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第六章 対決する物語とハッピーエンド
三尾の毒龍と酒をふんだんに使った料理(その5) ※全5部
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◇◇◇◇
「ど、どうしてここが!?」
三体の女が驚愕の声を上げる。
「どうしても何も、そこの馬鹿が教えてくれたのさ。ここに人間が囚われているってね」
馬鹿ってのは、やっぱ俺っちの事なんだろうな。
ビシッとこっちを向く築善尼の指を見ながら、俺っちは思う。
「相変わらず仕事が早くて助かるねぇ」
「勘違いしないで欲しいね。あたしが助けるのは人間だけさ。お前さんがどうなろうと知ったこっちゃないね」
おやま、手厳しい。
「いったいどうやって!? こいつはずっとここに居た。携帯を使った素振りも無いし、何よりもあたしたちがずっと見張ってたってのに!?」
「その答えはこれさ」
俺っちはヒョイと輪ゴムで筒状に止められた万札を女に投げつける。
「この金が何だってんだい!?」
「鈍いねぇ、ここで気付かない時点でお前さんは大したことないってことさ。そいつを解いてみな」
言われるがまま、スルスルと女は丸まった札を広げる。
「こ、これは……、やってくれたね! 東の大蛇!」
一瞬で目が蛇のそれに変わり、牙と赤くて細い舌をむき出しにしながら女が叫ぶ。
無理もないか、その万札には『助けて、悪いヤツに捕まっている。ここに電話して。110-XXXX-XXXX。G携帯アカウントxxx』って書いてあるんだからな。
便利な時代だぜ、スマホのアカウントとパスワードさえ伝えれば、誰でも俺っちの胸ポケットのスマホの位置を探索出来るんだからよ。
表向きは紛失サービスってやつさ。
「そう、あの雀に渡した万札もそれと同じヤツさ。その電話先は警察の退魔課って所に繋がるって寸法さ。それでこいつらがやって来たってわけさ」
「それで近場に居たあたしにお鉢が回ってきたってわけさ。とんだ緊急招集だよ」
悪いねぇ、後の事を考えると知らない退魔のヤツよりも、お前さんが来た方がましだと思っちまったのさ。
「こんな古典的な手法に気付かないなんて、この蛇面女たちは間抜けだね。ま、だからこそあたしたちが市井の人を助けに来れるんだが」
「ああ、ちなみに冥途の土産というか、幽世への手土産に教えてやるぜ。よく店で『万札入りまーす』てのを見るだろ、あれは万札に助けを呼ぶメッセージが入っていないか確認するためでもあるんだぜ。まったく人間ってのは隙がないねぇ」
この人間の社会ネットワークってのは昔に比べると非常に進歩している。
人間を害するってのは馬鹿としか言いようがないね。
「ホホホ、多少面食らいましたが落ち着いて考えれば些細なこと」
「ホホホ、要するに、侵入して来た退魔僧を皆殺しにすればいいだけですわ!」
三体の女のうち、二体の女が築善尼に向かって飛びかかる。
あーあ、俺知らね。
とっとと逃げりゃいいのに。
「いい事を教えてあげるよ。如来様の右手が平手なのは……ノーアクションで御仏貫手を繰り出すためさ!」
築善尼の右手がカウンターで蛇女の胸を貫く。
「ギュウウェェエッェエ-!?」
一体の女が何が起こったのか理解しないまま、その身体を霧散させ、飛びかかっていたもう一体の足が止まる。
「そして、左手で輪を作っているのは……その穴から救世ビームを放つためさ!」
ぜってぇ嘘だと言いたくなるような説明と共に、築善尼の指から一条の光線が煌めき、
「ソ、ソンナァァアァァアア!!」
断末魔の悲鳴を残して、光の中に一体の女が消えて行った。
「さて、残りはあんただけだね」
「悪いこたぁいわねぇ、降参しちまいなよ。それが一番賢いやり方だぜ」
いや、ここは降参よりも命乞いの方がましかねぇ。
「うるさい! 大悪龍王様の臣下であり、龍種でもあるこの三尾の毒龍がおいそれと降参なんて出来るもんかい!」
「ああ、お前さんはかつて弘法大師空海様の弟子でもある伝教大師最澄様にケチョンケチョンにやられてこの龍王島に封じられたと伝わる三尾の毒龍だったのかい。ま、この程度ならケチョンケチョンにやられるのも納得がいくってもんさ」
