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番外編
星空の向こう側へ 5
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真っ暗な世界に輝く星々、まるで太陽の様に輝く月。
再び絵画の世界に入り込んだエミリアは辺りを見回した。
誰も居ない。
あの日黒く塗りつぶされた世界は前回以上に輝き、美しさを増していた。
相変わらず音も感触も無いが、丘の上から望む景色はまるで現実の世界の様に生き生きとしている。
木々がさわさわと揺れ、よく見れば足元には小さな虫コオロギだろう。葉があおいのだから夏の終わりかとどこかで感じた。
ふと何かを感じ横を向くと、あの青年がいた。
柔らかい笑顔でエミリアを見つめる青年に、エミリアは必死で言葉を紡ごうとした。
(ガレス、ガレスっ、ガレス!!)
青年は困ったような表情を見せ、エミリアに手を差し出す。
エミリアがその手を取ると、ハッとした。
以前は温かだった温もりを感じないのだ。
途端に悲しくなりくしゃりと顔を歪める。青年は慌てて首を振り、自分の口元を指さした。
あ、り、が、と、う。
目を丸くするエミリアに青年は安心させるように笑顔を向けた。
エミリアも同じようにゆっくりと唇を動かした。
わ、た、し、も、あ、り、が、と、う。
青年は少し考え理解したのか、破顔してエミリアを抱きしめた。
感触はなく、抱きしめられているのに異物感すら感じなかった。
それでも嬉しいと感じた。
エミリアも青年の背中に腕を回した。
そうしているうちに、絵画の世界に光が差し込んできた。
顔を上げると丘の反対側から強い光。その中にある見覚えのある人影。
女神リフェリティスだ。
青年は顔を固くしリフェリティスを見る。
リフェリティスが手を差し伸べるも、青年はその手を取ることは無かった。
するとリフェリティスの後ろからもう一人の人影がひょこりと顔を出した。見覚えの無い、とても綺麗で可愛らしい人だった。
青年はその女性を見ると瞠目し、女性はにっこりと笑いかける。
青年は走り出し女性を抱きしめくるくると回る。そして回り終えると女性はエミリアに向き直りゆっくりと頭を下げ、エミリアもつられて頭を下げる。
ほんの少しの沈黙、最後なんだと感じたエミリアは笑顔を造り手を振った。
青年は少し寂しそうに手を振り、エミリアに背中を向ける。光の中に向かって歩き出す二人、リフェリティスはじっとどこかを見つめていた。
視線の先に目をやれば、どこかで見覚えのある少年が大きく手を振り駆けてくる。青年は気付くと驚いたように何かを話す。
どうやら怒っているようだ。少年は息を切らせながらペコペコと頭を下げた。
そして3人はエミリアに大きく手を振り、女神リフェリティスと共に光の中に消えていった。
明け方目を覚ましたエミリアは直ぐにジャンにウォーロフの無事を確認して欲しいと頼んだ。
ウォーロフは自室のベッドの上で冷たくなった姿で発見される。
神子の騎士が不審死とあってはならないと、神殿の上層部は騒いだ。死因は過労から来る心不全とされ、神殿はウォーロフの後追いとも取れる死を隠した。
1年ほどした後、公表すると言う。
ウォーロフの葬儀は密かに行われ、ガレスの墓所のほど近くに埋葬された。
いくら神に仕えるとはいえ、神殿は王家に並ぶ権力を持っている。綺麗事ばかりでは無いのだと分かっていてもエミリアはため息が出た。
葬儀から20日、エミリアは神託を受け駆け付けていたカーラと、アルドゥラからの癒しの神子2名を連れてクレーリュへと戻った。
カーラたち癒しの神子は皆同じ頃に神託を受けていた。
眩い光と共に、頭に直接言葉が流れ込んだ。
『役割を果たせ』と。
飛び起きたカーラは、何故か中央神殿へ行かなければと強く思い動いた。
