒼明さん」
「……」
蒼明さんが無言で受け取ったのは、彼の視線がコロボックルのふたりに注がれているから。
この店で一番小さい器をご用意したのですけど、それでもふたりにとってはバケツ並。
キュートにングングッと花酒を飲んでいる姿からは目が離せませんよね。
クックックッ
「ぷは~っ!」
「いい香り、爽やかでとっても飲みやすいわ」
「ああ、良い匂いだぜ、とってもイケてる……」
そう言ってふたりは顔を見合わせ、ニシシと笑い、
「「屁の香りだぜ!」だわ!」
ブホッ
あ、蒼明さんが吹いた。
「ふ、ふたりとも何を言うのです!? これが屁の香りだなんて!?」
飛沫で汚れた眼鏡越しに蒼明さんは尋ねる。
「おいおい、罰ゲームをわすれてんぞ」
「ふ、ふたりとも、なにをいうのでちゅ!? こりぇは、おならのにおいなんでちゅか!?」
そして、言いなおした。
「なんだ知らないのか? このコブシって植物はアイヌ語で”オプケニ”って呼ぶのさ。”放屁する木”って意味さ」
「”オマウクシニ”とも言いますけどね。これは”良い匂いを出す木”って意味です」
「同じコブシを示すアイヌ語でも、二通りの言い方があるのも不思議ですよね」
「「「ね~」」」
あたしと、コロボックルのふたりは声をハモらせた。
「にゃるほど、”あまさんのへ”には、”へ”のおっちゃけですか。まったく、やってくれたもんです」
そう言って蒼明さんは眼鏡をふきふきしながらも微笑む。
「今日のコンセプトは愉快なお名前の料理ですから。さ、まだまだ、いきますよー! 次はアフリカの郷土料理、クスクスでーす! こんな感じで朝まで盛り上がっちゃいましょ-!」
「「「「「おー!」」」」」
あたしの声に呼応して、北の国の”あやかし”さんたちが拳を突き上げる。
コブシの花酒を飲んだだけに。
「やれやれ……」
この”あやかし”たちのリーダーの蒼明さんは”仕方がないですね”といった様子を見せて、
「おーでちゅ!」
と拳を突き上げた。
ノリノリのようにも見えますけど。
◇◇◇◇
「パーティは過ぎたようじゃの」
朝日が昇り、あたしが閉店した店内をひとりで片付けていた時、その人は来た。
この店の数少ない人間の常連、破戒僧の慈道さん。
「はい、今はあたしと彼だけですよ」
あたしは慈道さんをカウンターに案内して、一杯の水を出す。
「珠子殿、ここはウェルカム般若湯を出す所では?」
「時間外料金になりますが、よろしいですか?」
あたしはニシシと笑いながら言う。
「いい笑顔じゃの。この商売上手め。ほれ」
キィーンと音を立てて、硬貨が回転しながらあたしに飛んでくる。
「毎度ありっ! それじゃ、慈道さん向けのスペシャル器でもてなしますね」
あたしはドンと上の部分が凹の切り込みが入った太い竹を置き、その上に茎の付いた一枚の葉を乗せる。
蓮の葉だ。
「ほう、象鼻杯か!?」
「はい、蓮酒とも呼ばれる縁起の良いお酒ですよ」
葉から伸びた茎が象の鼻のように見えるから、象鼻杯。
その中でも蓮の葉を使ったものは蓮酒とも呼ばれる。
葉と茎の結合部には切り込みが入れてあり、葉にお酒を注ぐと、茎をストローのようにして飲む事が出来るの。
蓮の茎は蓮根と同じように穴があいているのよ。
この蓮の葉を器に、茎を管にして酒を飲む催しは、蓮を育てている寺院や庭園では定番の季節イベント。
「まさか、ここでこれが飲めるとはの」
慈道さんはトトトとあたしが出したお酒を蓮の葉に注ぎ、チューと茎を使ってそれを飲む。
「ふぅ、御仏の味がするわい」
「蓮が好きな”あやかし”さんが来るかと思って準備したのですけど、残念ながらいらっしゃいませんでした」
死神さんとか白澤様とかが来てくれれば良かったのに」
「そうか、ま、それで儂がこの蓮酒にありつけるようになっているからの。ここは御仏に感謝じゃ」
そう言って、慈道さんは窓から差す朝日に向かって手を合わせた。
「”お酒が飲めてありがとう”って仏様に感謝するお坊さんもどうかとおもいますけど」
「そりゃそうじゃの、ハハハ」
「そうですよウフフ」
「それで、あやつの様子はどうじゃ?」
「バッチリですよ。雲外鏡さーん」
あたしの呼びかけに壁の鏡がピカッと光を放ち、それが収まるとそこには晴ればれとした顔の青年がひとり。
真実の姿を映すという鏡の”あやかし”、雲外鏡さんだ。
「おお! 曇りが完全に取れておる! みごとじゃ!」
「えっへん!」
一週間前、この雲外鏡さんが『酒処 七王子』を訪れた時、彼の顔はどんよりと曇っていた。
本体の鏡も同じように曇りが見られたの。
真実の姿を映し、あやかしの正体を暴くこの鏡は退魔僧の方々の中で重宝される重要アイテム。
慈道さんの『この鏡の曇りを祓う妙案はないか』という相談に、あたしは胸を叩いて請け負った。
『お任せ下さい! あたしにグッドアイデアがあります!』と。
その結果はご覧の通り!