おいおい築善尼、そこまで言うこたぁないんじゃないかな。
”龍種だろうが関係ない、雑魚は雑魚”みたいな言い方はさ。
「馬鹿にするな! これでもその大口が叩けるか!」
最後の一体となった女、いや三尾の毒龍の最後の首が兄ちゃんの首を掴みながら叫ぶ。
うわぁ、こりゃ最悪だ。
「お、俺の事は構わないでいい! だから、お願いだ! 妻と子を助けに行ってくれ!」
兄ちゃんも兄ちゃんだ。
料理の腕は超がつくほどの一流。
だけど、こういった修羅場はあまりくぐっていないみたいだねぇ。
「は! この期に及んでも家族の心配かい? 心配しなくていいさ、お前ら全員あたしの人質にしてやるからね!」
「き、聞きましたか! お願いです! 言う通りにして下さい!」
あ、兄ちゃんの顔が明るくなった。
俺っちはその明るくなった表情が意味する所に気付く。
それが意味する所は……
うへぇ、やっぱ人間を敵に回すってのは愚かだねぇ。
「それには及びません。貴方の大切な家族とはこちらの方々でよろしいですか?」
トトトと廊下を歩く足音が聞こえたかと思うと、ぶち破られた障子の間から見覚えのあるひとりの僧とふたりの女の子が顔をのぞかせた。
「あなた!」
「パパ!」
「安寿! 勇優! 無事でよかった!」
俺っちから見たら女の子、世間的には若い人妻と幼稚園児くらいの子。
ちょっぴり顔に涙の跡はあるが、傷ついた様子はない。
そのふたりの顔を見て、兄ちゃんの顔が安堵に包まれる。
「お前さんも来てたのかい? 慈道」
「師匠に呼ばれてしまいましたから。それに”あやかし”に囚われた人間を見過ごすわけにはいかんのでの」
廊下から現れた見覚えのある僧の名は慈道。
ウチの、『酒処 七王子』の常連さん。
「遅かったじゃないか、バカ弟子。それで、他の人質は?」
「他の者が既に救い出し、島を脱出しております。このふたりは、そこの方と一緒でないと逃げ出さないとおっしゃってまして……」
そう言って慈道は蛇女に囚われている兄ちゃんに視線を送る。
「は! 他のヤツらを助け出したから何だってんだい! ここには最後の人質が残ってるんだからね!」
三尾の毒龍の最期の一体、牙を剥いてシャーと威嚇するズベタを見て、俺っちも築善尼も慈道をやれやれとかぶりを振る。
「なあ、お前さんよ。最後にいいことを教えといてやる。もし幽世で大悪龍王とやらに逢ったら伝えてやんな。『妖怪王を目指すなら人間に害を与えとくのだけは止めとけ』ってな」
「はっ! 高野や比叡の僧なんて怖くなんてあるもんか! そいつらなんて大悪龍王様の敵ではない!」
「いやいや、こいつら退魔のやつだけじゃない。人間の、特にどの分野でも一流と呼ばれるヤツってのは……」
ガシッ、ギリギリギリギリ
「ちょ!? お、おまえ……」
ああ……哀れなお前さんは俺っちの話を聞いているだろうかねぇ。
いや、聞いていないだろうさ。
なんせ、その首を万力のような力で締め付けられているんだから。
「よくも俺の大切な家族を人質に取ってくれたな……、よくも愛しい安寿と勇優を泣かせたな……」
その首を締め上げているのは、料理人の兄ちゃん。
これが、さっき兄ちゃんの顔が明るくなった理由さ。
敵が一体で、近くに守るべき妻と子がいるなら、己の力量だけで家族を守ることが出来る。
だから、兄ちゃんは家族全員で人質になるような状況を望んでたのさ。
「見ての通りさ。困ったことに、一流の人間ってやつを本気で怒らせちゃいけない。本気で怒ったそいつらはね……そんじょそこらの”あやかし”より、ずっと強いのさ」
そんな俺っちの言葉をよそに、蛇女はブクブクブクと泡を吹き始めていた。
うん、やっぱ聞いていないみたいだねぇ。
あの兄ちゃんは築善尼や慈道のような特殊な訓練を受けた退魔の連中じゃない。
だけど、料理という道を進むために鍛えた己の力だけで並大抵の”あやかし”より強くなっちまってる。
俺っちも昔、それに気づいた時には驚愕と絶望したもんだ。
もし、妖怪王なんてもんになって、人間と事を構える次第になっちまったら、退魔の連中だけでなく、市井に居る何百万って人間も手ごわい敵になっちまうってな。
あー、無理無理、そんなん無理!
