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第一章 はじまりの物語とハッピーエンド

珠子とたまごふわふわ(後編)

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 「珠子姉ちゃん、大丈夫だった!?」

 お店のエリアに戻るとあたしに抱き着いてきたのは紫君しーくんだった。
 相変わらずあざとい。

 「病に犯されたと聞きましたが、少なくとも全身の穴と穴から血を流して死ぬような病ではないようですね」クィッ
 「相変わらず蒼明そうめいは辛口だね。いたいけな珠子さんは大変な時期だから優しくしてあげなきゃ」

 蒼明そうめいさんと赤好しゃっこうさんもあたしを励ましてくれている。
 今日だけは鬼畜メガネと呼ぶのは止めておこう。

 「珠子姉さん、大丈夫。なんだか泣いてたみたいだけど」

 あたしが戻って来た時、あたしの顔の涙の跡を見て心配そうな顔をしていたのが橙依とーいくんだ。
 今も心配そうにあたしの顔を見ている。 

 「それじゃあ珠子ちゃん、アタシたちの料理を食べてお休みなさいな」

 台所からいい匂いがすると思ったら藍蘭らんらんさんが何か作ってくれたみたい。
 
 「私達は料理というよりもちょっとした物ですけどね」クィッ

 蒼明そうめいさんがメガネをクィッとしながら言う。

 「我の手料理はちょっと待て。おい鳥居、これで良いのであろうな」
 「ええ殿の手際は見事でございますぞ」

 台所から黄貴こうき様の声もする。

 「はい、アタシからはミルク粥よ」

 テーブルに湯気を立てたミルク粥が置かれる。
 その湯気からはベーコンの香りが立ち上る。

 「わぁ、おいしそう! いただきまーす!」

 あたしがミルク粥を口にすると米とミルクの甘味の中にベーコンの旨みが溢れ出した。

 「おいしー!」

 あたしはガツガツとスプーンを口に運ぶ。
 
 「ゴホッ、ゴホッ」

 ちょっとむせた。

 「……珠子姉さん、急に食べるから、はいこれ」

 橙依とーいくんが黄色い液体をあたしに進めてくる。
 あたしはそれをゴキュゴキュと飲み干す。

 「あまーい、おいしー! これなに?」
 「……緑乱りょくらん兄さんに教えてもらったエッグノック。卵と牛乳にラム酒を少々加えてシナモンを振った」

 エッグノックは西洋風卵酒とも言えるもので橙依とーいくんの言う通り卵と牛乳と洋酒で作る。
 洋酒はラムでもジンでもブランデーでも実はなんでもいい。

 「橋休めにはこちらを食べるといいでしょう」

 蒼明そうめいさんが出してくれたのは焼きリンゴだ。
 あれ? でもこれって焼きリンゴとはちょっと違う?

 「私は料理は電子レンジでしかできませんから、レンジで作りました。オーブンに入れる代わりにラップをしてレンジに入れただけです」

 芯を抜かれバターとシナモンで味付けされたリンゴは、オーブンではなく電子レンジで焼きリンゴ風になっていた。
 それは水分をたっぷり含んでいて、風邪の時にはこっちの方が良いくらい。

 「ありがとう、こっちもとってもおいしいわ」

 「俺からはフレッシュな苺です。弱り目の珠子さんにビタミンたっぷりなヤツさ」
 「あっ、風邪にぴったり」
 
 赤好しゃっこうさんからは苺だ。
 風邪からの回復にはビタミンCが必要で、苺はそれが豊富なのだ。
 しかもレモンより食べやすくてカロリーも少ない。
 乙女の味方なのです。

 「ボクからはココナッツミルクプリンだよ」

 紫君しーくんが出してくれたのはココナッツプリン。

 「あっ、クコの実がのってる」
 「えへへー、クコの実はお姉ちゃんたちに大人気だって聞いたからー」
 
 クコの実は杏仁豆腐にものっている赤い実で、これもビタミンの他に鉄分やミネラルが豊富なのだ。
 疲労回復にも良い。

 「ありがとう、みんな。こんなあたしを助けてくれて」
 「何言ってるの、困った時はお互いさまでしょ」
 「たおやかな珠子さんも良いけど、やっぱり元気な珠子さんの方が好きですよ」
 「また貸しが増えましたね」クィッ
 「……珠子姉さんが喜んでくれるなら」
 「元気になったら、また吸わせてね!」

