記憶の中にある輝きで、僕は忘れられない出会いをした。

秋風賢人

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君を忘れてしまった僕。

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 家にたどり着いたのは、太陽が海に沈みかける直前だった。ほんのりとオレンジがかった太陽に照らされる僕から長く伸びる真っ黒な影。

 すっかりいつもの日常に戻ってしまったかのような感覚。結局のところ、時計の代償なんてものは存在しなかったのだ。だって、こうして僕は何事もなくピンピンしているのだから。

 玄関の扉を開き、靴を脱いで踵を揃えるようにして、玄関の隅の方に靴を並べる。

「ただいま」

 台所の方から包丁で何かを切っている音だけが、玄関にも小さく響いている。どうやらばあちゃんは料理を作ることに集中して、僕が帰ったことに気がついていないのだろう。

 静かにリビングの扉を開くと、エプロン姿で何かを作っているであろう、祖母の背中が目に映る。

 綺麗に背筋の伸びた小さな背中。今の僕では、この背中に頼らないといけないほど、生きていくにはまだまだ弱いんだ。

 でも、あと数年もしたら僕は大人になり、この背中を守れるようにならなければならない。いや、守れるような大人になりたいんだ。

 だからこそ、僕は決めた。自分の本当に進みたい道に進むと。

「ばあちゃん、ただいま」

「随分と早かったわね、おかえり翔也」

「ばあちゃん、今ちょっといいかな?」

「もちろんいいさね。何か気持ちが変わったのだろ?家を出る前とほんの少し顔つきが変わった気がするわい」

 やはりばあちゃんには敵いっこないな。こんな簡単にも見破られてしまうなんて、さすがと言ったところ。

「うん。なんかわからないけど、気持ちが変わったんだ」

「そうかい、聞かせてくれるかい?」

「ばあちゃん、お願いします。僕は東京の大学に進学して、もっと多くのことを学びたい。いい教育が施されている大学に進学して、将来をゆっくり考えたいんだ。ダメかな?」

 ゆっくりとした足取りで、僕の目の前に歩み寄ってくる祖母。目の前に立つと、僕の下に垂れ下がっていた手を取り、ぎゅっと握りしめる祖母の皺々の柔らかい手。

「いいかい翔也。私はね、翔也が好きなように生きてくれるのが、一番の幸せなんじゃ。だからのう、翔也のしたいことを私は応援するに決まっとる。男に二言はないぞ!」

「うん。もちろん!」

「なら、がんばりんさい。私にできることならなんでも言っておくれ」

「ありがとう、ばあちゃん!これからもよろしくお願いします」

「こちらこそいつもありがとうね、翔也。おかげで元気が出てきたよ!」

 これは、今日の夕食はとんでもない量になりそうだと、嬉しい反面恐ろしくもあった。ばあちゃんが張り切っている時のご飯の量は、二人で食べるという範囲を明らかに超えてしまうのが当たり前なのだ。

 心臓をバクバクさせながら、僕は先に体を綺麗にするためお風呂場へと向かった。

 入浴を手短に済ませ、リビングに戻ってくると僕の目に映ったのは絶対に二人分ではない量の料理の数々。

 それに、今日は何かの記念日でもないのに豪華な食卓に思わず、喜びが溢れてしまう。テーブルの上に並べられたどの料理も僕の大好物のものばかりだったから。

「ばあちゃん、これどうしたの!」

「ちょっと張り切っちゃってね。翔也の好物ばかり作ってしまったよ」

「ど、どうして・・・」

「なんでだろうね。翔也が本当にしたいことをやっと口に出して伝えてくれたのが、嬉しかったからなのかもね~」

「ばあちゃん・・・」

「ほら、もうすぐ出来上がるから、座ってなさい」

「はーい!」

 こうして改めてばあちゃんが作った料理を目の前にすると、色々とすごい。量にしろ、僕の好きなものにしろ。食べることが好きな僕にとって至福の時間になることは間違いなかった。

 最後の一品をばあちゃんが手に持ち席に座った。僕の目の前に広がる料理の数々。唐揚げ、刺身、牡蠣、パスタなど統一感はないもののそれぞれの個性が光っている食べ物たちばかり。