「蛇ならば首を一刀にて落として、皮を剥いだ後に調理する所だが、拙者は食わぬ物を切る包丁は持ち合わせておらぬ……」
実に料理人らしい言いざまで、兄ちゃんが蛇女を片手で持ち上げる。
「ゆ……る……し……」
「だから! この拳で報いを受けてもらおう!」
ドゴッドゴッボゴッっと鈍い音がして、愚かで哀れな蛇女は壁にめり込んだ。
トドメは慈道のヤツが刺した。
◇◇◇◇
フフフフーン、と俺っちは鼻歌交じりで瀬戸内の海面を歩く、いや滑る。
海はいいねぇ、特にこの瀬戸内海は俺っちのお気に入りさ。
何故かって? そりゃ潮流が歩かなくても足を進ませてくれるからさ。
天然の歩く歩道ってやつさ。
毒で多少の痺れがある身としてはありがたいねぇ。
あの後、兄ちゃんには『貴方様は命の恩人、いや恩あやかしです! 是非お礼を!』って言われたけど、俺っちは欲なく『気にすんな。今度、お前さんのお店に行った時、一度でいいからおごってれりゃそれでいい』って返したのさ。
兄ちゃんは『是非! 最高のもてなしでお待ちしてます』って言ってくれたよ。
兄ちゃんの店は新宿一の名店って話だから、こいつは楽しみだ。
嬢ちゃんを誘ういいネタになるぜ。
築善尼のやつは撒いた。
しつこいヤツだが、あそこが島だったのが運の尽きだね。
海にさえ出ちまえば、水の化身たる大蛇を捕まえる術なんてないからさ。
ま、陸に上がったら、また追いかけっこの続きになるかもしれないけどねぇ。
チュチュチュン
そんな事を考えながら、潮の流れに身を任せていると、一羽の雀が俺っちの肩に止まってきた。
この気配はあの龍王島でお使いを頼んだやつだね。
「いよう、お前さんは逃げられたようだねぇ」
「お前さんの策のせい、いやおかげでチュン」
雀の姿のまま、そいつは俺っちの肩に止まる。
「その分じゃ万札に書いておいたメッセージに気付いたみたいだねぇ。いつ気付いた?」
「店員に渡した時だチュン。そこで気付いても後の祭りだったでち。お金を渡した後に『なしなし! 今の万札なし!』なんて言えないでチュンよ」
「ははは、そりゃそうだ」
俺っちは雀がそれに気付いた時を想像して笑う。
きっと鳩じゃなくて雀が豆鉄砲をくらったような顔をしていたんだろうぜ。
「気付いてすぐに報告に帰ったら、女将に間抜けと責められること受け合いでち。そうなったら、責任を取れとばかりに斥候として退魔のヤツらの偵察に行かされちゃうでちよ。死ににいくような物でち」
「なるほど、お前さんの正体は実方雀だろ。平安時代の藤原 実方の魂が雀と化した」
「そうでチュンよ。だから知ってるでち。人間の退魔師の恐ろちさを」
だよなぁ、現役で平安の陰陽師や高僧を見ちまうとそう思っちまうよなぁ。
「結果、お前さんの策から逃げ出すしか選択肢は無かったでちよ。ま、おかげでひとりだけ逃げ出せたでチュン」
「それで何だい? 俺っちに文句のひとつでも囀りに来たってのかい?」
「そうでちよ。これでウチの計画がパーになったでちゅから」
「その計画ってのは?」
「東北一帯を支配して、北陸まで勢力を伸ばしつつある迷い家の打倒でち」
迷い家ねぇ。
確か、蒼明のやつが言ってたっけ。
あいつは栃木あたりで蒼明の勢力とぶつかってたと思ってたけど、北陸ルートに切り替えたってことか。
確か、嬢ちゃんは京都を離れた後、福井周りの上越新幹線で帰って来るって聞いたねぇ。
こいつは手を打った方がいいかもしれんな。
「どうして迷い家を倒したいんだい? お前さんは東北じゃなく京都の”あやかし”だろ?」
「東北の宮城にはウチの墓があるでち。そこに参れなくなるのはマズイでちよ。だから、ウチは大悪龍王に協力する代わりに、迷い家の打倒と宮城の地を望んだんでち」