アルドゥラの癒しの神子も多少違いはあれど同じようなものだった。だがアルドゥラの癒しの神子が国境を超えるのは許されて居らず、駆け付けたアルドゥラの癒しの神子は二人、この二人は商人らと共に偽造した身分証でアルドゥラを抜け、ラグゼルの国境では身分を明かし国内に入っていた。
亡命とも取れる行為。エミリアは無謀だと呆れもしたが感謝した。
3人が祈り続けてくれたおかげで、王都の環境は荒れず、エミリアはガレスの死を悼む事が出来た。
アルドゥラ側には王家を通して感謝を伝え、後日改めてアルドゥラに伺いたいと伝えた。当然それだけでは収まらないが、グラドールやジュリアス、アルドゥラ王家が間に立ち、争いにならないよう立ち回ってくれた。
今回エミリアの元へ駆けつけなかったアルドゥラの癒しの神子二名は、神託があったにも関わらず神殿の都合でラグゼルを訪れることは無かった。そしてまだ公表はされていないが二名は神子の証、聖紋が消失していたという。それもあり神殿側にはアルドゥラの大神官から様々な要望が来ているが、流石に神子の資格が消えたことへの保証などするはずも無い。
そしてエミリアとジャンは、クレーリュの街の更に奥、新しく建てられた屋敷で休息を取るようにと押し込められた。
「いつの間にこんな所に家を建てたのかしら」
庭先に置かれた白いベンチに腰掛けながらエミリアは呟く。
さして大きくもないが小さくもない一軒家。周囲は草原に囲まれ、少し離れた場所には何軒もの建物。騎士や神官の宿舎だと言う。
二人が住むこの屋敷には日に何度か騎士や神官が訪れるが、夕刻には皆下がってしまい朝まで二人きりになる。
明らかに意図を感じるが、久しく持てなかった緩やかな時間は、ささくれていた心を癒してくれた。
「ミリィ、そろそろ中に入らない?風が冷たくなってきたよ」
ジャンはエミリアに声をかけ手を差し出す。エミリアは慣れた様子でその手を取り立ち上がった。
ジャンと入れ替わりで護衛についていた騎士はエミリアに礼を取りさがる。ここ数日でこのやり取りも慣れてしまった。
「今日は兎のシチューだよ」
「ジャンが獲って来たの?」
「離れてごめん。どうしてもミリィに食べさせてあげたかったんだ」
「いいの。ありがとう」
テーブルにつきジャンの作ったシチューと向かい合う。
ガレスの死後、エミリアの食事量は目に見えて減っていた。皆心配したが 戻ることはなかった。そしてこの屋敷に移ってからはジャンがエミリアのために腕を奮っている。
ふわりと湯気が立ち、食欲をそそるいい匂いが立ち込めた。
スプーンで掬い口に運ぶと、懐かしい味。
「美味しい」
思わず顔が綻び、ジャンは嬉しそうに笑った。
「沢山あるからね」
(あの頃は当たり前にこんな日が来ると思ってた)
豪華ではなく、特に凝った料理でも無いが、ジャンの作るものはどれも昔からのエミリアの好物ばかりだった。
エミリアはここに来てからよく考える事がある。
幸せとは何か、と。
幸せには終わりがある。そう思うと、一歩が踏み出せない。
(分かってる。望んだのは今のこの生活、当たり前の日常。でも、これ以上は怖い。突き放されたら壊れてしまう)
「ミリィ?」
「・・・・・何?」
「もう少し食べる?」
「じゃあ、少しだけ」
嬉しそうに器を持ち新しくシチューをよそう。
本当なら作るのもおかわりを用意するのもエミリアの役割だった。それが今はジャンが用意している。
思い描いていたものと形は違うが、エミリアの望んでいた幸せがここにはあった。
「ねえジャン、後で話したいことがあるの」
「今、聞く?」
ジャンはシチューの入った皿をエミリアの前に置き座ると、神妙な面持ちで言った。
「いいえ。私も少し、考えたいから」
「そう。・・・・僕が、嫌な話し?」
「どうかしら、分からないわ」
「・・・・・・・・分かったよ」
食後エミリアはジャンを部屋に呼んだ。
緊張するジャンをソファーに座らせ、エミリアは小箱をローテーブルに置き少しだけ間を開けて隣に座った。
