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第五章 後宮からの逃走
4.牛殺しの君
しおりを挟む私の膝に縋り付いて嘆いている小鬼は、なんとも、哀れだった。
そもそも、主が自由すぎる。
その自由すぎる主が、元・帝という身分なのだから、小鬼も嫌になるだろう、いろいろと。
「えーと、いろいろ、大変ね?」
「そうなんです。もう、本当に……、伊勢の御方は……、毎日毎日、私の装束を剥ぎ取って……っ」
えっ、ちょっと! なんか、いかがわしいことをなさっているわけじゃいわよね!
斎宮さまと言ったら、神聖な女君じゃない!
「こ、小鬼っ!」
「そうなんですっ! 毎日毎日、私は、着せ替え人形の如く、女物の装束やらなにやらを着せられて……ううっ」
「……はあ」
「なんですか、それはっ! 私は、本当に、毎日辛かったんですよっ! あの伊勢の御方は、我が主も着せ替えしようと思っていたのに、あの方は、とっととご自分だけお逃げになって、漁師まがいの生活をっ!」
えーと……、鬼の君なら、きっと、女装してもウツクシイトオモウヨー。
私は、眩暈がしてくるのをなんとか堪えながら、小鬼をねぎらった。
「あなたも、苦労したのね(八年も)」
「そうなんですよっ! ……酷いじゃないですか! 私は、この通り、いつまで経っても、線が細かったから、いつも、いっつも! 女房装束着せられてましたよ! 私ねぇ、五節の舞姫の格好だってしたことありますよ!
もう、伊勢に天女が舞い降りたって、そりゃあもう、評判でっ!」
私は―――鬼の君と、それほど深くお話ししたことはないけれど、きっと、鬼の君は、そんな小鬼を見て、腹を抱えて爆笑されていたと思います。
「私宛の求婚が、一体何通来たことかっ!」
「えー、それ、羨ましい~。私なんて『鬼憑きの姫』とか呼ばれて、縁談ゼロよ? なんか、今、モテ期だけど」
「そりゃあ、あなたに縁談があるはずないですよ」
小鬼が、なにやら不穏なことを言い始めた。
「なにそれ」
「だって、あなたが『鬼憑き』だって噂、執拗に広めたの、私の主ですから」
な、ん、だって!
鬼の君が、一体、何でそんなことをっ!
「おかしいと思いませんでしたか? そんな噂、八年もずーっと引きずってるんですよ? 普通、人の噂なんて、二三年で消えますよ。それこそ、政治まで揺るがしかねない大醜聞とかだったら、永遠に残りますけどね」
「確かに、それは、おかしかったのね。私、全く気がつかなかったわ!」
「ええ。気付かないでしょう。……あの方、『魚売り』として伊勢から京に入って、その都度、噂をまめまめしく広めていたのですから」
「元・帝に何させてんのよ、アンタ!」
「……だって、あの方、言い出したら、絶対に聞かないですよ? ……第一、あの時だって、『じゃあ私は切腹する!』とか言い出したと思ったら、牛一頭シメて、その血をぶちまけて遁走ですよ! あり得ます? みんな、あの人のお上品な顔に騙されてるんだ!」
「ちょっと、整理させてね? ……えーと、鬼の君は、八年前の『事件』で、自死という決定が下ったあとに、牛一頭を殺して、その血を使って、切腹偽装した……と」
それならば、話は合っている。
関白殿下は、切腹したご遺体を見つけられなかったと言っていた。
その真相が、今ここにっ!
「そうなんです。まあ、『敵』も、流石にバカじゃないんで、そのあと、検非違使おっ立てて、山科まで来ましたけどね」
「ねぇ、あなた、今『敵』って言ったわね?」
そう、私は、聞き逃さなかった。
「あなたの―――あなた方のいう、『敵』は、一体、誰なの?」
私は、ごくり、と生唾を呑み込んだ。
その敵こそが、鬼の君の母君―――登華殿の女御様を呪詛したという真犯人だろう。
「言いなさい、小鬼っ!」
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