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第一章 はじまりの物語とハッピーエンド
お稲荷様と栗の甘露煮(後編)
しおりを挟む天国のおばあさま、お久しぶりです。
珠子は昔懐かしのおばあさまの家に向かっています。
「……ガタンゴトン……ガタンゴトン」
「わーい、栗狩りだー」
電車に揺られて向かう先はあたしの実家。
あたしにお金が必要な理由がある場所。
「で、私が付き合うのはなんでですか?」
「いやー、ひとりじゃ出来ない作業が多くって。それに興味あるでしょ」
一緒に電車に揺られているのは蒼明さん、橙依君、紫君の3人。
コーンさんの求める『高級で昔懐かしい栗の甘露煮』。
それに必要な材料を採りにいくために付き合ってもらっているのだ。
「確かに興味はあります。私も口にした事はありませんからね」
「ねー、なーにを採りにいくのー? 栗だけじゃないの」
ちょこんとあたしの膝に乗って紫君が言う。
あー、もうあざといなぁもう!
「んー手伝ってくれたら食べさせてあげる」
「やったぁ! 橙にぃ、いっしょに頑張ろうね」
「……ガタンゴトン……ガタンゴトン」
……電車、好きなのかな。
◇◇◇◇
あたしのおばあさまは昔はちょっとした豪農だったらしい。
だけど、時代の流れには逆らえず、また後継者もいない事から晩年にはその土地は荒れた。
要するに耕作放棄地になってしまったのだ。
そして、5年前におばあさまが無くなった時、あたしには2つの道があった。
相続を放棄するか、相続税を払って相続するかだ。
何度も訪れた田舎のおばあさまの家、そこにある思い出、それを捨てる事は出来なかった。
あたしは、相続の道を選び、そして手に入れた……山を。
いやー、いざとなれば土地の一部を物納して相続税を払おうと思ってたのだけど、あたしは知らなかったのだ、公道とつながってない土地は物納を認められていない事に。
かくして、あたしは相当な額の相続税を払う事になっている。
「栗だー!」
荒れたと言えども植物の生命力はすさまじい。
庭の栗の木は大量の実を付け、その下には大量のイガが落ちていた。
「じゃあ、橙依君と紫君はここで栗を拾ってね」
あたしは大型トングと背負いカゴを渡す。
「……わかった」
「おねーちゃんは?」
ふたりが問いかける。
「あたしは……ちょっと刈ってくるわ」
そう言って、あたしは鉈を構えた。
ふたりはちょっと引いた。
◇◇◇◇
「よしっ、皮を剥いて水にさらしたから、次は下茹でね。ええとクチナシはどこだったかな」
あたしは今、栗の甘露煮の調理中である。
カラン
「邪魔するよ」
コーンさんが入って来た。
「あら、早いじゃないの。約束まで1時間以上あるわよ」
「なぁに、ゆっくり待つさ。それにどう作るのかも見ておきたくてな」
「おあいにく様、作り方は至って普通よ」
あたしはカウンターの奥から声を返す。
「さて、どんな味になるのでしょうね」
「……くり……あまい」
「ぼくも早く食べたーい」
栗拾いとアレの制作を手伝ってくれた年少三人も机に座って待っている。
「よしっ、下茹で完了っと、あとはこれで煮詰めるだけー」
あたしはクチナシの色で黄色く染まった栗を取り出す。
別の鍋に水を入れ、そして飴色の液体の入った瓶を取り出す。
「それが今回の秘密の食材ね。ちょっと味見していい?」
「はいどーぞ」
あたしは瓶の蓋を開けて長柄スプーンを渡す。
チュプ
藍蘭さんはそれを長柄スプーンで一匙すくって舐めた。
「あまーい、うーん、乙女の好きそうなスイーティな、お・あ・じ」
うんうん、やっぱ乙女にはスイーツだよね。
「はいっ、あとは火加減をみながら1時間で完成です」
あたしは瓶の中の液体を鍋に入れ、高らかに宣言する。
「じゃあ、待っている間、この前の揚げたて油揚げでも作りましょうか?」
あたしの声にコーンさんの尻尾がパタパタ揺れた。
「まいどありー」
藍蘭さんの声も高らかだった。
◇◇◇◇
「おいし~、あぶらあげってこんなにおいしかったんだ」
「ほほう、これは狐でなくても好物になりますね」
「……パリパリ……サクサク」
うんうん、揚げたて油揚げは年少組にも好評だぞ。
「さあ、お待たせしました。これが『高級で昔懐かしい栗の甘露煮』ですっ!」
味をなじませるために10分前に火を止めたけど、それでもまだ温かく、栗は湯気を出していた。
「ほう、前回とは少し違うようだな。では頂こうか」
「いただきます」
「……いただきます」
「いただきまーす」
「あらっ、おいしそうね」
あたしも食べてみる。
久しぶりだから上手くできたかな。
栗は少し固さがあった、だが噛みしめるとホロホロと口の中で崩れていく。
そして、蜜の甘味と栗の甘味が広がって……うむ、おいしい!
