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しおりを挟む自室に戻り、食欲がないからと部屋に籠る。
もう何も考えたくなかった。
この数週間で色々な事があり過ぎだ。
引き出しに隠したシュルト様から渡された薬を取り出す。
今朝握らされた薬もケースの中に放り込む。
数を数えるはもうやめてしまった。
―今、この薬を全部飲んだらどうなるのだろう
子供をなかった事にする強い薬だ。全てを一度に飲めば、私の心ごと流しきってくれるかもしれない。
そんな想いすらこみ上げるほどに私の心はぐちゃぐちゃだ。
ケースを握りしめ、全て忘れて逃げ去りたい思いに駆られた。
しかしそんな私の思考を打ち切るように、鍵をかけておいたはずの部屋の扉が開いた。
「アルリナ!」
「えっ!」
何故か焦ったように部屋に飛び込んできたのはシュルト様だ。
ここが女子寮である事、鍵をかけていた筈である事、そもそもなぜここに、という疑問で混乱する私をシュルト様が真正面から見つめている。
「倒れたと聞いたが本当か」
扉を閉め、丁寧にも鍵をかけてからシュルト様が私の方へ近寄ってくる。
その手には見覚えのある銀色の鍵が握られていた。
「あの、それ、この部屋の」
「ああ。お前は俺の婚約者であろう。婚約者の部屋の鍵を持っていて何がおかしい」
何もかもがおかしいではないかと言いたかったが混乱で乾いた唇は上手く動かない。
それに鍵を持っていたとしても何故、女子寮に入れるのだろう。
今更ながらに最初の日にもシュルト様が私の部屋にいた謎の鱗片が顔を覗かせる。
一体いつから彼はこの部屋の鍵を持っていたの?
動けずに固まったままの私にシュルト様が大股で近寄る。
私は手に持ったケースを隠すように握りしめたまま、後ろへと下がるが、すぐに机にぶつかり身動きが取れなくなる。
追い詰められた私は身じろぎもできずにシュルト様を見上げるほかない。
「アルリナ?」
見上げるシュルト様の表情は不思議なものだった。
怒っているような、泣いているような。いつも冷たいと感じていた瞳はこんなものだったろうか。
「だい、じょうぶです、少し寝不足で」
「顔色が悪い」
シュルト様の手が私の頬に触れる。こんな風に優しく触れられるのに慣れていないから、私の身体は自然と強張る。
それを感じ取ったらしい彼の目が細くなった。
「アルリナ」
名前を何度も呼ばないでほしい。
粉々になって散らばって踏みつけにされた恋心がまた音を立てて集まっていきそうになるから。
頬に添えられていた手が顎に降りて上を向かされる。
振るように降りてきた彼の薄い唇が、私の唇を塞いだ。
「ん………」
柔らかく触れる唇は少しだけ甘い。触れるだけのキスが何度も角度を変えて降りてきて、唇をべろりと舐められた。
それだけなのに彼の熱に溶かされた私はくったりと体の力を抜いてしまう。
机にもたれかかるみたいになって、シュルト様のなすがままに唇を受け入れる。
「あっ、んっ」
開いてしまった口の中に舌が入り込んでくる。口の中の敏感な粘膜を舐めまわされる。ぞくぞくと這い上がってくる熱にじわじわと頭が溶けて行きそうになる。
かくん、と体の力が抜けた。
シュルト様がそんな私の身体を抱きしめる。首筋を支えるように回されていた手が、私の髪を僅かに弄りながら後頭部へ上がり、キスのつながりを更に深くしていく。長い指が髪に隠れた皮膚に触れる感触すら私を焦がす。
―やめて、こんなのまるで
愛されているのか勘違いしてしまいそうな優しいキスの繰り返しに、私は泣いてしまいそうだった。
「んんっうぅんっ」
舌を強く吸い上げられると頭の中で思考と体が蕩けた。
そのせいで、ずっと握りしめていたケースが私の掌から滑り落ちる。
カツン、と音を立てて落ちたそれにシュルト様の視線が向かうのが分かった。
―だめ、だめみないでっ
気が付かれたくなくて、私は初めて彼の頬に手を伸ばした。
自分から口付けるように顔を押し付け、彼の頭に手を回す。