今や雲外鏡さんは朝日を浴びて、明るく輝いている。
「いったいどうやったのだ? 高野の高僧が何度も祓ってもダメじゃったのに」
「そりゃま『酒処 七王子』のスペシャルメニューをいっぱい食べさせて」
?
あたしの言葉に慈道さんの頭に?マークが浮かぶ。
「何を食べさせたのじゃ? こやつは鏡の”あやかし”ぞ。飲食なぞせぬはずなのだが……」
「それは、駅前のハンバーガーチェーンのメニューにも載っているものですよ。慈道さんもご存知のはずです」
??
慈道さんの頭の?マークが増えた。
「『酒処 七王子』のお値段設定は資本主義のチェーン店にだって負けません。お値段はハンバーガーチェーン店と同値でご提供させて頂いています」
そう言ってあたしは笑顔で人差し指と親指で丸を作る。
!
あ、?マークが!マークに変わった。
「なるほどな、御仏がいつも儂らに与えてくれているものじゃったか」
「そうでーす! スマイル0円! 『酒処 七王子』の看板メニューのひとつでーす!」
あたしはその看板メニューを慈道さんに提供しながら言う。
それは世界一のハンバーガーチェーンの看板メニューでもあるの。
「聞けば、この雲外鏡さんは悪事を働く”あやかし”を見破る仕事をずっとやらされてたって話じゃありませんか。いつも正体を見破られて驚きや怒りに震える”あやかし”の姿ばっかり映していたら、雲外鏡さんの心だって曇るに決まってます。鏡さんだって映すなら笑顔の方がいいに決まってるじゃありませんか」
あたしの隣で雲外鏡さんもウンウンとうなずく。
この一週間、あたしは面白い名前と愉快な料理でお客さんをもてなした。
笑顔でお店があふれるような、そんなおもてなし。
「こりゃまいったの。珠子殿の言う通りじゃ。仏の道を進む儂らだって、悪意ばかりに晒されれば顔も厳つくなるというもの。それを癒すのは御仏のような笑顔ということか」
「ま、お釈迦様とまではいきませんが、あたしやお客さんたちの心からの笑顔を笑い声をたっぷり浴びせました。雲外鏡さんの心も晴れたようで、あたしも嬉しいです」
あたしの笑顔に合わせて、雲外鏡さんもにこやかに笑う。
これは跳ね返ったものじゃない、雲外鏡さんの心の笑顔。
「感謝するぞ珠子殿。これは約束の報酬じゃ」
慈道さんから差し出された、ずっしりと重い封筒をあたしは受け取る。
「まいどありー。またお暇な時にはお食事に来て下さいね」
「ああ、また極上の般若湯を用意しておいてくれ。では行こうかの」
慈道さんは一歩進み、雲外鏡さんの手を取る。
パシッ
あっ、払われた。
「嫌だ、僕はここにいる。もう働きたくない」
「ちょ、珠子殿!? これはどういうことじゃ」
「えー、あたしが受けた仕事は雲外鏡さんの曇りを取ることで、彼の職場環境の改善は受けていませんけど~」
雲外鏡さんの気持ちは理解出来る。
鏡として生まれたのに、また厳重に包まれて、たまに開けられたと思ったら、悪事を働く”あやかし”の正体暴きの仕事の日々なんて、あたしもゴメンだ。
「しょうがないのう……、上には浄化は順調じゃが、少々時間が掛かるとでも報告しておくとするか」
何やら上司への言い訳を考えているような事を呟いて、慈道さんの顔がニヤリと笑う。
「慈道さん……、ひょっとして『酒処 七王子』に来る業務上の理由が出来たなんて考えてません?」
「いやいやいや、拙僧は仕事熱心なだけじゃぞ。雲外鏡の曇りを祓うのに笑顔が必要というのなら、それを与えるのも仏の道というもの。そして、笑顔に必要なものといえば……」
慈道さんはあたしに目配せをチラリ。
