上 下
1 / 5

リディの結婚

しおりを挟む
 リディ・ブラシェ伯爵令嬢は、今日一度も会ったことのない男性の元へと嫁ぐ。
 
 父親から結婚を伝えられたのはつい1か月前。顔合わせもなく、結婚相手から手紙の1通も届くことなく、この日を迎えた。
 
 
「あの門をくぐるとアングラード公爵家の敷地になります」
 
 ガタガタと揺れる馬車の背に身を預けながら、向かいに座る侍女の声にリディは顔を上げた。窓から覗くと、そこには石造りの立派な正門がそびえ立つ。門の更に奥には館が姿を現した。
 正門から随分と遠くに位置するにも関わらず、その大きさと重厚感は見る者を圧倒させる。
 
「まぁ、立派ですのね。我が家とは大違いだわ」
 
 口数の少ないリディに、侍女はどれだけ恐怖と緊張をしているだろうと案じていたが、口をポカンと開けながら興味深そうに辺りを見渡す姿に驚きに目を瞠った。
 
「庭園も見たことがない程美しいわ。きっとアングラード家の庭師は素晴らしい職人なのでしょうね。ぜひ教えを請いたいわ」
 
 リディが今朝まで16年間暮らしていたブラシェ伯爵邸も歴史がある趣ある屋敷だろう。だが、ここ数年はお金の工面ができないことで整備が行き届かず、古臭さだけが悪目立ちしてしまっている。
 だというのに、ここはどうだ。伯爵邸と同様に歴史があるにも関わらず、古さを感じさせない。誰かにここが王城だと言われれば、そうなのかと信じてしまいそうになる。
 
 リディの驚きはここで終わりではなかった。屋敷内に案内されると、調度品は全て豪華であるものの嫌味な派手さはなく、とても品がある。飾られた絵画や花のセンスも素晴らしく、感嘆の息が漏れそうになる。
 
(素敵な屋敷だわ。私、本当に今日からここに住むのかしら……)
 
 のんびりとした性格だとよく姉にからかわれるリディであるが、今日もその性格は変わらないらしい。普通の令嬢であれば、きっとこの状況に緊張で手が震えてもおかしくない。
 
 なんといっても、あの悪名高いアングラード公爵のもとに嫁ぐのだから。

 
 御年23歳のアングラード公爵は、昨年父親が亡くなったことで若くして爵位を継いだ。
 だが、元々《武の要》として有名なアングラードの血筋を色濃く現し、現在は騎士団第2部隊の隊長を務めている。幼少期から親しくしているという王太子からの信頼も厚く、将来的には、騎士団長になるのは確実だろうといわれている人物だ。
 
(お姉様は随分心配していたけど、まだお会いしたことのない方を噂で判断してはいけないわ。さすがに会って早々に切り殺されたりなんてしないはず……よね? でも、そうね。そうなったらお父様の枕元に毎晩立って化けて出てやりましょう)
 
 リディは気弱だが人の良い父が幽霊におびえる姿を想像し、思わずクスクスと笑いながら肩を揺らす。
 そんなリディの姿に目を丸くしたのは、この部屋で控えている侍女たちだ。公爵の花嫁として現れたリディがどのような人物かと案じていた使用人に対して、場違いのように緊張感のないリディにただただ困惑していた。
 
「ただいま執事長を呼んで参りますので、しばしお待ちください」
「えぇ、ありがとう」
 
 ブラシェ伯爵家まで迎えに来てここまで案内してくれた侍女に、リディはキョロキョロ興味深そうに辺りを眺めるのを一旦やめて笑顔でお礼を伝えた。
 すると、侍女はその反応に驚いたように一瞬肩を揺らした。だが、さすがは国内随一の名門家の侍女だ。教育が行き届いているのか、表情には一切出さずに「失礼します」と丁寧に頭を下げたあと、退室した。
 
(さっき出迎えてくれた使用人たちも、今お茶を淹れてくれている侍女も皆礼儀正しくて、こんなにもみすぼらしい服装の私を蔑んだりもしてなかったわ)
 
 リディはソファーに浅く腰掛けながら自分のドレスを見下ろした。それはリディの持っているドレスの中では一等上質なものに他ならないが、伯爵令嬢が着るにはあまりにもお粗末なものだった。
 とはいえ、貴族とは名ばかりの貧乏伯爵家のリディにとっては、母のお下がりであるこのドレスはいくら流行おくれでも、大事な一張羅なのだ。
 
「まぁ、お茶もなんて美味しいのかしら! こんなに美味しいお茶は初めてだわ」
 
 今日ここに到着してから、リディは何度も驚いている。そのどれもがアングラード公爵家がいかに裕福であるか。そしてブラシェ伯爵家がいかに家格が劣るか。
 
(本来なら私は決して公爵夫人なんて立場にはなれないはずよね。それが我が家の借金を肩代わりしてくれて、今後の援助も約束してくれた上に、望むのは私を妻にということだけなんて。やっぱり不思議……)
 
 なんといっても、アングラード公爵の絵姿はあまり人の容姿に無関心なリディでさえ言葉を失った。
 もちろんリディだけでなくその絵姿を見た人全員がきっと息を飲むだろう。なぜなら、そこに描かれていたのが、彫刻の如く美しく整った顔、流した銀髪から覗いた切れ長の瞳は、意志が強そうにまっすぐ前を見据え、白の騎士服を見事に着こなした人物であったのだから。
 
(私は昔から体も丈夫な方ではないし、社交界にも疎いもの。何が良くて私を選んだのかしら? うーん、強いて言うなら年齢? でも16歳で婚約者のいない人なんて沢山いるわよね)
 
 一度は納得した結婚への疑問を感じながらもう一度目の前の紅茶へと口をつける。すると、少し冷めたにも関わらず味も香りの良さも損なわないことにまた驚き、また自然と頬が緩むのを感じる。
 どこの産地のものだろうか、とリディが侍女に尋ねようとした時、ノックと共に扉が開かれた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ヤンデレ幼馴染が帰ってきたので大人しく溺愛されます

下菊みこと
恋愛
私はブーゼ・ターフェルルンデ。侯爵令嬢。公爵令息で幼馴染、婚約者のベゼッセンハイト・ザンクトゥアーリウムにうっとおしいほど溺愛されています。ここ数年はハイトが留学に行ってくれていたのでやっと離れられて落ち着いていたのですが、とうとうハイトが帰ってきてしまいました。まあ、仕方がないので大人しく溺愛されておきます。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」

皇太子殿下の秘密がバレた!隠し子発覚で離婚の危機〜夫人は妊娠中なのに不倫相手と二重生活していました

window
恋愛
皇太子マイロ・ルスワル・フェルサンヌ殿下と皇后ルナ・ホセファン・メンテイル夫人は仲が睦まじく日々幸福な結婚生活を送っていました。 お互いに深く愛し合っていて喧嘩もしたことがないくらいで国民からも評判のいい夫婦です。 先日、ルナ夫人は妊娠したことが分かりマイロ殿下と舞い上がるような気分で大変に喜びました。 しかしある日ルナ夫人はマイロ殿下のとんでもない秘密を知ってしまった。 それをマイロ殿下に問いただす覚悟を決める。

旦那様、離縁の申し出承りますわ

ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」 大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。 領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。 旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。 その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。 離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに! *女性軽視の言葉が一部あります(すみません)

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

処理中です...