「さぁ、食べようかね」

「うん!」

 二人で体の前に手を合わせて食べる前の挨拶をする。こんなにも嬉しい日はいつぶりだろうと頭の中で、思い出しながら声に出す。

「いただきます!」

 僕の口へと運ばれていく食べ物の数々。どれもが美味しくて、幸せな気分に包まれる。唐揚げのパリッとした皮の食感に、中は溢れるほどジューシーな肉厚さ。

 ばあちゃんが作る唐揚げは、お店で提供してもいいのではないかと思うくらい美味しい。唐揚げ一つでご飯がどんどん進む。

 でも、あまりご飯を食べすぎてはいけない。他にも主食となり得る料理が目の前にはたくさんあるのだから。

 その後も着々と刺身やパスタ、サラダにも手をつけ、少しずつテーブルの上に殻になった食器が溢れかえってくる。

 黙々と食べる僕を見守りながら、嬉しそうに少しずつ食べている祖母。どう考えても、この二人で食べきられるはずの量ではないが、気合と根性で口に詰めていく。

「あのねぇ」

 口に食べ物を詰めていて、返事ができないのでとりあえず、ばあちゃんの方に目を向けて頷く。ばあちゃんがこれから話している間に、口の中の食べ物を取り込んでしまおう。

「さっきね、なぎちゃんがうちに来たんだけどね。どうやら、翔也に用事があったみたいなんだけど、いないって告げたらすぐに帰っちゃったんだよ。何か約束でもしてたのかい?」

 ん...?誰だって...?口に詰め込んでいたものを、近くにあった水で胃の中へと流し込んでいく。

「はぁ、口に詰め込みすぎた。ばあちゃん、ごめん。誰って言った?」

「なぎちゃんだよ」

 なぎちゃん...なぎちゃん...そんな子僕の知り合いにいただろうか。何度、僕の記憶を思い返してみてもそんな人、僕は知らない。

「なぎちゃん・・・?」

「なんだい、前もこういうことあったね。凪沙ちゃんだよ。確か苗字は・・・海野。海野凪沙ちゃん」

 祖母が親しげにその人の名前を連呼するが、僕は聞いたこともないし、そんな人と出会った覚えすらない。一体彼女は、僕とどういった関係なのだろうか。

「ねぇ、ばあちゃん」

「ん?」

「その人と僕って知り合いなの?」

 祖母の目が大きく見開かれるのに時間はかからなかった。すぐさま、手で口を覆い言葉が出ない様子の祖母。もしかしたら、僕はとんでもないことを口にしてしまったのではないかと、少々焦ってしまう。

 でも、いくら焦ったところでその人のことを思い出せるわけではない。

「そんな・・・そんな残酷なことがあっていいのかね。だから、あの時なぎちゃんは泣いて・・・そうかあの子は気付いていたんだね、こうなってしまうことを・・・」

 ばあちゃんが何を言っているのかさっぱりわからない。なんの話を一人でしているのだろうか。

「なんの話を・・・」

「この代償はあまりにも大きすぎるよ・・・唯一残っていた幸せをこの子から持っていってしまうなんて・・・」

 そう言い残して祖母はリビングを出ていってしまった。何が何だかわからないまま僕は、涙を流している祖母の後ろ姿を眺めていることしかできなかった。

 リビングには一人残された僕と、熱を失って冷めてしまった料理たちがただ並ぶだけの静寂が訪れる。

 ”ピコン"

 携帯の通知が、やけに大きく聞こえてくる。真っ暗な画面に点灯する、一件の通知。

「なんだろう」

 通知に触れて、顔認証で画面のロックを解除する。どうやら通知は写真フォルダーからのものだったようで、なんの通知だったのかはわからないが、一枚の写真が僕の携帯表示される。

「誰だこれ・・・」

 そこに表示されていたのは、僕とみたこともないような可愛らしい女の子。楽しそうに笑っている二人が写っている。でも、僕にはこの写真を撮った覚えすらない。

 それにこの女の子は誰なんだろうか。クラスの女子にもこんな感じの子はいなかったはず。もしかしたら、僕がナンパされたりとかして撮った写真...いや、僕に限ってそれはない。