「わかってますって、おいしい食事と般若湯ですよね」
「うむ、今日は利休流般若がいいかの」
「梅利休流とか桃利休流とかですね。わびさびですよねー」
「そうそう、わびさびじゃ」
あたしと慈道さんはニヤリと笑い合い、そして「「ハハハ」」と笑い始めた。
その隣で「アッハハハハ」と雲外鏡さんも笑い始めた。
「それじゃぁ、時間外ですが雲外鏡さんと慈道さんのために特別開店といきますか!」
あたしは扉を開き、表の看板に手をかける。
扉のOpen Closeの札がカランと音を立てた。
天国のおばあさま、今日も『酒処 七王子』に新たな常連さん、というか常駐さんが出来ました。
普段は壁に掛かっている、真実を映す鏡。
みんなの笑顔が大好きな鏡のあやかし”雲外鏡”さんですっ!
あたしはひとり鍋の前に立つ。
ポトンと卵とバターで煉られた小麦粉のタネを油に入れると、それはジューという音を立てながら軽く膨らむ。
要するにこれは揚げドーナッツの一種。
「珠子様、こんな感じでよろしいでしょうか? どこか変じゃありません?」
あたしが粉砂糖とシナモンパウダーを振っていた時、後ろから串刺し入道さんの声が掛かる。
「とってもお似合いですよ。では、こちらの配膳をお願いします」
「はい、かしこまりましたわ。うふっ」
大皿を受け取り、串刺し入道さんがみなさんの所へ向かっていく。
「どぁははっっ! なんじゃその姿は!?」
「あら? どこかおかしいかしら?」
「おかしいって、ははっ、なんだよその顔と姿はお化けかよ、いや”あやかし”だけど」
聞こえてくるのは笑い声。
でも無理もありませんね、串刺し入道さんはデデーンとマスカラと頬紅、そして厚く塗られた口紅で化粧されているのですもの。
あたしは春に仕込んだ花酒を取り出しながら、みんなの表情を、その笑い顔を想像する。
「あっ、珠子ちゃん。見てみなよ。こいつの顔を」
「うふふ、あたしキレイ?」
そう言って、串刺し入道さんはクルンと一回転。
尼頭巾が遠心力でふわりと揺れる。
「あら、素敵な衣装ですね」
「そうでちゅね、あまさんのおべべでしょうか。そして、これは”あまさんのへ”でちゅかね」くいっ
流石は蒼明さん、察しがいい。
お坊さんが垣根を跳び越える、仏跳醤
高僧すら気絶する、パトゥルジャン・イマム・パユルドゥ
ならば、と次に続くこの料理がそれ関係だと予想した。
見た目は普通の揚げドーナッツなんですけどね。
「ええ、串刺し入道さんが持ってきた料理は、愉快なお名前料理シリーズ第四弾! Pet・de・nonne! ”尼さんの屁”という意味のフランスのお菓子ですね」
「へぇ、だけどこいつは屁みたいな感じはしないぜ」
「そうね、食べると気泡の中から甘い香りが出てくるわ」
イソポとシュマリのコロボックルさんが食べているのは、このぺ・ド・ノンヌの中でも一番小さいサイズ。
だけど、その大きさはふたりの顔くらいの大きさがある。
うん、蒼明さんの顔がものすごく優しいというか、緩んだ顔になっているのは見なかったことにしましょう。
サクッ、カリッ
他の”あやかし”さんのみなさんもぺ・ド・ノンヌを軽快な音と共に食べるけど、そこから生まれるのは屁とは真逆の甘い香り。
「ぺ・ド・ノンヌの名前の由来は、フランスの修道女がこれを作っている時にお偉いさんの大司教が通りがかり、緊張のあまり放屁したからと伝えられています。その様子はフランスらしく詩的に伝えられているんですよ」
そして、あたしはオペラ歌手のように片手を胸に、もう片手を高らかに掲げ歌うように言葉を発する。
