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第五章 遠征する物語とハッピーエンド
酒呑童子とお粥(その1) ※全5部
しおりを挟む「マズイ! こんなものが食えるか!!」
ガシャーンと皿が宙を舞い、その中身が床にぶちまけられる。
「すみません、別のを持ってきます……」
こぼれ落ちたお粥を拭きながら、あたしは言う。
ぐぬぬ、茨木童子さんの頼みじゃなきゃ、こんな食べ物を粗末にするやつ……。
「なんだ、その目は!? こんな砂のような味の料理を作りやがって! お前も料理人の端くれなら、俺様を満足させるような料理を持ってこい! 醜女!」
あたしの視線の先に居るのは青白い顔で目の下に大きなクマのある少年。
見た感じでは橙依君と同じ中学生くらい。
うーん、睨みつけるような眼光じゃなければ美少年にも見えるのに。
「クソッ、また頭が痛む。おい茨木! 酒だ! 酒をもってこい!!」
「はーい、今いくで酒呑」
こぼれ落ちそうな大きな乳房を揺らしながら、ひとりの美鬼が酒瓶を持ってくる。
「ほら、綺麗な顔をそんなに歪めんと、折角のお酒がようなくなるで」
「うるさい、いいから注げ」
「はいはい」
トトトと竹の酒杯に酒が注がれ、少年は一気にそれを飲み干す。
「珠子はん、ここはウチに任せて、熊たちの面倒みたってや」
「はい、ありがとうございます」
あたしがここに来て三日、未だ彼にはあたしの料理を食べてもらっていない。
いつも一口目で吐き出されてしまう。
彼の名は酒呑童子、この大江山の首魁。
かつて、京の町を震撼させた日本三大妖怪に名を連ねる大妖怪です。
◇◇◇◇
「珠子の姉御、どうだったクマ―?」
「ボスは食べてくれたカナー?」」
台盤所と呼ばれる平安時代風の台所に戻ると、熊童子さんと金熊童子さんがあたしを出迎えてくれた。
この台盤所は当時の意匠を踏襲しながらも、電源がガスが通っているなど設備は近代的。
「ダメでした……。うーん、今回のは自信があったのに……」
「姉御の粥はこんなに美味しいのにドラー」
パクパクと匙を口に運びながら言っているのが虎熊童子さん。
「蓮の葉から出たクリーム色が美しかったのにスター」
空っぽになった蓮の葉粥の皿を眺めているのが星熊童子さん。
四鬼合わせて、大江山四天王。
ちょっと愉快な語尾は主にあたしのせい。
かつて、彼らが『酒処 七王子』に襲来した時、キャラ付けとしてあたしが提案した語尾付けが定着したみたい。
あたしがここに来た時、大江山の一角に隠れるようにその屋敷はあった。
寝殿造と呼ばれる平安時代の貴族の邸宅、それが茨木童子さんたちの棲み処。
惑いの術がかかったそこには、相当に高い霊力があるか、招待された人しかたどり着けない。
あたしは後者、金熊童子さんの案内がなければ、きっと迷っていた。
そして、通された寝殿で待っていたのが酒呑童子。
御帳の中で、頭を押さえながら脇息と呼ばれる古風なひじ掛けに上半身を預けていた顔色の悪い少年、それが酒呑童子。
最初は『うわー平安時代の天蓋付きベッドの御帳だー!』なんてテンションがあがったりしたけど、酒呑童子の最初の言葉であたしの高揚感は一気に怒りに変わった。
『なんだ醜女ではないか、兄たちの趣味がブス専であったとは』
そんな事を言われて黙っているあたしじゃない。
『ふざんけんあ! あたしはどうだか知らなけど、みなさんのエロ本の趣味はかなり面食いなんだから!!』と大喧嘩!
