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42.わたくし、不満ですわ
しおりを挟む香散見さんは、よく観察していると、昼間の間―――わたくしと一緒に東宮殿下(偽)のお世話をしている間、どこかへお出かけになることがある。
(いままで気がつかなかったわ)
よほど、わたくしは、香散見さんに興味がなかったのでしょう。だから、香散見さんが「高陽、ちょっと、アタシ、席を外すわね?」と言って席を外されることなんか、あまり気にしていなかった。
香散見さんは、一体、どこへ行っているのかしら……。
今は、わたくしは、香散見さんに興味がある。香散見さんの目に映るものが、どんなものか、知りたい。本当は、和歌の一つ二つでもやりとりしていれば、香散見さんの心の内を知ることはできると思うのに……香散見さんは、わたくしに、和歌の一つも下さったことはない。
そういえば、素肌を探られたというのに、和歌の一つも頂けないなんて、わたくしはそうとう侮られているのではないかしら。
きょうも、香散見さんが消えていった方―――承香殿などの他の殿舎がある方向、香散見さんの後ろ姿を見送りながら、わたくしは、溜息を吐く。
「香散見さん、なにしていらっしゃるのかしら……」
ぽつり、と呟くと、御簾の中に居る、東宮殿下(偽)が、わたくしに教えて下さった。
「きっと……、図書寮のほうへ行っているかと」
「図書寮……って、ご本が沢山置いてあるところ?」
語感から想像して、わたくしは問い掛ける。
「本もありますが、ここでは紙や墨も作っていますし、本の修繕、それに国史の編纂なども、こちらで行っています。その堋には、仏像や経典などもこちらで保管されているものです」
「なんだか、凄いところなのね」
「ええ、おかげで、女性の格好をした、あの方が、あそこで書き物をしていても、さほど、目立ちません。なにせ、図書寮は、現在、人手不足で、能書のものを探して、書物を書き移しているところだったのです」
「まあ。……女人でも、大丈夫ですの?」
「今回だけ特別です。……なんでも、『大般若経』を書き移すようにと、命が下っていると言うことで」
「『大般若経』……ですか?」
「ええ。六百巻もあるので、とにかく、人手が要るのです。この『大般若経』六百巻を、今度、二の宮さまが、得度されるということなのです。それで、二の宮さまが入る、常寧寺へ、手土産として持って行くという勅命がありまして。この、二の宮さまの得度というのが、今月の末ということでして」
今月の末……って、もう、十日を過ぎているというのに。六百巻もの大経典を書き写すだけでも一苦労なのに、校合して製本までしたら、とても、間に合わないだろう。
香散見さんは、その作業の手伝いをしているわけではないのだろうけれど、その作業のおかげで、図書寮にて『書き物』をして居ても、不審はないのだろう。
香散見さんは、動いている。わたくしには何にも教えて下さらず。
わたくしは、それが、なんだか、不満でたまらない。
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