溢れるほどの花を君に

ゆか

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少年は飛び上がるようにイリエストリナの肩掛けをかけ直し、椅子に掛かっていた膝掛けを掛けた。


「イリーお姉さん、僕ダルダさん探してくるよ。きっと何時もの酒場か船長の所でしょ?」


「いいの。もういいのよ」


何処か諦めたようなイリエストリナの顔に、エミリアの心臓はどくどくと鼓動を早めた。



──男は丘の上に家を建て、イリエストリナは残った僅かな加護を男の為に使った。




夕刻になり、子供たちは部屋の窓をしっかりと閉め、イリエストリナをベッドに押し込んだ。

イリエストリナの咳は酷くなり、顔にはうっすらと汗が滲んでいる。


「皆を送ったらまた戻ってくるよ」


「平気よ。きっとダルダが帰ってくるから」


「でも」


「ありがとう。あなたたちはとても綺麗ね。純粋で真っ直ぐで。」


そう言うとふっとイリエストリナは笑顔になった。


「元気になったらまたクッキーを作るわ。」


「・・・・・・分かったよ。でも明日も来るから。」



少年は子供たちを玄関から出すと、鍵をかけ寝室の窓から外に出、庭側に回り外側から窓を閉めると「また明日」そう言って子供たちを連れて帰っていった。





「ゴホッ!ゴホゴホッ!」



無理に押さえていたのか、途端に激しく咳き込み出す。

咳が治まると、イリエストリナはベッドから出て窓辺に椅子を置き窓を開け座った。


エミリアは必死にイリエストリナに声をかけようとするがそれは叶わなかった。


咳はますます酷くなり、胸からは離れていても分かる程のざらついた異常な音。冷たい風が室内を満たす中、イリエストリナは肩掛け1枚で窓枠に凭れ真っ暗になった外をじっと見つめていた。


やがて諦めたように視線を外しホロホロと涙をこぼし、眠るように瞼を閉じた。



エミリアは必死にイリエストリナに触れようとしたがすり抜けるばかりで触れることは叶わない。

この先イリエストリナがどうなるか知っている。それでも、一人で逝かせてはいけないと思った。





ふわりとイリエストリナの体が浮いた。

女神リフェリティスがイリエストリナを抱き上げベッドへ運んだ。

薄く瞼を開くイリエストリナ。その瞼は直ぐに閉じられてしまう。


助かるかもしれない。エミリアは女神リフェリティスを見て少しの希望を抱いた。


何時ものように額を合わせるがイリエストリナに変化は見られなかった。


「神は万能ではない。生きようともがく者に活力を与えることは出来ても、死を受け入れ望む者に私の力は及ばない。あの男と婚姻を望み、肉の契りを交わした時からこれは神力の殆どを失い、残る僅かな神力を男に与えた。だがいくら人間に惹かれ、慈悲を与えても真に人間になる事は出来ない」


──ダルダに与えた加護をイリエストリナに戻せば


「神が与えた加護を他の神が取り上げることはできない。が、それでも私の元は私の一部。イリエストリナの命が尽きれば、与えられた加護はその命と共に私に戻す事が出来る。」


