伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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48. あなたを、死なせない

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 皇帝に毒が盛られた―――と言う事実は、表向き、伏せられていた。

 ただ、皇帝が、『感冒』で寝込んでいるとだけ公表される。琇華しゅうかも、城下通いは止めたが、町の者たちが、食事を楽しみにしているだろうと思ったので、ほう機鏡ききょうに、食事を持って行くように命じておいた。

 毒殺犯が誰なのか、極秘に調査が行われているらしいが、犯人は見当たらないようだった。

 琇華は、皇太后の所へ伺って、それとなく、毒をいれた犯人に心当たりはないかと問い掛けたが、

「皇帝に毒を盛るようなものは、この皇城に、とても多く居るのですよ。あなたが思って居るよりも、ずっとね」

 などと笑われて、しまった。

「そうですか……」と琇華は気を落としたが、皇帝の看病に行かねばならないので、早々に皇太后の御前を辞そうとして、「待ちなさい」と、ひきとめられた。

「はい、何でしょう。皇太后さま」

「……淑媛しゅくえんの事は、良く決断しましたね。あなたに、この話をするのを忘れていましたよ」

 なんとなく、避けていた話題でもあった。琇華は、立ち上がろうとしていたが、再度椅子に座り直して、皇太后に向いた。

「皇太后さま。……皇子様は、お手元で扶育されておられるとか」

「ええ。……あなたも、大方の所を知ったでしょうが、古淑媛の兄が密通した妃が、まだ、この宮にいます」

 まだ、寵愛を得ているという、妃だ。

「彼女が、自分の子供として育てていますよ」

「その妃は……、ご自分の子供を、お上げになって居ませんのね」

 それに、寵愛を受ける身であれば、今からでも、子を宿すことはあるだろうに、と琇華は、不思議な事だと思った。

「これは、皇帝陛下にも、わたくしの夫にも言っておりませんけれど」と前置きした上で、皇太后は言う。「件の妃は、宮刑きゅうけいに処しました。……女が胎内に持つ、子を宿すことの出来る宮を、太医に切除させたのです。ですから、あの妃は、子をなすことが出来ません」

 おぞましい話に、琇華は身震いした。

「そんな……っ」

「それが、あの妃に出した条件です。皇帝の寵妃として生きることは認めても、それを形にすることを、わたくしは許さない。だからこそ、あの妃は、皇子を、我が子の如くに扱うのです。
 唯一の、血縁ですからね。あの皇子に、皇位は渡しませんよ。少なくとも、わたくしの目が黒いうちは」

「……母子が、幸せに暮らす道は?」

「わたくしは、今のままでいるのが、一番だと思いますよ。ただ、皇帝陛下に、万が一のことがあれば、あなたはどうするか、身の処し方を決めなさい」

「万が一のことなど……起こさせはしませんわ。妾が、必ず、生き返らせます」

「生き返らせたとして、その先を考えなさい。あなたが子を産むか、それとも、ほかに子を産ませるか。但し、古淑媛の子には、皇位は渡さない」

 琇華は、「しかと、こころえました」と受けて、皇太后の御前を辞した。

 本当は、子供が欲しい。

(皇位なんか、継がなくたって良いわ。あまり、遭うことが出来ないような、辺境で育てさせてもいい。でも、妾だって、子供が欲しい)

 愁月の子供は、皇位は遠そうだった。

 皇帝が快復した暁には、琇華は、ほかの妃を取るように薦めなければならないのだろう。

(妾の、役目)

 皇帝に、妃を薦めること。それは、紛れもなく、『皇后』の役目だった。

(いっそ、もっと好色な方なら良かった)

 あちこちの女官に手当たり次第手を出しているような男なら、手が付いた端から、妃嬪にすれば良い。それならば、琇華が、思い煩うことはなかったのだ。

 瓊玖ぎきゅう殿では、懸命の治療が続けられていた。太医が、朦朧としながら、薬湯を匙で皇帝に与えているのを見た琇華は、「代わるわ。太医、あなたは少し休みなさい」と命じて下がらせる。

 太医は、帳の外へと出ると、そのまま床の上に転がっていた。

 琇華は、真っ黒な薬湯を、皇帝の口に注ぎ込む。玉のような汗をかいていたので、それを白絹で拭う。そっと触れた身体は、酷く冷たかった。良くみると、皇帝は震えている。

「医官たち……皇帝陛下は、寒そうですよ。火鉢も……効かないのかしら……?」

 医官たちは、枕辺で、薬研を使いながら、薬湯に使う薬を調合している。他の者は、薬を煎じたり、脈を取ったりしているが、どうして良いのか解らないというような、途方に暮れた眼差しをしていた。

「お脈が、弱々しいのです」

 泣きそうな声をしながら、一人医官が言う。

「身体が、冷え切っておいでで……これでは……」

「身体を、温めるのね?」

「そうすれば、或いは……」

 医官たちも、なにが効果があるのか解らないのだろう。琇華は、だが、躊躇わなかった。顔が歪むほど苦い薬湯を口に含んで、皇帝に口移しに飲ませる。そしても上衣を脱ぎ捨てて、皇帝の褥に潜り込んだ。

「皇后陛下っ!」

「妾が温めた方が、まだマシかも知れないわ。……あなたたちは、ほかに、何か、手があるのならば試して頂戴!」

 氷のように、皇帝の身体は冷たかった。なのに、全身、濡れるほどの汗をかいていた。呼気は荒い―――が、浅かった。琇華は、かつて、自分を抱きしめた皇帝の、熱い身体を、その息吹を思い出す。

 あの逞しい身体が、今は、酷く冷たい。

「嫌よ。妾は、あなたを、死なせないわ」

 ぎゅっと、琇華は皇帝の身体を抱きしめる。その、皇帝の唇が、何か、言葉を紡いだような気がしたが、問い掛けることは出来なかった。





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