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第五章 遠征する物語とハッピーエンド

泥田坊とおこげごはん (中編)

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◇◇◇◇

 「うーん、レトルトカレー、レトルトカレーねぇ……」

 レトルトカレー、その手間暇や料理テクや豪華さとは程遠い料理の響きにノラさんは言葉を濁す。

 「いやー、近くに飲料に使える湧き水があって助かりました」
 「昔はポリタンクにみ来る人もいたんだけどね。ちょっと山に入るのが不評だったみたいで、今ではすっかり廃れているのよ」

 あたしは鍋に水を汲み、そして山からたきぎに使えそうな小枝を採ってくる。
 手頃な大きさの石を組み、その上に金網を敷いて、鍋を置けば完成! かんたーん!
 
 「こんな小枝で大丈夫なの? もっと火力の出るまきとかが必要なんじゃない」
 「大丈夫ですよ、湯が沸きさえすれば万事オッケーです」

 そう言っている間にあたしの前で鍋の湯がポコポコと沸く。

 「はい、ここでお米を投入! じゃばー」
 「へっ!?」

 洗米もぎもしないあたしの行為にノラさんの目が丸くなる。
 そんな彼女を傍目に投入されたお米は鍋の中でグルグルと踊る。

 「あとは5分ほど煮続けて、ふたをして下ろしまーす。ノラさんレトルトカレーの準備はいいですか?」
 「う、うん、片手鍋に入れたけど」

 レトルトカレーのパウチは片手鍋の中にポツン。

 「それじゃ、ちょっと下がって下さいね。熱湯が来ますから」

 あたしは両手の鍋つかみで鍋を持ち上げ、その鍋の蓋を少しずらすと片手鍋の上で傾けた。
 
 「はいジャバー、ジャバジャバー」

 蓋の隙間から熱湯がこぼれ落ち、レトルトパウチの上でねながら片手鍋を満たしていく。

 「はい終わりー。あとはレトルトが温まる間に、このまま鍋を数分蒸らせば完成!」
 
 ザッザッと土をかけ、あたしは簡易かまどの火を消す。

 「そんなに簡単に!? 本当に炊けてるの!?」
 「はい、これはジャスミンライスですから。あ、ジャスミンライスってのはタイ米の中でも最高級の香り米の事で、ほのかに甘い香りと味が特徴なんですよ」
 「ほんと、なんだかいい香り!」
 「ほほう。これは少々懐かしい……」

 鍋の蓋の隙間から、日本の米とは違う芳香が漂う。
 炊き立てのお釜のご飯とは違う、だけど心と胃袋に訴えてくる香り。
 
 「レトルトカレーもいい感じに温まったみたいですし。さっ食べましょう! ジャスミンライスで食べるスパイシーカレーは最高ですよ」

 あたしは皿にジャスミンライスを盛り、その上でパウチを開く。
 黒茶色のソースの中からゴロゴロとした肉の塊がその存在感と質量を主張しながら落ちる。

 「わぁ! おいしいそう!」
 「へへー、これは復刻した新幹線食堂車で出されていたものなんですよ。さっ、頂きましょ」

 あのイールさんが復刻させた新幹線食堂車。
 そのメニューはあたしの予想通りレトルト主体だった、それも現世うつしよで購入したもの。
 まあ、設備があっても死神にそれは使いこなせませんし、本場のフランスではコース料理の冷凍食品やレトルトが普通に販売されているから、それを買って使うのが効率的っていうイールさんの主張はごもっとも。
 
 『フランスではこのレトルトコース料理が一般的なんですのよ』
 
 彼女はそう言っていたが、それは10年くらい前の話で、今はシェフがちゃんと手作りしたコース料理が復活している。
 それがレストランのになったの。
 そりゃま、SNSなどで内実をばらされる時代になったら、ちゃんと作らないとねー。
 それでも、レトルトにはレトルトの良さがある。

 「あっ、このお肉、すごくおいしい!」

 ノラさんが歓喜の声を上げる。
 
 「へへー、これはゴロゴロお肉たっぷりの欧風カレー! スパイスの味がしっかり染みていて、肉の繊維がホロホロと崩れる食感! これはレトルトじゃなければ出せませんよ!」

 鍋で味を染み込ませるには限界がある。
 だけど、レトルトにする事で、その限界は突破できるのだ! デデーン!

