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疲れ切って眠るセレンの目元は、かわいそうなくらい赤く腫れている。
ほんの少しだけ申し訳なさを感じながら、リュートはその滑らかな頬を指先でそっと撫でた。
ずっと触れたかった存在が、ようやく手の届くところにある。
嬉しさで自然に緩む口元を隠さぬままに、リュートは脱ぎ捨ててあった服を手に取りながら立ち上がった。
リュートにとって、セレンは世界の全てだった。
騎士でありながら酒に溺れて人を殴るしか脳のない落ちぶれた父親。
そんな父親に嫌気がさしてリュートを捨てて家を出た母親。
借金で首が回らなくなり周囲からも見放され、騎士をやめて住む家までなくした父親が辿り着いたのは、小さな娼館だった。
そこにはお姫様がいた。
地位のある男が馴染みの娼婦に生ませたという美しい女の子。
それがセレンだ。
はじめ、リュートはセレンが嫌いだった。
みんなに大切にされ輝いている彼女にみっともなく嫉妬した。
けれどすぐに気がついた。
セレンもリュート同様に、大人の都合に振り回される孤独で哀れな子どもなのだと。
真夜中。母親のベッドではなく、庭の倉庫で身体を小さくさせている姿を見つけた瞬間、リュートはセレンをあらゆるものから守りたいと感じた。
この子の騎士になりたい。ずっと傍にいてあげたい。
あの時、リュートの人生にはじめて生きる理由がうまれた。
優しくてかわいくて綺麗な愛しいセレン。
リュートをまっすぐに見つめてくれる、世界で一番大切な女の子。
だがセレンは奪われた。
セレンは本当にお姫様だったのだ。
汚い大人たちはいつだって大事なものを奪っていく。
再びセレンに会うため、嫌いだった父親に頭を下げ己を鍛え上げ、王家の騎士になった。
どんな汚れ仕事も厭わず、上に行くための力だけ求め必死に闘う日々。
どうやればセレンを自分の手にできるかずっと考えていた。
だからこそ、赤いドラゴンの出現は神の采配としか思えなかった。
服を身につけ、窓際で口笛を鳴らす。
すると闇と白が混ざった明け方の空から、黒い影がまっすぐにこちらに飛んでくる。
音もなく近づいてきたのは、黒いドラゴンだった。
窓の縁に足をかけて留まったドラゴンは、リュートの胸に愛しげに頭を押しつけた。
「シュバルツ。俺たちを運んでくれるか?」
シュバルツと呼ばれたドラゴンはまかせろとでも言うように大きく頷く。
リュートはベッドで眠るセレンの身体をシーツで包んで抱き上げる。
脱ぎ捨てられた扇情的な赤い衣装をどうするかと一瞬迷ったが、持っていくことにする。二人が身体を繋げた記念の品だ。
ポケットにそれを捻じ込み、セレンの身体を大切そうに抱きかかえたリュートは、ひらりとシュバルツの背にまたがる。
向かう先は黒いドラゴンを神と崇める帝国。
大陸の覇者である帝国は、リュートの活躍を知り、龍騎士として招いてくれるというのだ。
それがシュバルツを帝国に置いておきたいがための方便だとはわかっていたが、乗らない手はない。
騎士になったばかりの頃、魔物の討伐に向かった森の中でリュートは何者かに親を殺された幼い黒いドラゴンに遭遇した。
大切な存在を奪われ悲しげに鳴くドラゴンに自分を重ねたリュートは、保護して育てることに決めたのだ。
シュバルツと名付けたそのドラゴンはすくすくと成長し、秘密の相棒になった。
赤いドラゴンを倒せたのはシュバルツの協力が大きい。
「お前にとってあれは仇だったんだよな」
艶やかな黒い鱗を撫でながら、リュートは相棒を労るように優しい声をかける。
確証はなかったが、あの赤いドラゴンを見た瞬間に鱗を逆立てたシュバルツの態度こそが真実なのだろう。
何もかもが運命だとしか思えない。
「行こう、俺たちの新天地へ」
扉の向こうには、情事を済ませて出てくるリュートを殺そうと待ち構えている刺客の気配があった。
王妃はリュートの口からセレンが清い身体だったという事実が露見するのを隠したいのだろう。
その嫉妬深さが逆にセレンを他の男から遠ざけてくれたことは感謝しているが、彼女を深く傷つけたことは絶対に許せない。
父親でありながら娘を見放した国王も、彼女を玩具のように虐げた姉姫たちも全部いらない。
「この国を君にあげるよ」
腐った政治に飽き飽きしている国民は、新しい支配者帝国の侵略を喜んで受け入れてくれるだろう。
王女であるセレンがこちら側にいれば、保守派の貴族を黙らせることも容易い。セレンにまつわる噂は全部が正妃の嘘で、彼女は虐げられていたと明かせばみんな手の平を返すに違いない。人間なんてそんなものだ。
「愛してるよセレン」
眠ったままのセレンにキスを落とし、リュートはシュバルツへ出立の合図を送った。
昇り始めた眩しいほどの朝日に自然と目が細まる。
その輝きは、この先の未来を照らす灯火に見えた。
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