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私はアリエーラ・結城 5

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ただ扉を叩いて渡すだけなのに、いざ扉の前に立つと叩くだけの事が出来ない。

扉が開いたらどうすればいいか。お見舞いだと渡すだけでいいのか、不格好な花を受け取ってくれるだろうか。いや、今更なんだと突き返されるかもしれない。


「入らないのかい?」
「っ!!」

扉の前でじっとしていると背後から声をかけられ、驚き距離を取った。
一瞬で爆発した心臓を服の上から掴み相手を見る。
長い銀髪を肩から流す人間の男。ありえない、なんの気配もしなかった。

「カイル、様」

何時だってこの人は何か得体の知れないものに見えた。
あの格子窓の部屋にいた時も、外に出てからも。ジンのように強いのだろうが、この瞳ので見つめられると見透かされているような感覚。人間の男なのにまるで違う生き物のように感じる。
要は、私はこの男が怖い。


コンコン。
彼がノックすると直ぐに扉が開く。
祖父が顔を出し私とカイル様を認めると扉を開き中へ導いた。カイル様は真っ直ぐに部屋にあるもうひとつの扉を潜り声をかけた。

「ふふふ、今日は少し顔色がいいね」
「カイル、お帰りなさい。今日は何時もよりずっと体調がいいの。だからもう平気よ?」
「それは困ったね。私は疲れているからリンとゆっくりしたかったのだけど」
「もう! そう言ってまた私を部屋から出さないつもりね?」


祖母の部屋はとてもいい香りがした。これは最初の日に嗅いだ彼女の匂い。なんて言うか、お腹が空いている時に美味しいものを目の前に置かれた時のような感じのする匂い。
私の位置からは見えないが、続き扉の向こうは寝室なんだろう。あちら側から特に強く香ってくる。

「さあ、おいで」

祖父に導かれ部屋の奥へと進む。寝室へ入ると大きなベッドに、小さい体がひとつ。すぐ脇ではにカイル様が椅子に腰掛け祖母の手を握っていた。

「リンコ、小さなお客様だよ」

祖父の言葉に祖母が顔を向ける。私は緊張で持っていた花束をギュッと握りしめた。
祖母は私を見て目を大きく開きふんわりと笑顔になった。

「いらっしゃい」

「……これを」

祖父に背中を押された私は恐る恐る花束を差し出した。摘んでから時間が経って項垂れた花もある。強く握りしめたせいで潰れた茎からは緑色の汁が。
そんなものを貰っても嬉しくはないだろうと、何だかとても惨めな気持ちになった。


「可愛いお花をありがとう。とてもいい香り」
「…………」
「少し体調を崩していて、お散歩に出れなかったの。とても嬉しいわ」
「…………」
「これは新しく入ったハリが世話をしてるガーベラね?これは西側にあるマリーゴールドにディアまで。お庭を回ってくれたのね。私は中々行けないからすごく嬉しいわ」

何だか喉や胸が詰まるような気がして、どう言ったらいいのか分からなかった。ただ、祖母の笑顔は嘘ではなく本物だと、そう感じた。

カイル様が花瓶に生けると花束を祖母から受け取り部屋を出る。気がつけば祖父も部屋から出ていて、部屋には祖母と二人だけになっていた。

「あの時は、不用意に近づいてごめんなさい」
「い、え……私こそ、失礼な態度を取りました」
「名前を、呼んでもいいかしら」

急な謝罪に戸惑った。謝るべきは自分である筈だし、名前を呼ぶ事に許可はいらないと思った。それでも小さく頷くと、祖母はホッとしたように小さく息を吐いた。


「アリエーラ。仲直り、してくれる?」

「なかなおり……?」

「私を許してくれる?」

許すも何も無い。許しを乞うべきは私の方で、祖母には私を罰する権利がある。
分からない。何故こうなっているのか。

「…………では、わ、私も許して貰えますか?」

「勿論よ。こちらへ来てくれるかしら?」

祖母はベッドから足を下ろしその縁に座ると、すぐ隣をポンポンと優しく叩く。
そこに座れと言うことだろうか。
おずおずと近づき、少し間隔をあけて腰掛けると、祖母は私の手を取った。

「ハグしていい?」

ハグ。ハグとはなんだろう?よく分からないがこの様子では痛いことじゃない。だから「はい」と答えた。


「……っ!!」

祖母が私を抱き、咄嗟にまた突き放そうとしてしまった。すんでのところでどどまり、身を固くした。
叩かれたり引っ張られたり、少しの接触はあっても、誰かにこんな風に抱かれたのは初めてだった。
どうしたらいいのか、どう終わらせるのか分からない。私は酷く混乱していたが、背中や髪を撫でる祖母の手が微かに震えているのに気がついた。その胸の音も早く力強い。
私と同じく祖母も緊張しているのだ。

私と祖母はしばらくの間そうしていた。そうして改めて初日の行動を謝罪すると、祖母はまた私を抱きしめた。





それから私は朝一番に部屋を尋ねるようになった。私が来ることが分かっているから厨房へは行かなくなった。そして毎食とお茶の席も一緒に過ごした。誰の味付けでも残さず食べれば祖母は安心したように笑顔になる。
無理に厨房へ立たなくなった祖母は体調も良くなり好きな散歩を再開できるようになった。ただ、長く外にいるのは体力的にも難しく、私はあの日ウィリアムに案内されたのと同じ程の距離で様々な花の元へ案内した。

祖母は私と風呂に入り一緒にベッドで休むことも多い。そして一日の終わりに額にキスをくれるのだ。夫がいるのだから独占は出来ないけれど、私は胸が温かくなるような心地良さに、これが幸せなのかもしれないと思うようになる。


そんな日々が続き、いつもの様にベッドの中で私を抱き寄せる祖母に聞いた。「何とお呼びしたら良いですか」と。

「孫だからおばあちゃん?」

そう答えた祖母に、上手くは言えないけれど、そういうのが分からないといえば「私は結城凛子です。どうぞ宜しく」と言った。

「私は、アリエーラ……結城、です」

初めて自分から口にした名前。不思議な感覚で、なんだかふわふわした。
好きに呼んでいいのよと言われ、では私の事もと返すと「アリエーラ」と、何度も呼びながら優しく髪を撫でてくれた。


「凛子、様……私は、獣人なのに?」
「命に種族は無いし、孫だから、だけじゃないの。きっと血の繋がりなんかなくたって大事に思ってた。あなたは私の大切なアリエーラよ。」



金蔓でも孫でもない。
目の前のこの人は私を、ただのアリエーラとして大切に思ってくれている。


そしてこの時から私の中で祖母は祖母ではなく凛子様になった。







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