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第三章 襲来する物語とハッピーエンド
はらだしとチョコフォンデュ(前編)
しおりを挟む季節は2月、世間の乙女たちが決戦を前に武器の仕入れや手入れに余念がない時期。
この時期の乙女の武器といえば、やっぱりチョコレート。
この『酒処 七王子』でもチョコレートを準備中。
しかも手作り! 作るのは主にあたしと藍蘭さんの乙女同盟。
今、あたしはお店にある製菓用チョコを使って、チョコ作りの試作しているの。
これだけだと足りないので、本番用の材料は藍蘭さんがネットで注文してくれた。
ここの男の子たちはバレンタインを前にみんなそわそわしている。
大丈夫ですよ、ちゃんとチョコはあげますから、義理だけど。
「なあ、甘い香りの珠子さんちょっといいかい?」
「……珠子姉さん、少し相談があるんだけど」
エプロンを腰に巻こうとしているあたしに赤好さんと橙依くんからの声がかち合った。
「なんだ、お前もか」
「……赤好兄さんもなの?」
ふたりの顔が見合わせる。
「聞くが弟よ、その相談事って女の子がらみか?」
「……半分くらい」
「なら、俺のが優先だな。俺の話は100%女の子がらみだからな。女の子の幸せは何よりも優先する。男なら当然だ」
「……わかった、後でいい」
赤好さんの紳士的なレディーファースト理論の前に橙依くんが引き下がる。
「赤好さん、ちなみに両方100%女の子がらみだったら、どっちが優先されるのですか?」
「疑問符の珠子さん、そりゃあおっぱいの大きい女の子の方が優先されるに決まっているじゃないか」
「……橙依くん、話を聞かせてもらえるかな?」
赤好さんのエロ紳士的なレディーファーストを無視して、あたしは橙依くんに話かける。
「ちょ、平坦な珠子さん!?」
失礼な赤好さんがあたしに語りかけてくるけど、あたしはプイと横を向いてそれを無視した。
「……いいの?」
「いいの! あたしは女の子で、あたしの幸せが何よりも優先なの!」
頬をふくらませて、あたしは言う。
「……わかった。相談はね、僕の友達の天野 孔雀、前にも珠子姉さんが会ったことのある天邪鬼のことなんだけど」
なんというストレートな名前!
本性を隠す気あるのかしら。
「ああ、天邪鬼くんね。彼がどうかしたの?」
「……あいつ、好きな子がいるみたいなんだ」
「それは……難儀ね」
天邪鬼はその”あやかし”の特性上、素直になれない、ならない。
そんな彼の恋路は、茨の道を超えた暗夜行路なのは間違いない。
「そっか、状況は理解したわ。でもよく彼に好きな子がいるってわかったわね」
「……あいつとの会話で原田さんの話題がよく出て来るから。やれ『おっぱいが大きくて見苦しい』とか『腰のラインの肉付きが悪い』とか。気になっている証拠」
なんて素直な天邪鬼なの!
「つまり、その原田さんが天邪鬼くんの意中の相手なのね」
「……そう、クラスメイトの原田さん」
あたしの質問に橙依くんが頷く。
「ん? 橙依、その原田さんって、原田 椎ちゃんの事かい?」
「……うん、赤好兄さん知ってるの?」
「知ってるも何も、俺の話はその原田ちゃんの恋の悩みさ」
そう言って赤好さんがパチンと指を鳴らすと、お店の扉が開いてひとりの女の子が入って来る。
少し憂いを帯びた表情、少し内向きウエーブのかかったセミロングの髪。
そして、縦縞セーターで強調されたバストラインとキュッとくびれた腰。
おのれ! かわいい!
