11月3日、文芸部に天狗現る。

梅木仁蜂

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11月3日、文芸部に天狗現る。

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 瑕疵かし高三Cの教室は、文化祭の間、文芸部の使用スペースである。部員たちの書いた小説や詩を部誌として販売しており、僕は店番のようなものを担っていた。
 クラス団体のシフトまで一時間の余裕があることが、グループL◯NEで知らされる。

 簡素に作られたレジで落ち着いていると、「きもっ」という言葉を聞き、僕は少し反省した。
 スマホに夢中で、会話の流れが分からなくなったからだ。
 先輩たちが教室の入口とお互いの顔を順番に見る。恐らく、お客さんのうちの誰かを不快に思ったのだろう。

「何があったんですか?」
「やー、ちょっと変な客が来て」

 暴言を吐いていないほうの三年、紅林くればやし先輩は、苦々しい顔で、先程去ったお客さんの話をしてくれた。
 なんでも、一人の男性客が、我が部の部誌を読んで、「文章の密度が低い」と評したそうだ。それに続いて、小説だか詩だか、何かしらの道で四十年の経歴があることを仄めかし、去っていったらしいのだが。

「もう、超上から目線でさ。まじきもかった」

 顔を歪めて繰り返すのは、紅林先輩の彼女、落沼おちぬま先輩だ。マスカラの乗った黒い目元が額に向かって皺を作る。
 対して僕は、未だ不快感を共有できていなかった。

「その人、どういう感じだったんですか? 年齢とか服装とか」

 紅林カップルは、再び顔を見合わせ、首を傾げた。そんなに目立つ恰好ではなかったのかもしれない。

「あー、ていうか、名前聞いてますか? そういう実績ちらつかせるんなら、説得力になりますよね」
「いや、聞いてないよ」
「えぇ。じゃ、部誌は?」

 むすっ、と口を尖らせた彼女を宥める紅林先輩。どうやら、落沼先輩が不機嫌な理由は部誌に起因するらしい。
 件の客は、部誌をパラパラ捲り、ちゃんと読みもせずに、先述の発言をした。読み終わらずに批判的なことを言われたのが、落沼先輩には不快だったようだ。
 勿論、男は部誌を買っていない。

「まあ、それで感想言うのは失礼ですね。先輩たち、なんて答えたんですか?」
「ああ、そうですねって感じかな。顔に出たら、まずいしさ」
「内心クソ腹立ってたけどね!」

 お疲れ様です、と頭を下げ、僕は机に向き直った。店員モード再開。まあ、会計なんだけど。

 落沼先輩の愚痴が一段落つき、紅林カップルは談笑しだした。それでも、お客さんが新たに入ってくると挨拶をし――これは僕もする――、部誌や栞などの販売物について、説明する。
 レジ担当は会計だけすればいい。
 売上記録の書かれたノートを、ボールペンで叩く。ともかく、さっきの客は買ってないんだな。僕の次の仕事はいつになるのか。

 ノートの空白がもどかしくて、僕は、問題の客について、思考を巡らせた。
 不快な言動を取られたとはいえ、初対面の人の容姿をちゃんと説明するのは難しい。今、文芸部のスペースにいる部員は僕と紅林カップルだけで、僕はスマホに夢中だった。おまけに、例の男性客は素性も不明で、上から目線ときたもんだ。
 特定は難しいし、する価値もない。
 誰だそりゃ、T◯itterのほうがよっぽど変なやつで溢れてるわ。

 僕は再び、スマホの画面に目を向けた。Web小説に対するしょうもないクレーマーを発見。プロフィールに飛んで、ツ◯ートを遡った。
 ………。胃が痛い。一旦中断して、『発赤ほっせき』を開いた。僕たち文芸部の部誌の名前だ。

 問題の客を、仮に天狗と呼ぼう。

 先輩に聞いたところ、天狗は『発赤』の最新号を読んで、密度がどうこう言ったらしい。しかし、文章の密度ってなんだろう?
 収録作品は小説と詩で、小説における密度の低さなど、話題にしていない。天狗が詩を読み飛ばしていなければ、の話だが。
 客がレジに部誌を持ってきた。ノートに記録しつつ、無駄な思考に気が付く。
 僕が今考える密度とやらは、僕の主観に縛られて定義される。それに基づいて文芸部が軽視されたところで、実際の天狗の言葉の意味とは、全く繋がらないのだ。
 いや、困ったね。袋小路だ。

 ペンの芯を出したり収納したりしていると、紅林先輩が一際大きな声で、「お客様ー」と呼びかける。
 四十代くらいの夫妻の客だ。既に満喫してきたかのように、チラシや露店のたこ焼きを引っ提げ、先輩の説明を聞いている。会計までが遅いな、と思っていると、

「え、まーくんの親御さんですか!?」

 と落沼先輩。
 フルネームは、紅林まだらなのだ。
 気まずそうに応対を申し出る紅林先輩だが、恋人は聞く耳を持たず、雑談を始めた。売れないフリマみたいな空気が一家団欒のムードに変わってしまう。

