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本編

第十三話 優しい婚約者①

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 次の日急な先触れを我が家に寄越し、アイザック様がお見舞いにやってきた。
 その知らせを聞いた時、私は彼に会いたくない気持ちの方が強い反面、それでも直接会って正直な気持ちを聞きたいと言う気持ちになった。
 ただ自分の気持ちに折り合いが付いていない今の状態でお会いして、以前のような何も知らなかった時のように接する事が出来るのか不安が募った。

「……ノーラ、今日はゆっくり支度をしてくれるかしら」
「かしこまりました」

 鏡台の前の椅子に腰掛け、ノーラにそうお願いする。
 何も出来ない自分が出来る精一杯の抵抗だった。
 そしてぼんやりと鏡に映る自分を眺めながら自問自答を繰り返す。

 (これからアイザック様とお会いして、何を話すと言うの?)
 (エミリーが手紙でしたように彼女との関係を仄めかされるのかしら)

 あの二人の事を考え始めるとどんどん思考が暗くなっていく私は、これ以上気持ちが沈む事が耐えられなくて、まだ手元にある例の本へ無理矢理思考を逸らした。
 アイザック様の先触れが届いたのが本を返すより早かった為、まだ手元にある例の本。
 漆黒の背表紙に金色の文字で書かれた誰にも言えない秘密の存在。

 もしあの本が本物ならば、もしかしたら私の願いが叶うかもしれない。
 そしたら私は——、

「お嬢様、お支度整いましたよ」
「っ!?あ、ノーラ……素敵に仕上げてくれてありがとう」
「お嬢様は元が良いのでやりがいがあります!!」

 こうして明るいノーラと話していると、この暗い思考もこれ以上踏み込んではいけないあの本の事も、全部忘れられそうな気がするのだ。彼女の笑顔や気遣いにはもう何度も助けられている。

「ノーラ、ありがとう」
「お嬢様は世界で一番美しい、私の自慢のお嬢様ですよ!!」
「……そんな事を言ってくれるのは貴女だけよ」
「それは光栄な事です!私でよければ何度でもお嬢様に伝えます。ですから……」
「ノーラ?」
「い、いえ、何でもありません。さぁ、お嬢様。アイザック様がお待ちですよ」
「え、ええ。そうしましょう」

 そのまま慌ただしく自室を後にしてしまった私は、この時一体ノーラが何を言いかけたのか聞く事が出来なかった。
 長い廊下をゆっくりと進み、アイザック様の待つ応接室へ一歩一歩着実に向かって行く。
 まるで私を更に追い詰めていく地獄の時間のようにも感じた。
 正直自分でも時間稼ぎをしている自覚はあった。もしかしたら支度が遅いから、いつまでも応接室に来ないからと諦めて帰って欲しいと希望を抱いても、やはり現実はそんなに甘くない。

 私のささやかな抵抗はあっという間に終わりを迎え目の前には彼が待つ応接室の扉がある。
 普段は感じる事のない苦しい程の威圧感を放っていた。

 (いっそ後ろを振り返って逃げ出せたら良いのに……)

 そんな事を考えつつも私は深呼吸をしてから控えていた侍女に合図をし、応接室の扉を開けてもらった。
 中で待っていたアイザック様はこちらに気付き、わざわざ席を立ってこちらに向かって笑顔で歩み寄って来てくれた。

「アリア!もう歩いても平気なのかい?」

 そう言いながら私に手を差し出しソファーにエスコートするアイザック様は、やっぱりいつもと変わらない誠実な婚約者そのものだった。
 間隔を開けて一緒のソファーに座り事実だが、言い訳でもある言葉を彼に向けて紡いでいく。
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