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第一章 はじまりの物語とハッピーエンド

河童とキュウリ(前編)

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 天国のおばあさまお元気ですか。
 秋も中ごろに達し、暑くもなく、寒くもありません。
 今日は晴天、いい天気です。
 珠子は暑苦しくて死にそうです。

 「よっ、はっ、のこったのこった!」

 あたしの目の前では半裸の男がくんずほずれつむつみ合っている。
 『酒処 七王子』の裏手は大きな庭になっていて、野外パーティが出来る広さを持っている。
 
 「ふんす! ふんす!」
 「ふんが! ふんが!」

 視界の先にあるのは肌色率40%、緑色率50%、黒色率10%
 つまり、全裸の河童カッパとパンイチのおっさんが相撲を取っているのだ。
 ちなみにおじさんのパンツは緑だ。
 あまりうれしくない。
 
 「いやーん、緑乱りょくらんちゃん、がんばってー」
 「がんばれ! まけるな! さんだゆー」

 おじさんの体は意外と引き締まっていた、あんなに飲んだくれなのに。

 「みためアラフォーちからをなめるなぁー!!」
 「グリーンナチュラルフルパワー!!」

 河童と言えば相撲だ、きっと力も強いのだろう。
 そして八岐大蛇ヤマタノオロチの息子の力が弱いはずがない。
 それは見ただけでわかる。
 
 「ねぇ、珠子ちゃんはどっちが勝つと思う?」

 藍蘭らんらんさんがあたしに聞いてくる。
 
 「勝敗はわかっているわ、決まり手もね」

 そう言ってあたしは一枚の伏せてある紙を指差した。

 「あら、これに書いてあるのかしら」

 藍蘭らんらんさんが伏せている紙をめくる。

 「んまっ!」

 藍蘭らんらんさんが声を上げ、ニヤーとこっちを見た時とは同時だった。

 ビリッ

 残念だが、妖怪の力に耐えられる市販のパンツはない。
 相撲ではマワシが取れて局部があらわになると負けるというルールがある。
 正式名称は『不浄負け』通称……

 「はい、河童の三太夫さんの勝ちー! 決まり手はモロ出しよー!」

 そう、モロ出しだ……

 「良い勝負だったな緑乱りょくらん殿、これで俺の十二連勝。通算九十九勝、九十九敗の五分だ」
 「いやー、おじさんがんぱったんだけどねー、くやしいなー」

 悔しがる前に恥ずかしがって下さい。
 河童と肩を組み、堂々とぶらんぶらんさせる姿を見てあたしは頭を抱えた。
 目は覆わなかった。
 だって大人ですもの。

◇◇◇◇

 「はーい、河童のみなさん、お待ちかねの料理ですよ」
 
 あたしはいったん店内に戻り準備しておいた料理を持ってくる。
 太陽の下で食べる料理は普段とはまた違ったおいしさがある。
 
 「でも”あやかし”さんたちにピクニック料理を作るとは思っていなかったわ」
 「あら、けっこういるのよ太陽を浴びるのが好きな”あやかし”も」
 「へー、そうなんですか」

 そんな会話をしながらあたしたちは一品目を河童さんたちに持って行く。

 「はーい、お待たせしました」 
 「一品目ひとしなめはキュウリの和風ガスパッチョ風です!」
 
 河童さんの好みは非常にわかりやすい。
 キュウリだ。

 「ガスパッチョ!?」

 聞きなれない単語に河童さんたちが目を丸くする。
 いや、元々まんまるだけど。
 
 「ガスパッチョはスペインの冷製スープです。トマトとキュウリとニンニクとオリーブオイルから作るのですが、今回は和風なのでキュウリをメインに和風出汁と太白胡麻ゴマ油で作りました!」

 キュウリのさわややかさを全面に押し出す工夫をしたのです。
 我ながら良い味に仕上がったと思う。

 「これはスッキリしてうめぇ!」 
 「ああ、汗をかいた体に染みわたる」

 グラスに満たされ薄緑の液体が瞬く間になくなる。

 「こっちの準備もOKよん」

 藍蘭らんらんさんがバーベキュー用の鉄板を指差す。
 既に炭で熱々だ。

 「次は豪快にぃー!」

 あたしはその鉄板に縦半分に切ったキュウリたちを並べ、ウォッカを取り出す。
 そして、そのウォッカを豪快にぶちまけた。

 「ふぁいやー!!」

 着火の必要はない、この温度なら炭のぜ火だけで火が着く。

 ボワッ
 
 炎は一瞬で燃え盛り、一瞬で消えた。
 河童さんたちの瞳も一瞬だけ朱に染まる。

 「二品目ふたしなめは焼きキュウリです!! 醤油か塩でどうぞ!」

 中までは火は通っていない、表面にちょっと焦げ目が付く程度だ。

 「香ばしい! そして中は甘みが増している!」

 そう、どちらかと言えば薄味なキュウリだが、焼くことで味は深く濃くなるのだ。

 「ハーイ! これがメインデッシュよー! 三品目さんしなめは、いわしピリ辛キュウリよーん!」 
 
 あたしが焼きキュウリを作っている間に再び店内に戻っていた藍蘭らんらんさんがオーブンから取り出したいわしのピリ辛キュウリ詰めを持ってきた。
 福岡名物にいわしの内臓を抜いた部分に明太子を詰めた『いわし明太』がある。
 その明太の代わりにキュウリの唐辛子和とうがらしあえを詰めたのだ。
 河童の第一の好物はもちろんキュウリだ。
 そして第二の好物は魚なのである。