 十分ほど盛り上がったあと、ようやく僕の出番だ。金を受け取り、釣り銭を渡し、ノートが一行埋まる。
 夫妻が去って、安堵の息を漏らすのが誰なのかは、言うまでもない。いや、気持ちは分かる。どんな家族を持とうと、他人に認知されるのは恥ずかしい。
 
 天狗ももしかしたら、生徒の誰かを子に持っているのかもしれない。今年度、文化祭は生徒による招待制で、一人二名まで、来校者を決められるシステムなのだ。

 ……でも、一人だったんだよな? 夫婦で別行動とか?
 そこでまた、考えが止まってしまった。クラス団体には、十分前行動を心がけるべく、十一時五十分に移動しなければならない。残り三十分の潰し方に迷っていると、

苔庭こけにわ、今暇?」

 と、紅林先輩。

「暇ですよ」
「悪いんだけど、表の装飾、もうちょい足したいんだ。お願いしていいかな」

 画用紙とコピー用紙を渡される。コピー用紙には部誌『発赤』発売中、と赤い太文字で印刷されていた。これを切り取り、色画用紙の上に貼るようだ。完成したら、教室の扉に貼り付ける、と。
 僕は快諾し、作業に取り掛かった。

 十分は経っただろうか。クラスメイトの浮海うかいが文芸部のスペースに来た。ハサミで紙を切っている僕に、「よっ」と挨拶。

「お前何してんの?」
「装飾。入口に紙貼るから」
「あー、クラス団体のマジ終わんなかったよなあ」

 彼は合唱部なので他人事だ。

「でも苔庭、早く行ったほうがいいよ」
「なんで?」
「呼ばれてる」

 すっ、とスマホを見せられ、おなじみの青空と緑の吹き出し。L◯NEのトーク画面だ。クラス委員やシフトの近い生徒が、僕を探しているようなやり取りをしている。

「それヤバ――ん?」

 僕は違和感に気が付いた。表示される吹き出しのタイムスタンプが全て、十分前で統一されている。スクロールもできない。浮海はニヤニヤ笑っていた。

「もしかしてこれ、呼ばれてないんじゃ」
「うん。そういう画像生成アプリ」

 僕はため息をついた。
 浮海が見せたのは、L◯NEのUIを真似たメモ帳アプリのスクリーンショットだった。グループメンバーのアイコンなどは本物から保存したのだろう。

「心臓に悪いな。ホントに探されてんのかと……」
「探してんのはマジだよ。今、シフト入ってんのダンス部だし。苔庭、サボりそうじゃん」

 僕は納得して、紅林先輩に退席する旨を伝えようとした。しかし、三組くらい同時にお客さんが入って忙しそうだったため、部活L◯NEに一言送り、教室を出た。
 似非L◯NEは、ちょっと気になった。

 一Bの教室へ行く道すがら、母に電話をかけた。あと二十分で学校に到着とのこと。

「何回も言うけど、学校で見かけても話しかけないでね。まあ、クラス団体忙しいし、話す暇なんてないけどさ。……うん、それじゃ」

 クラス団体のシフト設定にミスが無かったことを僕は喜んだ。シフトは十ニ時から十四時半までなので、この間に両親が文芸部に来て去れば、鉢合わせることはない。
 会いたくない理由は曖昧だ。僕は反射的に、親子で同じ空間にいるのを嫌がった。
 
 僕の属する一年B組は、たい焼きの販売をしている。学校が火の扱いに厳しいため、たい焼きは冷めた状態で紙に包み、客に渡すのだが、

「苔庭君?」

 と声をかけてくるお客さんがいた。

「え」
「ほら、文芸部の」

 親しげに手を振る茶髪のツーサイドアップ。声で男性だと分かったが、こんな女装趣味の部員、文芸部にいただろうか。
 包みを受け取った彼は、僕の察しの悪さに苦笑して、ようやく名乗った。文芸部の二年、丘本おかもと先輩である。

 三Cから移動して、はや一時間半。講堂で合唱部やダンス部の公演があるおかげか、一Bの客入りは落ち着き始めていた。
 本来、今の時間は丘本先輩のシフトのはずなのだが、たい焼きを買いに行くだけの余裕はあるようだ。

「なんでかつらなんですか? 女装コンとかないですよね」
「あ、趣味なんでお気になさらず」

 笑って口元を隠す先輩の手は、爪が桜色に塗られていた。リアクションに困る。
 教室に設置されたテーブルで、先輩はたい焼きに齧りついた。閑古鳥なのをいいことに、シフト中の僕に遠慮せず、話しかけてくる。

 丘本先輩は、僕と入れ代わりに文芸部のシフトに入り、客を捌いてきたようだ。我が校の姉妹校にあたる小学校からのお客さんもいて、相手をするのが大変だったとかなんとか。
 先輩がたい焼きを食べ終わった頃、小走りで駆け寄る女子生徒がいた。文芸部のもう一人の二年、桔賀きが先輩だ。

