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57.わたくし、心底疲れましたわ
しおりを挟む五の宮さまのお邸の家令らしき人に案内されて、わたくしは香散見さんの顔を隠しつつ行く。
家令というのは、親王さまや内親王、摂政や関白と言う貴人の所に朝廷が使わした家政(家事一般を取り仕切る)を行う為の役人のこと。わたくしの実家にも、そういう方が居ました。
不思議なのは、この家政の方々、あくまでも、朝廷から使わされたと言う立場は崩さないのですが、同時に、派遣先(この場合は五の宮さま)のところからも、禄を受けていると言うこと。よく考えたら、二倍の禄を貰っていることになるのだから、なかなか、美味しい仕事なのかも知れませんけれど……あちこち使い走りする雑用係と思えば、二倍の禄くらい貰っても良いのでしょうね。
(けど……ちょっと、辛いわね……)
なにが辛いのかというと……。
わたくしは現在『とある高貴なお姫様』の女房としてここに居るわけですので、自分の顔を隠すのでもなく、香散見さんの顔を隠しているわけです。檜扇を捧げ持って。
そうです。
もともと殿方の香散見さんは、長身なのです。それこそ、この邸の男達よりも、ずっと長身。ですから、わたくし、先ほどから、つま先立ちで、必死に扇を捧げ持っているのですわよ!
「女房さま、お辛そうだが……」
見かねて、家令が声を掛けてきましたわよ。
「いいえ、常のことですのでおきになさらず」
わたくしが申し上げると、「そうですか」と家令は首を捻っていた。それ以上、追求されなかったのが有り難い。
そして腹の立つことに、香散見さんは、薄ら笑いを浮かべていらっしゃるのだ。
この方は、わたくしが、ちょこちょこ歩きながら(しかも長袴ですから、躓きそうになるのですわよ!)顔を隠しているのを、にやにや見て笑っているのです。本当に、底意地の悪い!
「どうぞ、お姫様方……今晩、こちらをお使い下さるように……」
通されたのは、母屋ではなく西側の対屋だった。おかげで、母屋の様子はよく解る。
「まあ、有り難うございます。ところで、今更、不躾なことをお伺い致しますけれど……こちらは、どなたのお邸だったのでしょう。のちのち、お礼に伺いますので、どうぞ、お教え下さいませ」
それは、五の宮さまだとは解っているのだけれどね。一応よ。
「こちらは、先帝の五の宮さまのお邸でございます。……本日は、客人がおいでですので、大分賑やかですが、こちらは、半蔀を降ろして起きますので、酒に酔った不調法者が来ることもないでしょう。
念のため、何人か、警護のものをおいていきます。ところで……そちらのお姫様は、どちらの御方でしょうか」
さて、こまった。
まさか、東宮殿下とは言えないし。
仕方がないので、溜息交じりに、「秘密にしておいて下さいませ」とわたくしは言う。
「それは、もう」
誤魔化すなら、この名前しかないのよね~。
「こちらは、二条関白家の一の姫さまです。近々、東宮殿下にお輿入れが決まっておりましたので、郊外に行啓に出られた東宮殿下のお見舞いに伺う途中でございました」
ここに、その、二条関白家の一の姫(つまりわたくし)がいるのだから、嘘ではない。
「なんと! では、高紀子姫! ……実敦親王との縁談が破談になったとは聞きましたが、なるほど、まだ、年若い実敦親王よりも、東宮殿下のほうが落としも近くて良いでしょうからね」
「ええ、私ども女房も、心から、東宮殿下と姫さまが結ばれることを願っておりますの」
家令の男は、なっとくして、去って行った。
わたくしは、しばらく、家令の男を見ていたけれど、その姿が母屋に入るのを見届けると、急にくらっと来て、ぺたん、と尻餅をついてしまいましたわ。
ええ、わたくし、心底疲れましたわ。
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