「突然! 響き渡る! 奇妙でリズミカルな、ながーい、ながーい、震えるオルガンのような音! その音は! 回廊を舞うそよ風のため息のようなうめき声は! 修道女たちに呆れと! 怒りをもたらした! ゆえに、この菓子の名は”尼さんの屁”!」
そう言ってあたしは串刺し入道さんの手を取り、ふたりでクルクルと踊るように部屋を回る。
行きつく先は鏡が掛かっている壁の隣の窓辺。
「それは! まるで! このような!」
ブボッ、プピィ~~~~~ププププププ
屁の音が部屋に響き渡る。
どっちが出したかは内緒。
「ぷ……」
「ははあはっ、はははっ!」
「はははっ、おい窓あけろ! 換気だ換気!」
真面目な顔をポーズを決めるあたしたちから距離を取り、みなさんが他の窓に殺到する。
夜風が部屋の中を通り抜け、ほんの少し冷たい空気が部屋の空気を爽やかなものに変えていく。
「まったく、げひんでちゅね。ひんせいをうたがいまちゅ」くいっ
「あはは~、失礼しました」
「ごめんなさいね~」
あたしたちは笑いながら席に戻る。
「それじゃ、お詫びとして良い香りの花酒を振舞いますね」
ドンと果実酒用の保存瓶がテーブルに置かれ、その衝撃で中の花が揺れる。
それは細長い白い花弁。
「これはハクモクレンでちゅかね……、いやちがいまちゅね、このちょっとちいさいのはコブシでちゅか?」くいっ
「お見事! 正解ですっ! これは”コブシ”、モクレン科モクレン属のコブシの花です。春に咲いたのを仕込んでおきました」
すごいなー、白木蓮と辛夷を見分けるのはかなり難しいのに。
ちなみに、花弁が全開に開いて、花のサイズが小さい方がコブシなの。
保存瓶の蓋を開けると、柔らかいレモンのような香りが流れ出す。
「おお、柑橘にも似た良い香り」
周囲の”あやかし”さんからもそんな声が漏れる。
あたしは柄の長いステンレスのミニ柄杓でコポッっとショットグラスにコブシの花酒を注ぐ。
「さあさあ、みなさんどんどんどうぞ。こぶしの利いた歌声のあとは、コブシの香りの効いたお酒を楽しんで下さいね」
この花酒を作るのはとっても簡単。
汚れを取ったコブシの花やつぼみをホワイトリカーに漬けるだけ。
3か月くらいで飲めるようになるの。
「はいどうぞ、蒼明さん」
「……」
蒼明さんが無言で受け取ったのは、彼の視線がコロボックルのふたりに注がれているから。
この店で一番小さい器をご用意したのですけど、それでもふたりにとってはバケツ並。
キュートにングングッと花酒を飲んでいる姿からは目が離せませんよね。
クックックッ
「ぷは~っ!」
「いい香り、爽やかでとっても飲みやすいわ」
「ああ、良い匂いだぜ、とってもイケてる……」
そう言ってふたりは顔を見合わせ、ニシシと笑い、
「「屁の香りだぜ!」だわ!」
ブホッ
あ、蒼明さんが吹いた。
「ふ、ふたりとも何を言うのです!? これが屁の香りだなんて!?」
飛沫で汚れた眼鏡越しに蒼明さんは尋ねる。
「おいおい、罰ゲームをわすれてんぞ」
「ふ、ふたりとも、なにをいうのでちゅ!? こりぇは、おならのにおいなんでちゅか!?」
そして、言いなおした。
「なんだ知らないのか? このコブシって植物はアイヌ語で”オプケニ”って呼ぶのさ。”放屁する木”って意味さ」
「”オマウクシニ”とも言いますけどね。これは”良い匂いを出す木”って意味です」
「同じコブシを示すアイヌ語でも、二通りの言い方があるのも不思議ですよね」
「「「ね~」」」
あたしと、コロボックルのふたりは声をハモらせた。
