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リディの結婚
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リディ・ブラシェ伯爵令嬢は、今日一度も会ったことのない男性の元へと嫁ぐ。
父親から結婚を伝えられたのはつい1か月前。顔合わせもなく、結婚相手から手紙の1通も届くことなく、この日を迎えた。
「あの門をくぐるとアングラード公爵家の敷地になります」
ガタガタと揺れる馬車の背に身を預けながら、向かいに座る侍女の声にリディは顔を上げた。窓から覗くと、そこには石造りの立派な正門がそびえ立つ。門の更に奥には館が姿を現した。
正門から随分と遠くに位置するにも関わらず、その大きさと重厚感は見る者を圧倒させる。
「まぁ、立派ですのね。我が家とは大違いだわ」
口数の少ないリディに、侍女はどれだけ恐怖と緊張をしているだろうと案じていたが、口をポカンと開けながら興味深そうに辺りを見渡す姿に驚きに目を瞠った。
「庭園も見たことがない程美しいわ。きっとアングラード家の庭師は素晴らしい職人なのでしょうね。ぜひ教えを請いたいわ」
リディが今朝まで16年間暮らしていたブラシェ伯爵邸も歴史がある趣ある屋敷だろう。だが、ここ数年はお金の工面ができないことで整備が行き届かず、古臭さだけが悪目立ちしてしまっている。
だというのに、ここはどうだ。伯爵邸と同様に歴史があるにも関わらず、古さを感じさせない。誰かにここが王城だと言われれば、そうなのかと信じてしまいそうになる。
リディの驚きはここで終わりではなかった。屋敷内に案内されると、調度品は全て豪華であるものの嫌味な派手さはなく、とても品がある。飾られた絵画や花のセンスも素晴らしく、感嘆の息が漏れそうになる。
(素敵な屋敷だわ。私、本当に今日からここに住むのかしら……)
のんびりとした性格だとよく姉にからかわれるリディであるが、今日もその性格は変わらないらしい。普通の令嬢であれば、きっとこの状況に緊張で手が震えてもおかしくない。
なんといっても、あの悪名高いアングラード公爵のもとに嫁ぐのだから。
御年23歳のアングラード公爵は、昨年父親が亡くなったことで若くして爵位を継いだ。
だが、元々《武の要》として有名なアングラードの血筋を色濃く現し、現在は騎士団第2部隊の隊長を務めている。幼少期から親しくしているという王太子からの信頼も厚く、将来的には、騎士団長になるのは確実だろうといわれている人物だ。
(お姉様は随分心配していたけど、まだお会いしたことのない方を噂で判断してはいけないわ。さすがに会って早々に切り殺されたりなんてしないはず……よね? でも、そうね。そうなったらお父様の枕元に毎晩立って化けて出てやりましょう)
リディは気弱だが人の良い父が幽霊におびえる姿を想像し、思わずクスクスと笑いながら肩を揺らす。
そんなリディの姿に目を丸くしたのは、この部屋で控えている侍女たちだ。公爵の花嫁として現れたリディがどのような人物かと案じていた使用人に対して、場違いのように緊張感のないリディにただただ困惑していた。
「ただいま執事長を呼んで参りますので、しばしお待ちください」
「えぇ、ありがとう」
ブラシェ伯爵家まで迎えに来てここまで案内してくれた侍女に、リディはキョロキョロ興味深そうに辺りを眺めるのを一旦やめて笑顔でお礼を伝えた。
すると、侍女はその反応に驚いたように一瞬肩を揺らした。だが、さすがは国内随一の名門家の侍女だ。教育が行き届いているのか、表情には一切出さずに「失礼します」と丁寧に頭を下げたあと、退室した。
(さっき出迎えてくれた使用人たちも、今お茶を淹れてくれている侍女も皆礼儀正しくて、こんなにもみすぼらしい服装の私を蔑んだりもしてなかったわ)
リディはソファーに浅く腰掛けながら自分のドレスを見下ろした。それはリディの持っているドレスの中では一等上質なものに他ならないが、伯爵令嬢が着るにはあまりにもお粗末なものだった。
とはいえ、貴族とは名ばかりの貧乏伯爵家のリディにとっては、母のお下がりであるこのドレスはいくら流行おくれでも、大事な一張羅なのだ。
「まぁ、お茶もなんて美味しいのかしら! こんなに美味しいお茶は初めてだわ」
今日ここに到着してから、リディは何度も驚いている。そのどれもがアングラード公爵家がいかに裕福であるか。そしてブラシェ伯爵家がいかに家格が劣るか。
(本来なら私は決して公爵夫人なんて立場にはなれないはずよね。それが我が家の借金を肩代わりしてくれて、今後の援助も約束してくれた上に、望むのは私を妻にということだけなんて。やっぱり不思議……)
なんといっても、アングラード公爵の絵姿はあまり人の容姿に無関心なリディでさえ言葉を失った。
もちろんリディだけでなくその絵姿を見た人全員がきっと息を飲むだろう。なぜなら、そこに描かれていたのが、彫刻の如く美しく整った顔、流した銀髪から覗いた切れ長の瞳は、意志が強そうにまっすぐ前を見据え、白の騎士服を見事に着こなした人物であったのだから。
(私は昔から体も丈夫な方ではないし、社交界にも疎いもの。何が良くて私を選んだのかしら? うーん、強いて言うなら年齢? でも16歳で婚約者のいない人なんて沢山いるわよね)
一度は納得した結婚への疑問を感じながらもう一度目の前の紅茶へと口をつける。すると、少し冷めたにも関わらず味も香りの良さも損なわないことにまた驚き、また自然と頬が緩むのを感じる。
