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01.黄金姫の初恋
しおりを挟む堋《ほう》国王宮は、黄金宮と呼ばれる。
黄金の柱、黄金の瓦、黄金の壁に彩られた美々しい宮殿は、諸国にその名を轟かせ、大陸全土からの富貴が聚まる場所として知られていた。
黄金宮には、現在、隣国游帝国の皇帝が来ているという。
「妾も、皇帝の歓迎の宴に出てみたかったわ」
甘い新芽の香りが鼻先に春の訪れを教える新緑に煙る内院を、ふて腐れたように歩きながら、琇華は游帝国の皇帝に思いを馳せる。
皇帝は、すらりとした長身の美丈夫だそうで、その美貌は近隣諸国にまで知られるほどで、姿絵は、なんと堋《ほう》国にまで出回っているらしいと聞いたのだった。
「運が良ければ、この先の四阿で、姿を垣間見ることも出来るかも知れないとは聞いたけれど、本当かしら」
そう言ったのは、父王である。もしかしたら、皇帝が四阿に来るように言うのかも知れないが、約束してくれなかったところを見ると、垣間見ることさえ出来ないかも知れない。
(出来るなら、お目にかかりたいわ……)
噂の美貌の皇帝と聞いたので、張り切って装った。堋《ほう》国は『土』の国であり、色は『黄色』を尊ぶ。黄色の衣装は、国王を始めとして王家の人間にしか許されていないのだった。
だから、琇華が身に纏ったのは、艶やかに光り輝く黄金色の上衣だった。上衣の黄金は、染色で作られた品ではない。堋《ほう》国にしか居ない、黄金の微細な糸を吐き出す蚕の作った糸で織られた貴重な品だ。そこに、銀糸金糸を駆使して刺繍が施され、孔雀石や瑪瑙などの貴石までもが縫い止められた上衣の美しさを殺さないように、上襦と下裳は清楚な若草色の物を選んだ。髪は高く結い上げて、金歩揺や玉の付いた釵で飾ってある。
真珠の付いた靴に、珊瑚の爪飾り。琇華の装いは、庭園にあって、そこだけ光り輝いて見えるほどに美々しい。
四阿にたどり着いたが、誰も居るはずはなく、琇華は溜息を吐いた。
(妾も、もう、十六歳だわ)
いくつかの縁談が来ていると、聞いている。どんな男に嫁ぐのか解らないが、国の為―――父や兄のこれからの政の都合の良い男と結婚するのだろう。
琇華は、恋をしたことはない。こっそりと市井の物が読む『小説』を入手して、めくるめく恋物語に胸を高鳴らせてはいたものの、琇華は王女である自分の本分を、よく解っている。
(妾は、恋をしても仕方がない……)
どうせその恋が実ることはないのだ。だからこそ、一度で良いから、近隣諸国にまで有名を轟かせるほどの、美貌の皇帝を見てみたかったのだ。これは、琇華が、王女だった時代の思い出の一つにするつもりだったのに、当てが外れてしまった。
四阿から、内院を眺める。ここからは、噴水が見える。池の水が吹き上げられて、水しぶきが四阿まで届く。
「冷たいわっ」
あたりは、しっとりと濡れているので、この一体の植物たちは、噴水の恩恵を得ているのかも知れない。
「游帝国……にも、噴水はあるのかしら。あちらは、水の国と聞いたけれど」
独りごちた琇華は、濡れるのも厭わずに四阿から身を乗り出す。
「游帝国にも、噴水はありますよ」
背後から、涼やかな男の声が聞こえてきて、琇華は驚いて、床に倒れそうになった。
「きゃあっ!」
小さな悲鳴を上げつつ、床に落ちる……と思ったが、それはなかった。男の、美しい黒衣にすっぽりと抱きしめられたからだ。
「急に動きますと危ないですよ……ご無礼を。姫君」
男は琇華を四阿の榻に座らせながら言う。礼を告げる為に、男の顔を見た琇華は、あまりの男の美しさに声を出すことも出来なかった。
(本当に……息を忘れるほど、美しい殿御……)
男は、游帝国皇帝の証である、黒衣を着ていた。新緑の内院には鬱陶しいような色彩だったが、それも、この男の美貌の前には、どうでも良いことのように思える。
滑らかな象牙の肌に、薄い唇。切れ長の瞳の奥で、黒水晶の瞳が揺れている。美しいが整いすぎて無表情に見えるような―――怜悧な美貌だった。長身の痩躯は引き締まっていて、戦では自ら馬に跨がって戦場を駆けるというのも頷ける。
「游帝国の皇帝陛下?」
「ええ。あなたの父君にお招き頂いて……宴で酒気にあたったようだからと、内院の散策を勧められたのです。丁度、四阿のあたりには、美しい黄金の花が咲いているのだと聞いたもので」
黄金の花? 琇華は、辺りを見回した。黄金色の花など見当たらない。
「まあ、皇帝陛下。申し訳ございません。妾も、そんな珍しい花を存じ上げませんの。知っておりましたら、お教えいたしましたのに」
琇華が謝ると、皇帝は、ふっと笑って、琇華に跪いた。
「美しい黄金姫。花は、あなたのことですよ」
冷たい美貌がやんわりと笑む。琇華は、恥ずかしくなって、皇帝から目を背けてしまった。
(妾は、きっと、顔も真っ赤だわ……)
無礼なことをしたかしら、と思って居ると「あなたは、とても美しい方だ」と皇帝が琇華に跪いた。
「皇帝陛下?」
どうして良いのか解らず、いっそ立ち上がろうかと思って居ると、皇帝が琇華の上衣の端に口づけを落としてから、告げたのだった。
「堋《ほう》国の黄金姫。……あなたを、あなたを私の後宮に迎えたい。どうだろうか」
皇帝は、切なくなるような眼差しで、美しい眉根を寄せて琇華に懇願していた。
これは、求婚だ……。まるで物語の一場面の如く夢のような求婚に、胸の高鳴りを必死で押さえつつ、琇華は「勿論ですわ」と躊躇うことなく告げていた。
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