「初めまして、原田と申します」
そう言って、その子はかわいらしくペコリとお辞儀をしたのです。
「こんにちは珠子です。立ち話も何ですから、テーブルに座って話ましょ。ちょうど試作品も出来上がった所ですから」
あたしは冷蔵庫の中から試作品のチョコを取り出し、テーブルに向かう。
「じゃーん! スペシャルフルーツチョコです! あっ、一応確認しておくけど、原田さんは”あやかし”であっているわよね」
原田さんの気配は”あやかし”、だけど妖力は弱い。
豆腐小僧くんよりちょっと上くらいかしら。
”あやかし”なのは間違いないけど念のため確認、ひょっとしたら半妖かもしれないから。
「あっ、はい、”あやかし”で合っています」
たおやかに椅子に座りながら原田さんが言う。
うーん、彼女の所作こまごまに上品さが感じられる。
あたしとは大違い、いやいや、あたしだって気合を入れれば。
「……」
橙依くんが何かを言いたそうな目でこちらを見ているけど気にしない。
「それで恋の悩みって聞いたけど、意中の男の子って誰かな?」
あたしは料理関係の悩みなら得意だけど、恋愛相談は専門外なんだけどなぁ。
「はい、同じクラスの天野君です」
少し恥ずかしそうな表情で原田さんが言う。
ん?
「ねえ、橙依くん、彼女の言う天野君ってあなたの言う天野君と同じで、天邪鬼くんのことよね」
「……そう」
「なんだ、両想いじゃないの。これならあたしの出る幕はなさそうね。どっちかが告白すればハッピーエンドじゃない」
「……そうでもない」
「そうじゃないんだよ、浅はかな珠子さん。おっ、これいけるね」
赤好さんは早速チョコに手を伸ばしている。
あの細長い形はオレンジピールチョコ。
オレンジの皮をシロップで煮て、チョコレートでコーティングしたもの。
「そうなの? ひょっとして告白する勇気が足りないとか? 勇気の出る食べ物を教えて欲しいとか?」
原田さんは奥ゆかしそうな女の子だ。
だから告白をためらっているのかもしれない。
まあ、それだったらお酒を飲めば万事解決なんだけど。
お酒……それは、勇気が欲しかったライオンさんに勇気を与えた伝統の解決法。
「……詐欺師のオズ」
うぉう! そういえば橙依くんはあたしの心を読めるんだった。
「いいえ、わたしは今度のバレンタインにチョコを渡して告白しようと思っています」
「あら、素敵じゃない。きっとうまくいくわよ。極上のレシビを教えてあげる」
あたしは頭の中でレシピを大回転させる。
オーソドックスななハートのミルクチョコから、食用プリンターで写真をプリントして貼り付けるふたりだけのカスタムチョコレートプリントまで。
「それなんですけど、やっぱり女の子としては、告白したからには相手から色よい返事が欲しいじゃないですか。珠子さんにはそんな返事がもらえるようなチョコのレシピを教えて欲しいのです」
「はい!?」
あたしは困惑の声を上げる。
「ええと、天野くんは天邪鬼よね」
「はい」
「……そうだよ」
「天邪鬼は相手に素直じゃない態度、もしくは意地悪な行動しか取れないはずよね」
「その通りだね。博識な珠子さん」
これが俺の相談事さと赤好さんが目で語る。
「お願いします! かなりツンデレ風味でも! オブラート包みでも受け入れますから!」
「んな無茶な!」
あの天邪鬼に彼女が好きだと言わせるなんて! 無理すぎ!
あたしは頭を抱えて考える……ダメ! いい作戦が思いつかない!