「にゃるほど、”あまさんのへ”には、”へ”のおっちゃけですか。まったく、やってくれたもんです」
そう言って蒼明さんは眼鏡をふきふきしながらも微笑む。
「今日のコンセプトは愉快なお名前の料理ですから。さ、まだまだ、いきますよー! 次はアフリカの郷土料理、クスクスでーす! こんな感じで朝まで盛り上がっちゃいましょ-!」
「「「「「おー!」」」」」
あたしの声に呼応して、北の国の”あやかし”さんたちが拳を突き上げる。
コブシの花酒を飲んだだけに。
「やれやれ……」
この”あやかし”たちのリーダーの蒼明さんは”仕方がないですね”といった様子を見せて、
「おーでちゅ!」
と拳を突き上げた。
ノリノリのようにも見えますけど。
◇◇◇◇
「パーティは過ぎたようじゃの」
朝日が昇り、あたしが閉店した店内をひとりで片付けていた時、その人は来た。
この店の数少ない人間の常連、破戒僧の慈道さん。
「はい、今はあたしと彼だけですよ」
あたしは慈道さんをカウンターに案内して、一杯の水を出す。
「珠子殿、ここはウェルカム般若湯を出す所では?」
「時間外料金になりますが、よろしいですか?」
あたしはニシシと笑いながら言う。
「いい笑顔じゃの。この商売上手め。ほれ」
キィーンと音を立てて、硬貨が回転しながらあたしに飛んでくる。
「毎度ありっ! それじゃ、慈道さん向けのスペシャル器でもてなしますね」
あたしはドンと上の部分が凹の切り込みが入った太い竹を置き、その上に茎の付いた一枚の葉を乗せる。
蓮の葉だ。
「ほう、象鼻杯か!?」
「はい、蓮酒とも呼ばれる縁起の良いお酒ですよ」
葉から伸びた茎が象の鼻のように見えるから、象鼻杯。
その中でも蓮の葉を使ったものは蓮酒とも呼ばれる。
葉と茎の結合部には切り込みが入れてあり、葉にお酒を注ぐと、茎をストローのようにして飲む事が出来るの。
蓮の茎は蓮根と同じように穴があいているのよ。
この蓮の葉を器に、茎を管にして酒を飲む催しは、蓮を育てている寺院や庭園では定番の季節イベント。
「まさか、ここでこれが飲めるとはの」
慈道さんはトトトとあたしが出したお酒を蓮の葉に注ぎ、チューと茎を使ってそれを飲む。
「ふぅ、御仏の味がするわい」
「蓮が好きな”あやかし”さんが来るかと思って準備したのですけど、残念ながらいらっしゃいませんでした」
死神さんとか白澤様とかが来てくれれば良かったのに」
「そうか、ま、それで儂がこの蓮酒にありつけるようになっているからの。ここは御仏に感謝じゃ」
そう言って、慈道さんは窓から差す朝日に向かって手を合わせた。
「”お酒が飲めてありがとう”って仏様に感謝するお坊さんもどうかとおもいますけど」
「そりゃそうじゃの、ハハハ」
「そうですよウフフ」
「それで、あやつの様子はどうじゃ?」
「バッチリですよ。雲外鏡さーん」
あたしの呼びかけに壁の鏡がピカッと光を放ち、それが収まるとそこには晴ればれとした顔の青年がひとり。
真実の姿を映すという鏡の”あやかし”、雲外鏡さんだ。
「おお! 曇りが完全に取れておる! みごとじゃ!」
「えっへん!」
一週間前、この雲外鏡さんが『酒処 七王子』を訪れた時、彼の顔はどんよりと曇っていた。
本体の鏡も同じように曇りが見られたの。
真実の姿を映し、あやかしの正体を暴くこの鏡は退魔僧の方々の中で重宝される重要アイテム。
慈道さんの『この鏡の曇りを祓う妙案はないか』という相談に、あたしは胸を叩いて請け負った。
『お任せ下さい! あたしにグッドアイデアがあります!』と。
その結果はご覧の通り!