 「うほー! 魚の熱い汁がキュウリにからんでくちばしの中で踊るうー!」
 「こんな料理は食ったことない!」

 あたしも作ったのは今回が2回目だわ。
 1回目は今回の試作だ。

 「いやー、キュウリは丸かじりが一番かと思っていましたが、新しい調理法もいけますね。三千坊さんぜんぼう様」
 「ううむ、儂にはちょっと新しすぎるかのう」

 三千坊と呼ばれた白いひげをたくわえた河童さんがここ一帯のおさらしい。
 なんでも三千人の河童さんたちのリーダーだそうだ。

 「さあ、最後のデザートは伝統の冷やしキュウリですよ」

 あたしはガラガラと台車に載った氷の塊を店内から運び出す。
 そこには割りばしの刺さったキュウリが氷の塊に突き刺さっていた。

 「きゅうりぃー!」

 よく知った姿のキュウリを前に河童さんたちは興奮し、そして次々とキュウリに手をかける。

 スポン、スポン、スポポン

 小気味よい音を立て、キュウリが氷の塊から抜けていく。

 ポキン、ポキン、ポキキン
 シャク、シャク、シャククン

 そして、軽快な音を立てて河童さんたちの口に入っていく。

 「これってキュウリが凍っているわけじゃないんだ!?」
 「おお、これはまずまずじゃのう。よく冷えていて冷酒と合う」
 「そう三太夫さんの言う通り、この冷やしキュウリは凍らせていないわ。あらかじめ円筒の穴を空けた氷の塊にキュウリを埋め込んだのです。凍ってしまうと細胞が壊れてしまいますからね。これは、『よく冷えた冷やしキュウリ』なのです」

 先鋭料理の中の最後を伝統で締める。
 この一連の流れで河童さんたちのおもてなしは満点まちがいなしね!

 「いやー、昨晩、お嬢ちゃんが『おじさんの太い棒が欲しいの』って言って来た時はどうかと思ったけど、こう使うんだったんだね」
 「んまっ! だいたーん」
 「いやちょっと違うでしょ! あたしが言ったのは『おじさん、予備のすりこぎってありませんか?』だったはずよ!」
 「あれー、そうだったかなー? おじさん最近物忘れがはげしくって」

 このエロオヤジ、酔ってなくてもセクハラ発言は変わらないのね。
 すりこぎは氷の塊に円筒の穴を空けるのに使ったのだ。
 どう? この見事な料理の組み立て。
 これなら満点間違いないでしょ!

 「いやー『七王子』の新しい方の腕は確かですね、三千坊様」
 「うーん、まずまずの及第点という所じゃな。65点といった所かの」

 あれ、思ったより低い。

 「あいかわらず三千坊ちゃんは辛口ね。もーちょっと褒めてくれてもいいんじゃない?」
 「ふむ、藍蘭らんらん殿、新しい方の料理は若い衆には良いかもしれぬが、新し過ぎて儂には少し向かん。それに……」
 「それに?」
 「新しい方は儂ら河童の心をわかっておらぬように見える。うわべだけの料理じゃな」

 はい!? ヒトのあたしにどうやって河童の心を理解しろと!?

 「あー、うん、そうかもしれないわねぇ」
 「あら、藍蘭らんらん姉さんもそう思うのかい? おじさんは結構いい線いってると思ったけどねぇ」
 「だから及第点なのよ。でも及第点をもらえるだけでもスゴイわ。珠子ちゃんは喜んでいいのよ」
 「あ、はい、ありがとうございます」

 あたしは笑顔でそう答えた。
 声は乾いていた。

◇◇◇◇

 「ふぅ」

 後片付けを終え、あたしは星に向かって溜息をつく。

 『酒処 七王子』の夜の営業時間は逢魔が時から朝日が昇るまでなのだが、今日は昼の営業時間が長かったので夜はお休みだ。

 だから、こうして屋根の上で秋の夜風にあたりながら黄昏たそがれててもおかしくない。

 「あれあれ~、お嬢ちゃんどうしたのかな~、こんな所で。ここはおじさんの誰彼たそがれポイントなんだけどなぁ」

 あたしの隣に渋面おじさんが腰を下ろす。

 「はいこれ、おすそわけ」
 「ひゃん!?」

 あたしの頬に冷たい物があたる。
 氷のような冷たさだ。
 月明りで見ると、それは中身ごと凍結した瓶だった。

 「はい、こっちも」

 そう言っておじさんはガラスの猪口と銀色のスプーンを渡してくる。

 「ありがとうございます。でも、これ何ですか?」
 「んー、知らない? これは『凍結酒』だよ、冷凍して飲むお酒」

 あー、聞いた事がある。
 冷凍して飲む日本酒があるって。
 『凍結酒』は半解凍状態になっていて、蓋を開けてスプーンでかき出すと、親指ほどの氷の塊がちょこんと猪口にのった。
 あっ、かわいい。