そっか、平安時代の貴人、藤原 実方は陸奥国、今の東北地方に左遷されて亡くなったって話だ。
そこに行けなくなるのは良くないだろうねぇ。
「んじゃ、こういうのはどうだい? 俺っちが宮城のお前さんの墓に安全に行けるようにしてやるから、代わりに俺っちの望みに協力してくれないか」
不意の申し出に実方雀が目を丸くする。
「それはありがたい申し出なのでちが……、その望みって何でチュンか? お前さんも妖怪王の座を狙ってるのでちか?」
「そんな大層なもんじゃないさ。ささやかな望みさ。ま、お前さんが安全に宮城に行けるようになったら教えてやるよ」
本当にささやかさ。
ただし、そいつを手に入れるのは何より難しいって知ってるけどな。
「お前さんの望みは少々気になりまチュンが……わかったでチュン!」
「おしっ、男と男の約束だぜ」
俺っちの指先が雀の羽先が触れ合い、お互いに親指をグッと立てる。
器用な雀だねぇ。
「んじゃま、ピコピコっと」
スマホを取り出し、俺っちは自称最強の弟にメールする。
「何てしているんでチュンか?」
「ああ、俺っちの強ぇ弟、東の大蛇の中で妖怪王に最も近いと言われてるやつにちょいと忠告のメッセージを送ってたのさ。見るかい?」
「東の大蛇の中で最強ってのは蒼明って男でチュンか。拝見させてもらうチュン」
===================================================
いよう、蒼明、元気でやってっか。
お前さんの言ってた北の迷い家だがな、北陸から勢力を南下させてるって話を聞いたぜ。
お前なら心配いらんと思うが、一応、警戒しといた方がいいぜ。
何なら、俺っちも力になるからよ。
あと最近、きな臭い噂を耳にしたぜ。
人間をさらったり、人質にするような”あやかし”の勢力があるって噂さ。
お前さんは人間の知り合いも多い。
いらんトラブルにならんよう、気い付けな。
===================================================
「……ひょっとして弟に迷い家を倒させようとしていないでチュンか?」
「いやいやいや、これは可愛い弟を気づかう兄としての忠告のメッセージさ。これを見て、蒼明のやつが自ら北陸に偵察に行くことなんて、これっぽちも期待していないからよ」
ニヤリと口の端を上げ、俺っちはわざとらしく手を振る。
「さっきの龍王島の出来事といい、この弟へのメールといい、本当に怠け者でチュね。ちったぁ、自分で働いたらどうでチュンか?」
「いいじゃないか。首尾よく進めば、お前さんの墓へ安心して参れるようになるからさ。あとはのんびり酒でも飲んで待つとしようや」
俺っちの言葉にあきれたのか、雀は溜息をひとつ。
「約束でチュからね。上手くいったならお前さんの野望とやらに協力するでチュよ」
「おっ、さすがは中古三十六歌仙にも数えられた実方さんだぜ。実に誠実で男らしい。いよっ、この平安鳥貴族!」
「事が上手くいったらでチュから」
俺っちのお世辞に全く動じない様子で雀が言い捨てる。
「心配しなさんな。きっと上手くいくさ」
そして、俺っちは雀を肩に乗せ、海原を渡りながら言葉を続ける。
「俺っちの弟はすげぇんだぞ。俺なんかよりもずっとな」
雀は再び溜息をついた。
「ど、どうしてここが!?」
三体の女が驚愕の声を上げる。
「どうしても何も、そこの馬鹿が教えてくれたのさ。ここに人間が囚われているってね」
馬鹿ってのは、やっぱ俺っちの事なんだろうな。
ビシッとこっちを向く築善尼の指を見ながら、俺っちは思う。
「相変わらず仕事が早くて助かるねぇ」
「勘違いしないで欲しいね。あたしが助けるのは人間だけさ。お前さんがどうなろうと知ったこっちゃないね」
おやま、手厳しい。