手のひらに触れる暖かな彼の頬を包むように撫で、そちらを見ないで、私だけを見ていてと言うように彼の唇を吸った。
逸らされかけた視線が私に戻る。
真っ直ぐに私だけを見ている瞳がとろりと熱っぽく揺れたのがわかる。
お互い他に何もできないみたいにキスばかりを繰り返した。
何も考えられない位に甘くて熱くて。
まるで夢でも見ているような気分になった。
腰に回された腕が私の身体を軽々と抱え上げる。
キスをされたままに運ばれ、ベッドへと降ろされた。
柔らかなシーツの感触に少しだけ安心する。いつだって彼が私を抱くのは冷たい無機質な場所だから。
「んんっ」
リネンが擦れる音がする。キスの力で押し倒され、ベッドに沈み込んだ私にシュルト様の身体が覆いかぶさる。
もつれあうようにベッドの上でばかみたいにキスを続けて、私は彼にしがみつくほかにできる事が無くなってしまう。
もっと触って欲しいなんてどこかでねだるみたいに手を伸ばすけど、シュルト様は執拗にキスばかりを繰り返す。
唇が熱くて僅かに腫れて舌がしびれる。
混ざり合う唾液の音と時折零れる息遣いだけが今の私たちの間にあるもの。
ようやく解放された唇は混ざり合ったお互いの唾液で濡れていた。
顔にかかった髪をシュルト様の手が優しく撫で落とす。
「アルリナ」
私を呼ぶ彼にいったいどう答えればいいの。
いつだって手酷く私を踏みつけにして抱くのに、どうしてこんな風に急に優しくするの。
分からなくて私は泣きそうになる顔を歪めて我慢するしかできない。
「今日は休め」
このまま抱かれるのかと思っていた身体は簡単に解放される。
力の入らないままに立ち上がる彼を見つめていた私は、その彼の視線が床に落ちた事で忘れてはならなかったその存在を思い出す。
じっと一点を見つめるシュルト様の視線が見開かれた事に気が付き、熱でとろけていた身体から一気に血の気が引いた。
「だ、めっ」
起き上がって急いでそれを回収しようとするがもう遅かった。
シュルト様が僅かに屈んで拾い上げたのは小さなケース。彼の手の中でカラカラと音を立てるそれをじっと見つめる表情は良く見えない。
怖いほどの沈黙に、嫌な汗がにじむ。お腹の奥が冷え切り、凍えたみたいに身体が震えた。
無言のままにケースを開いたシュルト様の目が見開かれた。そして私を見る。
「どういうことだ」
絞り出した声は低く、私にはそれが怒りの音色に聞こえた。
冷え切った指先でシーツを握りしめる。言い訳の一つも思い浮かばず、既に乾いた唇を僅かに噛み締めるしかできない。
「どういうことだと聞いている!!」
「っ!!」
シュルト様がケースを投げ捨てた。閉じられていなかったせいで、中に納まっていた無数の丸薬が床に散らばる。
落ちたそれを踏みしめながら彼が私の傍へとまた近寄ってくる。
瞳には冷たさよりも熱がこもっていた。怒りの熱だ。
―ああ、もうだめだ。なにもかも。
荒々しく肩を掴まれベッドへと押し倒されながら、私は悲鳴を上げる間もなくまた彼に唇を塞がれる。
今度のキスはさっきとは違う、いつもと同じひどく暴力的なものだ。
舌を噛まれ痛みが走る。
「言え、いつから飲んでいない」
呼吸を奪われ息も絶え絶えな私を見下ろすシュルト様の瞳は怖くてたまらず、私は素直に「いちども」と震える声で答えた。
ぎゅっと綺麗な眉間にしわが寄る。怒っている。呆れられた。
絶望に身体が冷え切る。
「何故だ」
何故なんて聞かれても、答えは一つしかないじゃないか。
こんなひどい事をされているのに、愛なんてないのは知っているのに。
捨てきれない恋心が私をがんじがらめにしている。
私は、彼とのつながりが欲しかった。
それさえあれば、たとえ永遠に会えなくなっても生きて行けるかもしれないなんて愚かな私は考えてしまったんだ。
馬鹿だ。私はどこまでも愚かで馬鹿だ。
「だって、シュルト様の、あかちゃ、ほし」
ぐすぐすと泣きながら私が告げる言葉は彼の唇によって塞がれた。
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