 そもそもナンパされるくらいかっこいいわけではない。むしろ、僕がこの子にナンパをしたと言われた方が、まだ辻褄は合う。

 僕にナンパする勇気なんてこれぽっちも存在しないけれども。

 この写真を撮った日付を確認すると、どうやら最近のようだ。最近のはずなのに、どうして僕は覚えていないのだろうか。

 思えば、僕はこの一週間何をしていたのだろうか。久しぶりに走ったのは覚えている。でも、なぜ突然走ろうと思ったかまでは覚えていない。

 所々記憶が抜けている気がして、なんだかもやもやしてしまう。

「おかしいな・・・全然思い出せないや」

 思い出せないものは、仕方がないので、僕が好きな縁側に座って海を眺める。僕の心を落ち着かせてくれる海は、毎日変わることなく、穏やかな音と塩の香りを僕らに届けてくれる。

 暗くて海を目視することはできないが、長年海を見続けているせいか、脳裏に夜の浜辺の光景が鮮明に彩られて映し出される。

 海の光景が頭の中に浮かんではいるが、さっきの写真やばあちゃんの言動のことが気になってしまい、全然落ち着かない。

「うみのなぎさ・・・だめだ!わからない。あっ、もしかしたら」

 携帯の画面をスクロールすると、思っていた通り僕のメッセージの友達欄には彼女の名前がある。しかし、名前があるだけでトーク内容は一切ない。

 不自然なほどに一言も会話していないのだ。そんなことがあるのだろうか。そこまで親しくなくても、僕の性格上友達追加したら、間違いなく『追加したよ』くらいは送るはずなのにそれすらもない。

 考えれば考えるほど、わからなくなっていく事態に僕の頭はパンクしかけている。携帯を床に置き、縁側に仰向けで寝そべる。

 空には少しだけ欠けた月が、暗く染まった黒い空を星々よりも明るく照らしていた。明日は快晴なのだろうか。今日の夜空には雲が全くと言っていいほど、見当たらないせいか月の光がより強く強調されて見える気がする。

「月・・・綺麗だなぁ~」

 デジャブなのか、僕はこの光景を既に最近体験したような気がする。ここに座りながら、空に輝いている月を眺めていたような...

『月・・・綺麗だね』

 誰かの声が僕の頭の中で駆け巡る。確かに僕はここで...だめだ。頭の中の僕は固く閉ざされた扉の前に立っている。

 この扉さえ開いてしまえば、何かがわかるはずなのにとても強い呪いのような何かがかけられているためか押しても、引っ張ってもびくとも動こうとしない扉。

 これ以上、僕にはどうすることもできない。ひとまず今日は疲れたので寝るとしよう。

 よほど疲れていたのか自室に戻って、ベッドに倒れ込むと一分もしないうちに意識を失ってしまった。



『起きて! 朝だよ翔ちゃん!』

「わっ!なんだ・・・てか、今何時だ」

 携帯で時刻を確認する。八時二十二分。学校が始まるまで、残り十三分。今日から再び学校が始まる。

 三連休の最終日だった昨日は、一日中アニメを家の中で見ていたせいか、目がしょぼしょぼしていてだるさがのしかかってきているみたい。おまけに夜更かしをしていたせいで、寝不足プラス大寝坊。

 一度アニメを見始めてしまったら、止まらないで最後まで見てしまうのが一番怖いところだ。おかげさまで、最終回まで見ることはできたが、今日が辛い一日になることは間違いなさそう。

 急いで制服に着替え、朝食も食べずに家を飛び出していく。

「ばあちゃん、行ってくる!」

「気をつけていくんだよ」

「うん!」

 自転車に跨り、いつもの倍以上の力でペダルを漕いでゆく。息が切れようと関係ない。遅刻すると、職員室まで行って遅刻届を書かないといけない。それだけは面倒なのでごめんだ。

 それにしても、起きる時に聞いた声は誰のものだったのだろう。現実ではなく夢の中のことだとは思うが、確かにその人は僕のことをと呼んでいた。

 この世に僕のことを翔ちゃんと呼ぶ人を僕は知らない。それなのに、どうして心が痛くなるのだろうか。

 自然と僕の左目からは涙がこぼれ落ち、風に乗って後ろへと流されていった。なんで泣いているのかはわからない。

 でも、この涙は僕の心が泣いている。そんな気がしたんだ。

 時刻は八時三十分。なんとか教室には時間内に辿り着くことはできたが、あまりにも飛ばしすぎたせいか、昨日から引き継がれただるさと疲れがプラスされてしんどい。

 思ったよりも早く学校に着くことができたので、机に寝そべるように倒れていると一人の男子クラスメイトに話しかけられる。割と仲が良く移動教室の時や放課後暇な時は行動を共にすることが多い。