「いったいどうやって!? こいつはずっとここに居た。携帯を使った素振りも無いし、何よりもあたしたちがずっと見張ってたってのに!?」
「その答えはこれさ」
俺っちはヒョイと輪ゴムで筒状に止められた万札を女に投げつける。
「この金が何だってんだい!?」
「鈍いねぇ、ここで気付かない時点でお前さんは大したことないってことさ。そいつを解いてみな」
言われるがまま、スルスルと女は丸まった札を広げる。
「こ、これは……、やってくれたね! 東の大蛇!」
一瞬で目が蛇のそれに変わり、牙と赤くて細い舌をむき出しにしながら女が叫ぶ。
無理もないか、その万札には『助けて、悪いヤツに捕まっている。ここに電話して。110-XXXX-XXXX。G携帯アカウントxxx』って書いてあるんだからな。
便利な時代だぜ、スマホのアカウントとパスワードさえ伝えれば、誰でも俺っちの胸ポケットのスマホの位置を探索出来るんだからよ。
表向きは紛失サービスってやつさ。
「そう、あの雀に渡した万札もそれと同じヤツさ。その電話先は警察の退魔課って所に繋がるって寸法さ。それでこいつらがやって来たってわけさ」
「それで近場に居たあたしにお鉢が回ってきたってわけさ。とんだ緊急招集だよ」
悪いねぇ、後の事を考えると知らない退魔のヤツよりも、お前さんが来た方がましだと思っちまったのさ。
「こんな古典的な手法に気付かないなんて、この蛇面女たちは間抜けだね。ま、だからこそあたしたちが市井の人を助けに来れるんだが」
「ああ、ちなみに冥途の土産というか、幽世への手土産に教えてやるぜ。よく店で『万札入りまーす』てのを見るだろ、あれは万札に助けを呼ぶメッセージが入っていないか確認するためでもあるんだぜ。まったく人間ってのは隙がないねぇ」
この人間の社会ネットワークってのは昔に比べると非常に進歩している。
人間を害するってのは馬鹿としか言いようがないね。
「ホホホ、多少面食らいましたが落ち着いて考えれば些細なこと」
「ホホホ、要するに、侵入して来た退魔僧を皆殺しにすればいいだけですわ!」
三体の女のうち、二体の女が築善尼に向かって飛びかかる。
あーあ、俺知らね。
とっとと逃げりゃいいのに。
「いい事を教えてあげるよ。如来様の右手が平手なのは……ノーアクションで御仏貫手を繰り出すためさ!」
築善尼の右手がカウンターで蛇女の胸を貫く。
「ギュウウェェエッェエ-!?」
一体の女が何が起こったのか理解しないまま、その身体を霧散させ、飛びかかっていたもう一体の足が止まる。
「そして、左手で輪を作っているのは……その穴から救世ビームを放つためさ!」
ぜってぇ嘘だと言いたくなるような説明と共に、築善尼の指から一条の光線が煌めき、
「ソ、ソンナァァアァァアア!!」
断末魔の悲鳴を残して、光の中に一体の女が消えて行った。
「さて、残りはあんただけだね」
「悪いこたぁいわねぇ、降参しちまいなよ。それが一番賢いやり方だぜ」
いや、ここは降参よりも命乞いの方がましかねぇ。
「うるさい! 大悪龍王様の臣下であり、龍種でもあるこの三尾の毒龍がおいそれと降参なんて出来るもんかい!」
「ああ、お前さんはかつて弘法大師空海様の弟子でもある伝教大師最澄様にケチョンケチョンにやられてこの龍王島に封じられたと伝わる三尾の毒龍だったのかい。ま、この程度ならケチョンケチョンにやられるのも納得がいくってもんさ」
おいおい築善尼、そこまで言うこたぁないんじゃないかな。
”龍種だろうが関係ない、雑魚は雑魚”みたいな言い方はさ。
「馬鹿にするな! これでもその大口が叩けるか!」
最後の一体となった女、いや三尾の毒龍の最後の首が兄ちゃんの首を掴みながら叫ぶ。
うわぁ、こりゃ最悪だ。
「お、俺の事は構わないでいい! だから、お願いだ! 妻と子を助けに行ってくれ!」