「なにこれ!? 甘いのに爽やかで栗の甘さが引き立ってるわ!」
「ほほう、こんな味なのですか。確かに砂糖の甘さとは一味違いますね」
「……おいしい」
「あまーい、すごーい、もっとたべたーい」
よしよし、王子たちにの口に合ったようね。
では、コーンさんの口にはどうかな?
「これは……この味は……懐かしい……久しく味わってなかった味!」
そう言ってコーンさんは次々と口に栗を運ぶ。
「思い出した! これは俺が神使として駆け出しの時に奉納された味! 確か室町の頃」
へー、そこまで遡るんだ。
「娘、これは何だ? ついぞ忘れたこの味の正体は!?」
コーンさんがあたしに問いかけて来る。
「これは、栗の甘葛煮です。まだ日本に砂糖が無かった時代、甘味として重宝された物です」
あたしは追加の瓶を取り出してカウンターに置いた。
「甘葛! そうか、そうだったか! 江戸の頃から甘味と言えば砂糖になったが、それ以前のものだったか!」
コーンさんがうんうんと頷く
「古くは平安時代から貴族の間では食されてたそうですよ。枕草子ではかき氷の甘葛シロップがけなる食物も登場します。私も食べるのは初めてでしたが」クイッ
蒼明さんが説明してくれる。
「でも、今は作られていません。砂糖に取って代わられ、歴史の中に残っているだけです」
多分、作るのがものすごく大変なんだからだと思う。
ありゃ大量生産できんわ。
「そんな昔からあったのね。アタシたちには奉納されなかったけど」
へー、そうなんだ。
「さて、そしてこれが最新の極薄油揚げの栗の甘葛煮のせですっ!」
そして最後の秘策として準備していた料理をあたしは出す。
通常の半分の薄さで作った細い油揚げに栗が載ってある。
「おっ……おおっ、これは油揚げと甘味の合体! ど、どんな味なのか」
そう言ってコーンさんは手を伸ばす。
カリッ、サクッ、ホロッ
「おお! これは豆腐の甘味と栗の甘味に揚げ油が調和して、口の中に極楽が広がるようだ!」
「ドーナツを思い出して! 揚げ物と甘味の相性は抜群なのよ!」
そして、それはダイエットの敵でもある。
酒も加わると、さらに強くなる。
「ほう、これは強めのブランデーと合いますね。枕草子で甘葛は『あてなるもの』として上品なものとして書かれてましたが、酒のあてとしても良い」クイッ
どこから取り出したのだろう、蒼明さんはブランデーを片手に食べている。
ブランデーと甘味は禁断の果実ともいう組み合わせだ。
ぐぬぬ、勤務中でなければ。
「見事だ、娘よ。いや珠子殿と言うべきかな。まさか『高級で昔懐かしい』といったら既に絶えた味を持ってくるとはな。正直感服したぞ」
「えへへ、そんなに褒められると照れちゃうなー」
頭を下げるコーンさんを前にあたしは頬を掻きながらちょっと照れる。
「でも、これってどうやって作ったの? 材料は?」
藍蘭さんが聞いてくる。
「材料は木に巻き付いている蔦ね。ブドウの葉に似たやつを採ってくるの」
「おねーちゃん、ナタでスバンズバン切ったんだよ」
「落葉すると甘味が強まるから、この秋から冬が旬ね」
いやー、かなり苦労した。
途中から高い所は蒼明さんに手伝ってもらったわ。
「あとは樹液を取り出して、布で濾して煮詰めるだけよ」
「へー、思ったより簡単なのね。これだったら平安時代でも作れそうね。でもなんで知ってたの? いや知ってても、ふつーやんないわよ」