 コキュン

 あたしの口に触れたはシャリシャリと音を立て口腔こうくうに注ぎこまれて、熱を奪いながら喉へ流れていく。

 「美味しいですね」
 「だろ、もう暑い日は来年まで来ないからねぇ、今年最後の思い出さ」

 そう言っておじさんも酒で喉を鳴らす。
 いつもと違う、雪のような静かな音で。

 「で、どうしたんだい。やっぱり昼間の事を気にしていたのかい」 
 「ええ、ちょっと考えてたのです、どうやったら”あやかし”の気持ちを理解できるかを」
 「そっか、それはむずかしいねぇ。おじさんは相撲で負けてちょっと落ち込んでいてね、ここに来たんだよ」

 パンツではなくマワシをはけば良かったんじゃないかな?
 
 「でも、河童さんたちの得意な相撲と言えども八岐大蛇ヤマタノオロチの息子であるおじさんなら勝てるんじゃないですか。実際、九十九勝しているのですし」
 「それがね、最近さっぱり勝てないんだよ。もう年なのかねぇ」
 「”あやかし”なのに年を取るんですか?」
 「おじさんは兄弟の中でも一番母親似だからねぇ」
 「あっ、は……半妖ハーフですものね」

 あたしはちょっと言葉を選んだ。

 「お嬢ちゃんは優しいね。そこは半妖はんようって言っても良い所なのに。実際、おじさんたちはよく言われているんだよ」

 やはり良くない呼び方だったのか。

 「でもね、おじさんと橙依とーい君を除けば、その嫌な言葉を実力で黙らせられるんだよ」
 「橙依とーい君も母親似なんですか?」
 「そうだね、おじさんほどじゃないけど」

 そっか、兄弟でも差があるのね。

 「おじさんがあと一回負けると、河童さんたちは次の相撲の相手に橙依とーい君を指名するだろうからねぇ。あの子は争いごとが苦手だから、それは困るだろうねぇ」
 「えっ!? そんな事になってるんですか!?」
 「そうなんだよ。あの河童さんたちは八岐大蛇ヤマタノオロチの息子たちを負かしたって箔が欲しいのさ。だから伝統の相撲百番勝負を挑んできたのさ、一番弱いおじさんにね」

 あの相撲って、ただのレクリエーションじゃなかったのか。

 「おじさんが弱く見られるのはいいんだけど、橙依とーい君が次のまとになるのは避けたいねぇ。だから次こそは勝ちたいんだ」

 あれ? このおじさんって実は兄弟思いの良い人なんじゃ?

 「あたしも何かお手伝いできればいいんだけど……」

 正直、あたしじゃ力になれそうにない。

 「でも意外でした。おじさんって実は優しい人なんですね」
 「おじさんはいつでも優しいさ。もちろんベッドの中でも」

 そう言って、おじさんはあたしの肩を抱いた。
 やっぱりエロオヤジじゃねーか!!

 ボクッ

 あたしの肘鉄はおじさんの正中線を捉えていた。

 カラッ

 「あら、物音がしたから何かと思えば珠子ちゃんに緑乱りょくらんちゃんじゃない。珠子ちゃん夜更かしはお肌に悪いわよ」

 白いナイトガウンに身を包んだ藍蘭らんらんさんが天窓から顔を出した。
 ぴちゃぴちゃと音がする。
 肌に化粧水を塗っている音だ。
 ん? 化粧水?

 「はーい、あたしもそろそろ帰ります」

 あたしは瓶に口を付け、残りの凍結酒を一気に飲み干した。
 シャーベット状のお酒があたしの喉を通る。
 あててて、頭がキーンとする。
 ん? シャーベット状のお酒?
 そうだ!!

 「おじさん、次の河童さんとの相撲はいつですか?」
 「未定だよ、まあ一か月後くらいかな」
 「三日後とかになりません?」
 「んー、大丈夫だと思うけど……何するの?」
 「手を組みましょうおじさん! そして、あの河童さんたちを絶望と悲哀のズンドコに落としてやるのです! あたしの料理で!!」

 あたしの言葉におじさんと藍蘭らんらんさんは顔を見合わせた。
 『やっべぇやつを雇ったかもしれない』といった表情で。
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