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第三章 襲来する物語とハッピーエンド

樹木子と胡椒飯(後編)

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 あたしは台所に戻り、準備していたチーズを持ってくる。
 これは調理の必要がない、すぐに出せるもの。

 「まずはフロマージュ・ブランのディップです。クラッカーに乗せてお召し上がり下さい」
 「フロマージュ・ブランって何ですか?」

 白い柔らかいクリーム状のチーズを見て樹木子さんが尋ねる。

 「フロマージュ・ブランはフレッシュチーズの一種で、牛乳にレンテックを入れて固まったタンパク質に重しをして水分を抜いて作ります。お豆腐に似ていますね」
 「へぇ、チーズですか。それではいただきます」
 「それじゃあ、おじさんも」

 パクッサクッっと樹木子さんと緑乱りょくらんおじさんがフロマージュ・ブランを口にする。

 「へぇ、これはまったりとして優しい口当たりですね」
 「うん、お嬢ちゃんの言った通り豆腐、木綿に似ているね」
 「このフロマージュ・ブランはヨーロッパでは赤ちゃんの離乳食にも使われているんですよ。お好みでこちらもどうぞ」

 あたしは蜂蜜とフレッシュジャムの小皿を追加で出す。
 フロマージュ・ブランはそのままでも美味しい、そして蜂蜜やフルーツを入れるだけでもっと美味しくなる。

 「うん、おいしいです」
 「こいつはいけるけど……」

 チラッっとおじさんの目があたしに何かを訴える。
 わかってます、あたしは理解はありますから。

 「そしてここでおじさん待望のお酒です! 珍しい牛乳焼酎『牧場の夢』です! じゃーん!」
 「牛乳焼酎!? 初めて見るお酒だねぇ」
 「全国を旅していた緑乱りょくらん様でも知らないお酒なのですか!?」
 「これが発売されたのは世紀末でしたから。比較的最近の話ですね。焼酎の牛乳割りをヒントに生まれたんですよ」

 そう言いながらあたしはトクトクトクと牛乳焼酎を注ぐ。
 まずはストレートで。
 焼酎や日本酒には果物を思わせる芳香がある。
 この『牧場の夢』もそう、フルーティ。
 だけど、これにはさらに甘いミルクの香りがある。
 あたしの前に子供のころに感じた懐かしい香りが広がった。

 キュッ

 ふたりが『牧場の夢』を口にする。

 「ああ、これはいい。とても優しい味がします」
 「うん、焼酎のストレートは強いはずなんだけど、こいつは軽くて飲み心地がいいねぇ」
 「気に入ってもらえてよかったです。おかわりはいかがですか?」

 軽い口当たりが好評だったのだろう、グラスは瞬く間に空になった。

 「そうですね。次はロックで頼みます」
 「いいねぇ、おじさんはアイスフロートにしてみようか。なっ、お嬢さん、アイスクリーム、愛・Screamスクリーム好きさー」

 おばあさまのコレクションにあった懐かしの流行歌を緑乱りょくらんおじさんが口ずさむ。
 樹木子さんと一緒に働いていた頃の歌なのかしら。

 「はい、ただいま」

 あたしがおかわりを用意すると、それはカランという氷の音とチュルチュルルという唇とグラスの触れ合う音立て、ふたりの口に消えていく。

 「それでは、次のスペシャルメニューです! フライド・モッツアレラ・スティック!」

 ジジジと音を立てて出て来たのはモッツアレラチーズをスティック状に切って、パン粉をまぶして揚げたもの。

 「ああ、これはイイ音だ。それにチーズの良い香りがします」
 「揚げ物と焼酎の組み合わせはバツグンだからねぇ。さっそく頂くよ」

 ザクッ、みょーん

 「あっ、これ伸びます! みょーんみょーんって、面白いです!」
 「モッツアレラチーズは伸びるチーズの主原料にもなりますからね。お好みでケチャップやマスタードもいけますよ」
 「それでは、次はケチャップでいきましょう。おおっ! これはおいしい!」