「ジャン、貴方はこのままでいいの?」
「・・・・なんの事か聞いても?」
「このまま私と居ていいのかと思って」
「いいに決まってる。もしかして話ってこれ?」
エミリアはテーブルの上に置いた小箱をすっとジャンの前に置いた。ジャンはじっと小箱を眺め、意を決した様に小箱を開いた。
中には何かの薬か、錠剤が入っていた。
「・・・・・・・・・・・これは」
どこか体が悪いのか。自分の知らぬ間に病にかかっていたのかと思い、ジャンは瞳を揺らしながらエミリアの答えを待った。
「この屋敷に来てから毎朝飲んでいるの」
気まずそうに視線を反らす姿に、ジャンは焦りを感じた。治るのか、治らないのか、痛みがあるのか苦しくはないのか。いや、時間を作って話すぐらいだ、きっと悪いに違いないと。
頭の中をぐるぐるとマイナスな考えばかりが思い浮かんだ。
「私、子供は持たないわ」
「・・・・・・・・・・・・・え?」
エミリアの言葉にジャンは目を白黒させ動揺した。なぜ今その話が出てくるのか、と。
ジャンはたっぷりと時間をかけ情報を処理し、ひとつの答えに行き当たった。
エミリアは相変わらず視線を反らしたままで、膝の上で何度も指を組みなおしていた。
ジャンは顔が熱くなるのを感じ、思わず下を向いた。
「そのっ、あっ、と、 僕は、ミリィが居てくれるなら、それで、いいんだ」
「・・・・・・いつか、欲しくなるかもしれないわ」
「い、言いきれない、けど、要らない」
「もし、欲しくなったら?」
「その時は、分からない」
「・・・・・・・・・・・そう」
気まずい沈黙が訪れるが、ジャンはふと、顔を上げた。
「ミリィは、欲しくないの」
「私は子供は持たないわ」
「それは、恵の神子だから、子供がいれば例えその子が神子では無くても争いの元となるから、だよね?そうではなくミリィ自身はどうなの」
エミリアは持たないとは言ったが持ちたくないとは言っていない。エミリアはジャンの言葉にひゅっと息を飲み、瞼を伏せた。
「・・・・・・・・・ほ、しい。私だって、人並みに、家庭を持ちたいと思ってる」
「なら、お互いどうしても欲しくなったら相談したらいいんじゃないかな」
「相談」
「そう。だって二人の問題でしょ?今は要らなくても将来は分からない。僕はこうだからこうしたい!なんて押し付けたくないし・・・もう、間違えたくないんだ。気持ちは伝えたいし、ミリィの気持ちも知りたい」
ジャンが言っていることはごく当たり前の事、なのにエミリアはジャンに言われて初めて気が付いた。ジャンにだけ聞くのはおかしなことだと。自分は子供を持たない、その言葉が押しつけになっていると。
「ミリィが子供を持てないなら養子を迎えてもいい、血が入っていなければリスクは少ないし、自分の子が欲しくなったら案外こっそり育てることだってきっと出来るし、どちらも怖いなら、孤児院に慰問に行くのはどう?育てられなくても、成長を見守ることは出来る。動物を飼うのもいい。僕は飼うなら犬がいいんだけど、ミリィは?」
「・・・私も、犬がいい」
「同じだね。じゃあ犬か猫かで揉めることは無いね」
極明るい表情で、明るい声で話すジャンに、エミリアは何だかわけも分からず泣きたくなった。
「結婚だって、出来ない」
「うん、知ってる。でも僕はミリィの騎士だから、それだけでも十分幸せだよ。でも、そうだね・・・・ミリィに花嫁衣裳、着せてあげたかった」
「なんで、なんでよっ、結婚も出来ないし、子供も持てないのにっ、私なんか要らないって言えばいいのにっ」
ボロボロと泣き出したエミリアに戸惑いながらも、ジャンはそっとエミリアの手を取った。
「じゃあ頂戴、ミリィを僕に。結婚も子供も要らないから」
ジャンはシャツの中で首から提げている小さな皮袋を取りだし、中からコロンと指輪を取りだした。
それはあの日ジャンの元に返ってきたエミリアに贈った指輪だった。
「本当は、もっと質のいい物をって思ったんだ。だけど、どうしてもこれを捨てられなくて」