どこの産地のものだろうか、とリディが侍女に尋ねようとした時、ノックと共に扉が開かれた。
父親から結婚を伝えられたのはつい1か月前。顔合わせもなく、結婚相手から手紙の1通も届くことなく、この日を迎えた。
「あの門をくぐるとアングラード公爵家の敷地になります」
ガタガタと揺れる馬車の背に身を預けながら、向かいに座る侍女の声にリディは顔を上げた。窓から覗くと、そこには石造りの立派な正門がそびえ立つ。門の更に奥には館が姿を現した。
正門から随分と遠くに位置するにも関わらず、その大きさと重厚感は見る者を圧倒させる。
「まぁ、立派ですのね。我が家とは大違いだわ」
口数の少ないリディに、侍女はどれだけ恐怖と緊張をしているだろうと案じていたが、口をポカンと開けながら興味深そうに辺りを見渡す姿に驚きに目を瞠った。
「庭園も見たことがない程美しいわ。きっとアングラード家の庭師は素晴らしい職人なのでしょうね。ぜひ教えを請いたいわ」
リディが今朝まで16年間暮らしていたブラシェ伯爵邸も歴史がある趣ある屋敷だろう。だが、ここ数年はお金の工面ができないことで整備が行き届かず、古臭さだけが悪目立ちしてしまっている。
だというのに、ここはどうだ。伯爵邸と同様に歴史があるにも関わらず、古さを感じさせない。誰かにここが王城だと言われれば、そうなのかと信じてしまいそうになる。
リディの驚きはここで終わりではなかった。屋敷内に案内されると、調度品は全て豪華であるものの嫌味な派手さはなく、とても品がある。飾られた絵画や花のセンスも素晴らしく、感嘆の息が漏れそうになる。
(素敵な屋敷だわ。私、本当に今日からここに住むのかしら……)
のんびりとした性格だとよく姉にからかわれるリディであるが、今日もその性格は変わらないらしい。普通の令嬢であれば、きっとこの状況に緊張で手が震えてもおかしくない。
なんといっても、あの悪名高いアングラード公爵のもとに嫁ぐのだから。
御年23歳のアングラード公爵は、昨年父親が亡くなったことで若くして爵位を継いだ。
だが、元々《武の要》として有名なアングラードの血筋を色濃く現し、現在は騎士団第2部隊の隊長を務めている。幼少期から親しくしているという王太子からの信頼も厚く、将来的には、騎士団長になるのは確実だろうといわれている人物だ。
(お姉様は随分心配していたけど、まだお会いしたことのない方を噂で判断してはいけないわ。さすがに会って早々に切り殺されたりなんてしないはず……よね? でも、そうね。そうなったらお父様の枕元に毎晩立って化けて出てやりましょう)
リディは気弱だが人の良い父が幽霊におびえる姿を想像し、思わずクスクスと笑いながら肩を揺らす。
そんなリディの姿に目を丸くしたのは、この部屋で控えている侍女たちだ。公爵の花嫁として現れたリディがどのような人物かと案じていた使用人に対して、場違いのように緊張感のないリディにただただ困惑していた。
「ただいま執事長を呼んで参りますので、しばしお待ちください」
「えぇ、ありがとう」
ブラシェ伯爵家まで迎えに来てここまで案内してくれた侍女に、リディはキョロキョロ興味深そうに辺りを眺めるのを一旦やめて笑顔でお礼を伝えた。
すると、侍女はその反応に驚いたように一瞬肩を揺らした。だが、さすがは国内随一の名門家の侍女だ。教育が行き届いているのか、表情には一切出さずに「失礼します」と丁寧に頭を下げたあと、退室した。
(さっき出迎えてくれた使用人たちも、今お茶を淹れてくれている侍女も皆礼儀正しくて、こんなにもみすぼらしい服装の私を蔑んだりもしてなかったわ)
リディはソファーに浅く腰掛けながら自分のドレスを見下ろした。それはリディの持っているドレスの中では一等上質なものに他ならないが、伯爵令嬢が着るにはあまりにもお粗末なものだった。
とはいえ、貴族とは名ばかりの貧乏伯爵家のリディにとっては、母のお下がりであるこのドレスはいくら流行おくれでも、大事な一張羅なのだ。
「まぁ、お茶もなんて美味しいのかしら! こんなに美味しいお茶は初めてだわ」
今日ここに到着してから、リディは何度も驚いている。そのどれもがアングラード公爵家がいかに裕福であるか。そしてブラシェ伯爵家がいかに家格が劣るか。
(本来なら私は決して公爵夫人なんて立場にはなれないはずよね。それが我が家の借金を肩代わりしてくれて、今後の援助も約束してくれた上に、望むのは私を妻にということだけなんて。やっぱり不思議……)
なんといっても、アングラード公爵の絵姿はあまり人の容姿に無関心なリディでさえ言葉を失った。
もちろんリディだけでなくその絵姿を見た人全員がきっと息を飲むだろう。なぜなら、そこに描かれていたのが、彫刻の如く美しく整った顔、流した銀髪から覗いた切れ長の瞳は、意志が強そうにまっすぐ前を見据え、白の騎士服を見事に着こなした人物であったのだから。
(私は昔から体も丈夫な方ではないし、社交界にも疎いもの。何が良くて私を選んだのかしら? うーん、強いて言うなら年齢? でも16歳で婚約者のいない人なんて沢山いるわよね)
一度は納得した結婚への疑問を感じながらもう一度目の前の紅茶へと口をつける。すると、少し冷めたにも関わらず味も香りの良さも損なわないことにまた驚き、また自然と頬が緩むのを感じる。
どこの産地のものだろうか、とリディが侍女に尋ねようとした時、ノックと共に扉が開かれた。
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