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41. 饅頭大作戦
しおりを挟む子供は、物欲しそうに饅頭を見ていたので、琇華は一つ手に取って、子供に差し出した。
「このあたりで、職人さんの住んでいるところをご存じかしら?」
子供は、酷く不潔な匂いがした。ツンと鼻に付くのは、おそらく何日も湯浴みをして居ないせいだろう。今は、六月の末。盛夏には遠いが、立っているだけでも汗ばむほどの陽気だった。
着ている者も、薄汚れて、所々布地が透けて、肌の色が見えて居た。その肌も、灰色に近い様な、血の気を失った色で、このまま、食べ物がなければ、数日以内には、この世を去っているだろうことは容易に想像が付いた。
子供は、無言で、指さした。西の方だった。
「もし、案内して下さったら、もう一つ差し上げてよ。……それと、職人さん達にも、饅頭を差し上げるわ」
子供は、大急ぎで手にした饅頭をかっ込むと、二つ目の饅頭を受け取って、大口開けてかぶりつこうとして、はた、と気がついたように、口から離した。
「これ……持って帰って良い?」
「よろしいけれど、もし、ご家族がいるのならば、その分差し上げるわ。……あなたが、案内して下さったら」
「お姫様、こっち!」
お姫様、と言う言葉に、琇華は微苦笑する。皇后の貫禄など、あるはずもない。
琇華は「待って頂戴」と言いながら、彼の後を付いていく。
表通りに面したところから一歩入ると、家の作りは大分違っていた。表通りは、有力貴族などの邸宅が多い。また、皇族の住処なども、このあたりのはずだ。邸の四方は、高い塀で囲まれて、入り口の所には扁額が掛けられ、朗々とした文字で『濘府』などの文字が書かれている。
『府』は邸宅の意味である。
しかし、琇華が足を踏み入れた場所は、悪臭と泥、それにぎろぎろとした目で、無遠慮に、琇華を見るのは、幽鬼のように痩せた男達だった。子供は「ん」と合図する。
(では、この方たちが、職人さんたちなのかしら……)
「おや、貴族のお姫様が、一体……なんだい?」
憎男の顔が、歪んだ。それを、琇華は憎悪の形だと、そう思った。一瞬、たじろいだが、気を取り直して、琇華は言う。
「このあたりに、職人さんは居るかしら。もし、教えて下さったら……その子に差し上げたのと同じ饅頭を、あなた方にも差し上げてよ?」
男達の顔に、急に精気が戻る。琇華の言葉と、饅頭を交互に見比べて、男達は、饅頭に手を伸ばした。
「何の職人だい、お姫様」
男の一人が声を掛ける。
「織物と、仕立てをして下さる方と、刺繍をして下さる方と……妾は、折角だから、妾が気に入った紋様で、衣装を作って頂きたいのよ」
「衣装、だぁ?」
男が、機嫌悪そうに、そう聞いた。雛姫は「ええ」と応えてから、「妾の衣装、それにもそこに居る愁月の衣装。そして、女官達には、制服を作ろうと思って居るの」と琇華は、にこり、と微笑んだ。
「……そんなに、大量に?」
男達が顔を見合わせた。周囲がざわついている。
「ええ。妾は、本気よ? どうしても、妾は、今、これだけの衣装を整えたいの。本当だったら、調度品も欲しいし、髪飾りも欲しいわ。だから、職人を探しているの」
男達が、琇華を見た。「そういえば」と一人の男が呟く。「外国から来た皇后さまが、凄い贅沢な人らしいな。食事なんか、何十種類も作らせて、一口ずつしか召し上がらないんだそうだ。それで、付けられた渾名が、『黄金姫』だとか」
「けっ、このご時世に、羨ましいこって」
「こちとら、何日、食ってないとおもっていやがるんだ」
口々に、『黄金姫』への文句を言っているので、琇華は、予想外のことだった。職人達のなかには、皇城に出入りする者も有る。その者達から、聞いた『噂話』だろう。
しかし、この者たちが、『黄金姫』に対する苦情を露わにしているのは、あまり良くないことだ。どうしようかと琇華が考えあぐねていると、男が、琇華に向いた。
「なんで、饅頭を持ってきた?」
「皇城で、作りすぎてしまったの。……皇帝陛下が、急に、妾が食事の準備を整えることはないなんて仰せになるからよ」
「皇帝陛下……これは、皇帝陛下のお口に入る予定だった、饅頭か!」
男達は、一口かじった後でも構わずに、饅頭を捧げ持った。
「それが、ただのゴミになるのは忍びないから、この饅頭を金子代わりにしたら、腕の良い職人の所まで案内してくれるんじゃないかしらって思っただけよ」
極力、この男達の矜恃を傷つけないように、言葉を選びながら琇華は言う。
「解りました、職人の所へは、案内します。えーと……あなた様は、どちら様で?」
男達の視線が集中する中、琇華は、にこりと笑って言った。
「わたくしが、その『黄金姫』よ」
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