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第五章 ヨミ、大喧嘩?する
(六)
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水位が膝までとはいえ、水の中を走り回るのは疲れる。ギブアップ。ぐでん、と大きめの岩に腰かける。水樹もとなりに座った。仲良しなのではなく、手頃な岩がそれくらいしかなかったのだ。
なにも話せなかった。子どもたちは、情けない大人に見切りをつけたようで、自分たちだけで走り回っている。体力どうなってるの。
「みんなー、適度に休憩挟んでねー」
「はーい!」
やっと声を出せるようになったヨミの呼びかけに、まだまだ元気な声が返ってくる。
「水樹さーん、生きてますか」
「あんたに何回殺されたか」
「お互いさまです」
水樹は鼻で笑った。それだけ元気があれば大丈夫だろう。
「元気だなあ、みんな」
こうしていると、輝く水面も、はしゃいだ子どもたちの声も、どこか遠くの世界のように思えてきた。不思議だ。さっきまでヨミも混ざっていたはずなのに。壁を一枚隔てたように、ヨミと水樹の周りだけ別の空気に包まれた。
そこに、水樹が小石を投げる。
「見ててうっとうしいのよ、あんた」
ヨミが視線を送ると、水樹はぶっすりとした顔をしていた。
「いつもいつも一歩引いてて、本心言わないし。そういうの、見てて気持ち悪い。どっか別の世界にでも住んでるの?」
「なんですか、それ。わたしは、いろいろ考えすぎる性格なだけですよ」
「それがうっとうしい。誰にでも気を遣って、優しくして」
「――優しくありたいと思うのは、いけないことですか?」
ヨミがつぶやくと、水樹は黙った。
「優等生でいたいって思うのは、駄目なことですか」
どんなときでも、にこにこと。それがヨミの理想だった。だってそのほうが、見ていて気持ちがいいだろう。怒ってるひとより、にこにこしているひとでいたい。
駄目なのだろうか、優しくて素敵な人間でありたいと思うのは。じゃあ、どうすればいいんだろう。ヨミにはよくわからない。水樹は岩の上であぐらをかいて、頬杖をついた。
「あんたみたいなのがいると、あたしが、馬鹿に見えるでしょ。だから嫌い」
ヨミは言葉の意図するところがわからず、水樹を見つめた。
「えっと、ごめんなさい。言ってることがよく……」
首を傾げて訊いてみる。水樹は呆れた顔でため息をついた。
「優等生がいると、好き勝手やってるあたしが馬鹿みたいに思えてくるの。だから優等生は嫌い。あんたのことも嫌い。どうせあたしは、人づきあいもろくにできない問題児だから」
ヨミはやっぱり、ぽかんとしていた。あまりにもぽかんとしていて、水樹にデコピンされた。痛い。
もしかしたら水樹も、そういうことを言われて、内心ちょっともやもやを抱えながら、生きてきたのだろうか。水樹は、まあ問題児ではあるのだろうけれど、馬鹿ではないと思うのだが。
「水樹さんは頭の回転早い方だと思いますよ。頑固なわからず屋だけど」
「褒めてんの? 貶してんの?」
「どっちもです」
「器用なことで」
「水樹さん、そんなこと悩んでいたんですか」
自分は自分、他人は他人と割り切る水樹が。傍若無人な水樹が。
「悩んでない。イラついてただけ」
言いながら、とんとんとん、と水樹は指先で頬を叩く。たしかに、イライラしているみたいだ。貧乏ゆすりも加わり出した。
「煙草吸いたい」
「持ってきてないんですか?」
「馬鹿なの? さっきの騒ぎで水没してる」
ご愁傷様です。
ヨミはぼんやりと水の流れを見ながら、考えた。
「水樹さんは、馬鹿じゃないです。でもわたしは」
一度迷ってから、続けた。
「わたしは、ちょっと問題児な水樹さんが苦手です」
ヨミとは違ってなんでも言ってしまえる強くてわがままで無神経な水樹が、かっこいいと思うし、うらやましいとも思う。でもそれと同じくらい、きっとヨミは水樹が苦手なのだ。どうしてそんなつっぱねるのかなあとか、もうちょっと愛想よくすればいいのにとか、そういうことを考える。
正反対の感情がいつだってヨミの中にあった。いつもだったら憧れにかたむいていたのに、今日は残念ながら天秤が壊れてしまったみたいだ。
ヨミが服を絞ると、ぼたぼたっと予想以上の水が落ちて岩を黒く染めた。
「わたしも、自分のことは、お節介で恩着せがましくて八方美人、いつもぐだぐだ考え込む面倒な人間だと思っています。駄目だなあわたしって、思うときもある。それから、わたしが嫌いなものの話をしないのは、みんなに嫌われたくないからです。嫌いって言うと、その嫌いなものを敵に回すことになるでしょう。嫌なんです、それが」
