2 / 10
02
しおりを挟むスフィカが完全に眠ったことを確認してプリムラは休憩室の外に出る。
公爵家に連絡を取り、スフィカを迎えに来てもらわなければならない。
執事かメイドを捕まえなければと廊下でキョロキョロしていると、誰かの足音が近づいてくるのがわかった。
「あの」
助けを求めようと足音の方に駆け寄れば、なんとそこに立っていたのは先ほど逃げたブラッタだった。
ブラッタは目の前にプリムラが現れたことに本気で驚いているらしく、ぎょっと目を丸くしている。
その表情に先ほど裏切られた記憶がよみがえり、プリムラは眉をつり上げた。
「ブラッタ! あなたさっきはどうして無視したのよ!!」
プリムラの追求にブラッタは一瞬気まずそうに視線を逸らすが、すぐにぎゅっと唇を噛みしめ苛立たしげな表情で睨み付けてきた。
「どうしたもこうしたもあるか! スフィカ嬢はルカーノ王子の機嫌を損ねたんだぞ!? 手を貸せるわけがないだろう」
「なっ……!」
完全に開き直ったブラッタの発言にプリムラも目を剥く。
「だ、だからって倒れかけている女性を助けないなんてどうかしているわ!」
「うるさい! だいたい、お前こそどうしてスフィカ嬢を助けたりしたんだ。もし王家に睨まれたりしたらどうなるかわかってるのか」
「知らないわよそんなこと! 私は何があってもスフィカ様の味方よ」
「……!」
ブラッタは信じられないとでも言いたげな顔でプリムラの顔を見ていた。
「なるほどな。何かあればスフィカ様、スフィカ様と……結局、君の一番はスフィカ嬢なんだな」
表情の抜け落ちたブラッタに、プリムラは嫌な予感を抱いて一歩後ずさる。
ブラッタとプリムラは親同士が決めた婚約者だ。
男爵家の次男であるブラッタと伯爵家の三女であるプリムラ。余り者同士の婚約は両家が持参金を節約するために結ばれたおざなりなもの。
ブラッタはプリムラが伯爵令嬢なのが気に食わないのか、何かにつけて卑屈な発言や態度が多い。プリムラのすべてにケチをつけ、もっと地味で目立たなくするようにと小言が絶えなかったし、どこかに連れて行ってくれても、友人たちの前でプリムラをこきおろすような立ち回りをする。
だから余計にプリムラはブラッタとは距離を置き、スフィカの傍に侍っていたのだ。
最近では良くない噂がある人たちとの付き合いがあると小耳に挟んでいたことを思い出し、警戒を強める。
「もういい。元々俺はお前みたいなうるさい女は嫌だったんだ。お前がスフィカ嬢の味方をするというのならば俺たちの婚約も破棄しよう」
「……は!?」
突然何を言い出すのだとプリムラが固まっていると、ブラッタは意地の悪い笑みを浮かべ見下ろしてくる。
「実は内々にだが俺を養子に欲しいと言ってくれている家があってな。そちらに行けばもっといい条件の結婚ができそうなんだ」
どうやらブラッタは本気らしい。むしろこのときを待っていたと言わんばかりの態度で、腰に両手を当てふんぞり返っている。
「まあ、せいぜいでかい魚を逃がしたと思って悔しがるんだな」
言いたいことは全部言ったとばかりにブラッタはプリムラに背を向けスタスタとその場を去っていった。
残されたプリムラはしばらくあっけにとられていたが、ブラッタの姿が完全に見えなくなったところでようやく我に返れた。
「なんなのよ!!」
ようやく沸いてきた怒りにプリムラは地団駄を踏む。
どうせ婚約破棄するなら自分から言ってやりたかったのに、最悪のタイミングで最低の発言で婚約破棄されてしまった。完全なる敗北感に頭をかきむしりたくなった。
「もう……!! ああ、でもいまはスフィカ様をなんとかしなくっちゃ!!」
自分のことは後回しだとプリムラは人を探すべく床を蹴ったのだった。
「つ、つかれた……」
なんとかメイドを探しだし公爵家の馬車を呼び寄せられた。
ぐったりと気を失ったままのスフィカを公爵家の従僕に預け馬車を見送ったときには、全身を疲労が包んでいた。
再びパーティー会場に戻る気にはなれず、とぼとぼと庭園へと向かう。
茜色に染まった庭園はとても美しい。流石は王家が管理する庭だ。隅々まで手入れが行き届いており、春らしい明るい色どりの花々が咲き乱れている。
曇っていた心が少しだけ晴れるような、気がしなくもない。
木陰に置かれたベンチに淑女らしからぬ仕草で乱暴に腰掛けたプリムラは、はぁ、と大きなため息を零した。
(どうしてこんなことになったんだろう)
振り返ってみても、プリムラはよく頑張ったと思う。
ゲーム中の歴史では、ゲーム開始時点でスフィカとルカーノの関係は最悪だった。そこにゲームヒロインである少女が現れたことで物語が動きはじめるのだ。
(ベーテリン、って言ったっけあの子。あの子が来てから全部おかしくなったのよ)
ゲームではヒロインには特定の名前はなく、プレイヤーが自由に命名できる設定だった。プリムラは本名プレイ派だったので自分の名前を入れて遊んでいたが、この世界に現れたヒロインには自らをベーテリンと名乗っていた。
見た目こそゲームのスチルそのものだが、その言動はプリムラの記憶するヒロインとは大きく異なる。
