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あったかシチューと龍神さま
(十)
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「人の姿にもなれたんですね。あ、ご飯、ご馳走さまでした。おいしかったです。どうせお礼してくれるなら、雪斗さんの執筆スランプもどうにかしてあげてほしいけど」
ここ数日、穂乃花の看病もしているせいか、雪斗の執筆は進んでいないようなのだ。申し訳ない。
しかし龍神はなにも応えず穂乃花に歩み寄ると、指の先まで美しい手を穂乃花の頬に添えた。ひやりと水のように冷たいのは、やはり神様だからだろうか。人の体温とは違う。龍神が、ほんのすこし唇の端を持ち上げて微笑んだ。
――近くないか、顔。
あまりにも端正な顔をしている龍神に見つめられるのは恥ずかしい。なんて、雪斗がむっとしそうだが。恥ずかしいやら気まずいやらで、穂乃花が一歩下がると、その分、龍神が前に出る。もう一歩下がると、一歩詰められ……、距離が変わらない。むしろ少しずつ近づいている。じりじり後退を続けて、とうとう背中が壁に当たった。
龍神の指が穂乃花の髪をすくう。なんとなく、雪斗の仕草に似ていた。涼しい色なのに、どこか熱っぽい瞳に見つめられ、もしや、と穂乃花にひとつ考えが浮かぶが、いやいやそんなわけ……。しかし確かめないわけにもいかないし。こうなったら仕方ない。
「えっと、ちがったらごめんなさいなんですが、私、結婚を迫られている感じですか?」
これで勘違いなら、自意識過剰すぎて死んでしまいそうだ。そう思いながらおずおずと聞いてみると、龍神と能面女性は同時に頷いた。
「な、なるほど」
神様の怪我の手当をした娘が見初められて結婚を……なんて、本当に昔ばなしみたいだ。はー、そうですか、とふわふわした声が出る。
――どうしよう。
穂乃花はうーんといろいろ考えてみたが、結局、直球勝負でいくことにした。どれだけ言い方を工夫したところで穂乃花の言いたいことはひとつなのだから、回りくどいのはなしだ。するっと龍神の手から抜け出して、
「ごめんなさい!」
がばっと頭を下げる。
「私、龍神さまとは結婚できません」
神様の求婚を拒むなんて大丈夫かなあ、と胃がきゅっとなりながら。しばらくして、首を持ち上げる。目を瞬く龍神がいた。表情からは何を思っているのかよく分からない。無言の時間が流れて気まずい。
「……あのー、うわっ!」
叫んだのは、とつぜん、能面女性が体当たりしてきたからだ。襟元を掴まれてぶんぶん前後に振られる。大事な主人がフラれたのが信じられないらしい。食後の穂乃花にはむごい仕打ちだ。
「ちょ、能面さ……、きつい……っ! だって! 私には雪斗さんがいるから、仕方ないでしょ!」
どうにか能面女性の手から逃れて、穂乃花はぜえぜえと息をする。
「龍神さまも見たよね、救急箱持ってきてくれた男の人。彼が、私の好きな人なので! だから、ごめんなさい! 龍神さまの気持ちも嬉しいけど、無理です!」
早口で言い切ってから、「……ということなので、ごめんなさい」ともう一度龍神をおそるおそる見る。穂乃花だって、人の好意を払いのけるのは心苦しいものがある。しかも相手は神様だし。
龍神はぴたりと時が止まっているように、動かなかった。表情は先ほどからひとつも変わっていない、と思ったのだが。
ふいに、龍神の目から雫がこぼれた。
穂乃花と能面女性が、ぴしりと固まる。
その間にも龍神は無表情のまま、ぽろぽろと泣いた。
ここ数日、穂乃花の看病もしているせいか、雪斗の執筆は進んでいないようなのだ。申し訳ない。
しかし龍神はなにも応えず穂乃花に歩み寄ると、指の先まで美しい手を穂乃花の頬に添えた。ひやりと水のように冷たいのは、やはり神様だからだろうか。人の体温とは違う。龍神が、ほんのすこし唇の端を持ち上げて微笑んだ。
――近くないか、顔。
あまりにも端正な顔をしている龍神に見つめられるのは恥ずかしい。なんて、雪斗がむっとしそうだが。恥ずかしいやら気まずいやらで、穂乃花が一歩下がると、その分、龍神が前に出る。もう一歩下がると、一歩詰められ……、距離が変わらない。むしろ少しずつ近づいている。じりじり後退を続けて、とうとう背中が壁に当たった。
龍神の指が穂乃花の髪をすくう。なんとなく、雪斗の仕草に似ていた。涼しい色なのに、どこか熱っぽい瞳に見つめられ、もしや、と穂乃花にひとつ考えが浮かぶが、いやいやそんなわけ……。しかし確かめないわけにもいかないし。こうなったら仕方ない。
「えっと、ちがったらごめんなさいなんですが、私、結婚を迫られている感じですか?」
これで勘違いなら、自意識過剰すぎて死んでしまいそうだ。そう思いながらおずおずと聞いてみると、龍神と能面女性は同時に頷いた。
「な、なるほど」
神様の怪我の手当をした娘が見初められて結婚を……なんて、本当に昔ばなしみたいだ。はー、そうですか、とふわふわした声が出る。
――どうしよう。
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「ごめんなさい!」
がばっと頭を下げる。
「私、龍神さまとは結婚できません」
神様の求婚を拒むなんて大丈夫かなあ、と胃がきゅっとなりながら。しばらくして、首を持ち上げる。目を瞬く龍神がいた。表情からは何を思っているのかよく分からない。無言の時間が流れて気まずい。
「……あのー、うわっ!」
叫んだのは、とつぜん、能面女性が体当たりしてきたからだ。襟元を掴まれてぶんぶん前後に振られる。大事な主人がフラれたのが信じられないらしい。食後の穂乃花にはむごい仕打ちだ。
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龍神はぴたりと時が止まっているように、動かなかった。表情は先ほどからひとつも変わっていない、と思ったのだが。
ふいに、龍神の目から雫がこぼれた。
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その間にも龍神は無表情のまま、ぽろぽろと泣いた。
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