「桔賀ちゃん。今、席外して大丈夫なの?」
「うん。三Cガラッガラよ。誰も来ない」
「合唱部様々ですね。そういえば、先輩のシフト中は、変なお客さんいました?」
「変な?」

 質問の意図を説明するため、僕は天狗のことを語った。直接目撃していなくても、紅林カップル同様、二人はこの話に不快感を示した。

「そんなのは来てないよ……」

 と、桔賀先輩。

「えー、でも苔庭君、そんな変なのの対応してくれてありがと! 助かるわ~」
「いや、対応したのは僕じゃなくて、紅林先輩と落沼先輩で」
「あ、そうなんだ」
「はい。僕、レジ担当なんで、何も買わない人のことは忘れちゃうっていうか」

 天狗の話は、思った以上に丘本先輩が食いついたけれど、僕は紅林カップルから聞いた以上のことは口にしなかった。彼の人物像は、安易に揺れてはならないと考えたのだ。
 そして、変なやつではないが、我が部に商業作家の方が来訪した話を桔賀先輩から聞いた。聞いたことのない名前だけれど、部誌の収録作品を大層褒めてくれて、部員たちには好印象だったようだ。
 なるほどねえ。

「苔庭君の書いた……なんだっけ、あれも好評だったし」

 その人の言葉を直接聞けなかった時点で、好評かどうかの判断は不可能だ。反応に困っていると、別のお客さんが交換券を差し出してきたので、たい焼きを渡す。
 腹は決まった。

「あれ、僕の父親です。身内が迷惑をかけたようで、本当、すみません」

 十六時。文化祭の一日目が終わり、二日目に向けて簡単な清掃をする慌ただしい時間のことだ。僕は天狗になったような高慢な客について、語った。騙った。
 天狗は僕の父で、先輩の前で親と話すのは恥ずかしかったため、スマホを注視していた、というストーリーだ。彼が去ったあと、L◯NEで「密度が低い」発言を繰り返されたとして、スクショも見せる。

「十一時五分。父が来たのは、十一時頃でしたよね」
「うん、多分そう……」

 落沼先輩は驚いた顔でスマホの画面を覗き込むが、僕はそれをすぐ、手元に戻した。浮海が使った似非L◯NEで生成した画像である。タイムスタンプをそれらしい時間に設定したけれど、あまり凝視されたくない。
 答えを頭に用意しつつ、僕は壁から剥がれかけた装飾を養生テープで貼り直す。隣で手伝う丘本先輩が、

「俺、そのときシフトじゃないから見てないけどさ。四十年って、どうゆうことだったの? 苔庭尊父、出版業界の人?」
「や、それがまた言いづらかった話で。父が四十年やってたのは、商業出版じゃなく、即売会なんです」

 四十年はサバ読みであると注釈した上で、父は一次創作の同人小説を書いてきた同人作家だと僕は騙った。丘本先輩や桔賀先輩は、同人誌即売会に行ったことがないため、そのワードだけで目を輝かせており、細部を気にしない。
 紅林カップルは行ったことがあるらしく、話題は、即売会そのものへズレていった。天狗が後輩の父だと分かり、話が引きずりにくくなったことも関係しているのだろう。
 一年は僕だけなので、ここには遠慮する上級生しかいない。

「はい、そろそろ鍵閉めるから、忘れ物ないかだけ確認して、外出てください」

 清掃が終わった。自分のリュックを背負い、廊下に出る。紅林先輩が施錠を終え、僕たちは労いの言葉を挨拶として、解散した。
 紅林カップルと僕はごみ袋を美化委員に渡すため、廊下を一緒に歩く。そういえばさ、と落沼先輩。

「苔庭君、またT◯itter見てた? シフトんとき」
「……すみませんでした」
「いや、説教とかじゃなく。そんなに面白いのかなって」
「面白いですよ」

 現実でマウントを取ってきた天狗より、よっぽど変人の多い空間だ。そう思って肯定したが、反応の鈍い紅林カップル。
 彼らもシフト中にスマホを弄っていたので、同罪のはずだ。

「そっかあ……」
「? どうしたんですか?」
「や、別に。お父さん、すごい人なんだね。きもいとか言ってごめんね!」

 落沼先輩は、早口で言ってしまうと、誤魔化すように紅林先輩の腕を引き、歩きだした。僕は二人の後ろをついていく形になり、自然と会話相手から除外される。
 紙と段ボールで粗末に飾られた廊下が、白蛇みたいだった。

「苔庭」
「はい?」

 紅林先輩は、

「お父さんはともかくさ。苔庭は、面白いやつだと思うよ」

 と言って、目を細め、笑みを浮かべるのだった。僕が返す言葉に迷っていると、二人はそのまま背を向け、階段を降りてしまう。

 僕はなぜか、天狗を見逃したことを、再び後悔した。
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