 みんながあたしを励ましてくれる。
 あ、やばい、ちょっと泣きそう。

 「待たせたな! 真打の登場よ!」

 台所からキッチンミトンで土鍋を持った黄貴こうき様が現れた。
 八岐大蛇ヤマタノオロチの子でも土鍋は熱いんだ……

 「さあ、これを食べて明日からも我のために働くのだ女中よ!」

 フタの穴から鰹出汁のいい匂いがする湯気を立て、土鍋があたしの前に置かれる。

 「わぁ、何かしらうどんですか?」
 「ふん、うどんよりもっと良いものだ!」
 「なにかしら? わくわく」

 あたしは年甲斐にもなく、はやる心を言葉にして土鍋のフタを開けた。
 そこには白い泡が固まったモノがあった。 

 ああ、ダメだ……これは反則……
 あたしの目から涙が零れ落ちた。

 「ちょ!? 兄さん、何を出したの!? 珠子ちゃんが泣いちゃったじゃない」
 「いや、我は何も変な物を出してはおらぬぞ!? 鳥居のヤツが風邪の時にはこれが一番だと……」

 あたしの涙に藍蘭らんらんさんが黄貴こうき様を問い詰める。
 違うんです藍蘭らんらんさん、黄貴こうき様は何も悪くありません。
 あたしはそう言いたかったけど、それは嗚咽にしかならなかった。

 「泣かないで珠子さん、落ち着いて、落ち着いて。何も怖くないですから」
 「ごめんなさい、ちょっと取り乱しちゃって」

 あたしは胸を押さえ、息を整える。

 「どうしたの珠子ちゃん? この料理の何が悪かったの?」
 「違うの、この料理は悪くないの。ただ、おばあさまと父さんと母さんの事を思い出しちゃって」
 「おばあさま? あの山に行った時の珠子さんの実家に写真が飾ってあったあの方ですか?」
 「ええ、これは”たまごふわふわ”って料理で、おばあさまとの思い出の料理なの」

 ”たまごふわふわ”江戸時代に誕生した料理で、作り方は簡単。
 卵をメレンゲまで泡立てて、出汁の入った土鍋に入れて火を通すだけ。
 それだけでスポンジ状になった卵がふくらんで、柔らかい食感と優しい味になるの。

 「でも珠子お姉ちゃんの取り乱しようは、それだけじゃなさそうだったよ」
 「今日の火事でおばあさまと父さんと母さんの思い出が入ったアルバムが燃えちゃって。だから……」

 あたしの家族との思い出は今も心に残っているけど、形のあるものは無くなった。
 そう思うと……再び涙があふれた。

 「あたしは小さい時に両親を事故で無くして、おばあさまも5年前に癌で……」

 やだ、思い出すと涙が止まらなくなる。
 
 「……珠子姉さん、そのアルバムってどこにあったの?」
 「えっ、机の上のブックスタンドに立ててあったけど」
 「……表紙の色は?」
 「緑だけど」
 「……1冊?」
 「うん1冊」

 急に繰り返される橙依とーいくんの問いの圧力にあたしは答える。

 「……わかった。もう大丈夫」
 「はい?」
 「はい」

 そう言って橙依とーいくんが机の下から取り出したのは、緑色の本。 
 まごうかたなき、失われたはずのあたしのアルバムだ。

 「はいぃぃぃぃぃー!?」

 あたしは素っ頓狂な声を上げた。

 「どどどどどどどーどしーて!?」
 
 あたしは橙依とーいくんの肩をがしっと掴み前後に揺さぶる。

 「……話を聞いて一日をやり直した」

 はい?

 「あら、昨晩姿を見なかったのはそういう理由だったのね」

 何かわかったように藍蘭らんらんさんが言う。

 「ほほう、時空を超えて一日をやり直す術、あの日をもう一度ワンモアデイスですか。実際に体験したのは初めてですね」クィッ

 一日をやり直す術ですって!?
 これまた最強の一角と言われる能力ではありませんか。

 「でも、それだったら火事を起こさせない方が良かったんじゃないかい?」

 赤好しゃっこうさんが橙依とーいくんに問いかける。

 「それだと、珠子姉さんに恨みのあったあいつが捕まらない。だからだめ」

 なんて賢いの!

