伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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04.瀋都到着

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 三冰さんひで急あつらえされた、琇華の宿は、街に賓客が訪れたときに使われる公舎だった。大急ぎで部屋の片付けをしてくれたらしい。王宮で使っていたものに比べれば、とても質素な調度だったが、心温かな笑顔に迎えられて、琇華は嬉しかった。

 特に、近所の子供達が、『結婚するお姫様の為に』と、お祝いの為の歌を歌ってくれたのには、胸がじんわりと温かくなったものだ。李将軍に言って、持ち物の中から、この町の子供達に下賜できるものがあれば与えて貰うようにお願いした。

 国中の人たちから祝福を受けて結婚できるなんて、なんて素晴らしいのだろうと、琇華は、三冰さんひに立ち寄ることが出来たことに、心から感謝しながら眠りについた。


 翌朝、巴州はしゅうの街から、ゆう帝国の勅使ちょくしが来ており、将軍と、少々揉めている様子だった。勅使は、初老の酷く痩せた男で、盤領ばんりょう(丸いえりをもつ服)の胡服ごふくを着ていた。高官で在ることを示す衣装である。色は、紫であった。

「李将軍には、ここでお引き取り願いたい」

 游帝国の勅使は、琇華だけをつれて、游帝国に入りたいと言って居るようだった。

「姫さまは、お輿入れなさるとは言えども、まだ、正式に入宮されたわけではありますまい。それならば、瀋都しんとまでの道中は、我々が守護するべきです」

「そもそも、花嫁行列に、李将軍あなたのような、武人が守護しなければならぬほど、我が国内は乱れてはおりませぬ!」

「なにを仰せか! 皇帝陛下のご威光の届かぬ辺境の地では、賊が横行していると聞いておりますぞ。女や子供は略奪されて西域に売られているのが、宸襟しんきんを悩ませていることは、我が国にも聞こえてきますぞ」

 李将軍と勅使の不毛な言い争いが続くので、琇華は「妾ならば、李将軍について頂かずとも構いませんよ」と申し出たが、李将軍が押し通した。

「いいえ、姫さま! 勅使とは雖も、この婚姻を快く思わぬものということも考えられます。そうなれば、姫さまは、瀋都しんとに辿り着く前に、どこかへ連れ去られ、殺されると言うこともありましょう! ですから、私は、命に代えても、姫さまと一緒に参ります。勅使殿! もし、私を置いて行きたく場、この老いぼれを叩き切ってからにしてくだされ!」

 耳が痛くなるほどの大音声で凄む李将軍に、勅使は、後ずさった。

「そこまで言うのならば、仕方がない。花嫁行列を、血で汚すわけにはいきませぬからな」

 引き下がった勅使は、出立の時刻を告げて、琇華に仕度を促した。




 かくて、琇華の一行はその二日後に、瀋都しんとに辿り着いた。

 瀋都しんとは、高い城壁に囲まれた城塞都市である。出入りできる口は、東西南北にそれぞれ3つずつ。そのうち中央が、皇帝のみ使用できる口になっており、今回、琇華は勅許により、皇帝専用路を行くことが許されていた。

 瀋都は整然と区画された碁盤状の都市であり、堋《ほう》国首都の湖都れいととは、あまりにも異なる街の様子だった。

 整いすぎていて、どこか、冷たい感じのする都市だ。琇華が窓から垣間見た限りでは、湖都とは比べものにならないほどに、巨大な都市であることが見て取れたが、なぜか、人の姿は少ないように思える。なんとなく、活気がないように感じるのだった。

 堋《ほう》国では、琇華の花嫁行列は、どこでも歓迎されたし、一目見ようと人が押し寄せていたが、游帝国では、そんなことはないようだった。

 堋《ほう》国と游帝国では、琇華の結婚に対して、温度差があるようだった。

 琇華は、花嫁の衣装である真紅の装束に施された、瑞鳥の刺繍を眺めながら、(大丈夫よ)と必死に言い聞かせる。堋《ほう》国と游帝国では、文化が違うのだと。

 皇城へと続く門の前で馬車は止まり、勅使が、口上を読み上げる。

「堋《ほう》国より王女殿下である。勅命に依り、開門せよ!」

 朗々とした声音で口上を告げる勅使に、門番が「堋《ほう》国、王女殿下、ご到着!」と応える。軋んだ音を立てて、開門され、石畳の敷かれた広場に出る。四方を皇城の漆黒の楼壁に囲まれた広場は、二万人の軍勢が入っても余裕ではないかと思わせるほどだった。

 正面の皇城は、百段近い階段の上に立ち、漆黒の瓦が葺かれている。游帝国は、黒色を重んじる国なので殿舎も漆黒だった。

 初めて目にする漆黒の宮殿は、墨絵の世界に迷い込んだようで、酷く怖ろしかった。

(ここに皇帝陛下がおいでになったら、妾も怖くないのに……)

 そう思うが、皇帝とは、宴席まで逢うことは出来ないという。床入りも済ませないで宴を行うのは、おそらく、初夜を邪魔されない為だろうと、兄が得意げに語っていたのを思い出す。

 ひとり、故郷を遠く離れたことが、今更身に沁みて、じんわりと涙が浮かぶ。馬車の中に居る琇華の姿は誰にも見られることはないので、琇華は、眦を指で押さえた。白い指先を、涙が濡らす。懐から手巾を取り出して拭いてしまうと、急に馬車が止まった。

 俄に外が騒がしくなる。

「これは……しきたりでは、そのような事はいけませぬ!」

 甲高い声で、おろおろと狼狽えたのは、勅使だった。勅使が狼狽える側で、李将軍が「勅使殿、固いことを言うな!」などと豪快に笑い飛ばしている。

(一体、なにがあったのかしら……)

 琇華がそう思っていると、不意に、馬車の扉が開いた。

「黄金姫。遠い所をようこそ、我が帝国へ」

 皇帝が、そこに居た。漆黒の衣の上に、漆黒の上衣を纏い、漆黒の冕冠べんかんを被っている。冕冠は、前後に、黒珠こくじゅ十二珠を糸縄にて貫いたもの十三りゅう付けている。

 見とれるほど美しい顔だった。花嫁衣装の被り布をもどかしく思いながら、「宴の席までお目に掛かることは出来ないと、聞きましたわ」と言う。

「頭の固い勅使のせいだね。……遠い国から単身いらっしゃった姫君に、一瞬でも早く、お目に掛かりたいとおもっただけですよ。さあ、参りましょう」

 皇帝は、琇華を馬車から降ろすと、そのまま、抱き上げてしまった。抱き上げたかと思えば、ゆっくりと歩き出す。

「皇帝陛下っ! 靴が……」

 馬車の中では靴を脱いでいた。このままでは、皇帝が琇華を運ぶことになってしまうだろう。

「靴は良いのだよ。私は、あなたをお運びすると決めたのだからね」

 耳許で甘い声を聞いて、琇華は気が遠くなった。一晩中。この声が耳許に愛を囁くのだと思ったら、それだけで卒倒しそうになる。

 柔らかな微笑みを見つめながら、琇華は、うっとりと皇帝の声音に耳を傾けていた。



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