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大きなお鍋と迷子のアリス
(三)
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それからは三人で土手を山に向かって歩いた。優の小さな歩幅に合わせるから、ゆったりした散歩だ。たまにはこういうのも悪くないなあ、と穂乃花は周りを見渡す。
右手は山から流れる小川、左手は桜の木がずらりと並んでいる。今は枝だけが寒空に伸びていて、すこし寂しい場所だった。穂乃花の目の動きに気づいて、朱里がとんとんっと前に進み出ながら振り返る。
「春になったら、きれいなんですよ。春の朝市は駐車場じゃなくて、この土手にテントを張るんです。しかも桜の季節だけは毎週開催! あたし、お花見大好き。今年は穂乃花さんと雪斗さんも一緒にどうですか? って言っても、桜の前にさむーい冬がありますけどね」
「んー、お花見かあ……」
穂乃花は、枝ばかりの桜の木を見上げた。満開の桜並木を想像する。暖かい日差しに、白い桜の花びらが風に巻きあげられて、空に舞い上がる。お花見する人々の楽しそうな声がする。
穂乃花に馴染みがあるのは、しだれ桜だった。丘の上に一本だけ立つ古木。あの桜が、穂乃花は一番きれいだと思っている。幼い頃は何度も丘に通ったけれど、もうずっと行っていない――いや、いまさら、行けないのだ。
「……さん、穂乃花さん! 穂乃花さんってば! 聞こえてますかー?」
「あ、ごめん」
朱里の声にはっとして、過去からもどってくる。朱里が首を傾げていた。優の大きな瞳も、不思議そうに穂乃花を見上げる。
「穂乃花さんってもしかして、桜、嫌いですか? お花見、無理しなくていいですよ?」
「あー。ううん。嫌いじゃないよ。ただ、ちょっと……、昔、友だちと喧嘩したことがあって。桜見てるとそれを思い出すんだ」
「あら、喧嘩ですか」
「そう。あんまりいい思い出なくて」
それだけだよ、と苦笑した。
*****
「ただいまー」
穂乃花たちはそろって千代の家に帰ってきた。朝市限定パンを一緒に食べるためだ。さすがに雪斗も起きているだろうと思っていると、「お帰りなさい」の声が二つ重なって聞こえてきた。朱里が「あら」と目を瞬く。居間に行けば、縁側で雪斗と和真が将棋を指しているのだった。
「和真! あんた、なんでいるの」
「朱里たち、市場から帰ったらこの家に来ると思って。雪斗さんに電話かけたら、お互い寝坊して置いて行かれたみたいだし、一緒に待とうってなった。お邪魔してます、穂乃花さん」
眼鏡をくいっとしながら和真が言う。相変わらず優等生の雰囲気だ。でもそんな和真も寝坊したのだと思うとかわいらしく見えてくる。穂乃花が笑うのをこらえていると、和真が心なしか瞳を輝かせて朱里を見た。
「朱里、パン買えた?」
「買えたけど……、なに? 食べたいの? 寝坊したくせに?」
朱里の声に不満がにじんで、和真はすこし慌てたようだ。
「一緒に買いに行こうねって、昨日言ったのに。なんで寝坊するのよー」
「……ごめんなさい」
「だいたい和真はいつもいつも――」
なんだか雲行きが怪しい。大丈夫だろうかと穂乃花が思っていると、優が走っていって和真の胸に飛び込んだ。冷たくなった手を父親の頬にあてて、えへへと笑う。
「パパ、あったかい」
そんな娘を見てしまった朱里は「仕方ないなあ」と肩をすくめた。愛娘の癒し効果は絶大らしい。和菓子屋夫婦の方は、一件落着だ。となると次は――。
右手は山から流れる小川、左手は桜の木がずらりと並んでいる。今は枝だけが寒空に伸びていて、すこし寂しい場所だった。穂乃花の目の動きに気づいて、朱里がとんとんっと前に進み出ながら振り返る。
「春になったら、きれいなんですよ。春の朝市は駐車場じゃなくて、この土手にテントを張るんです。しかも桜の季節だけは毎週開催! あたし、お花見大好き。今年は穂乃花さんと雪斗さんも一緒にどうですか? って言っても、桜の前にさむーい冬がありますけどね」
「んー、お花見かあ……」
穂乃花は、枝ばかりの桜の木を見上げた。満開の桜並木を想像する。暖かい日差しに、白い桜の花びらが風に巻きあげられて、空に舞い上がる。お花見する人々の楽しそうな声がする。
穂乃花に馴染みがあるのは、しだれ桜だった。丘の上に一本だけ立つ古木。あの桜が、穂乃花は一番きれいだと思っている。幼い頃は何度も丘に通ったけれど、もうずっと行っていない――いや、いまさら、行けないのだ。
「……さん、穂乃花さん! 穂乃花さんってば! 聞こえてますかー?」
「あ、ごめん」
朱里の声にはっとして、過去からもどってくる。朱里が首を傾げていた。優の大きな瞳も、不思議そうに穂乃花を見上げる。
「穂乃花さんってもしかして、桜、嫌いですか? お花見、無理しなくていいですよ?」
「あー。ううん。嫌いじゃないよ。ただ、ちょっと……、昔、友だちと喧嘩したことがあって。桜見てるとそれを思い出すんだ」
「あら、喧嘩ですか」
「そう。あんまりいい思い出なくて」
それだけだよ、と苦笑した。
*****
「ただいまー」
穂乃花たちはそろって千代の家に帰ってきた。朝市限定パンを一緒に食べるためだ。さすがに雪斗も起きているだろうと思っていると、「お帰りなさい」の声が二つ重なって聞こえてきた。朱里が「あら」と目を瞬く。居間に行けば、縁側で雪斗と和真が将棋を指しているのだった。
「和真! あんた、なんでいるの」
「朱里たち、市場から帰ったらこの家に来ると思って。雪斗さんに電話かけたら、お互い寝坊して置いて行かれたみたいだし、一緒に待とうってなった。お邪魔してます、穂乃花さん」
眼鏡をくいっとしながら和真が言う。相変わらず優等生の雰囲気だ。でもそんな和真も寝坊したのだと思うとかわいらしく見えてくる。穂乃花が笑うのをこらえていると、和真が心なしか瞳を輝かせて朱里を見た。
「朱里、パン買えた?」
「買えたけど……、なに? 食べたいの? 寝坊したくせに?」
朱里の声に不満がにじんで、和真はすこし慌てたようだ。
「一緒に買いに行こうねって、昨日言ったのに。なんで寝坊するのよー」
「……ごめんなさい」
「だいたい和真はいつもいつも――」
なんだか雲行きが怪しい。大丈夫だろうかと穂乃花が思っていると、優が走っていって和真の胸に飛び込んだ。冷たくなった手を父親の頬にあてて、えへへと笑う。
「パパ、あったかい」
そんな娘を見てしまった朱里は「仕方ないなあ」と肩をすくめた。愛娘の癒し効果は絶大らしい。和菓子屋夫婦の方は、一件落着だ。となると次は――。
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