 「このジャスミンライスも良い味じゃ。昔、味わったような味……そして、このカレーとやらは塩とは違う刺激で米の味を引き立てておるの」
 「そうですね、泥田坊さんは憶えてらっしゃるかと思いますが、このお湯に米を入れてお湯をこぼす方法は”湯取り法”と言いまして、昔はこっちの方が主流だったって話ですよ。お釜やそれで炊く技術が普及していない戦国以前の話ですね。この『湯取り法』は東南アジアやインドなどでは今も主流です。というか、日本のような炊く方がマイナーかもしれません」

 日本の炊き方は”炊き干し法”。
 これは水で煮ながら、水が減ったら蒸す状態になる炊き方。
 お米のツヤや粘りが出るが、日本の米のような短粒種たんりゅうしゅでないと、その長所が活かせない。
 逆に”湯取り法”はタイ米のような長粒種ちょうりゅうしゅに向く。

 「昔、日本でひどい旱魃があった年にタイ米が輸入された時はこの湯取り法が広まっていなかったため、タイ米はマズいと言われたりしましたが、正しい方法とそれに合った料理を合わせれば、その美味しさは折り紙付きです」
 「いやー、おいしいわこれ」
 「うむ、やはり米の飯の良さは万国共通だな……」

 カチャカチャとスプーンと皿の打ち合う音を響かせて、ふたりはカレーをたいらげる。

 「そこです! お米の人気は万国共通! このカレーも元はインドが発祥! そこから英国イギリスに渡り、日本に輸入されたのです! グローバル化ですよグローバル化! 泥田坊さんもグローバル化してみませんか!?」
 「グローバル化とな?」
 「はい、ここの棚田はもはや手入れする人は居なくなってしまいましたが、世界全体ではお米の消費量は伸びています。小麦が主体の欧米でもノングルテンとかアレルギーを起こしにくいという理由でお米の人気が高まっています。泥田坊さんは、これから世界の田んぼを守ればいいんですよ!」

 残念ながら日本の人口は減少中。
 都市化も進み、この農村も人は減るばかり。
 だけど、世界的に見れば、お米を愛する人は増えているの。

 「そうか、世界の田んぼか……」

 昼さがりの抜けるような青空を見ながら、泥田坊さんがつぶやく。
 その隻眼の輝きが少し増すように見えた。
 
 「泥田坊……いってしまうの」

 あれ? ノラさんは逆に少し寂しそう。

 「珠子殿……」
 「はい!」
 「ありがとう、お米の未来は世界的に見れば明るいとわかって、少し元気が出ました」
 
 空になったお皿と差し出して、泥田坊さんは頭を下げる。

 「それじゃあ!」
 「じゃが……儂はこの地が好きなんじゃ。この地に生きる人と田を盛り立てるのが好きじゃったんじゃよ。だから、儂はここを離れん。なぁに、世界には米を愛する後人が育っておると気付けただけで十分じゃ。儂はこのまま、ここを守り続けよう。次にこの地を愛する人が現れるまで」
 
