神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第三章 噂と女たち

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「また、あの娘の所に宝物が下賜されたというのっ!」

 卓子テーブルの上に載った、白磁で出来た繊細な茶器がけたたましい音を立てて、床に転がり、茶器は悉く割れて、金蘭きんらん茶の薫りが部屋一杯に立ちこめて桂花きんもくせいが咲いたようだった。

 掖庭えきてい宮、藍玉らんぎょく殿。

 皇后不在の現後宮において後宮第一位の地位を持つ、貴嬪きひんの使う殿舎である。

娘娘にゃんにゃん(目上の女性を敬って言う言葉)、どうぞ、お気をお鎮め下さいませ!」

 慌てて、侍女のさい史玉しぎょくが祁貴嬪の側に、拱手こうしゅしながら駆け寄る。すかさず端女達も、平身低頭で平伏する。その指の下には割れた白磁があったので、ざっくりと切れて床に真紅が広がった。

 史玉は、祁貴嬪の入宮と共に入った古株の女官で、祁貴嬪にとっては、実質、秘書と言って良い女官である。

「気を鎮めろと? 一体、なぜ、心穏やかにいられる! あの、小娘が、また、宝物を賜ったのだ!」

「皇太子妃は、既に、宝物をお返ししておりますし……」

「お返しするのは、当たり前であろう! ……何に付けても、忌々しい。わらわは、遊嗄ゆうさの妃には、あれの妹をと考えていたのに、ぬけぬけと遊嗄を誑かして、妃に据えられるなど……」

 ねい夫人ふじんは、宰相の妹である。その高貴な血筋から、娘を得るのは足場を固める為にも必要なことだ。皇太子となることが確定している遊嗄には、有力な妃が必要だ。

 だが、それは、ねい家令嬢であっても、ねい灑洛れいらくではなく、ねい汀淑ていしゅくでなければならない。

「妾は、あの灑洛という女が、もとから大嫌いだったのよ」

 きりきりと瑪瑙の爪を噛みながら言う祁貴嬪に、史玉は「娘娘、お声が高うございます……。誰ぞに聞かれれば……」と宥めるが、気の高ぶった祁貴嬪は聞き入れない。

「構うものですか。どうせ、あちこちに陛下の密偵はいらっしゃる。妾のなすことすべて、あの方にはお見通しであれば、密偵も、お耳に入れれば良いわ。―――もし、陛下のお耳に入れる勇気があるのならね!」

 ははは、と祁貴嬪は高笑いをした。渦を成して部屋中に響き渡る高笑いを聞いて、史玉は身震いした。いつにない、姿だったからだ。

「娘娘……」

 史玉が近づいた時、祁貴嬪は、ピタリと笑いを止めた。

「史玉。お前、知って居て?」

「なにを……でしょうか」

「花園には、桃花娘娘とうかにゃんにゃんを祀ったお堂があるの。桃花廟とうかびょうと言うわ」

 花園の桃園。その一角にひっそりと建てられた霊廟が、桃花廟である。

「ええ、存じておりますが……割と、地味なお堂でしたわ。あまり人も寄りつかないようですけれど」

「事情を知っているものは、わざわざ近づかないわ」

 フン、と祁貴嬪は鼻を鳴らして、ながいすに身を横たえた。史玉は端女たちに目配せして、散らばった陶片などを片付けさせ、新たな茶の仕度を命じる。

「近づかない……とは?」

「そのままよ。―――陛下は、娥婉がえん公主に恋していたの。同母の姉弟だというのにね。それで、娥婉がえん公主がねい家に降嫁したあと、失った初恋の為に、お堂を建てて中に絵姿を掛けていたのよ。表向きは、娥婉がえん公主ではなくて、桃の花の女神である桃花娘娘とうかにゃんにゃんを祀ったと言っておられたけど」

 史玉は、目を伏せた。入宮した当初は、えい黎氷れいひょうは皇帝ではなく、皇太子であった。そして、祁貴嬪は、皇太子の妃―――ではなく、めかけの扱いで入宮して、即位と共に、妃嬪ひひんの一つである容華ようかに封された。

 その頃、娥婉がえん公主に対する、黎氷の邪恋―――という噂は、既に聞こえていた。

「本音を言えば、あの娘、本当に、ねい宰相の娘か、怪しいわね」

「貴嬪さまっ! それ以上は、仰せになりますと……」

 史玉が慌てて制する。これ以上の『憶測』は、まさに、不敬罪に当たるだろう。言ってはいけない、と史玉は真っ青な顔で、そう思って、祁貴嬪の腕を取った。

「ただの皇太子妃―――息子の妃に、陛下が下賜したのは、皇后の鳳冠、様々な衣装、釵、佩玉はいぎょく、指輪、腕輪、金歩揺きんほよう、つけ爪、貴重な茶、霊薬の原料、古今の様々な書物、楽器、特別に作らせた菓子……枚挙にいとまがないわ。これならば、陛下が、獣にも劣る汚らわしい罪を犯して、娥婉がえん公主との間に儲けた娘が、あの灑洛だという方が、納得がいくわ」

 そこまで一気に吐き出して、祁貴嬪は、やっと、満足したようだった。

「ああ、本当に、忌々しい。……いっそ、それが真実であったら、皇太子妃もろともに、陛下を廃してしまうのに!」

 美しい柳眉を歪めながら言う祁貴嬪の言葉を聞いた端女が、碧瑠璃へきるりの茶器を落としてしまった。天地が崩れるような、破壊音を響かせて、茶器が粉々に割れる。

「お、おやめ下さいませ、それは……皇帝陛下を、弑奉しいたてまつるというのも、同義です」

 祁貴嬪は、にや、と笑った。

 史玉の問いには答えずに、「その端女を殺しておしまい! ……お前の命よりも、その碧瑠璃は高いのよ!」と指図して、絹扇でゆるりと微風を楽しむ。

「遊嗄は、若い。たよりがいもなければ、まつりごとなど、とても出来ない。……遊嗄に玉座を継がせて、妾と、家でこの国を動かしていく……。
 ―――汚らわしい交わりをした皇帝など、廃されるのが、妥当だわ」

 祁貴嬪は、「ん?」と顎をしゃくって見せる。『お前はどう思う?』と史玉に聞いているのだ。史玉は、意を決して答えた。どのみち、ここでこんな話を聞いてしまったら、無事ではいられない。既に、史玉は、祁貴嬪と一蓮托生だ。

「わたくしも、祁貴嬪さまのお考えの通りかと存じます。……汚らわしきものが、国の頂点に立っていれば、きっと、国は乱れます」

 喉が渇いて、眩暈がする―――と史玉は、哄笑する祁貴嬪の声を遠くに聞きながら思っていた。



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