「・・・・・・・指輪だって」
付けられない、そう伝えたかった。
以前の結婚を控えた婚約者では無い。あれからエミリアを取り巻く環境は随分と変わった。結婚すればいくら神子の騎士でも害が及ぶ。騎士を死なせずともエミリアから引き離す手立ては幾らでもある。もうあの頃のような思いは二度としたくなかった。
「うん、じゃあ今だけ付けて?」
ジャンがエミリアの手を取り、確認する様にエミリアの顔を見る。エミリアは瞳を揺らしながらじっとジャンを見つめていた。
エミリアのその様子を見て拒絶が無いことに安堵しながらジャンはその指に指輪を嵌めた。
「愛してる。どうか僕にミリィを下さい」
ピッタリと嵌った指輪に口付ける。
拒絶はなく、エミリアはただジャンの行動を大きく開いた瞳で見つめていた。
「・・・・私より、先に死んだら許さないから」
「うん、1秒でも長く生きるよう努力する」
ジャンに抱き寄せられ、エミリアは酷く安心したような気持ちになった。
張り詰めていた糸が緩んだのか、ジャンの温かさに眠気が襲う。
「ミリィ、その、今日から、一緒に寝ても?」
「・・・・・・・」
「この屋敷に来てからって、そういう事を意識してくれたって事で、良いんだよね?僕達は、子供とか以前に、その、まだ、だから」
「・・・・・・・ス―、ス―」
「ミリィ?・・・・え、嘘でしょ?」
エミリアとの距離が縮まった事は非常に喜ばしい事だったが、今この状態で、寝息を立て始めたエミリアにジャンは愕然とした。
エミリアが自分の元にジャンがいる事を許したのは2年前。
確かに二人の関係は変わってきた。少しづつエミリアはジャンを頼るようになり、ジャンがどれだけ話しかけても怒らず鬱陶しがらず聞いた。傍目には恵の神子とその騎士の当たり前の姿。近しい者だけがエミリアとの関係の変化に気が付き、その近しい者たち、ガレスを始めジュリアスやグラドールがエミリアのための場所を作り、一部神官や騎士たちがその環境を整える為奔走した。
エミリアが飲んでいる避妊薬は女性騎士から。リズが代表になりエミリアに話をした。
気を許しているリズの言葉にまだそんな関係じゃないとはつい話してしまったが、いつどのように関係が変わるかは分からず、エミリアに少しでもその気があるなら毎朝飲むように諭した。
これをきっかけにエミリアはジャンとの関係を考える様になった。
リズたち女性騎士はエミリアが欲しいと思うまでとのつもりであり、エミリアにも当然その様に伝え、エミリアも分かっていた。ただイリエストリナを思い出し、子供について考え過ぎてしまっていた。
結果として二人の関係は再び変化を始める事となる。
安心した顔で眠るエミリアをベッドまで運ぶと、エミリアが服を掴んでいたのをいい事に一緒にベッドへ潜り込むジャン。
そんな彼が明け方シーツをこっそり洗うのは五日後の事。
そしてジャンの物思いにふけりながらも何度もため息をつく姿に周囲は察し、リズたち女性騎士の優しい眼差しにエミリアが気付き部屋に籠るのは五日後の午後。閉じこもったエミリアにジャンが会えるのは更に丸一日経ってからだった。
ジャンの贈った指輪が再びエミリアの指に輝く姿は誰も見ることは無かったが、代わりにエミリアの首からはジャンの身に付けていた皮袋が下げられる事となった。
再び絵画の世界に入り込んだエミリアは辺りを見回した。
誰も居ない。
あの日黒く塗りつぶされた世界は前回以上に輝き、美しさを増していた。
相変わらず音も感触も無いが、丘の上から望む景色はまるで現実の世界の様に生き生きとしている。
木々がさわさわと揺れ、よく見れば足元には小さな虫コオロギだろう。葉があおいのだから夏の終わりかとどこかで感じた。
ふと何かを感じ横を向くと、あの青年がいた。
柔らかい笑顔でエミリアを見つめる青年に、エミリアは必死で言葉を紡ごうとした。
(ガレス、ガレスっ、ガレス!!)