「と、とりあえず脳に糖分を補給して良い考えを出しましょ。原田さんもどーぞ」
あたしは試作チョコの丸いを原田さんに勧め、彼女はそれを口にした。
続けてあたしも口にする。
チョコの甘味と中から染み出る甘味と酸味とお酒の風味が舌で踊る。
「あっ、これ……ひょっとしてお酒ですか!?」
「ええ、梅酒の梅チョコよ。梅酒の梅から種を取り出してチョコでコーティングしたの」
「おいしい! 梅の酸味と香りがチョコの甘味と口の中で蕩けてる! こっちの半月型のと釣鐘型のは?」
「半月型の中身はキウイ酒のキウイで、釣鐘型の中身はサルナシ酒のサルナシよ。果実酒のスペシャルフルーツチョコなの」
キウイのような柔らかい実は焼酎に漬けると、やがて実が崩れてしまう。
だから漬けて1か月くらいで実は取り出して、果実酒の方はそのまま熟成させる。
実はそのまま食べたりジャムにしたり出来るけど、今回はチョコにしてみました。
「両方ともすっごくおいしいです! キウイは甘味が強くって実が柔らかくって、こっちのサルナシは酸味が強いけど、それが甘いチョコとスゴク合います!」
実はキウイとサルナシはマタタビ科なのです。
これは猫系の”あやかし”、猫又さんとかが襲来……もといご来店しても大丈夫なように準備しているの。
人類の叡智とは、未来を予想して対策を立てておく所にあるのです。
ちなみにマタタビ酒も準備しています。
「……あっ……お酒」
「あーあ、やっちまった珠子さん。俺は知らないよ」
笑顔で果実酒フルーツチョコを口に運ぶ原田さんとは裏腹に、橙依くんと赤好さんは少し渋い顔をしながらチョコを食べている。
えっ!? お酒はまずかった!?
彼女の肩書はJCだけど、あやかしだから未成年じゃないよね!?
あたしが原田さんの方を見ると、彼女の目は爛々と輝いて、頬は紅潮していた。
「こ……こんなもてなしを受けたら、わたし、火照って、昂ってしまいます!」
ガバッ
彼女は縦縞セーターをたくし上げ、それで頭を茶巾に包んだ。
えっ!? ひょっとして彼女は酔うと脱ぐタイプ!?
「待ってました!」
「……やんや、やんや」
男たちの視線が彼女の胴体に集中する。
これだから男ってのは。
あたしは彼女の肢体を隠そうとタオルを持って立ち上がる。
だが、次の瞬間、あたしは目を疑った。
彼女の豊かな胸を隠す白いブラジャーに描かれているのは……目!?
そのくびれたウエストに浮かんだのは腹筋の稜線ではなく、くっきりとした鼻と口の模様。
「さてさてみなさま、ここに見えますは、顔のようで顔でなく、お腹のようでお腹でない、おなかおでござーい!」
声が聞こえる。
彼女の隠れた頭からではなく、そのお腹の模様から。
それの模様がぐにゃぐにゃ動く、生きているように。
「あはっ、あはっははは」
「……くっ、くくっ、くふふっ、ふふっ」
「うはっ、はははっ、あははは、いーひっひっひ」
その愉快な動きの前に、あたしたちの口から笑い声が零れる
「ほいほい、くちさけおんなでござーい! おつぎはさかさダルマ! おこった、わらった、ないた、ないたカラスがすぐわらった、クカァー!」
彼女が逆立ちをして側転して、ブリッジしてお腹の表情をくるくると変える。
ウエストが揺れ、振られ、愉快なダンスが披露されるたびにあたしたちの口から笑いがこぼれる。
「ぶわっ! はひはひ、はいはいひはひは、こひゃさいこー!」
「……こふっ、ふふっ、ふっこここここー、こっこ、こっここけこっこー!」
「おほっ、ほわっ、あああひっ! ちょとちとちょるっと、まって、まって、おなかがくる、くるくるしい」
お腹が痛い、これ、やばい、やばいって、過去最高のピンチ!
し……しぬかも、天国のおばあさま、珠子は今日、おそばに参るかもしれません!
それは時間にすれば数分の出来事だったかもしれない、いやもっと短かったかも。
だけど、あたしたちにとっては気の遠くなるような長い時間。
「ふう……珠子さんの果実酒フルーツチョコがあまりにも美味しいかったから、思わず本性が出てしまいました」
助かった。
あたしの意識が遠のく前に、彼女は縦縞セーターを再びお腹に纏い頭を露出させた。
「ははっ、はっ、はっはぅ、原田さん……あなたの本性って、うひょっ、ひょっとして……」
あたしは崩壊しそうなお腹を押さえながら質問する。
「はい、わたしは妖怪”はらだし”です」
”はらだし”それは江戸時代の読本『浮牡丹全伝』に描かれている”あやかし”。
ありていに言えば、お酒を勧めると腹踊りで場を湧かせる素敵で愉快な”あやかし”なのです。
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