今や雲外鏡さんは朝日を浴びて、明るく輝いている。
「いったいどうやったのだ? 高野の高僧が何度も祓ってもダメじゃったのに」
「そりゃま『酒処 七王子』のスペシャルメニューをいっぱい食べさせて」
?
あたしの言葉に慈道さんの頭に?マークが浮かぶ。
「何を食べさせたのじゃ? こやつは鏡の”あやかし”ぞ。飲食なぞせぬはずなのだが……」
「それは、駅前のハンバーガーチェーンのメニューにも載っているものですよ。慈道さんもご存知のはずです」
??
慈道さんの頭の?マークが増えた。
「『酒処 七王子』のお値段設定は資本主義のチェーン店にだって負けません。お値段はハンバーガーチェーン店と同値でご提供させて頂いています」
そう言ってあたしは笑顔で人差し指と親指で丸を作る。
!
あ、?マークが!マークに変わった。
「なるほどな、御仏がいつも儂らに与えてくれているものじゃったか」
「そうでーす! スマイル0円! 『酒処 七王子』の看板メニューのひとつでーす!」
あたしはその看板メニューを慈道さんに提供しながら言う。
それは世界一のハンバーガーチェーンの看板メニューでもあるの。
「聞けば、この雲外鏡さんは悪事を働く”あやかし”を見破る仕事をずっとやらされてたって話じゃありませんか。いつも正体を見破られて驚きや怒りに震える”あやかし”の姿ばっかり映していたら、雲外鏡さんの心だって曇るに決まってます。鏡さんだって映すなら笑顔の方がいいに決まってるじゃありませんか」
あたしの隣で雲外鏡さんもウンウンとうなずく。
この一週間、あたしは面白い名前と愉快な料理でお客さんをもてなした。
笑顔でお店があふれるような、そんなおもてなし。
「こりゃまいったの。珠子殿の言う通りじゃ。仏の道を進む儂らだって、悪意ばかりに晒されれば顔も厳つくなるというもの。それを癒すのは御仏のような笑顔ということか」
「ま、お釈迦様とまではいきませんが、あたしやお客さんたちの心からの笑顔を笑い声をたっぷり浴びせました。雲外鏡さんの心も晴れたようで、あたしも嬉しいです」
あたしの笑顔に合わせて、雲外鏡さんもにこやかに笑う。
これは跳ね返ったものじゃない、雲外鏡さんの心の笑顔。
「感謝するぞ珠子殿。これは約束の報酬じゃ」
慈道さんから差し出された、ずっしりと重い封筒をあたしは受け取る。
「まいどありー。またお暇な時にはお食事に来て下さいね」
「ああ、また極上の般若湯を用意しておいてくれ。では行こうかの」
慈道さんは一歩進み、雲外鏡さんの手を取る。
パシッ
あっ、払われた。
「嫌だ、僕はここにいる。もう働きたくない」
「ちょ、珠子殿!? これはどういうことじゃ」
「えー、あたしが受けた仕事は雲外鏡さんの曇りを取ることで、彼の職場環境の改善は受けていませんけど~」
雲外鏡さんの気持ちは理解出来る。
鏡として生まれたのに、また厳重に包まれて、たまに開けられたと思ったら、悪事を働く”あやかし”の正体暴きの仕事の日々なんて、あたしもゴメンだ。
「しょうがないのう……、上には浄化は順調じゃが、少々時間が掛かるとでも報告しておくとするか」
何やら上司への言い訳を考えているような事を呟いて、慈道さんの顔がニヤリと笑う。
「慈道さん……、ひょっとして『酒処 七王子』に来る業務上の理由が出来たなんて考えてません?」
「いやいやいや、拙僧は仕事熱心なだけじゃぞ。雲外鏡の曇りを祓うのに笑顔が必要というのなら、それを与えるのも仏の道というもの。そして、笑顔に必要なものといえば……」
慈道さんはあたしに目配せをチラリ。
「わかってますって、おいしい食事と般若湯ですよね」
「うむ、今日は利休流般若がいいかの」
「梅利休流とか桃利休流とかですね。わびさびですよねー」
「そうそう、わびさびじゃ」
あたしと慈道さんはニヤリと笑い合い、そして「「ハハハ」」と笑い始めた。
その隣で「アッハハハハ」と雲外鏡さんも笑い始めた。
「それじゃぁ、時間外ですが雲外鏡さんと慈道さんのために特別開店といきますか!」
あたしは扉を開き、表の看板に手をかける。
扉のOpen Closeの札がカランと音を立てた。
天国のおばあさま、今日も『酒処 七王子』に新たな常連さん、というか常駐さんが出来ました。
普段は壁に掛かっている、真実を映す鏡。
みんなの笑顔が大好きな鏡のあやかし”雲外鏡”さんですっ!