青年は困ったような表情を見せ、エミリアに手を差し出す。
エミリアがその手を取ると、ハッとした。
以前は温かだった温もりを感じないのだ。
途端に悲しくなりくしゃりと顔を歪める。青年は慌てて首を振り、自分の口元を指さした。
あ、り、が、と、う。
目を丸くするエミリアに青年は安心させるように笑顔を向けた。
エミリアも同じようにゆっくりと唇を動かした。
わ、た、し、も、あ、り、が、と、う。
青年は少し考え理解したのか、破顔してエミリアを抱きしめた。
感触はなく、抱きしめられているのに異物感すら感じなかった。
それでも嬉しいと感じた。
エミリアも青年の背中に腕を回した。
そうしているうちに、絵画の世界に光が差し込んできた。
顔を上げると丘の反対側から強い光。その中にある見覚えのある人影。
女神リフェリティスだ。
青年は顔を固くしリフェリティスを見る。
リフェリティスが手を差し伸べるも、青年はその手を取ることは無かった。
するとリフェリティスの後ろからもう一人の人影がひょこりと顔を出した。見覚えの無い、とても綺麗で可愛らしい人だった。
青年はその女性を見ると瞠目し、女性はにっこりと笑いかける。
青年は走り出し女性を抱きしめくるくると回る。そして回り終えると女性はエミリアに向き直りゆっくりと頭を下げ、エミリアもつられて頭を下げる。
ほんの少しの沈黙、最後なんだと感じたエミリアは笑顔を造り手を振った。
青年は少し寂しそうに手を振り、エミリアに背中を向ける。光の中に向かって歩き出す二人、リフェリティスはじっとどこかを見つめていた。
視線の先に目をやれば、どこかで見覚えのある少年が大きく手を振り駆けてくる。青年は気付くと驚いたように何かを話す。
どうやら怒っているようだ。少年は息を切らせながらペコペコと頭を下げた。
そして3人はエミリアに大きく手を振り、女神リフェリティスと共に光の中に消えていった。
明け方目を覚ましたエミリアは直ぐにジャンにウォーロフの無事を確認して欲しいと頼んだ。
ウォーロフは自室のベッドの上で冷たくなった姿で発見される。
神子の騎士が不審死とあってはならないと、神殿の上層部は騒いだ。死因は過労から来る心不全とされ、神殿はウォーロフの後追いとも取れる死を隠した。
1年ほどした後、公表すると言う。
ウォーロフの葬儀は密かに行われ、ガレスの墓所のほど近くに埋葬された。
いくら神に仕えるとはいえ、神殿は王家に並ぶ権力を持っている。綺麗事ばかりでは無いのだと分かっていてもエミリアはため息が出た。
葬儀から20日、エミリアは神託を受け駆け付けていたカーラと、アルドゥラからの癒しの神子2名を連れてクレーリュへと戻った。
カーラたち癒しの神子は皆同じ頃に神託を受けていた。
眩い光と共に、頭に直接言葉が流れ込んだ。
『役割を果たせ』と。
飛び起きたカーラは、何故か中央神殿へ行かなければと強く思い動いた。
アルドゥラの癒しの神子も多少違いはあれど同じようなものだった。だがアルドゥラの癒しの神子が国境を超えるのは許されて居らず、駆け付けたアルドゥラの癒しの神子は二人、この二人は商人らと共に偽造した身分証でアルドゥラを抜け、ラグゼルの国境では身分を明かし国内に入っていた。
亡命とも取れる行為。エミリアは無謀だと呆れもしたが感謝した。
3人が祈り続けてくれたおかげで、王都の環境は荒れず、エミリアはガレスの死を悼む事が出来た。
アルドゥラ側には王家を通して感謝を伝え、後日改めてアルドゥラに伺いたいと伝えた。当然それだけでは収まらないが、グラドールやジュリアス、アルドゥラ王家が間に立ち、争いにならないよう立ち回ってくれた。
今回エミリアの元へ駆けつけなかったアルドゥラの癒しの神子二名は、神託があったにも関わらず神殿の都合でラグゼルを訪れることは無かった。そしてまだ公表はされていないが二名は神子の証、聖紋が消失していたという。それもあり神殿側にはアルドゥラの大神官から様々な要望が来ているが、流石に神子の資格が消えたことへの保証などするはずも無い。