コツコツと好感度を上げることなく、攻略対象である男子たちに馴れ馴れしく近づき甘え無理やりおねだりを口にする。女子に対しては自分より上か下かだけで判断し、下ならば下僕のように扱い上ならば便利に扱う。口先だけの言動が多く、些細なことでもすぐに大きく騒ぎ立てるため一部の女子には蛇蝎のごとく嫌われていた。
冷静に考えれば、そんな行動をする貴族令嬢はすぐに爪弾きになる、はずだった。
しかしどうしたことかベーテリンは男性たちに受け入れられ、まるでお姫様のような扱いを受けるようになる。
幸いなことにルカーノはベーテリンと特別親密な態度を取ることはなかった。だが、邪険に扱うこともない。その曖昧な態度がプリムラは気になってしょうがなかった。そしてその不安は的中することになる。
ルカーノがベーテリンと二人きりで会っているという噂が流れたのだ。
プリムラは誤解だろうから落ち着くようにとスフィカをなだめたが、ルカーノ一筋だったスフィカは我慢できずに突撃してしまった。よりにもよってベーテリンに。
ベーテリンはスフィカに詰め寄られたことを涙ながらにルカーノに訴え、ルカーノはあろうことかベーテリンを庇った。
それからの展開はまるで絵に描いたように早かった。
嫉妬に狂ったスフィカと王子に愛される少女ベーテリンという最悪の構図が生まれ、ゲーム中の設定同様にスフィカは悪役令嬢に祭り上げられてしまったのだった。
そして今日、ゲームのエンディングとまったく同じ構図でスフィカは婚約破棄された。
そしてつい先ほど、そのついでのようにプリムラも婚約破棄されてしまった。
「最悪だわ」
乾いた笑いをこぼし、プリムラはぐったりとベンチの背にもたれかかる。
スフィカを救えなかった無力さに打ちのめされていた。
ブラッタへの未練はまったくない。むしろ、スフィカとルカーノが無事に結婚できたら何かしらの理由をつけて婚約を解消しようと考えていたくらいだ。あんな嫌な男と結婚する気など、さらさらなかった。
早くそうしなかったのは、変な騒ぎを起こしてスフィカの傍に居られなくなることを懸念したから。
『結局、君の一番はスフィカ嬢なんだな』
ブラッタに突きつけられた言葉が、耳の奥でこだまする。
その言葉をプリムラは否定できなかった。転生者として記憶がよみがえったその日から、プリムラはスフィカを幸せにすることを一番の目標にして走り続けてきた。そのことをブラッタが苦々しく思っていたとしたならば。
「……別に、私だってスフィカ様が一番ってわけじゃないわ」
誰に言い訳するでもなくプリムラは呟く。
そう、別にプリムラはスフィカ至上主義というわけではない。それなりに欲望に忠実な打算があった。
スフィカがルカーノと無事に結婚し、未来の王妃になれば。
プリムラを一番の友人にしてくれて、王妃になったあとも縁が続いていれば。
もしかしたら、あの人と会うことぐらいはできるかもしれない。
(私が、身勝手な欲を抱いたのが悪かったのかな)
シナリオ通りにスフィカが悪役令嬢だったのなら、あそこで倒れたりはしなかったはずだ。ゲームでのスフィカは悪びれもせず自分の悪事を認め、言いたいことを言いまくってゲームから退場する。その悪役らしい態度に自分は惹かれていたのに。
なまじルカーノとの関係が良かっただけに、スフィカが受けたショックは計り知れないだろう。
余計なことをしてしまった。スフィカの人生を狂わせてしまった。
申し訳なさと情けなさに今更ながらに涙がこみあげてきた。
「ここで何をしている」
「!?」
突然聞こえた声に涙が引っ込む。
驚いて顔を上がれば、いつから居たのか目の前に一人の男性が立っていた。
「……!!」
プリムラは瞳を限界まで見開き、ついでに口まであんぐり開けた。
淑女としてあるまじき態度だったが、関係ない。
(嘘、嘘、なんで……!)
闇夜を思わせる漆黒の黒髪に黒曜石のような瞳をたたえる精悍な顔つきをした、たくましい体躯を灰色の騎士装束に包んだ長身の男性がそこにいた。
70
お気に入りに追加
1,016
あなたにおすすめの小説

【完結】私は義兄に嫌われている
春野オカリナ
恋愛
私が5才の時に彼はやって来た。
十歳の義兄、アーネストはクラウディア公爵家の跡継ぎになるべく引き取られた子供。
黒曜石の髪にルビーの瞳の強力な魔力持ちの麗しい男の子。
でも、両親の前では猫を被っていて私の事は「出来損ないの公爵令嬢」と馬鹿にする。
意地悪ばかりする義兄に私は嫌われている。


悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……

どうせ運命の番に出会う婚約者に捨てられる運命なら、最高に良い男に育ててから捨てられてやろうってお話
下菊みこと
恋愛
運命の番に出会って自分を捨てるだろう婚約者を、とびきりの良い男に育てて捨てられに行く気満々の悪役令嬢のお話。
御都合主義のハッピーエンド。
小説家になろう様でも投稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる