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あったかシチューと龍神さま
(四)
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ひとりになって、穂乃花は滝の下、とぐろを巻いている龍神に近づいた。
龍神がいるのは滝壺を挟んで向こう側の平たい岩の上。穂乃花は靴と靴下を脱いで踏み出した。足先が水に触れた瞬間、冷たさにびくりとしたが、太ももまで突っ込み水底を掴んで歩き出す。ごつごつした岩の上を歩くと足裏が痛いが、自然の足つぼマッサージだと思うことにした。よいしょ、と岩に上る。
美しい龍だった。
鱗が一枚一枚、艶を放って輝いている。紅葉に囲まれたここでは、滝の水と同じように鱗もその色に染まっていた。でもよくよく見れば、元は透明に近い薄水色なのだろうと分かる。ぴんと龍神の身体を伸ばせば、滝と同じくらいの長さになるかもしれないくらい大きい。
「あのー、大丈夫ですか」
穂乃花はひょっこりと龍神の顔を覗き込んだ。目が合う。その瞳は瑠璃色で、穂乃花はほうっと息をつく。宝石をはめ込んだみたいに澄んだ色だ。
「尻尾、怪我してますよね?」
龍神の尾の一部が、赤く汚れているのだ。きょろきょろと辺りを見渡すと、すこし離れたところに穂乃花の顔くらいもある岩が落ちていて、そこにも血がついている。
――あれ、なにかある。
龍神の尻尾の下、穂乃花がかがんでのぞくと花のツルで作られた巣があって、中に薄黄色の卵が三つあるようだ。
「この巣、神さまの?」
龍神はふるふると首を振る。
「だれかの巣を、落ちてきた岩から守ろうとしたんですか?」
応える代わりに、龍神の尻尾がすっぽりと巣を覆った。卵を守るように。
ときどき、神さまの中にも横暴な者はいる。龍神もそういう神さまだったらお供え物をやめてやろうかと思ったが、どうやらいらない心配だったようだ。穂乃花は微笑んで、よし、と気合を入れた。
「神さま、手当しますね。まずは水で洗いますから、ちょっとしみますけど、我慢ですよ」
龍神が穂乃花を見つめる。感情の読み取りづらい澄みきった瞳。
「手当です、手当! 怪我したまま放置はよくないですよ」
しばらく穂乃花を見つめてから、ふいっと龍神の目が逸らされた。嫌がる様子ではないと思う。好きにしろという意思表示だと捉えて、穂乃花は滝壺の水をすくった。
冷たいのか、しみたのか。水がかかった瞬間、龍神が身をよじって尻尾がびしゃっと滝を叩いた。
「うわっ! つめたっ!」
軌道のそれた滝が、うまい具合に穂乃花に襲い掛かって悲鳴を上げた。髪からぽたぽたと水が滴り、あまりの冷たさに身震いする。寒い秋空の日に水を被るなんて、どんな罰ゲームだ。
龍神はゆっくり瞬きして、穂乃花を見る。首をもたげた龍神の頬と、穂乃花の頬が合わさった。すまない、と言われているような気がして、穂乃花は震えながらも笑みを浮かべる。
「だ、だいじょーぶ。もう一回いきますよ。次は我慢してくださいね、尻尾ぶつけたら痛いでしょうし……っくしゅん! さっむ!」
龍神がじっと見つめてくるから、穂乃花はなんとか笑顔を貼り付けて、もう一度水を尻尾にかけた。今度は抵抗されなかった。何度か続けて、血や土を流していく。
龍神がいるのは滝壺を挟んで向こう側の平たい岩の上。穂乃花は靴と靴下を脱いで踏み出した。足先が水に触れた瞬間、冷たさにびくりとしたが、太ももまで突っ込み水底を掴んで歩き出す。ごつごつした岩の上を歩くと足裏が痛いが、自然の足つぼマッサージだと思うことにした。よいしょ、と岩に上る。
美しい龍だった。
鱗が一枚一枚、艶を放って輝いている。紅葉に囲まれたここでは、滝の水と同じように鱗もその色に染まっていた。でもよくよく見れば、元は透明に近い薄水色なのだろうと分かる。ぴんと龍神の身体を伸ばせば、滝と同じくらいの長さになるかもしれないくらい大きい。
「あのー、大丈夫ですか」
穂乃花はひょっこりと龍神の顔を覗き込んだ。目が合う。その瞳は瑠璃色で、穂乃花はほうっと息をつく。宝石をはめ込んだみたいに澄んだ色だ。
「尻尾、怪我してますよね?」
龍神の尾の一部が、赤く汚れているのだ。きょろきょろと辺りを見渡すと、すこし離れたところに穂乃花の顔くらいもある岩が落ちていて、そこにも血がついている。
――あれ、なにかある。
龍神の尻尾の下、穂乃花がかがんでのぞくと花のツルで作られた巣があって、中に薄黄色の卵が三つあるようだ。
「この巣、神さまの?」
龍神はふるふると首を振る。
「だれかの巣を、落ちてきた岩から守ろうとしたんですか?」
応える代わりに、龍神の尻尾がすっぽりと巣を覆った。卵を守るように。
ときどき、神さまの中にも横暴な者はいる。龍神もそういう神さまだったらお供え物をやめてやろうかと思ったが、どうやらいらない心配だったようだ。穂乃花は微笑んで、よし、と気合を入れた。
「神さま、手当しますね。まずは水で洗いますから、ちょっとしみますけど、我慢ですよ」
龍神が穂乃花を見つめる。感情の読み取りづらい澄みきった瞳。
「手当です、手当! 怪我したまま放置はよくないですよ」
しばらく穂乃花を見つめてから、ふいっと龍神の目が逸らされた。嫌がる様子ではないと思う。好きにしろという意思表示だと捉えて、穂乃花は滝壺の水をすくった。
冷たいのか、しみたのか。水がかかった瞬間、龍神が身をよじって尻尾がびしゃっと滝を叩いた。
「うわっ! つめたっ!」
軌道のそれた滝が、うまい具合に穂乃花に襲い掛かって悲鳴を上げた。髪からぽたぽたと水が滴り、あまりの冷たさに身震いする。寒い秋空の日に水を被るなんて、どんな罰ゲームだ。
龍神はゆっくり瞬きして、穂乃花を見る。首をもたげた龍神の頬と、穂乃花の頬が合わさった。すまない、と言われているような気がして、穂乃花は震えながらも笑みを浮かべる。
「だ、だいじょーぶ。もう一回いきますよ。次は我慢してくださいね、尻尾ぶつけたら痛いでしょうし……っくしゅん! さっむ!」
龍神がじっと見つめてくるから、穂乃花はなんとか笑顔を貼り付けて、もう一度水を尻尾にかけた。今度は抵抗されなかった。何度か続けて、血や土を流していく。
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