 血を思わせるトマトの色が鮮やかなケチャップ。
 揚げ物がケチャップと合うのは当然だし、チーズとケチャップの組み合わせは最高なの。
 
 「マスタードもいけるねぇ。こいつはアメリカンだ」
 「これは、アメリカでは前菜として出される事が多いんですけど、このボリューム感ならメインを張れますよね」

 アメリカ料理は味覚の砂漠とも言われるけど、あたしはそう思わない。
 お腹を満足するボリューム感とジャンクさは貧乏舌……もとい庶民舌のあたしにとっても相性がいい。

 「さて、最後はおじさんの胡椒飯のアレンジ! 『ホワイトシチューの柚子胡椒ゆずこしょう飯』です!」

 あたしが出したご飯の上に乗っているのは胡椒は胡椒でも柚子胡椒。
 柚子のさわやかさと青唐辛子の刺激が食欲を促進してくれる一品。

 「ホワイトシチューをご飯にかけるんですか!?」
 「はい、近年はシチュー丼という物もありますし、これが意外とイケるんですよ」

 あたしが急須に入れたのは小麦粉を少な目に、ミルクを多めにしてサラサラ感を増したホワイトシチュー。
 もちろん野菜とお肉を入れて、その旨みもみ込んでいる。
 この急須の中に具は無い、お鍋に残った分は具沢山ホワイトシチューになる予定だ。

 「んじゃあ、さっそく頂くとするけど……柚子胡椒とホワイトシチューとご飯なんて……」

 そう言って緑乱りょくらんさんはコポポポとホワイトシチューと茶碗に注ぎ軽くかき混ぜると、サラサラと『ホワイトシチューの柚子胡椒飯』を口に流し込む。
 
 「では僕も……」

 樹木子さんもそれにならう。

 「あれっ!? おいしいです!!」
 「おおっ! こいつは!? うまい! なぜだかわからないけどうまい!」

 料理は不思議だ。
 『あっ、これ絶対うまいやつー』と思った料理は当然うまい、当たり前。
 でも『こんな組み合わせがうまいはずが……うまい!』というケースも多々あるのだ。
 刺身にマヨネーズやポテサラに納豆、塩辛にチーズなど、きっと世間に知られていない組み合わせだってある。
 料理の世界は無限の広野で、そこの純白の泉に咲く一輪の花!
 それがホワイトシチューと柚子胡椒!

 「はい、意外かもしれませんが汁物と柚子胡椒は良く合います。このホワイトシチューと柚子胡椒の組み合わせは、柚子胡椒の本場、宮崎では結構有名なんですよ」

 そして美味しい汁物をご飯にぶっかけたら何でもうまい!
 ディモールト!(非常に) ディモールト!(非常に) ディモールトベネ!(非常にイイ!) ごはーん!
 珠子はご飯を愛しています!

 「いやぁ、こいつはうまかったねぇ」
 「はい、とてもいいお味でした」

 飯粒ひとつ残らない茶碗が、ふたりの満足を物語っていた。

 「お嬢ちゃん、今日の料理は乳製品ばっかだねぇ。おっぱい尽くしってとこかな」
 「はい、お乳は血液から作られていて、その成分は血液に似ています。なので、これなら樹木子さんのお口に合うと思いました」
 「そうだったのですか。とても美味しかったです」

 ふふん、どうですか、あたしの特製乳製品料理は、これなら血液そのものよりずっと美味しいはずよ。
 樹木子さんは戦場で恨みつらみの込もった血を吸って生まれ、人間の血を吸うようになった恐ろしい”あやかし”。
 でも、あたしの料理で血より普通の料理の方が好きになれば、そんな凶悪なイメージは払拭できるんじゃないかしら。
 さあ! おかわりを!
 そんな期待を込めて、あたしは樹木子さんの次の台詞を待つ。

 「ところで、最初に注文した血液パックはまだですか?」

 そんなあたしの希望を打ち砕くように樹木子さんはいつもの献血パックを所望したのでした。

◇◇◇◇

 「うん、おいしいです。珠子さんの料理もおいしかったですけど、僕にとってはやっぱりこれが一番ですね」

 チューと血液パックをストローで飲みながら樹木子さんが言う。
 
 「まあ、お嬢ちゃんもそんなに肩を落とすなよ。こいつが人の血を吸うのは性分みたいなものだし」
 
 あたしの意図に気付いていたのだろう、おじさんがあたしをフォローしてくれる。
 でもちょっぴり残念。
 『珠子さんの乳料理があれば、もう血なんて飲まずに済みます!』
 そんな言葉を期待していたのだけど、やっぱり現実は甘くないか。

 「こいつはこの血液のためにお金を稼ぐだけじゃなくボランティアもやってるし、思い入れが違うのさ」
 「はい、献血センターでボランティアをやらせてもらっています。その他にも……」
 「あら、街頭で献血の勧誘している人は樹木子さんかもしれないんですね。でもその他って?」
 「あっ!? ごめんなさい。それは忘れて下さい」

 ちょっと焦った風に手を顔の前で振りながら樹木子さんが言う。
 あれ? あの目線の隠れた姿って街で目撃した正義のヒロイン風の男に似ている!?

