神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第六章 天譴

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 母親が、実の子を殺すことは、さして珍しくはない。

 古代の話になるが、皇后の座を欲した下位の妃が、自分の産んだ男の子を毒殺して、皇后に罪をなすりつけ、自身はのうのうと皇后に登った例もある。

 真夏だというのに、灑洛れいらくは震えが止まらなかった。

 少なくとも、貴嬪きひんの心は、廃太子に傾いている。この真意がわかっただけでも有り難い。まだ、遊嗄が祁貴嬪に近づいていない今だったら、引き返すことが出来る。

 もし、遊嗄が祁貴嬪に近づいて行ったら、おそらく、祁貴嬪は、遊嗄を利用して『父帝を弑虐した』という悪逆を行った者として、新皇帝に処分させるだろう。

(遊嗄さまを、止めなければならないけれど……)

 それよりも、灑洛が気になったのは、祁貴嬪だ。おそらく、この先、遊嗄を邪魔する為に、祁貴嬪は全力を尽くすだろう。祁貴嬪は、おそらく、『汚らわしい』灑洛と交わった遊嗄をも、汚らわしい存在としてみているに違いない。

「それと、あの汚らわしい女はどうしたの? まだ、ピンピンしているようじゃない」

 ドキリ、と胸が跳ねた。認めたくはない事実だが、おそらく、祁貴嬪が、そう呼ぶのは、灑洛のことだ。

「何度か毒を入れているのだけれどね……、中々上手くいかない。何人か、端女でも買収しようと思うのだが、誰に似たものか、遊嗄は、人を入れるときの審査を厳しくしている」

「厳しく? たかが端女を入れるのに?」

 祁貴嬪は、くだらない、とでも言いたげにフンと鼻を鳴らしたが、祁僕射ぼくやの言葉を聞いて、口ごもった。

「たかが端女を入れるのに、親兄弟は勿論、祖父母に至るまで、経歴と借金などの状況を調べてから入れているというよ。おかげで、東宮には、中々近づけない」

「あらそうかしらね」と祁貴嬪は、さもおかしそうに笑う。「だって、あの女の殿舎に、汚物がぶちまけられていたり、淫猥な姿絵を張り出されたりしているのよ? 神鳥の死体だってそうだわ。誰かが、あそこにうち捨てたのでしょう」

「たしかに、それだけ聞いていれば、東宮の守護官は、詰めが甘いと言うべきか……」

「壁に汚物をぶちまけて、汚らわしい絵を貼らせたのは、わたくしだけどね」

(なんですって……っ!)

 灑洛は憤慨して叫びそうになったのを、すんでの所で押しとどめた。鳴鈴めいりんを初めとする侍女たちは、何も言わなかったが、こうした嫌がらせを、地道に片付けていたのだ。灑洛の耳には入れないようにして、最新の注意を払いながら。

「お、おい……たいした嫌がらせでないのは解るが……相手は……あのねい灑洛れいらくだ。あまり、過激なことはしない方が良い」

 祁僕射が狼狽えながら言う。

「良いのよ、アレは私が侍女にやらせたの、もしかしたら、濘家から使わされたのかもしれないという侍女が一人居てね。しばらく泳がせていたのだけれど、しっぽを出さないから、『あの女と通じていないのならば、東宮に嫌がらせをしておいで』と命じたの。
 そうしたら、あの娘はやってきたのよ」

 ころころと祁貴嬪が笑う声が聞こえた。

「そのものは、どうしているんだ。もし……」

「しばらく、まだ側で使うわ。最近、あの娘の兄とやらが濘家に仕えているから……。今は妾に仕えていると言っても、濘家に何か言われれば断ることも難しいでしょうからね」

 内通者かも知れない―――つまり、敵かもしれない相手を手元に置いて、悠然としているのだから、やはり、祁貴嬪は肝が据わっている。

 祁貴嬪と祁僕射の会話はしばらく続いたが、あとは、灑洛への罵詈雑言を聞かされただけで、たいした収穫はなかった。




 東宮へ戻った灑洛は、祁貴嬪が祁僕射に話していたことを、遊嗄に伝えなければならなかった。

 遊嗄は、実母である祁貴嬪を信用しているだろうから、この事実を伝えるのは、心苦しいが仕方がない。灑洛は、遊嗄が執務する、鳳舞ほうぶ殿まで行くことにした。皇城で執務がないときは、鳳舞ほうぶ殿に居るのが常だったからだ。

