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2.朔(目に見えぬ)月
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朝の別れを惜しむ。
惜しんでいなくとも、惜しむ。
中将も、別れを惜しむふりしながら男の背中を見送って、昨晩贈られた和歌を破り棄てた。
そのまま、火鉢にくべて火種にしてしまう。
あっと言う間に燃え尽きた料紙は、灰になって、ふわりと火鉢から離れたので、中将は手にとって、外へ棄てた。
「中将さん、また、殿方を通わせていたの?」
眠たげな声で、同僚の小宰相が問いかけた。
「宿直は、暇だもの」
けだるく言いながら、中将は、ひとつ、欠伸をした。
「あら、中将さん、はしたなくってよ?」
小宰相が眉を潜めてたしなめるのを聞いて、中将は、ふっ、と笑った。
「はしたないのは、昨夜の私かしら、それとも……欠伸かしらね?」
「中将さん、どちらもよ。あなたが、恋多き方だって、わたくしたちは知っているけど、毎回違う殿方を通わせるのは、不品行だわ」
不品行、と中将は笑みを濃くする。
そもそも、昨夜の交わりに、恋は存在しない。体温を求めただけだ。
「私は、恋はしないわ。小宰相さん」
「夜毎、違う殿方を通わせているのに、恋をなさらないのね」
「ええ、恋なんかしても仕方がないわ。恋にかまけて、なにも手に付かなくなるなんて、愚かよ。身を滅ぼすような恋をするなんて、愚かの極みね」
中将の言葉を聞いて、小宰相は微苦笑した。
「中将さん、わたくしはあなたに忠告するけど、ままならないのが、自分の心よ? だから、あなたも、人を嘲るようなことを言ってはならないわ。
もしかしたら、自分の身に帰ってくるかも知れないのよ?」
真摯に言う小宰相は、心から中将を心配しているのだ。
それだけは中将もありがたいことだと解っていたので、素直に、応じた。
「心配して下さって、ありがとう。人を貶めて自分を呪うような事を言うのは、やめておくわ」
「ええ、そうなさって。あなたは、美しいのだから、ご自身の身の上を悲観なさってはならないわ」
では、わたくしは着替えて参りますわね、と立ち去った小宰相を見送って、中将は、陛へと視線を移せば、そこに一人の、素襖姿の、下男がいるのが解った。
先程の男が寄越した、後朝の文だ。
文には、真っ赤な南天の実が添えてあった。
「ありがとう、私からは、もう、お文を差し上げないと、主に伝えてちょうだい」
なにか言いたげな文遣いを返してから、中将は、内容も確かめずに、文を破り棄てた。
はらはらと、陛から破った文を空へ放せば、紙は六花のようにふわりと舞って、それだけは価値あることのように、美しかった。
主である二条関白家の大姫……の部屋へ戻ろうとした中将は、ふ、と足を止めた。
見ていた。
一人の武官が、中将の様子をみていた。
陛の下、庭の前栽の辺りにいるので、禁中警護の宿直の兵衛だろう。
視線が絡むと、彼は恥ずかしげに視線をそらしてから、もう一度、中将を見上げていた。
「中将さん、どうなさったの?」
陛に立ち尽くしたまま動かない中将を不審に思ったのか、同輩の早良が、聞く。
「いえ、なんでも……」
「なら良いけど……あら、あそこにおいでの兵衛は、源家の若さまね。あなたに見とれているのかしら」
源家……といえば、二代前の帝(鴛鴦帝)から姓を賜って出来た一族だ。
朝廷での勢力はまだそれほど大きなものではないが、野心の翼を広げているとは噂に聞こえてくる。
もっとも、中将がいるのは、源家にとって最大の敵であるはずの藤原氏二条関白家である。互いに、悪い印象の中での噂など、あてにはならないが。
「見とれているだなんて、あんな、童のような子が……」
兵衛は、年若かった。恐らく、元服して間もないだろう。武官様の装束は、まだ、不恰好に見えるほどで、着なれた感じはない。
中将と早良が話しているのを聞きつけた同僚の女房たちが部屋から出てくる。
「あら、若い武官ねえ」
「あれはダメよ」
一人の女房が笑った。
「なにが、ダメなのかしら?」
「あの方、源影さまと仰有るのだけど、本当に、真面目で、うぶなの。ちょっと声を掛けたら、睨まれたわ。はしたないって」
ああ、成る程、と中将は思った。主の殿舎に宿直の暇にあかして、男を連れ込むような女は、小宰相の言うところの『不品行』だろう。
(あの子、私を侮蔑したのね)
普段ならば、そういうつまらない男もいるだろうと、中将は切り捨てるのだが、なぜか、気になった。
「そうだ!」
先程、睨まれたという女房が手を叩く。
「当代切っての恋多き女と名高い、中将さん。あの方を、落とせるかしら?」
「あら、面白い」
「やってごらんなさいよ、あたくしたち、見物してさしあげるから」
まわりの女房に囃し立てられて、中将は、うんざりした。
「面倒よ」
「いいじゃない。あなた、恋は、本気でするものじゃないんでしょ? あの、朝廷一の真面目な堅物を、落としてみなさいよ。上手く行ったら、これを差し上げるわ」
先程の女房……相模は、中将に一冊の本を差し出した。
能筆で知られる先帝の宸筆による、漢籍だった。
中将が、女だてらに真名(漢字)を遣い、漢文を学んでいるのを、同室で過ごす相模は、よく知っている。
「二言はないわね?」
中将にとって、二度と手に入れることが出来ない、宝も等しい。
相模は、たっぷりと頷いて言う。