終いには『醜女でも飯炊きくらいは出来よう、何ぞ持ってこい』、『はっ、あたしの腕に惚れんなよ!』と売り言葉に買い言葉。
それから何度も料理を作って彼にもっていったのだけど……あたしは未だに彼の舌を満足させるどころか、一口も食べてもらえていない。
食べても『苦い、食えたもんじゃない』、『石でも舐めているようだ』、『ゴム手袋でも皿に盛っておるのか』なんて言われる始末。
青白く細い体に目のクマを見れば彼が健康じゃないのはわかる。
だから病気の時に食べる消化が良くて柔らかい料理を作り続けているのだけど、今日もダメだった。
彼が口にするのはお酒だけ。
それも茨木童子さんの酌に限る。
「珠子の姉御、元気出すクマ―」
「そうそう、ボスはちょっと体調が悪いだけスター」
「元気になったら、きっと元の明るい快男児に戻るトラ!」
「きっと、まだ神便鬼毒酒のダメージが抜けてないカナー」
四天王のみなさんがあたしを慰めてくれる。
そうよね、あたしも体調が悪くなったら機嫌が悪くなったり、食事が美味しくなくなったりする。
神便鬼毒酒は源 頼光の酒呑童子退治に登場するお酒。
人には薬に鬼には毒になるお酒。
それを呑んだ酒呑童子とその配下の鬼たちは、妖力を充分に発揮できず討たれてしまった。
「でも、ボスが復活して十年、そろそろ元のボスが恋しいクマ―」
「えっ!? そんなに長い間、酒呑童子さんの体調は悪いままなのですか?」
「そうトラ。本来は幽世で十分休んでから復活するトラ」
「だけど、姐さんが恋しさのあまりに復活の召喚を行ったのスター」
「そのせいで、ボスはあんな状態になっちゃったカナー」
そういえば、前に茨木童子さんが『酒処 七王子』に来た時に聞いた覚えがある。
酒呑童子さんの復活した最初のひと言が『完全復活じゃない、手抜きめ』だったって話を。
「よけいなことは言わんでええ、ウチも軽率だったと反省しとる」
カタッと音がして、台盤所の引き戸が動き、茨木童子さんが戻ってきた。
「姐さん、ボスはどうカナー?」
「今は眠っとる。うなされながらな」
朝が来ると酒呑童子さんは眠りにつく。
だけど、その寝顔は歪み、時おり体を曲げてお腹の痛みをこらえるように、その身体を抱く。
「やっぱりウチがまちがっとったんかな……、あんな苦しむ酒呑はもう見ておれん。いっそ……」
ふう、と溜息をつきながら茨木童子さんが言う。
「そ、それは駄目クマ―!」
「それだけはやっちゃいけないトラ!」
熊童子さんと虎熊童子さんが慌てた顔で茨木童子さんの両手を握る。
「ああ、冗談や、冗談。ウチが酒呑にそんなことするわけないやん。……でも、ウチもちょっと疲れとるみたいや、先に休ませてもらうで。ごめんな珠子はん、あんまりかまえんで」
「いえ、茨木童子さんもゆっくり休んで下さい……」
カタリと引き戸が閉まり、茨木童子さんは自室に戻っていった。
「ねえ、みなさん。さっき茨木童子さんが言っていた『いっそ……』って、もしかして……」
あたしはそれに心当たりがある。
ううん、この京都までの旅路で、それが何か知ってしまった。
「さすが珠子の姉御は察しがいいカナー」
「それは……ボスを再び幽世に送る事だスター」
やっぱり!
「ダメです! ダメです! 茨木童子さんは酒呑童子さんの恋人なんでしょ!?」
「そうクマ―、ボスは姐さんのいいひとクマ―」
「ちっちゃい時からの幼馴染ってやつカナー」
”お化けは死なない” それは国民的な妖怪作品でも歌われている言葉。
だけど、日本各地に妖怪退治の逸話は数多く伝わっている。
”お化けは死なない”、それは正しい。
だけど、それは現世で命を失っても、幽世で長い長い休息を取れば再び現世に復活できるという方がより正しい。
あたしは、幽霊列車での死神のアズラさんとの雑談からそれを聞いていた。
茨木童子さんの『いっそ……』は、いっそ自分の手で再び酒呑童子さんを幽世に送るという意味。
それは、現世で彼を殺すという事。
そんなのダメ! 愛する相手を手にかけるなんてダメに決まってる!