そしてエミリアとジャンは、クレーリュの街の更に奥、新しく建てられた屋敷で休息を取るようにと押し込められた。
「いつの間にこんな所に家を建てたのかしら」
庭先に置かれた白いベンチに腰掛けながらエミリアは呟く。
さして大きくもないが小さくもない一軒家。周囲は草原に囲まれ、少し離れた場所には何軒もの建物。騎士や神官の宿舎だと言う。
二人が住むこの屋敷には日に何度か騎士や神官が訪れるが、夕刻には皆下がってしまい朝まで二人きりになる。
明らかに意図を感じるが、久しく持てなかった緩やかな時間は、ささくれていた心を癒してくれた。
「ミリィ、そろそろ中に入らない?風が冷たくなってきたよ」
ジャンはエミリアに声をかけ手を差し出す。エミリアは慣れた様子でその手を取り立ち上がった。
ジャンと入れ替わりで護衛についていた騎士はエミリアに礼を取りさがる。ここ数日でこのやり取りも慣れてしまった。
「今日は兎のシチューだよ」
「ジャンが獲って来たの?」
「離れてごめん。どうしてもミリィに食べさせてあげたかったんだ」
「いいの。ありがとう」
テーブルにつきジャンの作ったシチューと向かい合う。
ガレスの死後、エミリアの食事量は目に見えて減っていた。皆心配したが 戻ることはなかった。そしてこの屋敷に移ってからはジャンがエミリアのために腕を奮っている。
ふわりと湯気が立ち、食欲をそそるいい匂いが立ち込めた。
スプーンで掬い口に運ぶと、懐かしい味。
「美味しい」
思わず顔が綻び、ジャンは嬉しそうに笑った。
「沢山あるからね」
(あの頃は当たり前にこんな日が来ると思ってた)
豪華ではなく、特に凝った料理でも無いが、ジャンの作るものはどれも昔からのエミリアの好物ばかりだった。
エミリアはここに来てからよく考える事がある。
幸せとは何か、と。
幸せには終わりがある。そう思うと、一歩が踏み出せない。
(分かってる。望んだのは今のこの生活、当たり前の日常。でも、これ以上は怖い。突き放されたら壊れてしまう)
「ミリィ?」
「・・・・・何?」
「もう少し食べる?」
「じゃあ、少しだけ」
嬉しそうに器を持ち新しくシチューをよそう。
本当なら作るのもおかわりを用意するのもエミリアの役割だった。それが今はジャンが用意している。
思い描いていたものと形は違うが、エミリアの望んでいた幸せがここにはあった。
「ねえジャン、後で話したいことがあるの」
「今、聞く?」
ジャンはシチューの入った皿をエミリアの前に置き座ると、神妙な面持ちで言った。
「いいえ。私も少し、考えたいから」
「そう。・・・・僕が、嫌な話し?」
「どうかしら、分からないわ」
「・・・・・・・・分かったよ」
食後エミリアはジャンを部屋に呼んだ。
緊張するジャンをソファーに座らせ、エミリアは小箱をローテーブルに置き少しだけ間を開けて隣に座った。
「ジャン、貴方はこのままでいいの?」
「・・・・なんの事か聞いても?」
「このまま私と居ていいのかと思って」
「いいに決まってる。もしかして話ってこれ?」
エミリアはテーブルの上に置いた小箱をすっとジャンの前に置いた。ジャンはじっと小箱を眺め、意を決した様に小箱を開いた。
中には何かの薬か、錠剤が入っていた。
「・・・・・・・・・・・これは」
どこか体が悪いのか。自分の知らぬ間に病にかかっていたのかと思い、ジャンは瞳を揺らしながらエミリアの答えを待った。
「この屋敷に来てから毎朝飲んでいるの」
気まずそうに視線を反らす姿に、ジャンは焦りを感じた。治るのか、治らないのか、痛みがあるのか苦しくはないのか。いや、時間を作って話すぐらいだ、きっと悪いに違いないと。
頭の中をぐるぐるとマイナスな考えばかりが思い浮かんだ。