兄ちゃんも兄ちゃんだ。
料理の腕は超がつくほどの一流。
だけど、こういった修羅場はあまりくぐっていないみたいだねぇ。
「は! この期に及んでも家族の心配かい? 心配しなくていいさ、お前ら全員あたしの人質にしてやるからね!」
「き、聞きましたか! お願いです! 言う通りにして下さい!」
あ、兄ちゃんの顔が明るくなった。
俺っちはその明るくなった表情が意味する所に気付く。
それが意味する所は……
うへぇ、やっぱ人間を敵に回すってのは愚かだねぇ。
「それには及びません。貴方の大切な家族とはこちらの方々でよろしいですか?」
トトトと廊下を歩く足音が聞こえたかと思うと、ぶち破られた障子の間から見覚えのあるひとりの僧とふたりの女の子が顔をのぞかせた。
「あなた!」
「パパ!」
「安寿! 勇優! 無事でよかった!」
俺っちから見たら女の子、世間的には若い人妻と幼稚園児くらいの子。
ちょっぴり顔に涙の跡はあるが、傷ついた様子はない。
そのふたりの顔を見て、兄ちゃんの顔が安堵に包まれる。
「お前さんも来てたのかい? 慈道」
「師匠に呼ばれてしまいましたから。それに”あやかし”に囚われた人間を見過ごすわけにはいかんのでの」
廊下から現れた見覚えのある僧の名は慈道。
ウチの、『酒処 七王子』の常連さん。
「遅かったじゃないか、バカ弟子。それで、他の人質は?」
「他の者が既に救い出し、島を脱出しております。このふたりは、そこの方と一緒でないと逃げ出さないとおっしゃってまして……」
そう言って慈道は蛇女に囚われている兄ちゃんに視線を送る。
「は! 他のヤツらを助け出したから何だってんだい! ここには最後の人質が残ってるんだからね!」
三尾の毒龍の最期の一体、牙を剥いてシャーと威嚇するズベタを見て、俺っちも築善尼も慈道をやれやれとかぶりを振る。
「なあ、お前さんよ。最後にいいことを教えといてやる。もし幽世で大悪龍王とやらに逢ったら伝えてやんな。『妖怪王を目指すなら人間に害を与えとくのだけは止めとけ』ってな」
「はっ! 高野や比叡の僧なんて怖くなんてあるもんか! そいつらなんて大悪龍王様の敵ではない!」
「いやいや、こいつら退魔のやつだけじゃない。人間の、特にどの分野でも一流と呼ばれるヤツってのは……」
ガシッ、ギリギリギリギリ
「ちょ!? お、おまえ……」
ああ……哀れなお前さんは俺っちの話を聞いているだろうかねぇ。
いや、聞いていないだろうさ。
なんせ、その首を万力のような力で締め付けられているんだから。
「よくも俺の大切な家族を人質に取ってくれたな……、よくも愛しい安寿と勇優を泣かせたな……」
その首を締め上げているのは、料理人の兄ちゃん。
これが、さっき兄ちゃんの顔が明るくなった理由さ。
敵が一体で、近くに守るべき妻と子がいるなら、己の力量だけで家族を守ることが出来る。
だから、兄ちゃんは家族全員で人質になるような状況を望んでたのさ。
「見ての通りさ。困ったことに、一流の人間ってやつを本気で怒らせちゃいけない。本気で怒ったそいつらはね……そんじょそこらの”あやかし”より、ずっと強いのさ」
そんな俺っちの言葉をよそに、蛇女はブクブクブクと泡を吹き始めていた。
うん、やっぱ聞いていないみたいだねぇ。
あの兄ちゃんは築善尼や慈道のような特殊な訓練を受けた退魔の連中じゃない。
だけど、料理という道を進むために鍛えた己の力だけで並大抵の”あやかし”より強くなっちまってる。
俺っちも昔、それに気づいた時には驚愕と絶望したもんだ。
もし、妖怪王なんてもんになって、人間と事を構える次第になっちまったら、退魔の連中だけでなく、市井に居る何百万って人間も手ごわい敵になっちまうってな。
あー、無理無理、そんなん無理!