エミリアは女神リフェリティスの言葉に瞠目した。



「神の子は神、正しくは私の子ではないがな。」



女神リフェリティスはイリエストリナの肩まで毛布をかけると、エミリアに体を向ける。


「お前は何を望む」


自分の望み。

分からない。

ただ、幸せになりたかった。

そのために何をしたのか、何をしなかったのか。


澄んだ金の瞳は真っ直ぐにエミリアに向けられる。エミリアはその瞳に吸い寄せられながら口を開く。


「・・・・イリエストリナの犯した罪とは」


「もう分かっているのではないか?」



会話ができることに驚きながらも、エミリアは続ける。


「・・・・何も聞かず、目と耳を塞ぎ逃げた」


エミリアはずっとイリエストリナと同じものを見て、ダルダとの関係を間近に見た。そしてイリエストリナの事も。

もし自分の言葉が届くのなら、エミリアはダルダと向かい合うようにと説得をしただろう。問いただせと。



「これは穢れに弱く幼い。人間の嘘や誤魔化しに向き合えるほど強くは無いのだ。」


「今から、助けることは出来ないのでしょうか。貴女の、女神リフェリティスの力ならっ」


「出来ない。これは死を望んでいる。どんなに神力を注いでもすべて流れ出してゆく。今もイリエストリナの心は死という救いを求めている。」



ベッドの中のイリエストリナは大量の汗をかき苦しそうな呼吸を繰り返し、既に意識は無い。


「過去は変わらない」


目の前で消えてしまいそうな命。

過去は変わらない、分かっている。




「イリーお姉さん!!」


窓から転がり落ちるように部屋に入る少年は、イリエストリナの様子が異常であると慌てた。額に手を宛て、何度も名を呼んだ。


「イリーお姉さん!!イリーお姉さん!!しっかりして!!人を呼んでくるから!!」


少年にはエミリアのことも女神リフェリティスも見えては居ないようで、必死にイリエストリナの手を握り話しかける。


イリエストリナの瞼が微かに動き、ほんの少し、開いているかも分からないくらいに瞼を持ち上げた。


「ダ・・・・ルダ?

ど・・・・・して?・・・・わた・・・が

人の・・・子を・・・・・・・め・・ない

・・・・・から?」


「お姉さん?何いって、、、、お姉さん!!お姉さん!!」



イリエストリナの苦し気な呼吸は止まり、目尻から一筋の涙が流れ落ちた。




少年は獣のような声を上げ続け、それが収まると女神リフェリティスはイリエストリナの手を握り助けられなかったことに許しを乞う少年の頭を一撫でした。

少年はビクリと肩を震わせ跳び跳ね、女神リフェリティスを睨み付けた。

恐らくダルダが帰ったと思ったのだろう。

少年は女神リフェリティスの姿を見て誰なんだと動揺した。


「少年、名を」


「あ、あんたは誰だ」


「私はリフェリティス。イリエストリナの・・・母親だ。」


「・・・イリーお姉さんの…?リフェリティスって、女神様と同じ名前?」


「名を」


「ぼ、僕はイーダン、イーダン・アッカー。あんたは、・・・あなたは、、、」


イーダンは女神リフェリティスの金色の瞳をじっと見つめながら足を震わせた。目を反らすことはないが、イーダンの表情には恐れが浮かぶ。


「イリエストリナは一人きりで最後を迎えずにすんだ。イーダン、君のお陰だ。ありがとう」


「な、んで、何で、イリーお姉さんを助けてくれなかった!」


イーダンはガクガクと震えながら、涙を流しながら女神リフェリティスを睨み付けた。

やはりイーダンにエミリアは見えないようで、エミリアはその光景を見守ることしかできなかった。


「人間の生き死にに関わることはできない」


「あなたの、娘なら!」


「人間と契りを交わし人間に堕ちた。イリエストリナは死を望み、私を拒絶した。」


言いたいことはたくさんあるのだろう。イーダンは唇を噛みしめて女神リフェリティスに背を向ける。

熱を失い冷たくなったイリエストリナの手を再び取り、どうして、どうしてと呪文のように呟いた。


「イリエストリナが何を見、感じたか知りたいか」


イリエストリナに対しイーダンは恐らく、いや確実に好意を持っている。そのイーダンに知らせるのはあまりに酷であると、エミリアは女神リフェリティスの言葉を遮ろうとしたが、エミリアの口は言葉を紡ぐことが出来なかった。


イーダンは頷き、女神リフェリティスはイーダンの額に白く長い指先をトンとあてた。

時間にして十数秒だろう。イーダンの表情はみるみるうちに怒りに歪んで行く。



「あ、あぁ、、、女神リフェリティス様、あの男が、何処にいるか教えてください」


「・・・・ハンナ・ジディスの自宅だ」

「ジディス・・・嵐で、夫を亡くした・・・」


イーダンはイリエストリナの汗ばんだ顔や髪を綺麗に整え胸の前で指を組ませ肩まで毛布を掛け、優しくイリエストリナに話しかける。



「イリーお姉さん、また来るからね」


そう言うと額にキスを落とし玄関の鍵を確認するとまた窓から外へ出た。





「何故あの子にあんな事を」


「人が生きるために怒りが必要な事もある」


「意味が分からない。それがあの子の為になるの?」


「・・・・・元の肉体へ戻れ。」


女神リフェリティスはエミリアにそう告げると額に指を当てる。


「駄目!」


エミリアはその手を払い除け距離をとった。



「事実を知りたい。ダルダは本当に裏切ったの?ダルダやこの町は、イーダンはどうなったの!?」


「知ってどうする。過去は変わらない」


「何故、二人は巡り合うの?」



女神リフェリティスは何も言わず、エミリアに向かって指を振る。


カッと眩しい閃光に目を閉じた。








騒がしさに再び目を開けると、そこにはダルダに馬乗りになって殴りかかるイーダンの姿があった。







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