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しおりを挟む「ラウルス様……」
思わず名前を呼んでしまえば、ラウルスの瞳がすっと細まるのがわかる。
「ほぉ? 俺の名前を知っているのか」
「いえ、あの……ラウルス様は有名人ですから、当然ですよ」
しどろもどろになりながら応えれば、ラウルスは納得したのかしないのか「ふーん」と鼻を鳴らして小首を傾げた。
その仕草から醸し出される色気にプリムラは叫び出しそうになる己を必死で律する。
(うああああ! ラウルス様だ! 生だ! 生ラウルス様!)
もはや何を言っているんだお前と自分で自分に突っ込みたくなるような脳内お祭り騒ぎ。
許されるのならばこの場に五体投地してその存在をあがめ奉りたい。
そう、何を隠そうプリムラの前世はこのゲームに推しがいた。
だからこそ違う世界に転生を果たしたあともゲームの記憶を忘れなかったのだろう。
近衛騎士ラウルス。
弱冠25歳にして近衛隊最強の名をほしいままにしている筆頭騎士。
彼はルカーノの幼馴染みであり側近。だが、ゲームでは単なるモブだ。
こんなイケメンのモブがいるわけがない! きっと隠しキャラだ! と発売当時はちょっとした騒ぎになったりもした。
だが公式発表に偽りはなく、本当にラウルスはただのモブだった。城でルカーノにくっついて登場するだけでセリフも数回。スチルに至っては断罪シーンの背景にほんの少し見切れているだけという扱い。
だが、顔がいい。おそらくキャラクターデザインをしたイラストレーターの指が滑ったのだろう。そうとしか思えない神作画。
絶大な人気を誇っていたことから、ファンディスクや続編が発売されればきっと攻略対象になると信じていたのに。
残念ながらそういった記憶はプリムラにはない。
ここが「ミツつか」の世界だと気がついたプリムラは、どうにかして動くラウルスを見られないかとずっと考えていた。しかし、プリムラが記憶を取り戻したときにはすでにラウルスは近衛騎士見習いとして王宮に仕えていて社交界にはいなかった。
単なる伯爵令嬢であるプリムラが王城に入り、近衛騎士の姿を見る機会など皆無だ。
だから、プリムラはスフィカとルカーノを応援したのだ。
スフィカとの友情に偽りはないが、彼女が王妃になったあとお茶会にでも呼んでもらえれば運が良ければちらりと姿が見られるかもしれないという下心があったのも本当で。
(本当に会えた……!)
先ほどまでの憂鬱な気持ちが一気に吹き飛んでいく。
感動で涙まで出てきて、プリムラは頬が濡れていくのを感じていた。
「お、おい!?」
その涙に慌てた声を上げたのはラウルスだ。
直前まで胡乱げな視線をプリムラに向けていたのに、形のいい眉を下げて組んでいた腕をほどいている。
「どうして泣くんだ!? スフィカ殿の婚約破棄がそんなに悲しかったのか!?」
「う、うう……」
違うんですあなたに会えて感動しているのです、とは当然言えず、プリムラは必死に嗚咽を飲み込もうとするがうまくいかない。
ゲームでラウルスにボイスはなかった。モブだから当然なのだが。
だが、声がついたらどんな感じだろうと妄想はしていた。
少し低くてセクシーで大人っぽいしゃべり方に決まっていると。
そして今、妄想が現実となってプリムラの鼓膜を痺れさせている。
(声までかっこいいだなんて、ずるい……!)
(ああ……ラウルス様。でも、どうして今なんだろう)
この場で過呼吸にならずにすんでいるのは、まだ先ほどのショックが残っているからかもしれないとプリムラは頭の冷静な部分で考えていた。
スフィカを婚約破棄から救えず身勝手な事情で振り回してしまった自分が、長年会いたがっていた推しに巡り会えたことを手放しで喜んでもいいのか、と。
様々な考えが頭を駆け巡り、何か言うべきなのに言葉が出てこない。
言葉を知らない幼子のように情けなくしゃくり上げるだけで精一杯だ。
「お、おい……」
困り果てた声を上げたラウルスは乱暴に頭をかきむしると、プリムラの横に乱暴に腰を落とした。
(ひ、ひぃ! となり!)