「私、子供は持たないわ」
「・・・・・・・・・・・・・え?」
エミリアの言葉にジャンは目を白黒させ動揺した。なぜ今その話が出てくるのか、と。
ジャンはたっぷりと時間をかけ情報を処理し、ひとつの答えに行き当たった。
エミリアは相変わらず視線を反らしたままで、膝の上で何度も指を組みなおしていた。
ジャンは顔が熱くなるのを感じ、思わず下を向いた。
「そのっ、あっ、と、 僕は、ミリィが居てくれるなら、それで、いいんだ」
「・・・・・・いつか、欲しくなるかもしれないわ」
「い、言いきれない、けど、要らない」
「もし、欲しくなったら?」
「その時は、分からない」
「・・・・・・・・・・・そう」
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「ミリィは、欲しくないの」
「私は子供は持たないわ」
「それは、恵の神子だから、子供がいれば例えその子が神子では無くても争いの元となるから、だよね?そうではなくミリィ自身はどうなの」
エミリアは持たないとは言ったが持ちたくないとは言っていない。エミリアはジャンの言葉にひゅっと息を飲み、瞼を伏せた。
「・・・・・・・・・ほ、しい。私だって、人並みに、家庭を持ちたいと思ってる」
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「相談」
「そう。だって二人の問題でしょ?今は要らなくても将来は分からない。僕はこうだからこうしたい!なんて押し付けたくないし・・・もう、間違えたくないんだ。気持ちは伝えたいし、ミリィの気持ちも知りたい」
ジャンが言っていることはごく当たり前の事、なのにエミリアはジャンに言われて初めて気が付いた。ジャンにだけ聞くのはおかしなことだと。自分は子供を持たない、その言葉が押しつけになっていると。
「ミリィが子供を持てないなら養子を迎えてもいい、血が入っていなければリスクは少ないし、自分の子が欲しくなったら案外こっそり育てることだってきっと出来るし、どちらも怖いなら、孤児院に慰問に行くのはどう?育てられなくても、成長を見守ることは出来る。動物を飼うのもいい。僕は飼うなら犬がいいんだけど、ミリィは?」
「・・・私も、犬がいい」
「同じだね。じゃあ犬か猫かで揉めることは無いね」
極明るい表情で、明るい声で話すジャンに、エミリアは何だかわけも分からず泣きたくなった。
「結婚だって、出来ない」
「うん、知ってる。でも僕はミリィの騎士だから、それだけでも十分幸せだよ。でも、そうだね・・・・ミリィに花嫁衣裳、着せてあげたかった」
「なんで、なんでよっ、結婚も出来ないし、子供も持てないのにっ、私なんか要らないって言えばいいのにっ」
ボロボロと泣き出したエミリアに戸惑いながらも、ジャンはそっとエミリアの手を取った。
「じゃあ頂戴、ミリィを僕に。結婚も子供も要らないから」
ジャンはシャツの中で首から提げている小さな皮袋を取りだし、中からコロンと指輪を取りだした。
それはあの日ジャンの元に返ってきたエミリアに贈った指輪だった。
「本当は、もっと質のいい物をって思ったんだ。だけど、どうしてもこれを捨てられなくて」
「・・・・・・・指輪だって」
付けられない、そう伝えたかった。
以前の結婚を控えた婚約者では無い。あれからエミリアを取り巻く環境は随分と変わった。結婚すればいくら神子の騎士でも害が及ぶ。騎士を死なせずともエミリアから引き離す手立ては幾らでもある。もうあの頃のような思いは二度としたくなかった。
「うん、じゃあ今だけ付けて?」
ジャンがエミリアの手を取り、確認する様にエミリアの顔を見る。エミリアは瞳を揺らしながらじっとジャンを見つめていた。
エミリアのその様子を見て拒絶が無いことに安堵しながらジャンはその指に指輪を嵌めた。
「愛してる。どうか僕にミリィを下さい」