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友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
後宮の隠し事 嘘つき皇帝と餌付けされた宮女の謎解き料理帖
四片霞彩
キャラ文芸
旧題:餌付けされた女官は皇帝親子の願いを叶えるために後宮を駆け回る〜厨でつまみ食いしていた美味しいご飯を作ってくれていたのは鬼とうわさの皇帝でした
【第6回キャラ文芸大賞で後宮賞を受賞いたしました🌸】
応援いただいた皆様、お読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。
【2024/03/13 発売】改題&加筆修正
「後宮の隠し事〜嘘つき皇帝と餌付けされた宮女の謎解き料理帖〜」
笙鈴(ショウリン)は飛竜(フェイロン)皇帝陛下が統治する仙皇国の後宮で働く下級女官。
先輩女官たちの虐めにも負けずに日々仕事をこなしていた笙鈴だったが、いつも腹を空かせていた。
そんな笙鈴の唯一の楽しみは、夜しか料理を作らず、自らが作った料理は決して食さない、謎の料理人・竜(ロン)が作る料理であった。
今日も竜の料理を食べに行った笙鈴だったが、竜から「料理を食べさせた分、仕事をしろ」と言われて仕事を頼まれる。
その仕事とは、飛竜の一人娘である皇女・氷水(ビンスイ)の身辺を探る事だった。
氷水から亡き母親の形見の首飾りが何者かに盗まれた事を知った笙鈴は首飾り探しを申し出る。
氷水の身辺を探る中で、氷水の食事を毒見していた毒見役が毒殺されてしまう。毒が入っていた小瓶を持っていた笙鈴が犯人として扱われそうになる。
毒殺の無実を証明した笙鈴だったが、今度は氷水から首飾りを盗んだ犯人に間違われてしまう。
笙鈴を犯人として密告したのは竜だった。
笙鈴は盗まれた氷水の首飾りを見つけられるのか。
そして、謎多き料理人・竜の正体と笙鈴に仕事を頼んだ理由、氷水の首飾りを盗んだ犯人とは一体誰なのかーー?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?
小達出みかん
キャラ文芸
両親を亡くし、叔父一家に冷遇されていた澪子は、ある日鬼に生贄として差し出される。
だが鬼は、澪子に手を出さないばかりか、壊れ物を扱うように大事に接する。美味しいごはんに贅沢な衣装、そして蕩けるような閨事…。真意の分からぬ彼からの溺愛に澪子は困惑するが、それもそのはず、鬼は澪子の命を助けるために、何度もこの時空を繰り返していた――。
『あなたに生きていてほしい、私の愛しい妻よ』
繰り返される『やりなおし』の中で、鬼は澪子を救えるのか?
◇程度にかかわらず、濡れ場と判断したシーンはサブタイトルに※がついています
◇後半からヒーロー視点に切り替わって溺愛のネタバレがはじまります
下宿屋 東風荘 5
浅井 ことは
キャラ文芸
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下宿屋を営む天狐の養子となった雪翔。
車椅子生活を送りながらも、みんなに助けられながらリハビリを続け、少しだけ掴まりながら歩けるようにまでなった。
そんな雪翔と新しい下宿屋で再開した幼馴染の航平。
彼にも何かの能力が?
そんな幼馴染に狐の養子になったことを気づかれ、一緒に狐の国に行くが、そこで思わぬハプニングが__
雪翔にのんびり学生生活は戻ってくるのか!?
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イラストの無断使用は固くお断りさせて頂いております。
下宿屋 東風荘 4
浅井 ことは
キャラ文芸
下宿屋 東風荘4
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大きくなった下宿に総勢20人の高校生と大学生が入ることになり、それを手伝いながら夜間の学校に通うようになった雪翔。
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ほのぼの美味しいファンタジー。
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表紙・挿絵:深月くるみ様
イラストの無断転用は固くお断りさせて頂いております。
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