「蛇ならば首を一刀にて落として、皮を剥いだ後に調理する所だが、拙者は食わぬ物を切る包丁は持ち合わせておらぬ……」
実に料理人らしい言いざまで、兄ちゃんが蛇女を片手で持ち上げる。
「ゆ……る……し……」
「だから! この拳で報いを受けてもらおう!」
ドゴッドゴッボゴッっと鈍い音がして、愚かで哀れな蛇女は壁にめり込んだ。
トドメは慈道のヤツが刺した。
◇◇◇◇
フフフフーン、と俺っちは鼻歌交じりで瀬戸内の海面を歩く、いや滑る。
海はいいねぇ、特にこの瀬戸内海は俺っちのお気に入りさ。
何故かって? そりゃ潮流が歩かなくても足を進ませてくれるからさ。
天然の歩く歩道ってやつさ。
毒で多少の痺れがある身としてはありがたいねぇ。
あの後、兄ちゃんには『貴方様は命の恩人、いや恩あやかしです! 是非お礼を!』って言われたけど、俺っちは欲なく『気にすんな。今度、お前さんのお店に行った時、一度でいいからおごってれりゃそれでいい』って返したのさ。
兄ちゃんは『是非! 最高のもてなしでお待ちしてます』って言ってくれたよ。
兄ちゃんの店は新宿一の名店って話だから、こいつは楽しみだ。
嬢ちゃんを誘ういいネタになるぜ。
築善尼のやつは撒いた。
しつこいヤツだが、あそこが島だったのが運の尽きだね。
海にさえ出ちまえば、水の化身たる大蛇を捕まえる術なんてないからさ。
ま、陸に上がったら、また追いかけっこの続きになるかもしれないけどねぇ。
チュチュチュン
そんな事を考えながら、潮の流れに身を任せていると、一羽の雀が俺っちの肩に止まってきた。
この気配はあの龍王島でお使いを頼んだやつだね。
「いよう、お前さんは逃げられたようだねぇ」
「お前さんの策のせい、いやおかげでチュン」
雀の姿のまま、そいつは俺っちの肩に止まる。
「その分じゃ万札に書いておいたメッセージに気付いたみたいだねぇ。いつ気付いた?」
「店員に渡した時だチュン。そこで気付いても後の祭りだったでち。お金を渡した後に『なしなし! 今の万札なし!』なんて言えないでチュンよ」
「ははは、そりゃそうだ」
俺っちは雀がそれに気付いた時を想像して笑う。
きっと鳩じゃなくて雀が豆鉄砲をくらったような顔をしていたんだろうぜ。
「気付いてすぐに報告に帰ったら、女将に間抜けと責められること受け合いでち。そうなったら、責任を取れとばかりに斥候として退魔のヤツらの偵察に行かされちゃうでちよ。死ににいくような物でち」
「なるほど、お前さんの正体は実方雀だろ。平安時代の藤原 実方の魂が雀と化した」
「そうでチュンよ。だから知ってるでち。人間の退魔師の恐ろちさを」
だよなぁ、現役で平安の陰陽師や高僧を見ちまうとそう思っちまうよなぁ。
「結果、お前さんの策から逃げ出すしか選択肢は無かったでちよ。ま、おかげでひとりだけ逃げ出せたでチュン」
「それで何だい? 俺っちに文句のひとつでも囀りに来たってのかい?」
「そうでちよ。これでウチの計画がパーになったでちゅから」
「その計画ってのは?」
「東北一帯を支配して、北陸まで勢力を伸ばしつつある迷い家の打倒でち」
迷い家ねぇ。
確か、蒼明のやつが言ってたっけ。
あいつは栃木あたりで蒼明の勢力とぶつかってたと思ってたけど、北陸ルートに切り替えたってことか。
確か、嬢ちゃんは京都を離れた後、福井周りの上越新幹線で帰って来るって聞いたねぇ。
こいつは手を打った方がいいかもしれんな。
「どうして迷い家を倒したいんだい? お前さんは東北じゃなく京都の”あやかし”だろ?」