ほんの少し身じろぎしたら触れてしまいそうな距離に推しが座っている。
その衝撃にプリムラは泣くことを忘れ、石のように固まった。
「あ~その、なんだ。すまない。怖がらせた」
彼らしからぬ気まずそうな口調と表情に、プリムラははたと気がつく。
(慰めてくださってる……?)
不器用なその態度に、ラウルスという人柄を見た気がして胸が苦しくなった。
ああ、私の推しかっこいい。
そんな思いが胸いっぱいに広がった。
「いえ、私こそ急に泣き出して……お見苦しいところを……」
ようやく動いた唇でたどたどしく伝えれば、ラウルスの目元が安心したように緩んだのがわかる。
「色々あって、混乱していたのだと思います……」
むしろ混乱しない方がおかしいだろう。
回避できたとおもっていた婚約破棄を目の当たりにした上に、自身も婚約破棄をされた。加えて、ずっと会いたいと願っていたラウルスに遭遇して。
「プリムラ殿はスフィカ殿の婚約破棄がそんなにショックだったのか」
「……!? どうして……」
「君があの場で唯一スフィカ殿を気遣っていたからな」
「ああ……」
姿こそ見なかったがラウルスは近衛騎士だし、ルカーノの護衛だ。あの場にいても不自然ではない。ルカーノからスフィカの話ついでにプリムラのことを聞いて知っていたとしてもおかしくはないだろう。つまり。
「私も疑われているのでしょうか」
事実無根ではあるが、スフィカはベーテリンを虐めていたということになっている。友人であるプリムラがスフィカに協力してベーテリンを迫害していたと思われてもおかしくはない。
「いや、まあ……うーん」
歯切れの悪い返事をするラウルスの態度に、プリムラは自分の予想が当たっていることを確信し苦笑いを浮かべる。
「信じてもらえないかもしれませんが、スフィカ様はベーテリンを虐めてなんていませんよ。私もです」
こうなった以上、世間はスフィカを疑うだろう。でもラウルスだけには信じて欲しくて、プリムラはまっすぐに彼を見つめた。
「スフィカ様は本当に気高くて素晴らしい方です」
「……本当に彼女を慕っているんだな」
「はい」
「あの場で誰もがスフィカ殿を見捨てたのに、君だけは迷わなかった」
「親友ですから」
「そのことで自分の立場が悪くなるとは思わなかったのか?」
その問いかけには失笑するしかない。
「正直に言えば考えもしませんでした。スフィカ様を放っておけなくて、気がついたときには体が動いていたので……まあ、おかげで婚約破棄されちゃいましたけど」
「は!?」
ラウルスの目が極限まで開かれる。
「婚約破棄、されたのか? 君が?」
「はい。つい先ほど。スフィカ様に味方する私は不要だそうです」
「なんと…………」
「行き遅れ決定、ってやつですね」
笑ってみせながらもプリムラは心の中でため息を零す。
ブラッタと結婚しなくてすんだのは助かったが、婚約破棄されたとなればこの先、よい縁談が見つかるとは思えない。両親にも怒られるだろうし、社交界でスフィカと共に爪弾きにされるかもしれない。
「まあそれもいいかなと思ってるんです。スフィカ様をお一人にしないですみますし」
ゲームで破滅したスフィカは奴隷の身に落とされる。
でもそれは様々な悪事に手を染めて、ヒロインの命を狙ったり陰謀を巡らせた断罪故だ。
今回はせいぜいベーテリンへの嫌がらせなので、単純に婚約破棄されるだけですむだろう。だとしても王子に婚約破棄された令嬢が社交界で生きていくのは不可能だ。
きっとスフィカは修道院に入ることになる。
そのときは一緒に行こうとプリムラは決意していた。
それがスフィカの人生を変えてしまった自分にできる唯一の償いだから。
(最後にラウルス様とお話しできたんだもの。もう思い残すことはないわ)
「君は……悲しくないのか?」
案ずるような優しい声音にプリムラははじかれたように顔を上げた。
黒曜石の瞳と視線がぶつかり、思わず息を呑む。
「……悲しい、です」
スフィカを救えなかったことが、ただ悲しい。
せっかく今日まで頑張ってきた自分の努力も無駄だとわかった。
何のために転生したのか。どうしてゲームの情報を覚えていたのか。
悲しくないわけがない。
「でも大丈夫です……なんとか、頑張ります」
嘆いたところで、過去は覆らない。
だったら前を向いて自分にできることをするしかない。
そんな思いを込めて微笑めば、ラウルスの表情が切なげに歪んだ。
「本当に大丈夫か? 俺の胸で泣いていんだぞ。むしろ揉んでもいい」
「………………………………はい?」
聞こえた言葉の意味が理解できず、プリムラは首を傾げる。
(え? 今、胸って言った? 揉む? 揉んでいいの?)
