伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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42. 黄金姫の贅沢

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 本人の目の前で悪口を言っていたことに気がついて、男達は、「これは、ご無礼を! 皇后陛下!!」と一斉に地面に平伏した。だが、饅頭は手から放さないので、琇華しゅうかは思わず笑ってしまう。

「気にしておりませぬから、顔をお上げになって」

「で、でも……」

「妾は、その、贅沢な『黄金姫』だから、今から、たーんとお金を使いたいの。勿論、前払いでお出しするわ。衣装に飾り物、調度もすべて欲しいわ。全部、妾の思い通りに作って頂きたいの」

 琇華の気前の良い言葉に、男たちは顔を見合わせる。

「そうそう。来月には、妾の生国しょうこくであるほうから、食糧も入ってくる予定よ。それまでの間、職人さん方には、頑張って頂かないと困るから、掖庭えきてい宮から、食糧を出しても良いわ」

 俄に、男達の間にざわめきが走る。

「皇后さまは……、私たちを、助けて下さるので?」

「助けて貰いたいのは、妾のほうよ。着替えがなくて、不自由しているし、掖庭宮も、とっても地味だわ。これじゃあ、妾の実家のほうが華やかだったと言われてしまうもの!」

 勿論、表向きは、『黄金姫の贅沢』それで良い。

 それでも、男達は、琇華の意図を汲んだようだった。

「こうみえても、私らは、機織りの女房がおりますので。いまから、女房どもを連れて参ります」

「俺たちは、飾り物の職人ですから、なんでも仰せつけ下さいませ」

「うちの縫師達は、早いですよ! 皇帝陛下の上衣なら、一晩で仕立て上げますぜ」

 口々に、自分が優れていると言う職人たちの目は、生き生きと輝いていた。

(職人さんたちだけ、手をさしのべても仕方がないかも知れないけれど……)

 できることから、少しずつ考えなければ。

「楽しみね! 是非、妾の好みの品を仕立てて貰いたいわ!」

 殊更楽しげに言う琇華の傍らで、瑛漣えいれんが、小さく呟く。

「職人たちの件が一段落したら、皇帝陛下のことも、なんとかして下さいませ」

「瑛漣……」

 瑛漣は、傍らで拱手しながら、琇華に言う。

「いまは、おふたりとも、頭に血が上っておいでですから……また、同席したら、言い争いになることも多かろうと存じます。けれど、皇后さまは、皇帝陛下をお支えできる唯一の御方です。
 どうぞ、国の為、民の為をお考えでしたら、皇帝陛下のことも……」

娘娘にゃんにゃん。わたくしからも、お願い致します」

 口を挟んできたのは、愁月しゅうげつだった。

「このまま、娘娘と陛下が、仲違いしているのを見るのは、忍びないのです。どうぞ、早い内に、陛下とお話し下さいませ」

 涙を浮かべて懇願する愁月に困り果てながらも、「機会をみてお話しします」とだけ応えておいた。





 琇華の好みの図案を生地や刺繍に仕立てて貰う為に、琇華は、毎日、職人町へと足を運ぶようになった。

 朝餉と昼食を兼ねた食事も、大量に持って行く。

 掖庭えきてい宮の食糧は、琇華の為に、と堋国が贈ってくるものだった。父王から送られたと思ったら、二人の兄、母親からも所領の作物が多かったので、と送ってくる。

 いくらかは瀋都の商人に流したので、小麦の価格は一時、一斗いっと(約20リットル)一万銭と言われていたが、五百銭までは下げることが出来た。来月になれば、状況は良くなるだろうし、再来月には、早い小麦の収穫が来る。

 職人達の顔は、明るい。

 少しずつ、瀋都も、人の往来が見られるようになってきた。特に、東側に住む者たちが、『黄金姫』が食糧を配っていると聞いて大挙してきたので、下町は押し合いするほどの賑わいだった。

「妾の衣装より、愁月の衣装を急いで頂戴。愁月は、衣装がなくて困っているの。妾のものを何着か与えては居るのだけれど……」

「……ご自分の立場を、よくご存じなのでは……?」

 刺繍をしながら、繍工の女はいう。

「あら、でも、皇子を産んでおいでなのよ? 妃嬪に上がったことだし、ちゃんとした格好をして貰わないと、妾が苛めているみたいじゃない」

「たしかに、そうですねェ。実際、黄金姫さまは、こんなにお優しいのにねェ」

「妾は……多分、優しくないわよ」

 最近、琇華はそう思う。

 ほう国の黄金おうごん宮に居た頃は、嫉妬をすることもなかったし、苦しい思いもしなかった。正直な気持ちで言えば、皇帝の寵愛を受けた愁月のことは、羨ましく思う。

(妾は、自分が、嫌な人間だったなんて、知らなかったの)

 出来れば、嫌な人間だったなんて、知りたくなかった。

 知りたくなかったのに。

「……おやおや、皇后陛下。随分と、市井のご婦人方と馴染んでおいでですね。豪華なお召し物がなければ、気付きませんでした」

 後ろから声を掛けられて、琇華は振り返る。

 そこに居たのは、仮面の男―――しゅ学綺がくきの姿があった。

「あなたは……、陛下の側近の……」

「はい。しゅ学綺がくきと申します。……皇后陛下におかれましては、ご機嫌麗しく……、学綺、伏して、拝礼申し上げます」

 地面に膝を突いて拝礼するので、琇華は慌てて「楽になさって」と礼を許した。

「それでは、失礼を」

「陛下の側仕えのあなたが、こちらへ来るとは珍しい。陛下に、何か大事だいじでも?」

「いいえ?」

 洙学綺は、にこり、と笑った。表情が見えないだけに、底知れない感じがする。

「なら、なにかしら……」

「皇后陛下のことを心配なさっておりました。そのため、私が遣わされたというわけです」

 嘘だか真だか解らないが、「そうですか」と琇華は受けておいた。

「そういえば、古淑媛しゅくえんはご一緒ではないのですね」

「ええ。最初の日は連れてきましたけれど、人酔いしたのですって」

「そうでしたか。それは残念―――では、私めは、こっそり、皇后さまのご様子を見守っておりますので、お気になさらず」

 琇華は応えなかった。


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