えーとそれはあたしが普通じゃないって言ってますよね。
「おばあさまにね、ちいさい頃、十二単をおねだりした事があったの。平安のお姫様になりたくってね」
当時のあたしはジャパネスク物にはまっていたのだ。
「おばあさまはちょっと困った表情をして『じゃあ、いっしょにお姫様の食べ物を作ってみよー』と言って一緒に作ったのが始まり。それからふたりでちょくちょく作ってたのよ」
「へぇー、素敵なおばあ様ね」
ありがとう、天国のおばあさま。
これで今日の珠子もハッピーエンドです。
「作り方に補足ですが、文献によると、樹液を集める時にはお口でツタを咥えて樹液を吹きだすとあります」クイッ
おい待て、そこのメガネ、余計な事を言うな。
シュパッ
あたしの目の前にあった甘葛の瓶が何者かに奪われる。
「ほほう、これが高貴な者が食したという甘葛か。貴き我にふさわしい甘味であるな」
黄貴様!?
どっから現れたんですか!?
「これが珠子ちゃんの乙女の息吹の詰まった蜜か。おいしそうだね」
赤好さん!?
あなた、今日も町に遊びに行っているのでは!?
「へぇー、おじさんもお嬢ちゃんのお口聖水の入った蜜をなめたいなー」
おい、セクハラオヤジ、言葉は選べ。
「あたしはもういただいちゃったもーん」
藍蘭さん!?
あなたもですか!?
「ちょっと蒼明さん! ちゃんと説明して下さいよ!」
あたしは蒼明さんに詰め寄る。
この年少3人組が落ち着いて食べているのは正しい作り方を知っているから。
確かに文献ではツタに息を吹き込んで樹液を出すとある。
平安時代はそうやって作っていたのだろう。
だが、今は現代である。
遠心分離機という文明の利器があるのだ。
そして、あたしの実家には養蜂用のハチミツを絞る遠心分離機があったのだ。
それは甘葛の樹液採取用に改造してあり、樹液はそれで採った。
あたしの唾液など全く入っていない。
キキキキキキキン!
あたしの背後では甘葛の瓶を中心に長柄スプーンでのチャンバラが始まっている。
「な、なんとかして下さいよ! あたし、あの中に割って入るなんて出来ません!!」
スプーンは3本のはずなのに、残像で19本くらいに見える。
このままでは台所が本当に戦場になりそうだ。
「しょうがないですねぇ。ひとつ貸しですよ」
「わかったから! あとで返すから!」
シュパパパパパ!
今度は本体が残像を見せている。
「あと、お掃除はあなたに任せますから」
「はい! 珠子はお掃除大好きです!」
早くしないとあたしの城が!
「取ったぞ! やはり長兄たる我には勝てぬようだな」
甘葛の瓶を小脇に抱え黄貴様が高らかに宣言する。
そして蓋を開け、蜜を直飲みし始めた。
長柄スプーンはもはや原型を留めていない。
「うむ甘露甘露! やはり甘味は王者の味よ!」
蒼明さんが口を開いたのは、黄貴様が二口目を口に含んだ時だった。
「黄貴兄さん、あなたの持っている甘葛は、珠子さんのおばあ様が作った分だそうですよ」
こいつは何を言っているんだ!?
ブフゥー
甘い蜜の霧が部屋中に充満したのは次の瞬間だった。
次回からこいつの事を心の中で鬼畜メガネと呼ぶようにしよう。
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