ラウルスの顔とたくましい胸元を交互に見つめ、何度も瞬く。
皺一つない騎士服に包まれたラウルスの肉体は服の上からでも鍛え上げられているのがよくわかる。膨らんだ胸筋部分は下手をしたらプリムラのささやかな胸元以上に豊かな気がする。
聞こえた言葉が確かならば、ラウルスはここで泣いていいし揉んでもいいと言った。
そんな暴挙が許されるのか。これは盛大な罠で触れた瞬間に捕まったりしないだろうか。
様々な考えた数秒のうちに頭を駆け巡るが、答えは出てこない。
固まってしまったプリムラに、ラウルスは痛ましげな視線を向けていた。
「泣きたいときは泣くだけ泣いてスッキリするのが一番だ。俺の胸で良ければ貸そう。自分で言うのもなんだが、俺は鍛えているから胸筋にはそれなりに自信がある。揉んだら元気になるかもしれないぞ」
なんだその超理論はと疑問が一瞬だけ浮かぶが、それ以上に魅惑的な提案に理性がぐらぐら揺れる。
ラウルスの胸に抱きつく正当な許可を得ることなど、この先の人生では二度とあり得ないだろう。
しかも揉んでいいなどと。夢なら覚めないで欲しい。
「でも、でも……」
「遠慮するな。ほら、おいで」
ラウルスが両手を広げ、プリムラを迎え入れるような体勢になる。
その母性溢れる光景に我慢できる人間がいるだろうか。いや、いない。
今やらないでいつやるの。今でしょ。
「し、しつれいします!!」
声を震わせながら、プリムラはラウルスの胸にそっと頬を埋めた。
(こ、これは……!!)
堅くて痛そうだと思っていた制服は高級な素材を使っているのか肌触りが抜群によい。しかもとてもいい匂いがする。
その下に隠されているラウルスの胸筋は彼の言葉通り、大変結構なものだった。堅すぎもせず柔らかすぎもせずしっとりふんわりプリムラの顔を包み込んでくれた。
同時に、たくましい腕がプリムラの体を優しく抱きしめてくれている。
まさに至福。死んでもいい。むしろ殺して。
(幸せ)
幸せはここにあったよ、と全世界に叫びたい気持ちになりながらプリムラは目を閉じてラウルスの胸の感触を堪能した。
さすがに揉むのははばかられたので、たくましい胸元にそっと両手を置くだけだったが。
手のひらにラウルスの鼓動が伝わってきて、彼が生きてここにいることを伝えてくる。
数分後。魂の半分を天国に飛ばしたプリムラは恍惚の表情で空を見上げていた。
ラウルスに抱きしめられたことにより、心の中に巣食っていた暗澹たる思いはすべて消え失せ、胸を占めるのは未来への希望だけだ。
(この思い出があれば、この先なにがあっても生きていけるわ)
スフィカと二人、田舎で静かな余生を送ろう。
そんな妄想に浸っていると、隣に座っていたラウルスがゆっくりと立ち上がったのがわかった。
「さて、今日は送っていこう」
「え?」
慰めてくれただけでも十分なのに、送ってくれるの? と驚いてプリムラが顔を上がれば、いたずらっぽい笑顔を浮かべているラウルスと目が合う。
「そんな、申し訳ないです」
慌てて断るが、ラウルスは有無を言わせない雰囲気でプリムラの腕を掴んで立ち上がらせてきた。
先ほどと同じくらいに近づく距離に、頬が熱くなる。
「いや。申し訳ないが、これは決定事項なんだ」
「え?」
「プリムラ殿。スフィカ殿の今後が決定するまでの間、君を監視させてもらう」
「は? はぁぁ!?」
すべての余韻が吹き飛ぶ発言にプリムラは淑女の慎みも忘れて声を上げた。
対するラウルスは、それが面白いのか笑みを深くしたのだった。
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今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
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