「東北の宮城にはウチの墓があるでち。そこに参れなくなるのはマズイでちよ。だから、ウチは大悪龍王に協力する代わりに、迷い家の打倒と宮城の地を望んだんでち」
そっか、平安時代の貴人、藤原 実方は陸奥国、今の東北地方に左遷されて亡くなったって話だ。
そこに行けなくなるのは良くないだろうねぇ。
「んじゃ、こういうのはどうだい? 俺っちが宮城のお前さんの墓に安全に行けるようにしてやるから、代わりに俺っちの望みに協力してくれないか」
不意の申し出に実方雀が目を丸くする。
「それはありがたい申し出なのでちが……、その望みって何でチュンか? お前さんも妖怪王の座を狙ってるのでちか?」
「そんな大層なもんじゃないさ。ささやかな望みさ。ま、お前さんが安全に宮城に行けるようになったら教えてやるよ」
本当にささやかさ。
ただし、そいつを手に入れるのは何より難しいって知ってるけどな。
「お前さんの望みは少々気になりまチュンが……わかったでチュン!」
「おしっ、男と男の約束だぜ」
俺っちの指先が雀の羽先が触れ合い、お互いに親指をグッと立てる。
器用な雀だねぇ。
「んじゃま、ピコピコっと」
スマホを取り出し、俺っちは自称最強の弟にメールする。
「何てしているんでチュンか?」
「ああ、俺っちの強ぇ弟、東の大蛇の中で妖怪王に最も近いと言われてるやつにちょいと忠告のメッセージを送ってたのさ。見るかい?」
「東の大蛇の中で最強ってのは蒼明って男でチュンか。拝見させてもらうチュン」
===================================================
いよう、蒼明、元気でやってっか。
お前さんの言ってた北の迷い家だがな、北陸から勢力を南下させてるって話を聞いたぜ。
お前なら心配いらんと思うが、一応、警戒しといた方がいいぜ。
何なら、俺っちも力になるからよ。
あと最近、きな臭い噂を耳にしたぜ。
人間をさらったり、人質にするような”あやかし”の勢力があるって噂さ。
お前さんは人間の知り合いも多い。
いらんトラブルにならんよう、気い付けな。
===================================================
「……ひょっとして弟に迷い家を倒させようとしていないでチュンか?」
「いやいやいや、これは可愛い弟を気づかう兄としての忠告のメッセージさ。これを見て、蒼明のやつが自ら北陸に偵察に行くことなんて、これっぽちも期待していないからよ」
ニヤリと口の端を上げ、俺っちはわざとらしく手を振る。
「さっきの龍王島の出来事といい、この弟へのメールといい、本当に怠け者でチュね。ちったぁ、自分で働いたらどうでチュンか?」
「いいじゃないか。首尾よく進めば、お前さんの墓へ安心して参れるようになるからさ。あとはのんびり酒でも飲んで待つとしようや」
俺っちの言葉にあきれたのか、雀は溜息をひとつ。
「約束でチュからね。上手くいったならお前さんの野望とやらに協力するでチュよ」
「おっ、さすがは中古三十六歌仙にも数えられた実方さんだぜ。実に誠実で男らしい。いよっ、この平安鳥貴族!」
「事が上手くいったらでチュから」
俺っちのお世辞に全く動じない様子で雀が言い捨てる。
「心配しなさんな。きっと上手くいくさ」
そして、俺っちは雀を肩に乗せ、海原を渡りながら言葉を続ける。
「俺っちの弟はすげぇんだぞ。俺なんかよりもずっとな」
雀は再び溜息をついた。
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