 そう言って泥田坊さんは再び遠くを眺め始めた。

 「私もね、本当は凱旋でも里帰りでもなく、ただ故郷ふるさとに帰りたいって気持ちがあるの。あの”帰去来の辞ききょらいのじ”みたいにね」

 カレーを食べ終え、スプーンを置いたノラさんも呟く。

 「帰去来ききょらいって、陶 淵明とう えんめいうたですか?」
 「ええ」

 そう言い終えると、彼女はその唇から流暢にうたい始めた。

====================================

 歸去來兮 (さあ、故郷ふるさとに帰ろう)
 田園將蕪胡不歸 (故郷ふるさとが荒れ果てている今、帰らずにはいられない)
 既自以心爲形役 (仕事と金の奴隷となって心を殺してきた日々)
 奚惆悵而獨悲 (そんな事をひとり悲しむ必要なんてない)
 悟已往之不諫 (大丈夫! 道を間違っていたのに気づいたのなら)
 知來者之可追 (これから正しい道に戻ればいい)
 實迷途其未遠 (道を間違えてしまったけれど、引き返せないほど遠くに来たわけじゃない)
 覺今是而昨非 (昨日までの私が間違ってたのに気付いたから、さあ! やり直そう)
 舟遙遙以輕揚 (旅立ちの船は私の心のように波に揺れて踊り)※揚は正しくは風へんに易
 風飄飄而吹衣 (風は爽やかに私の服を撫でてくれる)
 問征夫以前路 (これからの道のりを行き合った旅人にたずねる)
 恨晨光之熹微 (朝ぼらけで先がよくみえないのが、ちょっと辛い)
 ※超意訳

====================================

 それは4~5世紀の中国のひとりの詩人のうた
 著は陶 淵明とう えんめい
 彼が役人としての人生に疲れ、故郷での晴耕雨読せいこううどく隠遁生活いんとんせいかつに戻る時の心境のうた

 「私も故郷ふるさとで暮らしたいわ。だけど、やっぱり気になっちゃうの、経済的な面が。そこが陶 淵明とう えんめいと違う所ね」
 「いえいえ、陶 淵明とう えんめいも詩の中で将来の不安を朝ぼらけに例えているくらいですし、ノラさんがそう思うのも無理ありません」
 「この棚田や畑だけで生計を立てれるといいんだけど、それはちょっと難しいわ。兼業でやるには手間がかかり過ぎちゃうし」

 ここが平地の広大な田んぼだったら専業で生計を立てるのも可能だと思う。
 だけど、ここは棚田。
 農耕機ではやり切れない部分や入れない所もあるし、生産物の輸送も大変。

 「もっと金になって手間もかからない、しかもこの棚田を改造せずに栽培できる作物でもあれば別なんだけどね」

 そんな物はない、そんな諦めにも似た口調でノラさんは言う。
 あたしもそう思う、そんな作物なんて無い。
 せめて近いものでもあれば……
 
 ヒュウ

 風は爽やか、それに揺れて波打つ草々。
 この棚田が生きていれば、季節が秋なら、ここは一面の黄金の穂に満ちていたかもしれない。
 そんな、かつての風景を思い起こしながらあたしたちは畦道あぜみちに腰を下ろし続ける。
 あれ? あれって!?
 あたしの視界の中の揺れる草の中に、ひとつの穂が見えた。

 ガバッ、ガサガサッ
  
 「ちょ、ちょっと珠子さん。急に立ち上がって、そんな雑草の中に入ってどうしたのですか」

 あたしの背後からノラさんの声が聞こえる。
 確かにここには雑草がほとんど、だけど生えているのはそれだけじゃない。
 まだ未成熟だけど確かに見える穂、それを手に取りあたしは青々しいもみを取る。
 
 「泥田坊さーん、ひょっとして権田さんって近年は別の品種の稲を育てようとしてませんでしたか?」
 「ああ、田んぼの一部で何やらやっておったようじゃが……」

 やっぱり!

 「ノラさん! この近くにバス停があるって言ってましたね」
 「ええ、この農道をまっすぐ行けば公道に出るわ。そこを右に曲がればバス停よ」
 「ありがとうございます! もう一度チャンスを下さい! 今度こそ泥田坊さんが元気が出る料理を作ってみせますね。夕暮れには戻りますので、ここでまた会いましょう!」
 
 そう言ってあたしは走り出す。

 「ちょっとー! バスのダイヤはー!」

 そんなノラさんの声が聞こえた。
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