あたしは自分が正義の味方なんて思った事はない。
だけど、これだけは自信を持って言える。
あたしは、茨木童子さんの友達で、恋する女の子の味方なの!
ガサッ
あたしは旅路の相棒となった大型リュックを背に担う。
「珠子の姉御、どこに行くカナー?」
「ものすごい気合だクマ―」
「瞳に星が……プロミネンスの炎が見えるスター」
「恋敵を相手にした姐さんにも似た目だトラ!」
四天王さんがあたしの顔を見て言う。
「ちょっと街までお買い物。大丈夫、酒呑童子さんが目覚める前には帰ってくるわ!」
そう言ってあたしは歩き出した。
決意と覚悟を胸にして。
◇◇◇◇
スパーン
御簾を豪快に上げ飛ばし、あたしは寝殿の中、酒呑童子さんの部屋である母屋に入る。
「さかしいぞ、飯炊き女。俺様はまだ眠い」
時刻は夕暮れ、あたしは大荷物をドスンと床に落とす。
畳の床じゃない、木の床。
畳は酒呑童子さんの布団が敷いてある御帳の中だけ。
「嘘をおっしゃらないで下さい。ろくに眠れていらっしゃらないのでしょう」
いや、眠いのは本当かもしれない。
だけど、彼は眠れていない、目のクマがその証。
原因は……
「だったらなんだというのだ! お前が俺様をぐっすり眠らせてくれるとでも言うのか!? まあ、その貧相な胸を枕にして寝れば少しは気持ちよく眠れそうだがな」
「いいえ、あたしは食事を作る事と、家事を少々しかできません」
「お前の料理なぞ、口に合わぬ! まだわからぬのか!?」
この3日間、あたしの料理は彼の喉を通る事はなかった。
「あたしに最後のチャンスを下さい」
「チャンスだと……そうか! お前自身を俺様に差し出すというのか!? よいぞよいぞ、乙女の生き胆ならば俺様の喉を通るやもしれぬ」
「違います」
「違う!? そうか……夜伽という意味で喰らうて欲しいのか!? まあ、茨木のやつは怒るかもしれぬが、よかろう。それなら俺様の食指も動こうというもの」
「それも違います」
この酒呑童子さんも『酒処 七王子』のみなさんと同じく八岐大蛇の息子。
みなさんオープンだったりムッツリだったりするけど助平な気質は変わらないわね。
いつか親の顔がみてみたいわ。
「だとしたら……本当に料理を食べさせたいだけなのか?」
「はい、賭けをしましょう酒呑童子さん。これから5日の間に、貴方があたしの食事を一度でも完食すればあたしの勝ち。召し上がらなければ貴方の勝ちです」
「賭けだと? 負けたらどうする」
「その時はこの身をお好きになさって下さい。具体的には凌辱の限りを尽くしてもらって結構!」
あれ? なんか以前にも似たような事を言ったような気がする。
「ほう、俺様の身体の虜になったお前を兄たちに見せつけるのも面白そうだ……」
「その代わり、この5日間は貴方の体を好きにさせて頂きます」
「いいだろう」
そう言って酒呑童子さんはニヤリと笑った。
あたしは初めてみた、彼の口の端が少し上がる顔を。
でも、その表情は数秒後に驚愕に歪むことになる。
パチン
あたしが指を鳴らすと、格子の一点に光が灯り、そこから横に伸びた光の線が寝殿を覆う。
「お前!? 何をした!?」
「慈道さんから頂いたあやかし避けの護符で結界を張りました。さあ! ここから5日はふたりっきりです!」
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