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第六章 ヨミは今日も生きています
(二)
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うつらうつらし始めたとき、「すみません!」とよく通る声がした。いつのまにか、どこかの停留所。大学生の千田が、バスに滑り込んだようだ。ヨミが笑って、片手を挙げた。
「おはようございます、千田くん。ギリギリでしたね」
「ヨミ姉さん! おはようございます。寝坊しちゃって」
千田は恥ずかしそうに頬をかく。それからヨミを見て、おやっと笑った。
「なんかいいことありました?」
「はい。実はボトルシップが完成しまして」
「えっ! 見たい!」
完成したら、写真を千田に見せる約束をしていた。ヨミはスマホを操作して写真を呼び出す。のぞきこんだ千田はぱっと笑顔になった。
「すごい、本当に作っちゃえるんですね、ボトルシップって」
瓶の中に、船の模型が行儀よく収まっている。船のマストとロープが複雑に交差する、ヨミ史上最高の模型だ。きっと船の模型だけが棚に置いてあっても感動しない。小さな瓶の中に詰まっているからこそ、魅力が高まるのだ。
千田は楽しそうにボトルシップのあれこれをヨミに訊いていたが、やがてヨミの職場の近くでバスが停まった。もちろんヨミはおりるとき降車ボタンを押しつつ、おりる雰囲気をかもし出していた。匂わせ、大事。
「それじゃあ、また」
「はい。お仕事頑張ってください」
眩しい笑顔の千田に手を振って、ヨミはバスをおりる。
――あー、仕事めんどくさいな。
いつもと同じ時間に出社、いつもと同じ仕事、いつもと同じ時間に退社……できたらいいな。最近ちょっと仕事が多くて、残業しがちだ。できることなら、定時でさくっと帰りたい。
「あー、めんどくさ」
ついつい愚痴がこぼれてしまうのも、ご愛嬌。仕事楽しい、わっしょい、とか思っている人間は一体どれほどいるのだろう。いるなら、その思考を分けてほしい。ほんと無理、仕事やだ、帰りたい。
そうは思いつつ、働かなければ生きていけないわけで。
でもですよ、人生八十年とか九十年とかある中、その大半を仕事に費やすってどうなのよ。しかも一日ずーっと会社に閉じこもるとか。生きるために仕事してるの? 仕事するために生きてるの? ときどき、わからなくなる。
って言っても、働かないと生きていけないのだから、仕方がない。
お仕事頑張ってください、と言ってくれた千田の笑顔を思い出す。うん、爽やか。ちょっと頑張れそうな気がしてきた。よし行くか、とあくびをかみ殺して、職場に向かう。
この世界は、決して広くない。
ヨミは世間に名をとどろかせるような偉業なんてできないだろうし、悪名を声高に周知されるようなこともしない、はず。いまのところ犯罪する予定はない。その代わりに、やっぱり偉業を成し遂げる予定もないけれど。
他人から見れば、ちっぽけな人間かもしれない。
でも、これでも、頑張って生きている。
小さい瓶の中の小さな世界で、小さな船のパーツを時間をかけて組み合わせていくように。見た目よりも必死に、真剣に、ヨミは生きている。この小さな世界が、そこそこ好きだと思う。
だから最期の日にはご飯とみそ汁ともう一品くらいの、いつもと同じ、等身大の自分でいられたなら、それでいい。ヨミはヨミらしく、生きていく。
事実は小説より奇なりという。けれど、たいしたことはそんなに起きない。
日常は、小さくて、地味で、平凡で――。
そんな感じだと、ヨミは思う。
この小さな世界で、今日も生きていければ、それでいい。
ヨミは、そう思う。
(了)
「おはようございます、千田くん。ギリギリでしたね」
「ヨミ姉さん! おはようございます。寝坊しちゃって」
千田は恥ずかしそうに頬をかく。それからヨミを見て、おやっと笑った。
「なんかいいことありました?」
「はい。実はボトルシップが完成しまして」
「えっ! 見たい!」
完成したら、写真を千田に見せる約束をしていた。ヨミはスマホを操作して写真を呼び出す。のぞきこんだ千田はぱっと笑顔になった。
「すごい、本当に作っちゃえるんですね、ボトルシップって」
瓶の中に、船の模型が行儀よく収まっている。船のマストとロープが複雑に交差する、ヨミ史上最高の模型だ。きっと船の模型だけが棚に置いてあっても感動しない。小さな瓶の中に詰まっているからこそ、魅力が高まるのだ。
千田は楽しそうにボトルシップのあれこれをヨミに訊いていたが、やがてヨミの職場の近くでバスが停まった。もちろんヨミはおりるとき降車ボタンを押しつつ、おりる雰囲気をかもし出していた。匂わせ、大事。
「それじゃあ、また」
「はい。お仕事頑張ってください」
眩しい笑顔の千田に手を振って、ヨミはバスをおりる。
――あー、仕事めんどくさいな。
いつもと同じ時間に出社、いつもと同じ仕事、いつもと同じ時間に退社……できたらいいな。最近ちょっと仕事が多くて、残業しがちだ。できることなら、定時でさくっと帰りたい。
「あー、めんどくさ」
ついつい愚痴がこぼれてしまうのも、ご愛嬌。仕事楽しい、わっしょい、とか思っている人間は一体どれほどいるのだろう。いるなら、その思考を分けてほしい。ほんと無理、仕事やだ、帰りたい。
そうは思いつつ、働かなければ生きていけないわけで。
でもですよ、人生八十年とか九十年とかある中、その大半を仕事に費やすってどうなのよ。しかも一日ずーっと会社に閉じこもるとか。生きるために仕事してるの? 仕事するために生きてるの? ときどき、わからなくなる。
って言っても、働かないと生きていけないのだから、仕方がない。
お仕事頑張ってください、と言ってくれた千田の笑顔を思い出す。うん、爽やか。ちょっと頑張れそうな気がしてきた。よし行くか、とあくびをかみ殺して、職場に向かう。
この世界は、決して広くない。
ヨミは世間に名をとどろかせるような偉業なんてできないだろうし、悪名を声高に周知されるようなこともしない、はず。いまのところ犯罪する予定はない。その代わりに、やっぱり偉業を成し遂げる予定もないけれど。
他人から見れば、ちっぽけな人間かもしれない。
でも、これでも、頑張って生きている。
小さい瓶の中の小さな世界で、小さな船のパーツを時間をかけて組み合わせていくように。見た目よりも必死に、真剣に、ヨミは生きている。この小さな世界が、そこそこ好きだと思う。
だから最期の日にはご飯とみそ汁ともう一品くらいの、いつもと同じ、等身大の自分でいられたなら、それでいい。ヨミはヨミらしく、生きていく。
事実は小説より奇なりという。けれど、たいしたことはそんなに起きない。
日常は、小さくて、地味で、平凡で――。
そんな感じだと、ヨミは思う。
この小さな世界で、今日も生きていければ、それでいい。
ヨミは、そう思う。
(了)
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奨励賞入賞おめでとうございます!今、作品を少しずつ読ませていただいています。ヨミさんをはじめ、登場人物がみんな魅力的ですね。美味しいものを食べるみたいに、味わいながら、読ませていただきます。
むめさん
お祝いの言葉、ありがとうございます!
登場人物を気に入っていただけたようで、嬉しいです。「美味しいものを食べるみたいに」って素敵な表現ですね。そんな風に読んでもらえるなら幸せです!
楽しんでいただけますように。