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92.わたくしは、大きく頷きましたわ
しおりを挟む結局、主上の仰せには従うしかない。
というわけで、
「えー、なんで、アタシが、そんなメンドーな奏上しなきゃならないのよ!」
と、香散見さんはブツブツブツブツと文句を言っておいでだけれど、主上は、全く気になさらない。
「早いところ、高紀子と結ばれたいのだったら、奏上しろ」
その一言で、香散見さんは、ぐ、と詰まった。
「なんだ? 高紀子と結ばれたくないのか? それは困ったな。二条関白家を敵には回したくないし……困った困った」
「結ばれたいわよっ! ……けど、早いところ、梅壺(香散見さん……つまり東宮殿下が、東宮御所としてお使いなのね)に戻りたくたって、肝腎の御所が焼けてるんじゃない! 大体、なんで、火事なんか出してるのよ!
もしかして、火鉢でもお倒し遊ばしまして?」
香散見さんの言葉を聞いて、わたくしは、さーっと血の気が引いて行きましたわよ!
だって、あの方。五の宮様のお邸で、わたくしは聞いてしまったもの。
『手はずでは、今日ではなかったはずだが』
わたくしの顔色が変わったのを、主上は、見逃さなかった。
「高紀子。何か知って居るな?」
主上の竜顔が、わたくしを見る。わたくしは、くらりとした。
(だって、主上の弟宮が放火の手引きをしていたのよっ!)
わたくしは、震える唇で、主上に申し上げる。
「わたくし、この間、五の宮さまのお邸で、聞いてしまいましたの。火事のあの夜、『手はずでは、今日ではなかったはずだが』と、五の宮さまが仰せになったのを、わたくしは、聞いてしまいました」
「なに?」
主上の目尻が、ぴくり、と動いた。
「どーやら、五の宮さまと二の宮が、手を組んでるみたいよ?」
香散見さんの、ややもすると能天気な言葉を、わたくしは、少し恨めしく思った。
主上は、硬い表情のままで、顎に指を絡めながら、なにをか考えておいでだった。
「主上……如何なさいましたか?」
ご気分でお悪いようだったら、お水でもお持ちしなければ……と思って居ると、主上は、わたくしにチラリと視線を流した。
主上は、実は御年五十七歳。還暦を間近に迎えるお年だったけれど、なんとも妖艶で冷たげな眼差しと、衰えない美貌をお持ちなので、実際は、全く年齢不詳。うちの父様は、この主上に冷たくあしらわれることに快感を覚える危ない方だったけれど、この、冷ややかな視線を受けていたら、そんな妙な気分になるのも頷ける。
「高紀子……このことは、東宮以外には、だれにも言っていないね?」
念を押されて、わたくしは「はい」と大きく頷いた。
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