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第一章
プロローグ
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「ねえ、アドリアン好きよ。」
「ありがとうございます、カレン。嬉しいです。」
わざとらしく開かれたドアの隙間から男女の声が聞こえた。
その瞬間、私はノックをしようとしていた手をピタリと止める。
聞き覚えのある二人の声で、自分の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。
物音を立てない様にゆっくりとドアへと片耳を傾け、会話を聞こうとして中腰になる。
「本当?良かったあ。」
弾んだ女性の声。
男性の返答が彼女の満足のいくものだったらしく、声色だけで嬉しそうだという事がわかる。
「それって…あの人よりも私の事が好きってこと?」
分かり切った答えを態々聞いてくるあたり、彼女の性格が窺える。
彼女の言うあの人、とは恐らく私の事を指している。
常日頃から彼女は私を敵対視していたので、間違いないだろう。
私は今まで誰の反感も買うことなく、地味に暮らしてきたつもりだ。
決してこんな男女の揉め事に巻き込まれるタイプではない。
だが、私が彼女に嫌われている明確な原因はある。
「当たり前ですよ。」
続いて聞こえてきた、男性の声。
心のどこかで聞き違いであってほしいと願ったが、紛れもなくこの声はあの方の声だった。
この国の皇太子アドリアン・アルフォール。
眩しいほどの金髪に、ペリドットのような美しい瞳で全員を魅了する。
幼少時代より剣術の才能があったらしく、自身の騎士団を所有し団長を務めている。
実際に敵国に攻め入れられた時に自ら指揮を執って戦陣に立った。
彼の見事な戦略と冷静な判断により、帝国の危機を救ったのだ。
素晴らしい功績を持った彼は、今やアルフォール帝国の英雄として崇められている。
加えて、皇族にしては珍しい穏やかな性格で、平民にも分け隔てなく優しい彼は帝国民から好かれて当然の存在だ。
帝都では彼の絵姿が飛ぶように売れるのだとか。
そんな彼が数年前に妃を迎えた。
その話題は帝国全土に衝撃が走り、帝国一の人気者である彼を夫にした幸運な令嬢は一体誰なのかと噂になったほど。
その噂の的である相手というのがまさにこの私、コルベール公爵家の長女イヴェット・コルベールだ。
白金の髪に紫の瞳。
人目を引くほどではないが、どちらかと言えば可愛らしい顔立ち。
才女として名高いサンドラ・コルベールを母に持つイヴェットは淑女教育は完璧だった。
だが、それ以外に特別何かに秀でているものがある訳ではない。
コルベール家の人間としては平凡な令嬢だった。
なぜ、私がアドリアン様のお相手なのか。
そう思った令嬢はたくさんいただろう。
結婚式当日は多くの令嬢たちが涙を流していた。
その中には勿論件の彼女の姿もあったのだ。
恐らくその日から私は彼女へ嫌われるようになってしまったのだろう。
妬み嫉みの感情を向けられる中で迎えた結婚式。
誰もが私を羨ましがり帝国の英雄と結婚した令嬢は幸せに暮らすだろうと誰もが思っていた。
しかし、その結果がこれである。
「アドリアン、ねえ良いでしょ?」
「…まったく、しょうがない子ですね。」
甘ったるい声を出している彼女。
同性から見たら、よくそこまで猫が被れるものだなと感心する。
(結局、こうなるのね…。)
胸が締め付けられるような痛みを一瞬感じたが、諦めの気持ちの方が勝った。
こういった場面に遭遇するのは一度や二度ではない。
アドリアン様の彼女に対する気持ちは知っていた。
知っていて見て見ぬふりをすることを選んだのは自分自身だ。
彼女に向けられる眼差しが、いつか私にも向けられるのではないかと思っていた。
そんな日など来るわけないのに。
私はなんて惨めで愚かなのだろう。
(アドリアン様…。)
優しい彼が好きだった。
努力を惜しまない彼が好きだった。
真剣な面持ちで剣を振るう姿が好きだった。
あなたの温かい笑顔が好きだった。
だけど―
(私がどんなに想い続けていても、アドリアンは振り向いてはくれない。あんな、愛しむような声で話しかけてはくださらない。)
今回こそ、本当に諦める時だ。
いい加減にアドリアン様を解放してあげなければいけない。
本当は『前の人生』で既に分かっていたことだった。
アドリアン様が私の事を好きになることはあり得ない。
だってアドリアン様は、私の事が嫌いなのだから。
諦めの悪い私は彼の優しさに甘え続けてしまった。
(…今度こそ、さようなら。アドリアン様。)
涙は出てこない。
代わりに心にぽっかりと穴が空いてしまったみたいな感覚がした。
私はその事に気づかないふりをする。
静かに立ち上がり、ドアから離れる。
背後からは布の擦れる音が聞こえた。
何をしているのかなんて知りたくない。
これ以上、二人の逢瀬を聞いていたくない私は耳を塞いだ。
