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86.わたくし、放して欲しいのですけれど
しおりを挟むそういえば、うちの父様は、相当なシスコンなのだけれど。
それ以上に敬愛しているのは、この主上だった。
なんでも、氷のような美貌に、氷のような言動が良いと言うことで、無碍に足蹴にされてみたい、衣の端に口付けさせて欲しい……などと、しこたま酔ったときに、頬を赤らめて口走ったのを聞いたときには、わたくしも、子供心にぞっとしたものだった。
だって、ねぇ。
控えめに言っても、変質者としか思えない父親というのは、やはり、幼い娘だったわたくしには、受け容れがたい出来事だったのよ。それで、わたくしは、絶対に父様の近くでは、主上のお話しはしないと心に決めたのだけれども。
その、主上に抱き留められて、わたくしは、どうして良いのか解らないほどに、気が動転している。
「……なぜ、東宮は、命を狙われていると? 私の所に、そんな話は上がってこないよ」
じゃあ、主上は、二の宮さまや、五の宮さまが、香散見さんの命を狙っているかも知れないと言うことをご存じないし――――香散見さんが、命を狙われていると言うことすらも、ご存じない。
「そうでしたの……」
「命を狙われているのならば、なぜ、その話が、私の所まで来ないのかな?」
主上が、私の腕をがっちり掴む。指が食い込んで、痛い。それだけ、『命を狙われている』という香散見さんのことを、気に掛けておいでなのだ。わたくしは、痛いのは困るけれど、思わず嬉しくなってしまった。
「……なぜ、不気味な笑いを浮かべる」
主上は、怪訝そうな顔をなさって、わたくしに、聞く。
「だって、主上が、東宮殿下のことを大切に思っているというのが、嬉しいのですもの」
「うれしい?」
主上が、わたくしに聞き返す。解せない言葉のようだった。嬉しい。
「なぜ、あなたが、嬉しいと思うのだ?」
「東宮殿下は、ご自分には味方が居ないと思っておられる節がありますから。ですから、主上が味方して下さるというのは、東宮殿下にとっても、一番心強いはずです」
「なるほど……。それはわかった。それで、東宮は……自らを害する者たちの正体については掴めたのかな?」
二の宮さまと、五の宮さま……と言うのは、なんとなくやめておいた。
「わたくしには解りませんわ」
わたくしは、空とぼけて見せた。そして、割合重要なことは―――まだ、主上が、わたくしを放して下さらないと言うことだ。
さて、困った。
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