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第五章 遠征する物語とハッピーエンド

鬼道丸と失敗チョコケーキ(その1) ※全4部

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 「なあ珠子はん、珠子はんはお客さんやなんやから、そんな飯炊き女のような真似をせんと」
 「でも、酒呑さんとの賭けの結果ですから」

 ここは京都大江山の一角、惑いの術のかかった屋敷。
 屋敷の主は酒呑童子。
 その酒呑童子さんとの賭けにあたしは痛み分けをした。
 その結果、ここで滞在中はあたしが料理する事になっている。
 
 「ままま、それはそれや。珠子はんは酒呑の分だけ作っとんたらええ。その代わり、珠子はんの分はウチらがちゃんともてなすから」
 「そうですか、それなら酒呑さんの分を作ったら、後はお任せしますね」

 あたしは、ちゃっちゃっと酒呑童子さんの夕食用にうどんを茹で、卵黄とチーズであえる。
 うどんカルボナーラのでっきあっがりー、かんたーん!
 酒呑童子さんの体調は完全には回復していない。
 だから、比較的消化のいいメニューにしているのだけれども、そういったメニューは実はあまり手間がかからない。
 手がかからなくても美味しい料理はいっぱいありますけど、あたしとしてはちゃんと料理したい。
 具体的にはこの大江山の山の幸を堪能して、さらには『酒処 七王子』の新作メニューの試作も兼ねたいのだ。
 うーん、休暇の旅行中くらいは料理するより食べる専門にしたいんだけど、いつものルーチンワークが無くなると、ちょっと手持ち無沙汰よねぇ。
 そんな事を考えながら、うどんカルボナーラをお盆に乗せて、あたしは寝殿の廊下、ひさしを歩く。
 
 「酒呑さん、夕餉ゆうげをお持ちしました」
 「うむ、入れ」

 失礼しますと母屋に入ると、酒呑童子さんは御帳の中で気だるげに脇息に半身を預けていた。

 「お加減はいかがですか?」
 「夜だからな、だいぶ良い」

 酒呑童子さんの身体の中には、まだ少しの神便鬼毒酒しんべんきどくしゅが残っている。
 なので、妖力ちからが弱まる昼間は少し体調が悪いみたいだけど、夜は逆に元気が出る。

 「そうですか。それは良かったです。では、今晩の夕餉ですよ。じゃーん、”うどんカルボナーラ”! うどんに卵黄と生クリームとチーズで作ったソースを絡めました」

 あたしは御帳の中に入り、プレートに盛ったそれを見た時、彼の顔が緩んだ。

 「ほほう、これはうまそうだな。小分けになっておるのか」
 「はい、小分け蕎麦そばのように一口大に盛りました。どうぞお召し上がりください」

 そう言ってあたしはフォークを差し出す。

 「ほう、西洋の突きさじか、フォークとかいったな」
 「うどんははしで食べる物、カルボナーラはフォークで食べる物。では、この”小分けカルボナーラうどん”はどっちで食べるべきか少し悩みましたが……ここはフォークが良いかと」
 「そうか、異国の食器は手馴れぬが、珠子がそう言うのなら……」

 スッとフォークが渦巻きを描く麺の中心を突き刺し、クルリと半回転をして彼の口に入る。
 
 「ほう、これは黄身の甘味とチーズの淡い酸味が麺にからんで、胡椒のピリリとした刺激も心地よい」

 ひと玉目をペロリと平らげると、続けて彼のフォークはふた玉目を絡めとる。

 「これは、先ほどのより濃厚な味わい! 塩味が効いていて麺と良く合う!」

 ふっふっふっ、酒呑童子さんが驚くもの無理はない、あの小分けうどんのソースに使われているチーズは、ひと玉ごとに違うの。
 最初のはドイツのフレッシュチーズ”クワルク”。
 フレッシュチーズ系の中では酸味が強いチーズ。
 これは伝統的な製法ではレンネットを使わず、クエン酸、つまりレモンなどの柑橘類の搾り汁で作っていたので、非常に酸味が強い。
 ま、今回使ったのは近代的な微生物由来のレンネットを使った物だから酸味は抑え目ですけど。
 そして、ふた玉目は白カビチーズの代表選手”カマンベール”を使ったソース。
 濃厚な味わいと塩っけが、うどんの小麦の味にベストマッチ!
 そして次の玉には……
 
 「これは!? さらに濃厚なチーズの味なのに、胡椒とは違うピリピリっとした刺激が食をさらにそそる!」
 「3つ目の玉には青かびチーズの”ゴルゴンゾーラ”を使っています。ともすれば甘味すら感じる中にピリリっとした刺激は青かびチーズの良さですよね」
 「うむ、うどんという単調な味の中にも変化を入れ食欲をそそらせるとは、さすが俺様が見込んだ珠子だ」
 「ありがとうございます。さあ、上の段もどうぞ」