そんなことよりも、これからの事を考えねばならない。
私はある計画を頭の中で練りながら、その場を去って行った。
「ありがとうございます、カレン。嬉しいです。」
わざとらしく開かれたドアの隙間から男女の声が聞こえた。
その瞬間、私はノックをしようとしていた手をピタリと止める。
聞き覚えのある二人の声で、自分の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。
物音を立てない様にゆっくりとドアへと片耳を傾け、会話を聞こうとして中腰になる。
「本当?良かったあ。」
弾んだ女性の声。
男性の返答が彼女の満足のいくものだったらしく、声色だけで嬉しそうだという事がわかる。
「それって…あの人よりも私の事が好きってこと?」
分かり切った答えを態々聞いてくるあたり、彼女の性格が窺える。
彼女の言うあの人、とは恐らく私の事を指している。
常日頃から彼女は私を敵対視していたので、間違いないだろう。
私は今まで誰の反感も買うことなく、地味に暮らしてきたつもりだ。
決してこんな男女の揉め事に巻き込まれるタイプではない。
だが、私が彼女に嫌われている明確な原因はある。
「当たり前ですよ。」
続いて聞こえてきた、男性の声。
心のどこかで聞き違いであってほしいと願ったが、紛れもなくこの声はあの方の声だった。
この国の皇太子アドリアン・アルフォール。
眩しいほどの金髪に、ペリドットのような美しい瞳で全員を魅了する。
幼少時代より剣術の才能があったらしく、自身の騎士団を所有し団長を務めている。
実際に敵国に攻め入れられた時に自ら指揮を執って戦陣に立った。
彼の見事な戦略と冷静な判断により、帝国の危機を救ったのだ。
素晴らしい功績を持った彼は、今やアルフォール帝国の英雄として崇められている。
加えて、皇族にしては珍しい穏やかな性格で、平民にも分け隔てなく優しい彼は帝国民から好かれて当然の存在だ。
帝都では彼の絵姿が飛ぶように売れるのだとか。
そんな彼が数年前に妃を迎えた。
その話題は帝国全土に衝撃が走り、帝国一の人気者である彼を夫にした幸運な令嬢は一体誰なのかと噂になったほど。
その噂の的である相手というのがまさにこの私、コルベール公爵家の長女イヴェット・コルベールだ。
白金の髪に紫の瞳。
人目を引くほどではないが、どちらかと言えば可愛らしい顔立ち。
才女として名高いサンドラ・コルベールを母に持つイヴェットは淑女教育は完璧だった。
だが、それ以外に特別何かに秀でているものがある訳ではない。
コルベール家の人間としては平凡な令嬢だった。
なぜ、私がアドリアン様のお相手なのか。
そう思った令嬢はたくさんいただろう。
結婚式当日は多くの令嬢たちが涙を流していた。
その中には勿論件の彼女の姿もあったのだ。
恐らくその日から私は彼女へ嫌われるようになってしまったのだろう。
妬み嫉みの感情を向けられる中で迎えた結婚式。
誰もが私を羨ましがり帝国の英雄と結婚した令嬢は幸せに暮らすだろうと誰もが思っていた。
しかし、その結果がこれである。
「アドリアン、ねえ良いでしょ?」
「…まったく、しょうがない子ですね。」
甘ったるい声を出している彼女。
同性から見たら、よくそこまで猫が被れるものだなと感心する。
(結局、こうなるのね…。)
胸が締め付けられるような痛みを一瞬感じたが、諦めの気持ちの方が勝った。
こういった場面に遭遇するのは一度や二度ではない。
アドリアン様の彼女に対する気持ちは知っていた。
知っていて見て見ぬふりをすることを選んだのは自分自身だ。
彼女に向けられる眼差しが、いつか私にも向けられるのではないかと思っていた。
そんな日など来るわけないのに。
私はなんて惨めで愚かなのだろう。
(アドリアン様…。)
優しい彼が好きだった。
努力を惜しまない彼が好きだった。
真剣な面持ちで剣を振るう姿が好きだった。
あなたの温かい笑顔が好きだった。
だけど―
(私がどんなに想い続けていても、アドリアンは振り向いてはくれない。あんな、愛しむような声で話しかけてはくださらない。)
今回こそ、本当に諦める時だ。
いい加減にアドリアン様を解放してあげなければいけない。
本当は『前の人生』で既に分かっていたことだった。
アドリアン様が私の事を好きになることはあり得ない。
だってアドリアン様は、私の事が嫌いなのだから。
諦めの悪い私は彼の優しさに甘え続けてしまった。
(…今度こそ、さようなら。アドリアン様。)
涙は出てこない。
代わりに心にぽっかりと穴が空いてしまったみたいな感覚がした。
私はその事に気づかないふりをする。
静かに立ち上がり、ドアから離れる。
背後からは布の擦れる音が聞こえた。
何をしているのかなんて知りたくない。
これ以上、二人の逢瀬を聞いていたくない私は耳を塞いだ。
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