神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第二章 遠雷

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 高楼こうろうの欄干に手を掛けながら、花園を見下ろしていた。

 人払いをして、一人で高楼に佇む皇帝は、常から漆黒の上衣を纏っているので、闇に溶けてしまうようだった。

 幻灯が飛んでいったあと、皇帝は、先に花園を去ったあとで、花園を見下ろすことの出来る高楼に来たのだった。本当は、来る予定はなかったが、気がついたらふらりと足が向いていた。万事に於いて、意志をはっきりと告げる必要のある皇帝にとって、珍しいことであった。

 その傍らに、羽音もなく、神鳥が飛んでくる。肩に乗るかと思ったが、神鳥は、欄干に止まったままだった。

黎氷れいひょう、あの娘を見ているのか?』

 神鳥は、言葉を選ばずに、皇帝に問い掛けた。神鳥は、見聞きしたことを、正確に語ることは出来るが、そこには、感情の入り込む余地など一切ないものだったし、神鳥は、絶対に嘘を吐かない。

「ああ……見ていた」

 神鳥と付き合うには、神鳥と同じように、嘘偽りを話してはならない。神鳥は、それをすぐに見抜く。嘘偽りだらけの世界で生きる皇帝にとって、神鳥は好ましい者でもあった。

 皇帝とは、孤独な立場にある。

 どれほど妃に寵愛を与えても、その背後には、必ず、実家の存在がある。妃たちは、高い金を掛けて磨かれてきた特別な存在で在り、元手が掛かった分以上の見返りを実家に与えることを望まれている。

 妃たちも、皇帝の寵愛が、幻に過ぎないと知って居るから、実家を大切にする。

 皇帝の『寵愛』は、必ずしも皇帝の愛情とは等しくない。

(愛情に価値はない)

 それを、痛いほど知って居るのは、他ならぬ皇帝自身だ。皇帝自身、どれほどの血を浴びてきたか解らない。弟たちは、十人もいたが、ことごと誅殺ちゅうさつしなければならなかったし、叔父や伯母までも処分してこなければ、玉座にはたどり着かなかった。

 皇帝―――黎氷とて、あの玉座を望んだわけではない。

 ただ、黎氷の場合は、玉座を目指さなければ死が待っているだけだった。『生きる為』に皇帝になった。それに過ぎない。臣籍もきょうだいも実の父母でさえ、信じることは出来ない、過酷な環境だった。

 それを思えば、今の遊嗄ゆうさは、甘いとしか言えない。

 母である貴嬪きひんが権勢を振るっているので、皇族としての危機感が薄い。おおよそ、後宮や東宮の事情ならば、端女はしため一人の変死まで皇帝の耳には入ってくるが、遊嗄は幸運なことに、そういう危機に直面したことが殆どないはずだった。

 そして、皇太子の座を追われる可能性についても、考えた事がないに違いない。

 花園の蓮池のほとり

 遊嗄と灑洛れいらくの二人が、花を見物した後に、いるのまで、この高楼からはよく見えた。

 元々、花園は、敵が潜みやすい場所でもある。そして、木々が多いことから、隠れているつもりでも、四方にある高楼からは、すべて見通せるように木々の配置まで計算し尽くされている。

『あの娘と皇太子は、あのような場所で交わるとは、獣でもあるまいに』

 神鳥の声を聞いて、黎氷は笑った。

「人は、獣だよ。それに劣ることもある」

『劣る、とは?』

「獣は、自分のきょうだいを食い殺しはしないだろう?」

『いや、そういう種もあるだろう……』

「一つでも多くの種を残すことが獣たちの生きる価値ならば、たとえきょうだいの命を奪う場面があったとしても、どうしようもない場面だ。回避可能な状況ではないはずだ。ちんとは違う」

 黎氷は、花園を見遣った。

 池の畔でひとかたまりになる男女の姿だった。その熱気が、高楼まで届いてきそうで、黎氷は眉根を寄せる。そのまま目を閉じて、深い溜息を吐いた。

『どうかしたのか』

 神鳥が問い掛ける。『あの二人を見ているのが辛いのならば、引き離すか、視界に入れぬことだ』

「遊嗄はね」と黎氷は静かに語り出した。「若い頃の朕と、瓜二つなのだ」

『そうか? そなたのほうが、人を寄せ付けぬ雰囲気だった』

遊嗄あれは甘いからね……そして、灑洛は、姉上に……娥婉がえんに、瓜二つだ。あの二人が、笑い合う姿を見ていると、気が遠くなってくる。
 娥婉がえんは、の同母の姉弟だ。結ばれることはない。ああ、何をどう頑張っても、無理だ……だから諦めて、この思いばかりは封じ込めたのだ。娥婉を思い出すようなものはすべて遠ざけて、灑洛にも今まで一度も顧みたことはなかった。唯一、『仙女の絵』として、絵姿を私室に置いていただけだ」

『黎氷。それは邪恋だ』

 怜悧な神鳥の声を聞いた黎氷は、カッと頭に血が上った。

「そんなことは、百も承知だっ!」

 高欄を殴りつける。荒げた声を聞いて、控えていた侍官たちが慌てて近づいて来る。

「解っている。だが、なぜ、私の果たせなかった邪恋こいを、遊嗄が手に入れている!」

 黎氷は、胸元の袷を掴んで身を屈めた。身の内を、どす黒い、邪念という名の毒蛇が這い回っているようだった。身の内側から焼かれるようで、苦しい。息が出来なくなる。

『宦官ども! 黎氷の様子がおかしい!』

 神鳥の声を遠くに聞きながら、黎氷は、高欄に凭れるようにして、倒れた。聞こえるはずのない、灑洛の甘い嬌声を聞いた気がして、天地が大きく揺さぶられた。


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