 「ありがとう! 橙依とーいくん大好き!」

 あたしは橙依とーいを抱きしめ、両脇に手を入れ高い高いをして喜びを表現する。

 「……ちょ、ちょっと、高い高い」

 あっ、急に立ち上がってテンションを高めたから立ちくらみが……

 ボスッ

 「女中よ、落ち着け。まだ我の料理を食べておらぬぞ」

 傾くあたしの体を支え、黄貴こうき様が椅子に座らせる。

 「それじゃあ、いただきまーす!」

 シュワッ

 口溶けは柔らかく、染みこんだ出汁の味と卵の味が口の中に口福こうふくをもたらす。

 「うーん、しあわせのあじー」

 あたいはスプーンを持った手で頬を押さえてほほ笑んだ。

 「あら、おいしそうね。今度あたしも作ってみようかしら」
 「風邪が治ったらあたしが作りますよ。おばあさま直伝の鴨出汁のヤツです。鰹出汁とは違ったおいしさがありますよ!」
 「楽しみにしてるわ。それじゃあ、早く治してね」
 「はい!」

 よかった、本当に良かった。
 みんなの優しさが嬉しくて、あたしの目に再び涙が生まれた。

 「泣くな女中よ。嬉しい時には笑うものだ」

 そう言って黄貴こうき様はハーハハハと高笑いした。

 「はい、そうですね」

 あたしは目尻を指をなぞりながら笑った。

◇◇◇◇

 食事の後、あたしは奥の空室に案内され、そこには真っ白なシーツとベッドが用意されていた。
 
 「ここでゆっくり休みなさい」
 「風邪が治り、次の住居が見つかるまで滞在するといい、我が許す」

 藍蘭らんらんさんと黄貴こうき様に促されるまま、あたしは温かい布団に入る。
 今日は色々あったな。
 火事に始まり、顔を思い出すのも嫌な奴との再会と乙女の危機。
 だけど…… 

 おばあさま、今日も珠子はハッピーエンドでした。

 あたしはそう心の中で呟いて、眠りに落ちた。

◇◇◇◇

 夜中、あたしは目を覚ます。
 うわっ、すごい寝汗。
 その不快感で目が覚めてしまった。

 コンコン

 「お嬢ちゃん、起きているかい?」

 ドアをノックする音と緑乱りょくらんおじさんの声が聞こえる。

 「はい、起きていますよ。どうぞ」

 カチャリと音を立てて、扉が開き緑乱りょくらんおじさんが入ってくる。

 「顛末てんまつは聞いたよ。災難だったね」

 ベッドの横の椅子に座り緑乱りょくらんおじさんが言う。

 「ええ、でも何とか無事に終わりました。みんなのおかげです」
 「そうか、そいつは良かった。遅れてすまなかったけど、これはおじさんからのお見舞い」

 そう言って緑乱りょくらんおじさんはあたしに紙袋を手渡す。

 「なんですか、これ?」
 「今のお嬢ちゃんに一番必要なものさ」
 「まあ、なにかしら」

 あたしはみんなの優しさに触れていたので、上機嫌に紙袋を開いた。
 その中身は……パンツとブラジャーだった。
 つまり代えの下着だ。 

 「ああ、サイズは橙依とーい君の体躯数値化トルゥーメジャーはかってもらったからピッタリだと思うぜ」

 緑乱りょくらんおじさんの言う通り、パッケージに書かれてある数字はあたしのサイズにぴったり。

 「いやぁー、お嬢ちゃんって台所の女神だってあって、まな……」

 おじさんは最後まで言葉を続ける事は出来なかった。

 「唸れ鉄拳! 乙女の怒り!」

 ボゴォ!

 あたしの拳がセクハラオヤジの顔面に叩き込まれたから。 
 まったく、食事の時にひとりだけ不在だったから、どうしたのかとちょっと心配したけど、心配して損した。
 まあ、役に立ったけど。
 一応、心の中では礼を言っておきましょうか。

 翌日、風邪はすっかり治っていた。
 あたしは約束通り鴨出汁ベースでの”たまごふわふわ”を作ってみんなにふるまった。
 みんなは舌鼓を打った。
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