赤い髪の騎士と黒い魔法使い

服従と抵抗

2 滅びの魔法

　兄が部屋を出て行ってから、シンはふぅと息を吐いた。本当はこんな学園は今すぐにでも出ていきたいのだが、そういうわけにはいかない。理事長との約束（それは脅迫に近かったが）を破れば、彼は家族に何をするか分からない。育ててくれた両親と、大好きな兄を、危険な目に合わせるわけにはいかなかった。

　だからこの一週間、シンは理事長の魔法に耐えた。何度かやって来た理事長に、まばたきする事で服従の意思を伝え、怯えた様子を見せて、少しずつ拘束の魔法を軽くしてもらった。
　起き上がれるようになっても、理事長に逆らって何度かもとの状態に戻ってしまったが、シンはその経験で理事長が機嫌を悪くするぎりぎりのラインがどこなのか少しだけ把握していた。

　ベッドから起きて、部屋の隅にある鏡を見る。
　鏡の中にはさえない顔色の、気の弱そうな黒髪の少年が写っている。この見た目なら、少しは相手に油断してもらえるはずだ。実際に油断してもらわないと話にならない。
　この一週間水しか与えてもらえなかったし、定期的に血を奪われると力も魔力も減ってしまう。今のシンでは理事長に逆らうことは出来なかった。

　だけど。

　シンは枕の下に置いている魔法書を取り出し、その赤いカバーをそっと撫でる。
　それから本を開き、魔法書の白紙のページに、起き上がれなかった間に頭の中に浮かんだ呪文を指でさらさらと書き込んでいく。
　少しの魔力を足すだけで、魔法書には美しい呪文が黒い文字で残されていく。書き込むとそれを破り、手のひらで包んで消した。

　宮廷魔法使いは、魔法書を常に持ち歩かなくてすむように別の空間に置いて、戦闘の時だけ呼び出して使う。それは高度な召喚の魔法で、シンが使ったのもその魔法だ。
　ただ、シンの場合はページだけを別の空間に飛ばしていた。
　いつ理事長に魔法書を奪われるか分からないからだ。だから増え続けている魔法書のページも、常に破って減らしていた。

　シンは、理事長に服従し続ける未来など絶対に嫌だった。
　封印されていた魔力が戻った時、最初に浮かんだ呪文で、シンは自分に竜の血が半分流れているということを理解した。竜は誇り高い生き物だ。誰かに飼われたり、実験動物のように扱われるのなら死ぬ方を選ぶ。
　身体が動かなくなって最初に思い出した魔法は自分を滅ぼすための死の魔法だ。だが、指が動かせるようになって、声が出せるようになっても使う事が出来なかった。

　身体が動かなかった時、兄が自分のために泣き、頬と手の甲にキスをしてくれた。昔から弟想いのアルフレッドだったけど、一度もそんなことをされた事はなかったと思う。
　だから、指が動かせるようになったら兄の手を握り、声が出せるようになったら名前を呼びたいと思ってしまった。
　面会に来てくれた時は嬉しくて胸がいっぱいになり、何も言えなかったけど。

　僕は絶対に理事長の言いなりになんてならない。兄さんのことも、家族も守ってみせる。どうしても駄目だったら……その時は滅びの魔法を唱えよう。
　シンはそう強く決意した。