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第三章 噂と女たち
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しおりを挟む倒れた皇帝に東宮から見舞いの品を贈るのは当然のこととして、皇帝から賜った返礼の品というのは、度を超していた。
「……西域から献上された、経典のうち聖者の直筆と伝えられている『三藐菩提疏』に、書聖と崇められた蘭虚の『椿亭序』、古代の皇帝の佩玉であったと言われる『白瑪瑙蓮花玉』……」
目録を読み上げながら、遊嗄は溜息を吐いた。どう考えても、度を超しているのだ。
「これらは、すべて、国の『宝』とでも言うべき品です。無学な私にも解りますわ」
灑洛も言葉をなくしている。
傍らに控えていた尹太監も、困り果てたような顔で、山と積まれた『返礼』に戸惑っている様子だった。
「本当に、陛下に置かれましては……東宮殿下の心ばせが、よほど嬉しかったと見えて、斯様な宝物を下賜されたのでしょうが……」
「私には、重すぎる……このような貴重な品々に、万が一のことがあれば、贖い切れぬ。尹太監、この品々は、父上に申し上げてお返しいたそう」
「東宮殿下、宜しいのですか?」
尹太監が聞き返したので、遊嗄は「ああ」と眉を顰めて言う。
「これに、父上の思惑があるかも知れないと思えば、容易く手に取ることは出来ないよ。過ぎた品々を私すれば、『皇太子は物事の道理を知らぬ』などという、誹りを受けるかも知れない。それは避けたい」
確かに、国の宝とも言われるものを、賜ったからと言って好きにすることで、遊嗄にとっての『政敵』に、付け入る隙を与えかねない。
(贈り物一つでも、思惑があるのだものね……)
よかれと思ってしたことが、逆の意味に捉えられることなどもある。慎重にならなければ、皇宮では生き残ることは出来ない。
「灑洛。……これは、君が枕辺で看病してくれたことへの礼だそうだが……」
遊嗄は、苦々しい顔で、皇帝からの賜りものを見せた。
並んでいたのは、金で出来た釵、翡翠と珊瑚、黒玉髄、黒真珠を配した鳳冠、それに、真紅の瑪瑙で出来た飾り爪、羅に銀糸で刺繍を入れた上衣、珊瑚色の上襦は、絹糸で、花鳥がこれでもかと言うほどに刺繍されたもの。下裙は薄物を何枚も重ね合わせて、裾の報から胸元へ濃い色から淡い色へと移り変わりが美しい素晴らしい染色のもので、粒の小さな黄金の真珠、真っ白な花真珠、黒真珠が縫い付けられていた。
「こ、こんな……衣装は、頂けませんわ……」
「ああ、本当に、一体、父上はどうなさったのだろうな。黒真珠と黒玉髄の付いた鳳冠は……本来、皇后のみが付けられるものだ。それを、ご存じないはずはないのに」
―――皇后のみ……という言葉に、灑洛はぞっとした。
先日、灑洛は牀褥(ベッド)の上に引き寄せられたことを思い出したのだった。あの時、皇帝は、『別のものと間違った』と言っていたが……。
「きっと……、混乱しておいでなのよ。今まで、皇帝陛下は身体堅固で、病に倒れたことも無かったし、戦で手傷を負って帰られたこともないはずですから」
それは、灑洛が、瀋都の濘府にて耳にした、数少ない皇帝にかんする噂話だ。
皇帝は、今まで病に伏したこともなく、戦に出て、それこそ前戦で戦うような窮地に陥ったとしても、かすり傷一つおったことはないというものだった。その噂を、游帝国の皇帝は、まるで神のようだと灑洛は畏れを含んだ気持ちで聞いていたのだった。
「灑洛。流石に、父上でも、全く無病でいらしたわけではないし、戦場では命に関わるような深手を負われたこともある。皇城で暗殺され掛かって、生死の境を彷徨われたこともあるのだよ」
「本当ですか? わたくし、そんなことは、ちっとも存じ上げませんでしたわ……」
「皇帝が病に倒れたり、怪我を負ったり、暗殺されかかったりすれば、国は大いに混乱するだろう。だから、こういう情報については、真実を公知することが必ずしも正しいとは限らないと言うことなのだよ」
「そう、だったのですね……」
知らないことばかりで灑洛は自分の無知が恥ずかしくなる。だが、それを差し引いても、皇帝の贈り物は尋常の品とは思えなかった。
「本当は、お返しする時に……直接出向いた方が良いのでしょうけれど、わたくし、少し、皇帝陛下の御前に出るのが怖いのです」
やはり、引き寄せられたことが、灑洛は怖ろしかった。
遊嗄とは違う、男の顔を見た。錦でつくった褥を背中に感じた時、歯がかみ合わなくなるほど怖ろしくなった。
(御前に出たからと言っても……また、引き寄せられるはずはないでしょうけれど)
特に、常の執務を行う、麒書殿では、玉座は、例の如く十七段の黄金の階段の上にあるはずだから、気にする必要は無いはずだが、怖ろしかった。
瓊玖殿でのことは、細々と、遊嗄には語ってある。たとえ、間違いだったとしても、灑洛が褥に引き上げられたのは間違いないことだったからだ。
「そうだね……。父上には申し訳ないが、しばらくの間、あなたは、父上の御前に出ない方が良い。この品々の返還は、私の方でやっておくから……あなたは、東宮で静かにして居た方が良いでしょう。窮屈で申し訳ないけれど……」
「いいえ、窮屈だなんて……そんなとこはありませんわ」
「そうかな? ……だと良いが、結局、私も、あなたを絶対に他の男に渡したくないだけだからね」
遊嗄の手が、灑洛の腰を捕らえる。「あっ」と灑洛が上げた声を、遊嗄が吸い取った。
「あなたを、守ってみせるからね……必ず」
はい、と返事しようとした灑洛は、やはり言葉を口にすることは出来なかった。
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