 名前は哲也てつや。僕はちなみに彼のことをテツと呼んでいる。明るくて誰とでも気兼ねなく話すことができるのが、彼の最大の強みなのだろう。

 それのおかげで、僕らは高校に入学した際席が前後ということもあって仲良くなったのだ。ちなみに僕が佐々木でテツが佐藤。どこにでもありふれた苗字だけれど、彼と仲良くできるきっかけとなってくれたので、今は感謝しかない。

「なぁ、翔也」

「ん?」

 疲れすぎて一文字でしか返答できない僕。

「お前さ、凪沙ちゃんと別れたの?」

「は?」

「いや、ごめん。そう言ったつもりで言ったんじゃなくてさ。毎日一緒に登校してたのに、今日は珍しく凪沙ちゃんは早くに一人で登校してきて、翔也はいつも通りギリギリだったからさ」

 何が何だかわからなくなってきた。酸素が脳に足りていないから、考えられないだけなのか。

 どうやら、僕はその凪沙という女の子と付き合っているらしかった。このクラスの子ではないらしいが。

「そのな、凪沙はなんかいつもと様子違ったりした?」

 僕がその女の子のことを知らないと答えるのは、些か問題がありそうだったので、普通に彼女のことを聞くことにした。

「いいや、特には。でも、少しだけ目が赤かった気もするな・・・あ、さてはお前何かしたんだろ!彼女を泣かせるような」

 名前をいう時、僕が普段から名前で呼んでいたのか、愛称で読んでいたのかわからなくて不安だったが、間違ってはいなかったらしい。

「そ、そんなわけないだろ!」

「そうか、それならいいんだけど」

 昨日と今日を過ごしていて気付いたことが一つある。それは、彼女のことを忘れてしまっているのは僕だけということ。

 他のみんなは彼女のこと、そして僕らの関係性を知っているのに僕だけが...

 普段も話を聞いていない授業だったけれど、今日はいつもより増して集中できていなかった。というより、集中することができなかった。

 どうして僕だけが忘れてしまっているのかを考えているうちに今日の授業が終了した。

 放課後、急いでテツに聞いた凪沙のクラスに向かった。さすがに、いきなり話しかけるのはハードルが高すぎたので、見るだけのつもりで。

 彼女のクラスに向かう途中、僕は息をのんだ。目の前から友達らしき人と歩いてくる女の子に見覚えがあったから。僕の携帯に保存されていた写真に写っていた女の子。

 綺麗に切り揃えられたボブヘアーを左右に靡かせ、徐々にこちらへと近づいてくる。

「あれぇ、凪沙。あれ、翔也くんじゃない?」

 隣にいる友達らしき人が、彼女へと話しかける。ん...?彼女は今なんと呼ばれていた?凪沙と呼ばれていた気がするのだが...

「・・・ごめん。ちょっと先に行っててもらえる?」

「わかったよ、待ってるね」

「うん。ありがとう」

 僕の横を通り過ぎていく、凪沙の友達。ニヤニヤとした顔と目が合うもついつい僕は視線を逸らしてしまう。

 僕らの周りから人がいなくなり、廊下には僕らだけが残される。

「こ、こんにちわ」

 思い切って話しかけてはみたものの、緊張しているせいか不自然な話しかけ方をしてしまう僕。

「・・・・・」

 返事がない。もしかして、引かれてしまったのだろうか。心配になり、少し身を後ろに引いてしまう。さらに広がっていく僕と彼女の距離。

 今すぐに逃げ出したい気持ちをグッと堪え、震える手を握り締める。怖いんだ。僕の知らない記憶で、彼女とは親しい関係なのが、僕には怖い。

「翔ちゃん・・・」

 不意に呼ばれたその言葉に懐かしさを感じる。自然と僕の体から震えはなくなり、怖さも一気に和らいでいく。強張っていたはずの体から余分な力が抜けていった。

 一歩一歩ゆっくりと近づいてくる彼女。近づいてくるたびに僕は実感する。なんて綺麗なんだろうと。

「あ、あの。僕・・・」

「いいよ。無理しなくて。私のこと覚えていないんでしょ?」

「ど、どうしてそれを・・・」

「どうしてだろうね。君のことを隣で見続けてきたからかな。でも、それも今日でおしまい」

「え?」

 どういうことなのかさっぱりわからない。何が今日でおしまいなのだろうか。彼女をふと見ると、溢れるばかりの涙が綺麗な彼女の顔を覆っていた。

 それに釣られて僕までもが泣きそうになってしまう。理由はわからないが、多分本能的に。

「翔ちゃん・・・元気でね。またね」

 僕の返答を聞く様子もなく、僕の横を走り去っていってしまう彼女。彼女が通り過ぎて行った瞬間に香ったシャンプーの匂いが、どことなく懐かしい匂いだった。僕の大好きな香りが、空気に混じって消えるのに時間はかからなかった。

