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18. 一人寝の牀褥(ベッド)で思うこと
しおりを挟む(そういえば、黄金姫は、夕餉は一緒に採らないな)
皇帝の平素の住まいである瓊玖殿で書類を片付けながら、漓曄はふと、そんなことを思った。
漓曄の仕事は、日没と共に終わりだ。明かりのための油代も馬鹿にならないので、どうしても重要な案件以外は、極力、昼間行う事にして、夜の間は、寝ている。
朝餉にありつけるのが一番の理由だが、夜は暇だから、黄金姫のところに通っていたというのもある。
最近、黄金姫は、朝餉と昼餉を用意する。それは、助かっているが、高慢な黄金姫には、少し、周りを見回せと言いたくもなった。
皇宮は、あちこちで節約しており、水や薪、油、紙や墨なども勿論できる限り節約している。だが、黄金姫が、そうした倹約の態度を取っているという話を聞いたことはない。
贅沢三昧を繰り返している黄金姫には、皇帝も腹立たしさを越えて、あきれ果てる。
(我が儘放題に育った姫なのだろうし、周りの事情も全く見ようとも考えようともしない。……本当に、黄金と引き替えでなければ、誰が、あんな姫を娶ったものか)
日没をすぎればやることはない。
牀褥に転がって、皇帝は、溜息を吐いた。
ここの所、ずっと黄金姫のところに変わっていたから、急に暇になってしまった。
経費節約のために、皇帝付の女官もかなり数を減らした。致し方なく丹史(閨の記録係)は付けているが、それ以外の役職は、数を減らしている為に、皇帝の牀褥を整える係さえいない。
もっとも、戦に出れば、自ら、身の回りのことをやっていたのだ、出来るだろうと高をくくっていたが、本来ならば、毎日取り替えられる褥は、何日も虫干しもして居ない為に、大分、潰れてぺしゃんこになっている。
黄金姫のところの褥は、ふわふわと居心地が良かった。毛足の長い猫の腹の上で眠っているような、ふんわりとした心地だ。この牀褥と、雲泥の差である。
漓曄は思い立って、身を起こした。
(すこし、黄金姫の様子でも見てくるか)
月の障りということだから、肌を合わせるわけには行かないが、顔を見に行くのも良いだろう。特に、今日は、先触れも出さず、供の一人も付かない、完全な微行である。
漓曄の思いつきによる、退屈しのぎだった。
玄溟殿に辿り着いたのは良いが、このまま正面切って殿舎をたずねれば、大騒ぎになるだろうと考えた漓曄は、侍女の祁瑛漣を呼んだ。
「陛下に、拝謁致します。まあ……こんな自分に先触れもなくおいでになるなんて……」
「礼は良い。それより、……月の障りと聞いたのでね。顔くらい見にきても良いだろうと思って訊ねたのだよ。黄金姫は、どうしている?」
瑛漣の表情が曇った。
「じつは……お加減がわるくて、一人になりたいと仰せになるものですから、今は、人払いをしてお一人で牀褥でお休みです」
「そんなに、月の障りが重いのか?」
漓曄は驚いて聞く。漓曄には、その道の知識はあまりなかったが、伏せるほど重いとは思わなかったのだ。
「辛いようならば、太医を呼ぼう……」
「ぜひ、そうしてくださいませ。血の道に問題でもありますと、お子を身ごもることも難しくなりましょうから」
心底心配する瑛漣の言葉を聞いて、漓曄は、胸の奥がちくり、と疼くのを感じた。
(黄金姫に子供が出来たとしても……その子は、死ぬのだ……)
そう思うと、胸の奥が冷えて行くようだった。だが、堋国からの干渉は避けたいし、仕方がない。
「牀褥に居るのだね」
勝手知ったる殿舎を行く。黒曜石の板がはめ込まれた床は、漓曄が歩く度に、カツン、カツン、と音を立てる。音で、起きてしまわないだろうかと思っていたが、気配が動いた様子はない。
牀褥へ向かう。玄溟殿の最奥。薄絹の帳を張り巡らせた奥に、黄金姫は眠っているはずだった。ここの所、毎夜通っていた寝所だが、今日は、熱の残滓すら感じられず、よそよそしい。
「皇后」
呼びかけて牀褥に上がる。
黄金姫は、褥の上に何かを大事そうに抱えたままで丸まって眠っていた。
「……紙……?」
とっさに漓曄は、苛立ちを覚えた。まさか、恋しい男からの文か何かだろうか。そう思ったら、居ても立っても居られなくなり、腹の底が燃えて胸が焦げ付くような苦々しさを覚えた。
昨夜まで、ここで、漓曄は黄金姫を抱いていた。その褥で、他の男からの文を抱いて眠るとは………と黄金姫に対して、やり場のない怒りが湧く。
(一体、どんなやりとりをしていたのだ)
黄金姫が起きないので、漓曄は、そうっと、黄金姫から紙を奪った。
(相手は、堋国の貴族か?)
本来、漓曄が、こんな嫉妬じみた思いをすることはないはずだった。黄金姫は、政略結婚で嫌々結婚した。一度二度抱けば、夫としての『義務』は果たしたとも言える。毎日通う必要はない―――放って置いても良かったはずだった。
(気に入らない)
なにが気に入らないのかもよく解らないままに紙を開いてみると、それは、姿絵だった。
おもわず、眠っている黄金姫を見遣る。眦に涙を溜めたまま、泣き疲れたように黄金姫は眠っている。気になって、褥に触れてみると、そこは、涙を吸い取って、しっとりと濡れていた。
(これは……私の姿絵だ……)
間違いない。食費稼ぎ代わりに……というのは、洙学綺の発案だった。それで、どれほどの売り上げがあるかは解らなかったが、とりあえず、見てくれだけは役者のように優れているという評判の漓曄だったので、たちまち、版を重ねなければならなくなったほどに売れた。
今まで五種類ほど売りだしただろうか。
(一番新しい姿絵でなくて良かった)
口元を手で覆いながら漓曄は思う。一番新しい姿絵は、梅の一枝と共に、余白に漓曄自らが作った(実際は、学綺に代作させた)恋歌などが書かれているもので、漓曄自身も、この財政難でなければ、蔵に入れて蔵後と燃やしたいほどの恥ずかしい出来である。これが、売れに売れて贋作まで出ているという。
(つまり……恋しい男……というのは、私の事なのか……?)
姿絵を抱きしめて泣いているくらいだから、憎まれては居ないのだろう。
「参ったな……」
女に本気で好かれているかも、解らなかったということになる。
そして、黄金姫が、本気で漓曄を恋い慕っているならば……急な黄金姫の我が儘も、納得がいった。
(こちらに、食事を届ける為か……)
その為に、我が儘で高慢な女という汚名を着て。漓曄は、やっと、それを察した。思い立って、黄金姫の髪を指で梳く。上質の絹のような、艶やかでか細い髪だった。
夢と希望に胸を膨らませてここにやってきたのに、漓曄は、堋国王への苛立ちを、すべて黄金姫に向けてしまった。慈しむような態度も言葉も掛けてやることはなく、それでも、彼女は、漓曄の為に、我が儘な姫を演じていたのだろう。
胸が詰まるような心地がする。
泣きながら姿絵を抱いて眠る黄金姫が、あまりにも哀れで――――その時やっと、漓曄は、黄金姫の気持ちを踏みにじったことに気がついた。
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