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桜餅と花の精
(十二)
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「雪斗さんとはじめて会ったのは、大学生のころでね。あ、大学生ってわかる? えーっと、まあ、数年前のことかな」
そのときはまだ全力で隣人を避けていた穂乃花だったが、時折厄介な者たちに追われることがあった。彼らはこっちの事情なんて気にしないのだ。汗だくで大学のキャンパス内を走り回って、たどり着いたのが図書館。
ふたりでもう定員、という狭い個人学習室が壁沿いにいくつかあって、学生は予約すれば誰でも使用できる。そこから出てきた雪斗と出くわした。
雪斗は、息も絶え絶えの穂乃花をきょとんと見てから、手招きした。追われていることを忘れて、穂乃花も首を傾げた。
『鬼ごっこか、かくれんぼですか? よかったら、中にどうぞ。狭いですけど』
あ、そうだ。隣人から逃げていたんだっけ。
誘われるまま、かくまってもらった。ふたり入るのがギリギリの個室。気まずい……と思っていたのは穂乃花だけだったようで、雪斗は「お茶飲みますか?」「疲れているならチョコ食べます?」とのんびりしていた。
『図書館内、飲食禁止ですよ』
『ああ、そっか。それは残念』
ふわふわした人だなあ、と思った。
そのあと、何度かキャンパスですれ違って、雪斗が小説を書いているのだと知った。しかも、不思議な話を好んでいるらしい。不思議な存在がいるのなら、会ってみたいと思っていることも知った。
まじか、と思った。視えても困ることばっかりだぞ、とすこし腹が立った。こっちはそれが原因で、どれだけ苦労したことか。
でもなぜだか学食で会えば一緒にご飯を食べたし、帰り道に会えばふたりで寄り道した。本屋になら何時間でもいられるという雪斗に付き添って本を眺めてみたけれど、穂乃花はすぐにあきてしまって、そのことで些細な喧嘩になった。
あの喧嘩の終わり方は、どんなだっただろう。もう忘れてしまった。でも、たいしたやりとりではなかった気がする。
『クッキー焼いたんだ。食べる?』
『やった。いただきます』
ある日、クッキーを並んで食べていたときだ。こちらをチラチラ見ている隣人に気づいた。テニスボールくらいの白い身体に、小さな目がてんてんとついた隣人。口からよだれがたらーっと垂れた。
めちゃくちゃ、食べたそう。
穂乃花は迷って――、言った。
『ねえ雪斗さん。クッキー、他の子にも、あげていいですか』
『うん? いいよ』
雪斗の見ている前で、雪斗には視えない隣人に、クッキーをあげた。あのときから、穂乃花はもう一度隣人たちと触れ合えるようになった。
「雪斗さんがいたから、こんな自分でもいいんだって思えた。今暮らしてるところでね、親指ちゃんや龍神さまって友だちもできたし。こうやって、桜ちゃんにも会いに来ることもできて」
今も、穂乃花が帰るのを千代の家で待ってくれている。帰ったら「おかえり」と言ってくれる。それがとても心強い。ああ、好きだなあ。なんて恥ずかしいから言わないけど。
「今度、雪斗さんも連れて、お花見しに来てもいい?」
穂乃花は桜を見上げた。
「ここの桜、雪斗さんにも見せてあげたいな。それから朱里さんたちにも」
桜の童女は花が綻ぶように微笑む。いつでもどうぞ、と言ってくれている気がした。雪斗たちを連れてきたら、どんな反応をするだろう。考えると楽しい。もちろん龍神も誘ってみよう、と親指少女と微笑む。
耳をすませば、ちりりんと、どこからか聞こえてくる鈴の音に、穂乃花は桜を見上げた。いつかきっと、ううん、来年。みんなでここに来よう。
「桜ちゃん、ありがとう」
昔も、今も。
「ありがとう」
穂乃花はふわりと微笑んだ。
そのときはまだ全力で隣人を避けていた穂乃花だったが、時折厄介な者たちに追われることがあった。彼らはこっちの事情なんて気にしないのだ。汗だくで大学のキャンパス内を走り回って、たどり着いたのが図書館。
ふたりでもう定員、という狭い個人学習室が壁沿いにいくつかあって、学生は予約すれば誰でも使用できる。そこから出てきた雪斗と出くわした。
雪斗は、息も絶え絶えの穂乃花をきょとんと見てから、手招きした。追われていることを忘れて、穂乃花も首を傾げた。
『鬼ごっこか、かくれんぼですか? よかったら、中にどうぞ。狭いですけど』
あ、そうだ。隣人から逃げていたんだっけ。
誘われるまま、かくまってもらった。ふたり入るのがギリギリの個室。気まずい……と思っていたのは穂乃花だけだったようで、雪斗は「お茶飲みますか?」「疲れているならチョコ食べます?」とのんびりしていた。
『図書館内、飲食禁止ですよ』
『ああ、そっか。それは残念』
ふわふわした人だなあ、と思った。
そのあと、何度かキャンパスですれ違って、雪斗が小説を書いているのだと知った。しかも、不思議な話を好んでいるらしい。不思議な存在がいるのなら、会ってみたいと思っていることも知った。
まじか、と思った。視えても困ることばっかりだぞ、とすこし腹が立った。こっちはそれが原因で、どれだけ苦労したことか。
でもなぜだか学食で会えば一緒にご飯を食べたし、帰り道に会えばふたりで寄り道した。本屋になら何時間でもいられるという雪斗に付き添って本を眺めてみたけれど、穂乃花はすぐにあきてしまって、そのことで些細な喧嘩になった。
あの喧嘩の終わり方は、どんなだっただろう。もう忘れてしまった。でも、たいしたやりとりではなかった気がする。
『クッキー焼いたんだ。食べる?』
『やった。いただきます』
ある日、クッキーを並んで食べていたときだ。こちらをチラチラ見ている隣人に気づいた。テニスボールくらいの白い身体に、小さな目がてんてんとついた隣人。口からよだれがたらーっと垂れた。
めちゃくちゃ、食べたそう。
穂乃花は迷って――、言った。
『ねえ雪斗さん。クッキー、他の子にも、あげていいですか』
『うん? いいよ』
雪斗の見ている前で、雪斗には視えない隣人に、クッキーをあげた。あのときから、穂乃花はもう一度隣人たちと触れ合えるようになった。
「雪斗さんがいたから、こんな自分でもいいんだって思えた。今暮らしてるところでね、親指ちゃんや龍神さまって友だちもできたし。こうやって、桜ちゃんにも会いに来ることもできて」
今も、穂乃花が帰るのを千代の家で待ってくれている。帰ったら「おかえり」と言ってくれる。それがとても心強い。ああ、好きだなあ。なんて恥ずかしいから言わないけど。
「今度、雪斗さんも連れて、お花見しに来てもいい?」
穂乃花は桜を見上げた。
「ここの桜、雪斗さんにも見せてあげたいな。それから朱里さんたちにも」
桜の童女は花が綻ぶように微笑む。いつでもどうぞ、と言ってくれている気がした。雪斗たちを連れてきたら、どんな反応をするだろう。考えると楽しい。もちろん龍神も誘ってみよう、と親指少女と微笑む。
耳をすませば、ちりりんと、どこからか聞こえてくる鈴の音に、穂乃花は桜を見上げた。いつかきっと、ううん、来年。みんなでここに来よう。
「桜ちゃん、ありがとう」
昔も、今も。
「ありがとう」
穂乃花はふわりと微笑んだ。
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