 「献血ボランティアはお盆と年末が佳境なんですよ。珠子さん知ってます? コミケの献血イベント」
 「聞いた事があります。結構多くのオタクの方が参加されるって話ですよね」

 アニメポスターやグッズを用意したコミケでの献血イベント。
 物で釣るという側面はあるけれど、昨今の少子高齢化に伴う血液不足に一役買っているのは事実。
 オタクという言葉はかつては揶揄やゆの言葉だったけど、あの人たちは行動力のある善意で献血しているのよね。
 ありがとう! みならいたいです!

 「コミケの献血は成分献血じゃなく、主に全血献血なんですよ。だからその時期は僕たちの食事に使われる血液がいっぱい採れるんです。ああ、次のイベントが楽しみだなぁ」

 そう言って樹木子さんは、まるで収穫祭を期待するように夏コミを待ちわびる。
 成分献血は血液から血小板や血漿だけを採る献血で、血液製剤などに加工される。
 それに対し、全血は単純に血液をそのまま抜く献血だ。
 もちろん、血液製剤では血を吸う”あやかし”は満足しない、全血じゃないと。

 「やっぱり樹木子さんにとっては血が何よりのごちそうなのですね」
 
 人間にとってもどんな工夫を凝らしたサラダより、生野菜の方がいいって事もある。
 
 「ごめんなさい、この慈味じみあふれる血の味わいが最高です。でも、この牛乳焼酎は気に入りました。僕はお酒も好きなんですよ。こればかりは血では代用できませんね」
 「ああ、こいつは鎮魂の酒も飲んで生まれた”あやかし”だからね。結構イケるクチさ。俺たちみたいにうわばみじゃないけどね」

 ほんのり顔を赤らめながら樹木子さんはカランと氷の音を立てて、牛乳焼酎を飲み続ける。
 そっか、それじゃあ次回はお酒のチョイスやカクテルでがんばりましょっと。
 やっぱモンゴルの馬乳酒かしら、それとも『ドラキュラズブラッド』という名前のリキュールにしようかしら。

 「……また来てたの」

 あたしたちの声を聞きつけたのか橙依とーいくんが今回も自室から降りてくる。

 「おお! 橙依とーい様! お会いできて嬉しいです! あっ、この間お借りしましたこれ! 大好評ですよ!」

 そう言って樹木子さんが勢いよく立ち上がり、紙袋を頭上に掲げ……たたらをふんだ。

 「あっ! あぶないです!」

 あたしの声は時すでに遅く、お酒に酔って勢いの余った樹木子さんが、ずべっしゃ―っと前のめりに倒れ込んだ。

 「大丈夫ですか!?」
 「え、ええ、大丈夫です」

 あたしは駆け寄り、そして見た。
 転んだショックでぶちまけられたあの紙袋の中身を。

 それは青を基調にしたフリルの付いた変身ヒロインの衣装。
 街で見た『純情! ボクっ娘! ジュンボッコベータ』の衣装。
 橙依とーいくんに似ていると思ったあのヒロインの服。

 ずばっしゃー

 今まで見た事のない勢いで、その衣装の上に橙依とーいくんが覆いかぶさる。

 「み……みた!?」

 顔を真っ赤にしながら橙依とーいくんがあたしを見つめる。
 あー、うんそういう事だったの……
 うん、趣味は人それぞれよね。
 アニメやゲームが大好きな橙依とーいくんが、に興味を持ってもしょうがないわよね。
 うん、見なかった事にしよう。

 「み……見てないわ。アタシハ、ナニモミナカッタ」
 「ナニモナカッタ……ココニハ、ナニモナカッタワ……」
 「ナニモ……」

 「違うから! あれは分身だから! こいつの分身だから! 僕は分身のモデルになっただけだから!」

 橙依とーいくんが何やら必死に訴えているけど、わかってますから。
 わかってますから、あたしは理解がありますから……
 
 「わかってます……ワカッテマス……ワカッテ……」

 あたしは壊れたレコードのように繰り返し言い続けた。
 それが唯一の彼の平穏な日常ハッピーエンドを守る方法だと信じて。

 「わかってない! 珠子姉さんわかってない!」

 橙依とーいくんの悲壮な叫びだけが、あたしの耳に木霊こだましていた。

◇◇◇◇

 いにしえの戦場で、人の恨みつらみの血を吸った古木は恐ろしい”あやかし”『樹木子』と化した。
 では、その『樹木子』が恨みつらみではなく、善意と献身の血を吸い続けたらどうなるのだろう。
 コミケ会場に併設して開催される献血イベントに集まった、大きな良い子の血を吸い続けてしまったらどうなるのだろう。

 『純情! ボクっ娘! ジュンボッコ!!』

 東京のとある町に現れるご当地ヒロイン。
 その正体は……ようとして知れない。
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