「ええ。あなたが、見事にあそこにいる、源影を落とせたら、差し上げるわ」
惜しんでいなくとも、惜しむ。
中将も、別れを惜しむふりしながら男の背中を見送って、昨晩贈られた和歌を破り棄てた。
そのまま、火鉢にくべて火種にしてしまう。
あっと言う間に燃え尽きた料紙は、灰になって、ふわりと火鉢から離れたので、中将は手にとって、外へ棄てた。
「中将さん、また、殿方を通わせていたの?」
眠たげな声で、同僚の小宰相が問いかけた。
「宿直は、暇だもの」
けだるく言いながら、中将は、ひとつ、欠伸をした。
「あら、中将さん、はしたなくってよ?」
小宰相が眉を潜めてたしなめるのを聞いて、中将は、ふっ、と笑った。
「はしたないのは、昨夜の私かしら、それとも……欠伸かしらね?」
「中将さん、どちらもよ。あなたが、恋多き方だって、わたくしたちは知っているけど、毎回違う殿方を通わせるのは、不品行だわ」
不品行、と中将は笑みを濃くする。
そもそも、昨夜の交わりに、恋は存在しない。体温を求めただけだ。
「私は、恋はしないわ。小宰相さん」
「夜毎、違う殿方を通わせているのに、恋をなさらないのね」
「ええ、恋なんかしても仕方がないわ。恋にかまけて、なにも手に付かなくなるなんて、愚かよ。身を滅ぼすような恋をするなんて、愚かの極みね」
中将の言葉を聞いて、小宰相は微苦笑した。
「中将さん、わたくしはあなたに忠告するけど、ままならないのが、自分の心よ? だから、あなたも、人を嘲るようなことを言ってはならないわ。
もしかしたら、自分の身に帰ってくるかも知れないのよ?」
真摯に言う小宰相は、心から中将を心配しているのだ。
それだけは中将もありがたいことだと解っていたので、素直に、応じた。
「心配して下さって、ありがとう。人を貶めて自分を呪うような事を言うのは、やめておくわ」
「ええ、そうなさって。あなたは、美しいのだから、ご自身の身の上を悲観なさってはならないわ」
では、わたくしは着替えて参りますわね、と立ち去った小宰相を見送って、中将は、陛へと視線を移せば、そこに一人の、素襖姿の、下男がいるのが解った。
先程の男が寄越した、後朝の文だ。
文には、真っ赤な南天の実が添えてあった。
「ありがとう、私からは、もう、お文を差し上げないと、主に伝えてちょうだい」
なにか言いたげな文遣いを返してから、中将は、内容も確かめずに、文を破り棄てた。
はらはらと、陛から破った文を空へ放せば、紙は六花のようにふわりと舞って、それだけは価値あることのように、美しかった。
主である二条関白家の大姫……の部屋へ戻ろうとした中将は、ふ、と足を止めた。
見ていた。
一人の武官が、中将の様子をみていた。
陛の下、庭の前栽の辺りにいるので、禁中警護の宿直の兵衛だろう。
視線が絡むと、彼は恥ずかしげに視線をそらしてから、もう一度、中将を見上げていた。
「中将さん、どうなさったの?」
陛に立ち尽くしたまま動かない中将を不審に思ったのか、同輩の早良が、聞く。
「いえ、なんでも……」
「なら良いけど……あら、あそこにおいでの兵衛は、源家の若さまね。あなたに見とれているのかしら」
源家……といえば、二代前の帝(鴛鴦帝)から姓を賜って出来た一族だ。
朝廷での勢力はまだそれほど大きなものではないが、野心の翼を広げているとは噂に聞こえてくる。
もっとも、中将がいるのは、源家にとって最大の敵であるはずの藤原氏二条関白家である。互いに、悪い印象の中での噂など、あてにはならないが。
「見とれているだなんて、あんな、童のような子が……」
兵衛は、年若かった。恐らく、元服して間もないだろう。武官様の装束は、まだ、不恰好に見えるほどで、着なれた感じはない。
中将と早良が話しているのを聞きつけた同僚の女房たちが部屋から出てくる。
「あら、若い武官ねえ」
「あれはダメよ」
一人の女房が笑った。
「なにが、ダメなのかしら?」
「あの方、源影さまと仰有るのだけど、本当に、真面目で、うぶなの。ちょっと声を掛けたら、睨まれたわ。はしたないって」
ああ、成る程、と中将は思った。主の殿舎に宿直の暇にあかして、男を連れ込むような女は、小宰相の言うところの『不品行』だろう。
(あの子、私を侮蔑したのね)
普段ならば、そういうつまらない男もいるだろうと、中将は切り捨てるのだが、なぜか、気になった。
「そうだ!」
先程、睨まれたという女房が手を叩く。
「当代切っての恋多き女と名高い、中将さん。あの方を、落とせるかしら?」
「あら、面白い」
「やってごらんなさいよ、あたくしたち、見物してさしあげるから」
まわりの女房に囃し立てられて、中将は、うんざりした。
「面倒よ」
「いいじゃない。あなた、恋は、本気でするものじゃないんでしょ? あの、朝廷一の真面目な堅物を、落としてみなさいよ。上手く行ったら、これを差し上げるわ」
先程の女房……相模は、中将に一冊の本を差し出した。
能筆で知られる先帝の宸筆による、漢籍だった。
中将が、女だてらに真名(漢字)を遣い、漢文を学んでいるのを、同室で過ごす相模は、よく知っている。
「二言はないわね?」
中将にとって、二度と手に入れることが出来ない、宝も等しい。
相模は、たっぷりと頷いて言う。
「ええ。あなたが、見事にあそこにいる、源影を落とせたら、差し上げるわ」
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