 夜も傾いてきたので、寝室である華臥かが殿で待っていれば、遊嗄は訪ねてくるはずだったが、華臥かが殿でする話ではないと判断したのだった。

 鳳舞ほうぶ殿は、灑洛も滅多に立ち入らない。

 執務をするだけの場所なので、煌びやかな装飾はないが、多くの臣を集めることができる広間が目を引く。そこに、皇帝の十七段ほどではないが、五段ほど高くなった場所に、皇太子の執務場所はある。遊嗄は、机に本を積み上げてなにやら書き物をしているようだった。書物に向かう真剣な眼差しは、あまり、灑洛の見たことのない表情だ。

「皇太子殿下! 妃殿下ですぞ!」

 お付きの宦官に声を掛けられた遊嗄が、顔を上げて、書き物の手を止めた。

「あなたがここに来るのは珍しいね。……さあおいで。私も、ちょうど、一休みしたいと思って居たところだよ」

 遊嗄が手招きして灑洛を呼ぶ。机の所まで行って、灑洛は素早く書簡に目を落とした。廟堂の建築の資料のようだった。おそらく、神鳥を祀る廟堂のものだろう。

「一休みしてよろしゅう御座いますの?」

「勿論」と遊嗄は相好を崩す。「本当に、今日は根を詰めすぎて、疲れていたからね。いずれにしても、そろそろ休もうと思って居たところだよ。今日は、華臥かが殿でなく、ここで過ごそうか? ここにも、狭い牀褥しょうじょくはあるよ」

「まあ……、そんなことならば、わたくし華臥かが殿に参りますわ。それより、遊嗄さま、聞いて頂きたいのです」

「おや、珍しいね。なんだろう?」

 確かに、遊嗄の言う通り、灑洛が何かを言うのは珍しいことだった。一緒に蓮の花を見たい―――と言うような、容易いことまで、灑洛は口にすることが出来なかったことを思い出す。

「実は、先ほど、わたくし、掖庭宮えきていぐうに参りましたの」

「後宮に? なぜ?」

 遊嗄が眉を吊り上げたのを見て、灑洛は、後宮と同義である掖庭宮えきていぐうに入った事を、後悔したが、すぐに消えた。こうでもしなければ、得られなかった情報だ。

「……勿論、祁貴嬪さまに、遊嗄さまの味方になって頂く確約が頂きたかったのです。けれど、わたくし、祁貴嬪と祁僕射が、怖ろしい事を話しているのを、聞いてしまったのです」

「怖ろしい事……?」

 なんだ、それは? と遊嗄が首を捻る。

 灑洛は、意を決して、遊嗄に告げようとしたときだった。


 ―――どぉぉん。


 鈍い音を立てて、銅鑼が鳴り響いた。灑洛と遊嗄は顔を見合わせる。これは、皇帝の出御もしくは、皇帝の名代が到着したことを告げるものであった。

 かくて、鳳舞ほうぶ殿の広間までやってきたのは、いん太監たいかんであった。

「これは、尹太監……」

 尹太監は、皇帝付の宦官である。現皇帝に取っては、雑務全般をこなす秘書のようでもあった。

 灑洛と遊嗄は、壇上から降りて、尹太監に拝礼した。

「皇帝陛下の名代に、拝礼いたします」

 尹太監は、にこにこと笑っていた。おかげで、用件も、尹太監の感情も読めない。

 何用だろう……? と思って居ると、尹太監は、灑洛に向かって拝謁した。

「おめでとうございます、妃殿下。―――皇帝陛下が、本日の進御しんぎょ(夜伽)に、妃殿下をお召しになりました。輿を用意しておりますので、どうぞそのまま、お乗り下さいませ」

 灑洛は、全身から血の気が引いて行くのを感じた。

「進御っ? どういうことだ、尹太監!」

 皇帝の名代たる尹太監に掴みかかろうとした遊嗄だが、尹太監は、遊嗄に勅書を広げてみせた。

 勅書は、両端に竜の彫刻の施された棒が付けられた黒地の絹布で書かれる。金泥で書かれた場合は、右筆ゆうひつ(代筆をするもの)が書いたものであり、銀泥で書かれたものは、皇帝の宸筆しんぴつである。

 銀泥で書かれた勅書には、はっきりと、『ねい灑洛れいらくを寝所へ召す』と書かれていた。




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