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第三章 噂と女たち
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しおりを挟む灑洛は、皇帝陛下からの贈り物の件以降、東宮から出ることはなかった。
東宮も広々とした内院はあるし、池もある。小舟を浮かべて船遊びも出来るので退屈することはない。度を超した贈り物は、毎日のように届き、その度に灑洛は困り果てていた。
今日も日課のように贈り物が届いて、いつものように丁重にお返しした。本当ならば、直接皇帝陛下にお詫び申し上げるところだが、体調の不良を理由に、それも断っている。
「今日は、一段と凄い贈り物でしたわね……」
鳴鈴が、しみじみと呟く。
「亡き皇太后様ゆかりの腕輪だとか、東方の国で作られた紙に、黒金剛石で作られた硯に、黒檀で作られた机、真珠の粉と燕の巣に白木耳、小豆、棗などが入った、甘い羹……。
いっそ、羹だけでも、賜った方がよろしいのでは?」
灑洛は、答えずに曖昧に笑う。皇帝からの贈り物を受けないのは、それが過ぎた品々であるというだけでなく、もしも、受け取れば、皇帝の御前に出て、お礼を申し上げなければならないからだ。
(皇帝陛下の御前には、出来るだけ出ないほうが良いわ……)
「羹だけというわけにはいかないわ……鳴鈴、散歩しましょう」
「はい、解りました……このところ、ずっと、東宮のお内院のお散歩だけですから、飽きませんか?」
「飽きることはないわ。……毎日、木々は表情を変えているし、鳥も遊びに来ているのよ。毎日同じことなんて無いわ」
それはそうですけど、と口を尖らせた鳴鈴を連れて、外へ出る。
東宮の内院、いつもの散歩道。長い上衣を鳴鈴に持たせて、陽差しを避けるのに侍女に傘を差して貰って、皇太子妃付の宦官を伴って、ゆっくりと散歩をする。
「日を透かした緑が、清々しくてとても綺麗ね」
などと散歩を楽しむ素振りをする。灑洛自身も飽きてしまったが、これくらいしか気晴らしはない。東宮の書庫の本は読み尽くしてしまって、あとは、難しい政治関係の書物ばかり。仕方なく、本当に暇だったから、兵法書や帝王学の本を読んでいると、頭が痛くなってくる。かといって、その他は『指南書』の様なものばかりで、それも気が滅入る。
月の障りがない時は、殆ど毎日のように遊嗄と交わる。それも、嫌ではないが、疲れ果ててしまう。例の『贈り物』の一件から、遊嗄は灑洛をいたぶるように抱くことがある。淫猥極まりない交わりを要求されるのは、恥ずかしいが、それでも、長々とした『指南書』に書かれていた体位だったので、拒むことも出来ない。
灑洛は、胸元に散る真紅の痕跡を見遣った。
初夜の誓いから、遊嗄は違えずに、灑洛の肌から、この痕跡が消えないようにと、必ず痕を付ける。しかも、それが、必ず、見えるところなのは、灑洛は困っていたが、遊嗄は気にしたふうもない。
むしろ、遊嗄は喜んで、口づけの痕を付けているのだ。
だから、こればかりは、いくら灑洛が『やめてほしい』と懇願しても、一向に止める気配はなく、体中に、こういう痕があるのだろうことは、容易に想像が付いた。
遊嗄の嫉妬、だと思えば嬉しくもあるが、それ以上に今は、息苦しい。
「遊嗄さまは、わたくしが皇帝陛下に懸想するとでも思っておいでなのかしら……」
「皇太子殿下は、聡明な方です。決して、そのように邪推なさることはありませんわ、妃殿下」
そうね、と灑洛は呟く。だが、おそらく、灑洛の今の言葉通りなのだと、思って居る。でなければ、東宮から一歩も出ないように、言うはずがない。
「妃殿下……やはり、少し息抜きに、外へ出させて頂いた方がよろしいのでは? たとえば……濘府(濘家邸)に戻ると言うことも出来ましょうし……」
濘府に戻れば、おそらく、そちらの方が、遊嗄を邪推させるだろうと、灑洛は思う。
現在、東宮への出入りは、遊嗄によって厳しく制限されている。
ここへは、皇帝すら通さないつもりだと言うことを、兵士達が話していると、侍女達から聞いて、灑洛はぞっとしたものだ。
もし、そんなことをして、謀反を疑われればどうするつもりだろうかと、灑洛はひやりとする。
遊嗄は、そういう―――頭に血が上った状態であったので、もし、灑洛が濘府に帰れば、そこを、皇帝が尋ねて行くという形で、『密会』をするとでも思うだろう。
だからこそ、濘府に戻るわけにはいかなかった。
「濘府には戻らないわ。……だって、わたくし、濘家では、居場所がないもの……。それに、わたくしが、皇太子妃の立場で濘家に戻ったら、きっと、汀淑も嫌な思いをするでしょう。
本当だったら、濘家は汀淑を皇太子妃にしたかったのよ? 汀淑も、そういう気持ちで、厳しいお稽古に励んでいたはずだわ」
汀淑は、何でも出来た。他人以上に出来た。詩作に音楽、書に料理に至るまですべて。それは、生まれ持ったものを、磨いてきた汀淑の努力の賜である。
その努力を全く無視した形で、灑洛が選ばれてしまったのだ。
(……仙女様の絵姿に似ていたというだけで……)
灑洛と汀淑は、元から仲が良かったと言うことはないが、遊嗄が灑洛を選んでからは、言葉を交わすことさえ稀だった。
「けれど、皇太子殿下が、妃殿下をお選びしたのですから、妹君さまが妃殿下を恨むのは、甚だ筋違いかと思うのですけれど」
そんなことを言っても、恨む気持ちは理解できるので、灑洛も、何も言えない。
「どうして、妃殿下は、こんなにお優しい方なのに、皇城では、こんなに酷い言われようなのでしょうねぇ」
まったく、と溜息交じりに言った鳴鈴の言葉を聞いて、灑洛は、立ち止まった。
「わたくしが……皇城で、何を言われているの?」
全くの、初耳だった。少なくとも、灑洛を不愉快にさせるような『噂』の類いは、東宮に入れないようにと、遊嗄から厳命が下っていたに違いない。
鳴鈴の顔からは血の気が引いて、蝋のように青白い。
「お許し下さいませ、妃殿下!」
上衣を放すと、鳴鈴は地面に平伏して、拱手して灑洛に許しを請う。
「……わたくしが、何を言われているか、教えてくれるのならば、あなたを許すわ。勿論、皇太子殿下には、絶対にこのことを言わない」
鳴鈴が、涙に濡れた顔を上げた。
(一体……、殿下は、どんな命令をしたの……?)
灑洛は、不安になった。
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