 このプレートには横に3つ、縦に2つ、計6つの小分けうどんが盛ってある。
 ソースの色をみれば、上の段と下の段は同じ物に見えるんですけど、そこにも工夫を加えるのがあたし流。
 
 「なんだ、その含み笑いは?」

 あらいけない、あたしのニヒヒとした笑いに気付かれちゃったみたい。

 「いいえ、何でもありませんよ。さ、冷めないうちにどうぞ。冷めるとチーズが固くなってしまって口当たりが悪くなりますから」

 あたしが思うに、この小分けカルボナーラうどんは夏向きの料理。
 小分けにすることで冷めやすくなったこの料理は、冷めると不味くなるカルボナーラと相性が悪い。
 それを補うのが夏の気温なの。
 そんなあたしの主張に背中を押されて、彼は上の段のうどんを口にする。

 「これは……甘い!?」

 彼が驚くのも当然。
 だって、上の段のソースには蜂蜜を少々加えたんですから。

 「へへー、実はチーズに蜂蜜をかけて食べるのは一般的なんですよ。甘味と塩っけが見事なマリアージュを演出してくれます。そして、炭水化物に甘味は良く合います。先ほどと同じようで違う、そんな”隙を逃さぬ二段構え”! どうですかお味は?」

 彼の返事は素早い三段突きで消えていく3つの小分けうどんが物語っていた。

 「流石は粥で俺様の舌をうならせただけの事はある。しかし、これだけの種類のチーズをよく手に入れたな」
 「最近はアソートという形で複数のチーズが入った物がパックで売られていますから。ま、ワインのおつまみ向けにですけどね。昨晩の”ボス復活祭り第二弾”の残りを拝借しました」

 その”残り物”という言葉に、彼の眼付が鋭くなる。
 
 「ほう、俺様に残り物を食べさせるとは、いい度胸だな」
 「ええ、残り物には福がありますから」

 あたしは彼の言葉を軽く受け流す。

 「ふん、食えない女め」
 「ええ、あたしは食わせる女。ま、食わせもんの女ですかね」
 
 そう言って、あたしは空になったプレートを指さす。

 「くくく、やはり珠子は面白いな。茨木や熊たちもこれくらいの小気味の良い返しが欲しいものだ」

 あたしは知っている。
 彼はかつて京の町を震撼させた酒呑童子だけど、その本質はおとぎ話のような残酷で残忍で理不尽な存在じゃない。
 彼が何か強く出る時は、それに真正面から立ち向かえば、それにちゃんと向き合ってくれる。
 つまるところ、彼は真摯しんしなのだ、何事においても。

 「ところで珠子、お前の分は? 俺様ひとりで食べてしまうのも味気ない。一緒に食べようぞ」

 自分だけが食べている事に気付いたのか、酒呑童子さんがあたしを誘う。
 
 「お気遣いなく、もうじきあたしの分は茨木童子さんが作って下さいますから」

 ポトリ

 フォークが床に落ちた。
 酒呑童子さんの目のクマがさらに濃くなったような気がした。

 「それに今日は四天王のみなさんもお手伝いして下さるそうで……」

 ゴトン、ゴトッ

 彼の肘が脇息から滑り落ち、畳と音を立てる。

 「そ、それは誠か?」
 「そうですが、それが何か?」

 彼の顔が青ざめる。
 数日前の神便鬼毒酒しんべんきどくしゅに侵されていた時よりも青く。

 「たたたた、たまたまたまたま、たまこ、珠子! 今すぐ台盤所へ戻れ! いや、戻るな! ここに俺様の側にいろ! そうだ、それがいい、そうすべきだ!」
 「ど、どうされたのです? そんなに動揺して」
 「あいつらが厨房に入るとロクな事にならぬ!」