 胸に空いた虚無感を抱えながら、僕は学校を出た。あれは間違いなく彼女からの別れの言葉なのだろう。無理もない。記憶を失ってしまったものの側にいるのは辛いはず。

 また一から始めたらいいと思うかもしれないが、現実的にはそんな上手くはいかないんだ。楽しかった思い出を共有できないことの辛さ、何よりあの頃の記憶が一切ないということは、その人の記憶の中にいる過去の自分が死んでしまったも同然なのだ。

 きっと彼女の目に映っている自分は、昔から変わらないままの僕。しかし、僕の目に映っている彼女は、ただの他人。それが、僕ですらどんなに辛いことか痛いほど伝わってくる。

 自分と親しい人が亡くなると、もちろん悲しいし、辛い。でも、それ以上に記憶から忘れ去られる方が僕はもっと辛いと思う。

 亡くなっても故人が生きていた証は、記憶として思い出になり生きている僕たちの中で残り続ける。

 しかし、忘れ去られた場合は違う。完全に消えるのだ。この世の中から、自分という人間が相手の記憶から...これがどれほど残酷なことなのか。

 できるなら、君の側にいたい。でも、僕が側にいればいるほど、僕は君のことを傷つけて苦しめてしまうに違いない。だから、これでよかったのかもしれない。お互いが互いを傷つけずに済む、別々の道を歩んでいくというこの選択が正解なのだ。

 校門を出て自転車を走らせること五分。信号待ちをしていると、僕の隣に同年代くらいの制服を着た女の子が並ぶように足を止める。

「やぁ、久しいね」

 清楚で静かそうな見た目をしている割に、意外と知らない人にも話しかけてくるタイプだった模様。

「え、えっと。何処かでお会いしましたか?」

「あぁそうか。少年はもう・・・まぁそれなりに楽しむことができたし、ありがとね少年」

「はぁ・・・」

 僕と対し年齢は変わらないはずなのに、少年呼ばわりされるとは...少し下に見られている気がして、なぜか悔しい。

「最後に答え合わせといこうじゃないか」

「答え合わせ?」

「私が少年にあげたものの代償として奪ったのは少年の今、最も大事にしている人の記憶さ。もう気付いてはいるだろうけどね。これはどう頑張っても、もう元に戻すことはできない。ま、私には可能だけれど、生憎私はそこまで親切ではない。子供がおもちゃに飽きるように、私も同じ人間を観察するのは飽きるのでね」

 ケラケラと意味のわからないことを話しながら、薄気味悪く笑う女の子。思い当たる要素も話の中にはあるが、大半が理解できない内容。

「あ、あの・・・」

「おっと、質問はなしだよ少年。私と君の契約はもう既に終わったんだ。それじゃ、元気でな少年」

 ニヤッと僕のことを見透かしたような目で見てくる彼女。信号待ちをしていた車たちが一斉に走り出し、信号が青になったのを確認する。

「あの、あなたは・・・」

 ふと隣を見たが、そこに彼女の姿はなく一枚の紙切れだけが残っていた。

「なんだこれ・・・」

 パッと見たところ、なんの変哲もない何処にでも売っていそうなルーズリーフ。しかし、奇妙なことに謎の暗号のような黒く塗りつぶされた文字で真っ白な紙が埋め尽くされている。

 読めなくはないが、代償・魔女・じいちゃんといった繋がりが全くない単語が綴られている。それにこの字はどう見たって僕の字なのだ。

 こんなのを書いた覚えは一切ないが、書かれた筆跡が裏切ることはない。間違いなく僕の字。

 どうして、あの人がこの僕が書いたであろう紙を持っていたのか、少しだけ気になったがどうせ考えたところで意味はないので、諦めて自転車のペダルに足をかけて前へ向かって進み始めた。

 今日はやけに口の中に入ってくる潮風がしょっぱく感じられた。
























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