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第七章 吉報
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しおりを挟む助けを求めた灑洛の身体を抱き上げた皇帝は、ゆっくりと歩きながら、問い掛けた。
「大蛇と、犬に襲われたのだったね」
「はい……」
「私には、少々心当たりがある。……話を聞いてくれるね?」
皇帝の言葉に、こくん、と灑洛は頷いた。皇帝の言う心当たりがどのようなものか解らなかったが、ここは、乗るしかない。
たとえば、灑洛を襲った犬を消しかけたものの正体がわかったとする。
―――だが、権力を持たなければ、真実を知ったところで、無意味なことだった。何も出来ないからだ。そして、灑洛自身は、その『力』を持っていなかった。
今まで灑洛は力を持っていなかった。それも、悲劇を生んだ原因かも知れない。
皇帝の私室である瓊玖殿へと、灑洛は連れられた。榻に座らせられてから、皇帝は自身の上衣を灑洛に着せてやった。あまりにも酷い格好だったのを見かねたのだろう。上衣は、皇帝の温度を帯びていて、慣れないし、不愉快だった。
「灑洛」
皇帝は、灑洛に跪いた。
「―――あなたは、私に助けを求めてくれたの?」
なにか、切なげな色を帯びた黒い瞳が、灑洛を見上げた。相変わらず、美しい顔だった。象牙の肌。す、と整った鼻梁。薄い唇、切れ長の冷たげな眼差し―――だが、その眼差しは、酷く灼い。
「だって……わたくしには、皇帝陛下しか、頼る方がいませんもの」
皇帝は、灑洛の冷え切った手をとって、指先にそっと口づけた。
「衛士や、太監を頼って、実家の濘家をよぶことも出来るよ」
「そんなこと、考えもしませんでしたわ……。わたくし、そうするべきでしたのね。ただ……」
灑洛は一度、息を整える。皇帝は、じっと見ている。ボロが出ないようにやらなければ。
「ただ……わたくしは、あの時、必死で逃げながら、私を救って下さる方は、皇帝陛下以外には居ないと、そう思っておりました」
「なぜ、私を思い浮かべた?」
皇帝は、しつこい。ぎゅっと、灑洛の指を握る手に、力を込めた。
「なぜ、陛下を思い浮かべたか……」と考える素振りをしてから、「わたくしは、陛下だけが頼りですし……さき程まで、あんなに震えておりましたのに、陛下が居て下さると思うと、安堵してしまうのです。けれど……徳高い陛下がお側に居れば……とは、この国の者ならばすべての人が思うはずですわ」と、灑洛は努めて一般的な回答をした。
焦れた皇帝が、灑洛を抱きしめる。
「あなたの心が、少しでも私にあるから……あなたは、私のところへ来てくれた……そうでしょう?」
皇帝の切々とした言葉を聞きながら、虫酸が走るのを耐えて、灑洛は「心のような不確かなものの話をされましても」と、さらりと躱す。
「灑洛。お願いだから、言ってくれ……あなたは、私を好いていると」
「皇帝陛下をお慕いしないものは、この国には居ませんわ」
にこりと笑って答えると、皇帝は、苛立たしげに「あなたは、私を、臣民としてでなく、一人の男として愛しているのだ。そうだろう?」と言って、灑洛の首筋に顔を埋めた。
「夫が居る身です」
「もう居ない!」
存外強い口調の言葉を聞いて、灑洛は、ぽろりと、涙が流れるのを感じていた。ここで泣くつもりはなかった。
「……見ないで下さいませ。わたくし、涙を見られたくありません」
顔を背けようとしたが、顎を捕らえられ、頬を伝う涙を、丁寧に丁寧に、皇帝の口唇が吸い取っていく。ある程度、好きにさせたあとで、灑洛はぐったりとした様子で、皇帝に抱きついた。
「お慕いしているかなんて、解りませんわ……」
「いまはそれでも良い……。灑洛、かつて私は、あなたに、黒玉髄、黒真珠を配した鳳冠を与えたが……。今一度、あなたにそれを贈っても良いだろうか。
あなたを守る為には、それしかないと考えて居る」
黒玉髄、黒真珠を配した鳳冠。
それは、皇后のみが付けることを許された品だった。
「けれど………」
灑洛が口ごもると、皇帝はにんまりと笑った。
「どうしても、祁貴嬪が邪魔だ。―――だが、鳴鈴が拾った証拠の品を持っている。それで、祁貴嬪は片が付く。そして、皇子二人だがね……あなたに、犬をけしかけたことが、私の調べで解っているよ」
灑洛が出した答えも、消去法で考えれば、犬をけしかけたのは、皇子二人ということに落ち着いていた。皇帝が、ちゃんと調べていたかどうかは解らない。だが、それらしい証拠を作ってでも、皇子二人を犯人に仕立て上げることだろう。
「この件が無事に済んだら、鳴鈴は返して上げるよ。……それとも、実家へ戻るのかい?」
灑洛は、皇帝の胸に頭を預けた。
「お側に、お仕えさせて頂いても、よろしいですか?」
「よし、許す。そなたは、明日にでも入宮させ、即座に皇后としよう」
灑洛は、緊張しながら「皇恩に感謝いたします」と呟いて、皇帝の身体を抱き返した。
どうせ、遊嗄を裏切るのならばこんな日が良い。
夫を弔ったその日に、その喪服も脱がぬまま、別の男の妃になる。
「あなたを皇后にするのを、私は誰にも止めさせないよ」
だから、安心して、あなたは私の側に居なさい。甘い囁きが、肌を焼いた。
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