 酒呑童子さんがそう言った瞬間、ポンいう何かが弾ける音と『ピギャー!』という四天王さんたちの声が聞こえた。

 ◇◇◇◇

 「どうした!? 何があった!?」
 「すごい音がしましたけど、お怪我はありませんか!?」

 酒呑童子さんとあたしが台盤所へ駆け込んだ時、台盤所の中は……油まみれだった。

 「ああ、珠子はん。へーきやへーき、煮えたぎった油よりウチらの防御力の方が上やさかい」

 そう言って茨木童子さんが明るく笑う。
 
 「そ、そうですか……それはよかったです」

 よかったけど、よくはない。
 こりゃ部屋の掃除が大変だわ。
 
 「珠子の姉御、ごめんなさいクマー」
 「いいのよ、怪我が無くって良かったです。何があったか説明してくれますか」

 部屋の惨状を見る限り、油に水でも落としちゃったのかしら。
 
 「きっかけは金熊が夕食にゆで卵を作ろうって言いだした所クマー」
 「うんうん、ゆで卵は簡単な卵料理ですが、定番でおいしいですよね」

 「熊たちは珠子の姉御のために出来るだけ早く作りたかったカナー」
 「うーん、残念だけどあたしもゆで卵を早く作る裏ワザは知りません。電子レンジで火加減を見ずに作る方法ならありますけど」

 「そこで星熊が気付いたトラ! より高い温度の液体に生卵を入れれば早くゆであがると!」
 「へ? ちょ、ちょっと待って、理解が追いつきそうで追いつきません」

 「熱伝達ねつでんたつスター! かのアイザック・ニュートンの冷却法則に基づく科学スター! ふたつの物体の温度差が大きいほど、時間あたりに伝わる熱量は増えるスター! つまり、早くゆであがるスター!」
 「ニュートンの冷却法則は人類の叡智で間違ってませんけど、それは料理でやっちゃダメなやつです!」

 「そこで煮えたぎった油に生卵を殻のまま入れたクマー! そうしたら……」

 うん、何が起こったのかは想像できました。
 同じく状況を理解した隣の酒呑童子さんの顔が怖いですけど。

 「ところが、どっこい大爆発!!」
 「いったいどうしてこうなった!?」
 「あ、どうしてこうなった?」
 「ああ、どうしてこうなった?」

 そう言って四天王のみなさんはトンチキな踊りを踊った。

 「お前らー! 俺様の客人に迷惑をかけるんじゃなーい! 掃除だー! 掃除をせんかー!!」
 「「「「うわーん!」」」」

 そして、酒呑童子さんに怒られた四天王のみなさんは、それからしばらく台盤所の掃除をする羽目になったのです。

◇◇◇◇

 リリリリリと夜のとばりに虫の鳴く音が聞こえる。
 台盤所の片付けも終わり、あたしもそろそろ休もうかと思っていた頃、

 「珠子の姉御、ちょっと相談したい事があるクマー」

 月明りの陰の中から熊童子さんの声が聞こえた。

 「いいですよ、どうかされました?」

 いつも能天気で一緒にいる大江山四天王のみなさん。
 それが単独であたしの所にやってくるなんて珍しい。

 「ちょっと逢って欲しい”あやかし”がいるクマー」

 そう言って熊童子さんは手を合わせてあたしにお願いのポーズを取る。

 「わかりました。その方はどちらに?」
 「いま、連れて行くクマー」

 へ? 
 そう思ったのも束の間、あたしはひょいと熊童子さんの頭上に抱え上げられ、猛スピードで夜風の中を疾走し始めた。

 「ちょ、ちょっと、どうしてこんな体勢なんですかー!?」

 あたしの疑問の声の下でガサガサガサと草がかき分けられていく。

 「鬼が女の子をさらう伝統的な持ち方クマー。こうすれば草で肌に傷が付かずに済んだり、虫刺されも防げるクマー」

 あら、そう言われてみればそう。
 青いススキの葉ってギザギザしていて露出した肌を切っちゃうのよね。
 
 「女の子の肌に傷をつけると、ボスに怒られるクマー。虫刺され跡もクマー。ああ見えて、ボスは女の子には優しいクマよ。もちろん熊たちも」

 久しぶりに扱いされるとちょっと嬉しい。
 世間ではアラサーになると見る目が変わっちゃうから。
 
 夜のドライブは10分程度で終わり、あたしはひなびた一軒のいおりの前に着く。

 「若―! わかー! 開けて下さいだクマー」

 熊童子さんがドンドンと扉を叩くと、それはガラッと開き、中から一体の鬼が現れた。
 その痩躯そうくはスラリと伸びた長身で、切れ長の目に長い睫毛まつげ、頭に二本の角がなければ、グラビアアイドルと言っても通用するくらいの美男子。
 あれ? あの顔立ち、何だか酒呑童子さんに似ている?

 「熊殿か。こんな夜更けに人間を連れて何用か?」
 「ボスのお気に入りの珠子の姉御を連れてきたクマー。姉御に頼んでボスに取りなしてもらうクマー」

 その美男鬼はあたしをちらりと見ると、

 「そうですか。あなたが噂の珠子殿ですね。立ち話も何ですから、奥へどうぞ」

 うやうやしく礼をして、あたしたちを庵に招き入れた。
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