とても、嫌だ。
だれも敵に回さず、平和に生きていたい。
「嫌いって言わないのは、予防線なんです、わたしが傷つかないための。すごく臆病なんですよ。そんな自分が嫌いだなって、やっぱり思うときもあります」
でも、それが自分だとも思う。今さら変えられない。
変える気も、そんなにない気がする。
なにも話せなかった。子どもたちは、情けない大人に見切りをつけたようで、自分たちだけで走り回っている。体力どうなってるの。
「みんなー、適度に休憩挟んでねー」
「はーい!」
やっと声を出せるようになったヨミの呼びかけに、まだまだ元気な声が返ってくる。
「水樹さーん、生きてますか」
「あんたに何回殺されたか」
「お互いさまです」
水樹は鼻で笑った。それだけ元気があれば大丈夫だろう。
「元気だなあ、みんな」
こうしていると、輝く水面も、はしゃいだ子どもたちの声も、どこか遠くの世界のように思えてきた。不思議だ。さっきまでヨミも混ざっていたはずなのに。壁を一枚隔てたように、ヨミと水樹の周りだけ別の空気に包まれた。
そこに、水樹が小石を投げる。
「見ててうっとうしいのよ、あんた」
ヨミが視線を送ると、水樹はぶっすりとした顔をしていた。
「いつもいつも一歩引いてて、本心言わないし。そういうの、見てて気持ち悪い。どっか別の世界にでも住んでるの?」
「なんですか、それ。わたしは、いろいろ考えすぎる性格なだけですよ」
「それがうっとうしい。誰にでも気を遣って、優しくして」
「――優しくありたいと思うのは、いけないことですか?」
ヨミがつぶやくと、水樹は黙った。
「優等生でいたいって思うのは、駄目なことですか」
どんなときでも、にこにこと。それがヨミの理想だった。だってそのほうが、見ていて気持ちがいいだろう。怒ってるひとより、にこにこしているひとでいたい。
駄目なのだろうか、優しくて素敵な人間でありたいと思うのは。じゃあ、どうすればいいんだろう。ヨミにはよくわからない。水樹は岩の上であぐらをかいて、頬杖をついた。
「あんたみたいなのがいると、あたしが、馬鹿に見えるでしょ。だから嫌い」
ヨミは言葉の意図するところがわからず、水樹を見つめた。
「えっと、ごめんなさい。言ってることがよく……」
首を傾げて訊いてみる。水樹は呆れた顔でため息をついた。
「優等生がいると、好き勝手やってるあたしが馬鹿みたいに思えてくるの。だから優等生は嫌い。あんたのことも嫌い。どうせあたしは、人づきあいもろくにできない問題児だから」
ヨミはやっぱり、ぽかんとしていた。あまりにもぽかんとしていて、水樹にデコピンされた。痛い。
もしかしたら水樹も、そういうことを言われて、内心ちょっともやもやを抱えながら、生きてきたのだろうか。水樹は、まあ問題児ではあるのだろうけれど、馬鹿ではないと思うのだが。
「水樹さんは頭の回転早い方だと思いますよ。頑固なわからず屋だけど」
「褒めてんの? 貶してんの?」
「どっちもです」
「器用なことで」
「水樹さん、そんなこと悩んでいたんですか」
自分は自分、他人は他人と割り切る水樹が。傍若無人な水樹が。
「悩んでない。イラついてただけ」
言いながら、とんとんとん、と水樹は指先で頬を叩く。たしかに、イライラしているみたいだ。貧乏ゆすりも加わり出した。
「煙草吸いたい」
「持ってきてないんですか?」
「馬鹿なの? さっきの騒ぎで水没してる」
ご愁傷様です。
ヨミはぼんやりと水の流れを見ながら、考えた。
「水樹さんは、馬鹿じゃないです。でもわたしは」
一度迷ってから、続けた。
「わたしは、ちょっと問題児な水樹さんが苦手です」
ヨミとは違ってなんでも言ってしまえる強くてわがままで無神経な水樹が、かっこいいと思うし、うらやましいとも思う。でもそれと同じくらい、きっとヨミは水樹が苦手なのだ。どうしてそんなつっぱねるのかなあとか、もうちょっと愛想よくすればいいのにとか、そういうことを考える。
正反対の感情がいつだってヨミの中にあった。いつもだったら憧れにかたむいていたのに、今日は残念ながら天秤が壊れてしまったみたいだ。
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とても、嫌だ。
だれも敵に回さず、平和に生きていたい。
「嫌いって言わないのは、予防線なんです、わたしが傷つかないための。すごく臆病なんですよ。そんな自分が嫌いだなって、やっぱり思うときもあります」
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