ピッタリと嵌った指輪に口付ける。
拒絶はなく、エミリアはただジャンの行動を大きく開いた瞳で見つめていた。
「・・・・私より、先に死んだら許さないから」
「うん、1秒でも長く生きるよう努力する」
ジャンに抱き寄せられ、エミリアは酷く安心したような気持ちになった。
張り詰めていた糸が緩んだのか、ジャンの温かさに眠気が襲う。
「ミリィ、その、今日から、一緒に寝ても?」
「・・・・・・・」
「この屋敷に来てからって、そういう事を意識してくれたって事で、良いんだよね?僕達は、子供とか以前に、その、まだ、だから」
「・・・・・・・ス―、ス―」
「ミリィ?・・・・え、嘘でしょ?」
エミリアとの距離が縮まった事は非常に喜ばしい事だったが、今この状態で、寝息を立て始めたエミリアにジャンは愕然とした。
エミリアが自分の元にジャンがいる事を許したのは2年前。
確かに二人の関係は変わってきた。少しづつエミリアはジャンを頼るようになり、ジャンがどれだけ話しかけても怒らず鬱陶しがらず聞いた。傍目には恵の神子とその騎士の当たり前の姿。近しい者だけがエミリアとの関係の変化に気が付き、その近しい者たち、ガレスを始めジュリアスやグラドールがエミリアのための場所を作り、一部神官や騎士たちがその環境を整える為奔走した。
エミリアが飲んでいる避妊薬は女性騎士から。リズが代表になりエミリアに話をした。
気を許しているリズの言葉にまだそんな関係じゃないとはつい話してしまったが、いつどのように関係が変わるかは分からず、エミリアに少しでもその気があるなら毎朝飲むように諭した。
これをきっかけにエミリアはジャンとの関係を考える様になった。
リズたち女性騎士はエミリアが欲しいと思うまでとのつもりであり、エミリアにも当然その様に伝え、エミリアも分かっていた。ただイリエストリナを思い出し、子供について考え過ぎてしまっていた。
結果として二人の関係は再び変化を始める事となる。
安心した顔で眠るエミリアをベッドまで運ぶと、エミリアが服を掴んでいたのをいい事に一緒にベッドへ潜り込むジャン。
そんな彼が明け方シーツをこっそり洗うのは五日後の事。
そしてジャンの物思いにふけりながらも何度もため息をつく姿に周囲は察し、リズたち女性騎士の優しい眼差しにエミリアが気付き部屋に籠るのは五日後の午後。閉じこもったエミリアにジャンが会えるのは更に丸一日経ってからだった。
ジャンの贈った指輪が再びエミリアの指に輝く姿は誰も見ることは無かったが、代わりにエミリアの首からはジャンの身に付けていた皮袋が下げられる事となった。
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シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。
そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。
ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。
そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。
邪魔なのなら、いなくなろうと思った。
そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。
そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。
無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。
【R18】六つのかりそめの閨
テキイチ
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